第35話 契約者5



 周囲に、青い光の粒が浮かんで、すぐに消えていく。雪みたいに降って、地面に落ちればすぐに消える魔力の残光。その青を眺めていたルーチェは、かつて同じものを見たことがあるのだと気がついた。それも、一度ではなく何度も。



(お兄様だ……)



 彼女自身の魔力とよく似た波長。仮面の男が間違いなく兄なのだと、ルーチェは確信した。



(そんな、そんなっ!)



 兄が、生きていたこと。罪を犯して、もしかしたら国を混乱へ導こうとしているかもしれないこと。シルヴィオと戦おうとしていること。

 それだけではなく、絶対的に優位なはずの、シルヴィオの魔法を砕いたこと。

 ルーチェは、自分がいったいなにに驚いているのかもわからないほど、混乱していた。


「……今度はこちらの番かな?」


 窓の外で、今度はアルドから、攻撃をしかけようとしている。青い矢のようなものが空中に出現したとき、シルヴィオは二階のバルコニーから飛び降りた。ルーチェを巻き込まないためだろう。


「シルヴィオ様!」


 アルドも宙を舞うようにして、それに続き、同時に二十本ほどの矢が地上に降り注ぐ。

 シルヴィオの放つ鈍い光と、アルドの青い光。ルーチェは窓に駆けよって、必死に状況を確認した。


「ルーチェ! 窓から離れて。ちょっと危ない魔法を使うからね」


 アルドがそう叫んだ瞬間、まばゆい光がルーチェの部屋めがけて飛んでくる。シルヴィオに向けて、大量の矢を降らせながら、同時にルーチェの部屋の結界を破ろうとしている。

 シルヴィオが本気で攻撃しているのに、そんな余裕があるはずないのに。


「ありえない! だって、シルヴィオ様はバレスティ国で一番強いはずなのに」


 地震のような衝撃、バルコニーの手すりが粉々に吹き飛ぶ。ルーチェは反射的に横に転がり、周囲に結界を張る。

 強化しているはずの窓ガラスにひびが入る。あと一度、同じ攻撃をされたら砕け散るだろう。


「これ以上はだめ!」


 ルーチェは、自分の意志で窓を開け、外に飛び出した。壊れたバルコニーから見えたのは、膝をつくシルヴィオの姿だった。


「シルヴィオ、さま……」


「来るな!」


 肩を押さえているシルヴィオの白いシャツから血が滲んでいるのを見た瞬間、ルーチェは今までに経験したことのないほど、感情の波が押し寄せてくるのを感じた。


「お兄様、アルドお兄様! シルヴィオ様になにをするのっ!」


「邪魔をするから仕方なく、ね? せっかく再会できたというのに、第一声がそれかい? 俺を悲しませないでくれ」


 仮面をつけたままのアルドの声に、悲しんでいる様子はない。疲れた様子もない。シルヴィオが怪我をしていて、苦しそうな顔をしているのに。


「許さない! 許さない……、絶対許さない!!」


 兄に対する猛烈な怒りは、ルーチェの中の魔力を暴発させる。二階から飛び降りて、そのままアルドに雷撃を打ち込んだ。

 けれど、ルーチェの雷撃は彼に届く寸前に弾かれ、バチバチという音を立てながら周囲を燃やした。

 庭の芝生が焼け、焦げ臭いにおいがただよう。


「それが本気かな? それでは俺には届かない」


 ルーチェの足もとから、植物の蔦が伸びてきて、彼女の足に絡みつく。彼女はすぐさまそれを焼き切って、後方へ飛びすさる。そして今度は、魔力で大量の針を作り出し、アルドに向けて容赦なく放った。

 彼女の心は純粋な怒りで支配され、兄を傷つける恐怖などまったく感じなくなっていた。

 シルヴィオを傷つけた者に死を。それが当然のことのように思えた。


「くっ!」


 紋章の力を隠すことすら忘れ、普通の魔法使いではできない能力をアルドに見せつけた。ほとんどの針が弾かれるなか、数本の針がアルドに突き刺さる。


 アルドには、たいしたダメージを与えられていない。ルーチェは肩で息をしながら、さらに同じ攻撃を続けようと腕輪に触れた。すでに、一つ目の腕輪の石は、魔力を失っていた。


「どういうことだ?」


 アルドがはじめて動揺を見せる。ルーチェの中に、勝てるという確信と、妙な高揚感が生まれる。


「……なぜ? ルーチェがそんな力を持っているんだ……?」


 アルドの問いかけで、ルーチェは攻撃の手を止めた。


「そういうことか。……ははっ! やってくれたな、シルヴィオ・スカリオーネ!」


 アルドが余裕のある態度を変えて、はじめて怒りの感情を表に出した。彼は、ルーチェの底の知れない不自然な魔力に、気がついたのだ。


「お兄様、覚悟して下さい!」


 シルヴィオを守るため、二人の秘密を守るため。今ここで兄を捕らえる。ルーチェはもう一度腕輪に触れて集中力を高める。


「残念、今夜は引いておく。まさか、君まで“契約の紋章”を宿しているなんてね……。それじゃ、無理やり引き離せないじゃないか! さすがに妹を殺す覚悟はないよ、今はね……」


 ルーチェの攻撃より早く、アルドの足もとが輝き、宙を舞う。次の瞬間には、スカリオーネ家の塀の上まで移動していた。


「まって! 逃がさない」


「ルーチェ! やめろ、追わなくていい……。ほかの者も! 追う必要はない」


 ルーチェが追いかけようとしたところで、シルヴィオがそれを止めた。カルロの指示で逃走ルートを塞ぐために待機していた私兵にも、同様の指示を出す。


「どうしてですかっ!? 今やらなきゃ。あの人、シルヴィオ様を傷つけたんですよ? 許さない、許さないんだからっ」


 もし、再びアルドが現れたら。その時に倒せるという保証はない。だからルーチェは、追いかけようとあるじに背を向けた。


「おまえの兄だろう……? 策もなしに戦ってはいけない相手だ。大丈夫、落ち着け」


 ぐっと後ろに引き寄せられて、ルーチェはシルヴィオの胸の中にすっぽりと収まった。


「落ち着いて聞いて欲しい。今のおまえは、冷静さを欠いている。ゆっくり呼吸をしてみろ」


 まだ納得できないでいるルーチェだが、しぶしぶシルヴィオの言葉に従う。


「大丈夫だ。“伴侶”が傷つけば、そうなるのはたぶん普通のことなんだろう。私は軽傷だから、気持ちを静めろ」


 それは違うと、ルーチェは思う。ルーチェの気持ちは“契約の紋章”の影響など受けていない。一番大切な人を傷つけられたから、それだけだ。たったそれだけで、彼女の自制心は、どこかに消え去ってしまったのだ。


 けれど、シルヴィオの言葉で落ち着きを取り戻すと、急に我に返る。


 ルーチェはアルドがどうなってもかまわないと、本気で思っていた。高ぶっていた感情が静まると、さっきまでの自分自身の行動が、異常だったことに気がついて、ルーチェは恐ろしくなった。

 あのとき、ルーチェがするべきことは、アルドを捕らえることだけだった。それなのに、明らかに彼を傷つけることだけを考えていた。

 シルヴィオの感じた痛みの十倍、二十倍、を返してやろうと本気で思っていたのだ。


「……ごめんなさい。私、間違ったことをしてしまいました」


「二人とも無事だった。私こそ、過信があった」


「手当、しましょう?」


 冷静になると、途端に力が抜けて、疲労が押し寄せてくる。ルーチェは魔力を一気に使いすぎてしまったのだ。ふらつきながら、屋敷の中に入ったところで、彼女の意識は途絶えた。


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