第34話 契約者4
屋敷につくと、シルヴィオはルーチェに部屋の移動を命じた。
「私の隣の部屋に移れ。これは命令だから、反論は認めない」
「わかりました」
彼女は
ルーチェはさっそく、チェストやクローゼットの中にしまってある私物を、新しい部屋へ移動させた。ほかの使用人も手伝ってくれたし、もともと荷物が少ないため、引っ越し作業は一時間ほどで終わる。
「あれ……旅行かばん? シルヴィオ様とどこかに行ったのかな?」
今まで気がつかなかったが、クローゼットの上の部分の最奥に、大きな旅行かばんがしまわれていた。西の塔に行ったときに持っていったものより一回り大きく、記憶のない二年間のあいだで、どこかに遠出をしたのだと彼女は予想した。
どこへ行ったのか気になったルーチェだが、それを聞くと封じられている記憶に繋がる危険性がある。だから、シルヴィオにたずねることはできない。
新しい部屋には大きな納戸があったので、ルーチェは見慣れない旅行かばんをそこへ置いた。
屋敷の二階の、日当たりのよい角部屋はシルヴィオの研究室になっている。これは、魔法使いにとって光がとても重要だからだ。そこからシルヴィオの私室、そのとなりの空き部屋にルーチェの私室、というのが新たな部屋の配置になった。
引っ越し作業は、なぜかルーチェよりもイメルダがはりきって、周囲に指示を出していた。
「お姫様の部屋みたいです!」
「そうでしょう? シルヴィオの叔母にあたる女性が、嫁ぐ前に使っていたのだけれど、こんなこともあると思って、最近手を加えておいたの。どう? 気に入ってくれたかしら?」
「はい! 私にはもったいないお部屋ですが、大切に使わせていただきます」
今までよりも大きくなったベットは天蓋付きで、金属の足がかわいらしい。チェストや家具は白を基調にしていて、豪華な金の縁取りがされている。ソファの座面は触りごごちのよいベルベット。そこに埋もれるくらいたくさんのクッションが並べられていく。
大きな窓、そこから広いバルコニーに出られるようになっている。天気のよい日には、そこでお茶を飲んだら心地よいだろう。
「このお部屋で、いつかリーザさんとお泊まり会をしてもいいでしょうか?」
女の子の憧れを詰め込んだ部屋で、リーザと一緒に夜更かしをしながら過ごしたら、とても楽しいだろうと彼女は考えた。もちろん、事件が解決したあとの話だ。
今のルーチェには、リーザと一緒に調べ物をしたときの記憶のほかに、町に服や小物を買いに行ったり、訓練をしたときの記憶も戻っていた。まだ二年分の記憶はないままだが、今のリーザとの関係に違和感はなくなっている。
「あら、素敵ね。少し落ち着いたら、そうなさい」
「はい! ありがとうございます。イメルダ様」
引っ越しが終わり、ルーチェは新しい私室ですこしだけ休憩をする。
服装はお仕着せのまま、豪華なソファで過ごすのは、なんともちぐはぐで落ち着かない。まだ、ここが自分の部屋だということに違和感がある。
結局ルーチェは、すぐにシルヴィオと一緒に研究室で過ごすことにした。なにかしていないと、兄のことを考えてしまうからだ。今、一番に考えるべきなのは、紋章を消し去る方法を完成させることだ。
夕方になってからシルヴィオは、窓ガラスや鍵、それから部屋の扉まで、不審者が侵入可能な場所を徹底的に確認し、魔法で強化していった。
夜間は二人以外の人間が扉やドアに触れると、騒音が響き渡り、シルヴィオにそれを知らせる仕組みになっていた。
その晩も、翌日も、ルーチェの周辺にはとくに危険なことはなにも起こらなかった。
もしかしたら、アルドが今さらルーチェに接触してくることはないのかもしれない。そう思いはじめた三日目の深夜、彼女は大きな鐘の音でたたき起こされた。
シルヴィオの装置が作動したのだ。
ルーチェは飛び起きて、窓の外に目をこらす。広いバルコニーの外には、目撃情報通りの仮面の男が立っていた。
天蓋の中からだと、向こうからルーチェの姿は見えないはずだ。
兄かもしれない人。けれど正体のわからない仮面の男は、何度かガラスに向かって魔法を放つが、強化されたそれには、ひびすら入らない。
「こんな夜更けに、女性の部屋に侵入する不審者がいるとはな……」
外から、シルヴィオの声が響く。彼は侵入者に対する侮蔑を隠さず、けれどいつもどおり冷静だった。
ここでルーチェが出て行っては、意味がない。シルヴィオに守られていることを申し訳なく思いながら、ルーチェは窓の外のなりゆきを見守る。念のため、いつでも戦えるように、寝間着の上に上着を羽織り、二つの腕輪があることを確認した。
シルヴィオが負けるはずはないが、いざというときは足手まといになってはいけないのだ。
屋敷の人々も、装置の音で侵入者の存在に気がついた。魔法を使えない使用人たちは、イメルダの指示で避難。私兵はカルロの指示でシルヴィオの補助にまわることになっていた。
「こんばんは、シルヴィオ・スカリオーネ殿。俺はアルド・カゼッラ……カゼッラ家の生き残りにして、正統なる後継者だ」
部屋の中からでも、バルコニーにいる二人の声ははっきりと聞こえる。十年という歳月のせいなのか、それとも仮面をつけているせいなのか、アルドの声を聞いても、ルーチェには彼が本物かどうかは判断できなかった。アルドだとしたら、ルーチェと同じ明るい金髪に青い瞳のはずだが、それらはフードと仮面でしっかりと隠されている。
「罪人の名など興味もない」
「舐められたものだな。……今夜は妹を返してもらいに来ただけだ。
「おまえがアルド・カゼッラだとしても、そうではなくとも、私はおまえを捕らえるだけだ。今夜捕らえられるのだから、敵対することなどないだろう。ルーチェに会いたいのなら、罪を償ってからにするといい」
無駄なことが嫌いなシルヴィオにしてはめずらしく、相手をわざと挑発するような言葉を口にする。彼が本物かどうか、情報を引き出そうとしているのだ。
「罪ね……。スカリオーネの御曹司は知っているかい? 強い者の罪は、やがて罪ではなくなるんだよ」
意外なことにアルドは、自身の正当性を主張しなかった。アルドの主張がすべて真実だとして、事実が明るみになれば新カゼッラ家は罰せられる。けれど旧カゼッラ家の罪が消えるわけではない。アルドのやったことは私刑でしかないのだ。彼はそれをわかっている様子だった。
「旧カゼッラ家のやろうとしたことを成し遂げるつもりか? 馬鹿げている」
難癖でも、正当性がなくても、勝てばそれがのちの歴史では正義になる。罪が罪でなくなる、というのはその者が国を統べる力を持ったときだ。
シルヴィオの言葉の通り、兄がとんでもないことを考えているように思えて、ルーチェの身体から一気に血の気が引いていく。
「どうかな? それこそ、教える義理はない。あぁ、だけど……長い間、妹を預かってくれて、感謝するよ。スカリオーネ家でなければ、きっと優秀な魔法使いになることも、まっすぐ育つことも無理だったはず」
それはまるで、彼がシルヴィオに勝ち、ルーチェを連れていくことがすでに決まっているような言い方だった。
「だから……できれば素直に引き渡してほしいんだけど」
「断る。ルーチェも望んでいない」
「それは、俺が生きていたことを知らないからでしょう? それに、今の妹は王家に都合のいい考えを押しつけられた囚人だ。目を覚まさせる必要がある。……ルーチェ、そこにいるんだろう? お兄様だよ?」
鈍い発光、シルヴィオが魔法で蔦のようなものを出して、それが鞭のようにアルドに絡みつく。シルヴィオが本気を出していることが、紋章を通してルーチェにも伝わる。
一人で大軍をねじ伏せることが可能なほどの、圧倒的優位性。蔦が絡まり、アルドの視界を奪うのは時間の問題だと思われた、が――――。
「な、にっ!」
絡まった蔦が、青い光りを放ち霧散する。青は、ルーチェとアルドの瞳の色だ。
「へぇ……さすがに俺と同じ、十六家の直系だ。少しは楽しめそうかな?」
仮面で表情はわからない。けれどきっと彼は笑っているのだ。
ルーチェは信じられない光景に、まばたきすら忘れ、動けなかった。
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