第32話 契約者2



 翌日、今後の方針が定まった二人は、研究所に休暇願いを出しに出向く。命が危うい状態なら、今すべきことは研究所の仕事ではない。一刻も早く契約を解消する方法を探すべきだった。

 所長に相談して、休暇ではなく特別任務というかたちで、屋敷での研究が許されることになった。

 しばらく研究所には顔を出せないので、ルーチェはリーザにそれを伝えることにした。昨日のことも話をしたかった。


「ルーチェ! ちょっと、あれから大丈夫だったの?」


 所長室を出たところで、リーザから声をかけられた。


「ごめんなさい。やっぱり病み上がりだったみたいで……はしゃぎすぎちゃったみたいです。でも、もうすっかり元気です」


「なら、いいけど」


 ルーチェが笑ってみせると、リーザはほっとした様子だ。


「それにしても、昨日は驚きました! 私の知らないあいだに、あんな魔法が使えるようになっていたなんて。十六家の直系でもできるかどうか」


 ルーチェとリーザは、スカリオーネ家で時々訓練をしていた。二年分の記憶は失ったままのルーチェだが、少なくとも記憶の中の彼女の実力では、大量の水を完璧に操ることなど到底無理だった。

 持って生まれた才能に左右されやすい魔法使いとしての能力を、努力で補うリーザのことを、ルーチェは尊敬している。


「できるかどうか……って、どうせあんたはできるじゃない」


「でも直系でもできない人が多いですから」


「本当に、大げさね」


 あまり言うと、リーザが照れ隠しに怒りだしそうだ。ルーチェとしては、もっとほめてあげたいのだが、このへんにしておくことにした。


「ところで、昨日買った本はもう読んだんですか? どうでしたか?」


「本?」


 リーザが急になにを言われているのかわからない、といった表情をする。あれだけ熱心に店主と話をしていたというのに、買ったことすら忘れている。


「リーザさん?」


「あ、あぁ! 昨日はさすがに疲れちゃって、じっくり本を読む余力なんてなかったわ。報告書もややこしいし……ベネディットが手伝ってくれたから終わったけど。あんたたち、帰っちゃうし」


「う、ごめんなさい……」


 非常時とはいえ、管轄外のリーザが魔法を使ってしまったので、報告書が必要だった。リーザは書類の作成で忙しく、購入した本のことなど忘れてしまったのだろう。

 しっかりした印象の彼女も、案外うっかりしている部分があるのだとルーチェは少し笑った。


「いいわよ。あんた本当に顔色が悪かったんだから」


 そう言って、ルーチェの体調を確認するように、頭をポンポンと軽く叩く。近づくと、どこかなつかしいような甘い香りがする。リーザは本当に素敵な、大人の女性だった。


「ヴァンニ。悪いが私の留守中、ここにある書類に目を通してまとめておいてくれるか?」


 シルヴィオはリーザの机の上に、大量の書類を積んでいた。一段では崩れ落ちそうな高さになっている。


「げっ、ちょ……ちょっ……」


 自分の机の上に積まれていく書類の量に、リーザは言葉を失う。


「よろしく頼む。ルーチェ、屋敷に戻るぞ」


「リーザさん、ごめんなさい。頑張ってください……じゃ、じゃあ!」


 ルーチェは、元気になったら絶対にリーザにお返しをしようと、心に誓いながら、逃げるようにシルヴィオと一緒に部屋を出た。



 §



 研究所から帰宅した二人は、屋敷で契約を解消する方法を模索しはじめた。

 ルーチェがはじめて入った研究室には、黄ばんだ古い資料から、書き途中の資料まで、沢山の紙の束が積み上げられていた。

 彼は紋章を宿した直後から、将来こうなる可能性を考えて、模索していたのだ。


「基本的には、物質の時を戻す――――つまり、修復魔法を応用するべきだと考えている」


 修復魔法はかなり高度な魔法だが、すでに理論が確立されている。

 たとえば、ティーカップが割れてしまったとして、すぐに修復魔法を使えば、割れる前の状態に戻すことが可能だ。


 問題は経過した時間の長さと、対象が生物、それも人間であることだった。


 二人の契約の解消に応用する場合、まずは紋章契約直前まで肉体の時間を戻す。時間を戻すことによって契約は失われるはずだ。

 その後、再び魔法によって身体を成長させる、という手順になる。


「肉体の時間を五年戻すと、五年分の記憶が完全に消滅してしまうんですね? だから、記憶を奪って封じておく研究も、同時にしていたってことですよね?」


「そうだ。もともと一時的に記憶を封じ込めるだけの魔法で、長期間そのままにしておく想定をしていなかった」


 いったん時を戻し、魔法で成長させた身体は、以前と同じようでいて、正確には同じではない。だから、人々が魂と呼んでいるもの“記憶”が失われないように、石の中に閉じ込める方法も同時に考えられていた。


「理論的にはできるんですね。でも」


「……使い手がいない」


 それが一番の問題だった。

 この再生魔法……つまり時を戻す魔法は、不老不死の研究につながる。当然、今まで多くの者が研究をしてきた。

 命を宿しているものとそうではないものの間には、明確な差がある。生物に関しては、過去に高名な魔法使いが小動物で実験を行い、成功例があるだけだった。理論的には可能でも、使える者がいないのだ。

 小動物でも難しい魔法を、人に対し、それも一度に二人に対して使う。良識のある魔法使いにこんなことを話せば、荒唐無稽だと笑われてしまうだろう。


「もし“契約の紋章”所有者なら……?」


 シルヴィオは一人で、ルーチェから四年分の記憶を奪うことに成功している。これは彼が組み立てた理論の中で、一番繊細で、一番魔力を必要とする部分だ。

 二人と同等の力を持った紋章所有者がもう一組いれば、どうなるのか。彼女は、それならできるのではないか、と期待した。


 シルヴィオの見解も同じで、ゆっくりと一度頷いた。


「だが、現在私たちしかいないのだから、どうにもならない」


「そうですよ、ね……」


 ルーチェが考えつくようなことは、すでに主が何度も検討をしている。

 現時点での問題は、理論上できるというだけで、使い手がいないこと。

 自らの記憶を封じ込める魔法は、工夫すれば使えるかもしれない。ただし、その時点で記憶を失ってしまうので、以降の行程ができない。だから、二人に魔法をかける別の魔法使いが必要だ。


 それなら、取れる方法は限られてくる。


「考えられる手段は二つだな。手段が見つかるまで、二人で寝ているか、自らの魔力で今の行程をすべて行えるように、装置を作るか……どちらかだ」


「シルヴィオ様は、装置を作ろうとしているんですね?」


「そうだ。いつ新たな紋章所有者が現れるかわからないし、もう一組の所有者にとって、私たちを助けるメリットがなにもない」


 仮に、新しい紋章所有者が現れるのが十年、二十年後だとして、はたしてその魔法使いたちが、紋章を消すために大規模な魔法を使ってくれるだろうか。使うほうにもリスクがあるのだ。

 そう考えると、自分たちでどうにかする方法を考えるしかない。


「装置……だと、直接“視て”魔法を使うことができないから、余計に難しくなりますね」


 たとえば西の塔にある観測施設のように、魔法を起動し続ける装置を作ることは可能だ。ただし装置の場合は、直接人が魔法を使うよりも効率が悪いし、応用が利かない。

 気象観測用の装置は、それまで魔法使いたちが塔で行っていた作業を、装置に置き換えたものだ。実際に使っている魔法で、しかも膨大な量のサンプルがあった。

 今回は、試すことのできない一発勝負。条件は厳しい。


「だが、私は可能だと思っている」


 シルヴィオの研究は、魔法理論の部分はすでに完成していて、それを実際の装置に組み込む段階になっていた。

 知識で、ルーチェがシルヴィオの役に立つ部分は少ないが、魔力の提供、そして自身の生態情報の提供がスムーズにできるようになったことは、装置の完成を早めることになるはずだ。


 シルヴィオはこの研究がルーチェに知られたら、二人の信頼関係を損なう可能性があると考えていたのだろう。

 ルーチェは十五歳くらいから、主が隠している研究内容を察していたし、十六歳のときには完全に知っていた。紋章が本格的に身体を蝕みはじめたのが、それよりもかなりあとなのだから、シルヴィオの心配は杞憂のはず。



(私は、シルヴィオ様を死なせたりしない……)



 それから二人は、ひたすら装置の作成のために、多くの時間を費やした。


 ところが二週間後、ルーチェたちは、研究所の所長である王弟ヴァレンティーノに呼び出された。

 王都にあるカゼッラ家の屋敷が襲撃を受けた、という一報が入ったのだ。襲撃者の名前はアルド・カゼッラ――――ルーチェの実兄の名前を語る人物だった。


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