第28話 恋心2
この日、王都の劇場でおこなわれる演目は、公演がはじまったばかりの喜劇だった。かなり人気があり、劇場周辺は多くの馬車が停まり、そこから次々と華やかに着飾った紳士淑女が降りてくる。
ルーチェは仲のよい使用人の手によって、薄く化粧までほどこされ、どこかの令嬢と見紛う出来映えで、シルヴィオにエスコートされていた。
シルヴィオのほうも、完璧な紳士だった。普段は無造作な髪が、撫でつけるようにきっちり整えられている。毎日一緒にいるルーチェだが、彼のこういった装いは年に何度も見られない。
普段の
漆黒の双眸に見つめられて、瞳の中に自身が映っていることを想像するだけで、鼓動が高鳴った。
劇場の外階段をシルヴィオと一緒にゆっくりと進む。
普段こういう場に滅多に現れないスカリオーネ家の御曹司の登場に、誰もが注目している。
そして彼らは、隣に正体のよくわからない女性がいることに気がついて、ひそひそと噂をはじめる。
「……旧カゼッラ家の?」
「へぇ、あれが反逆者の?」
「ではスカリオーネ家の若君のお相手、というわけではないのか?」
ルーチェ自身は、そんな言葉では傷つかない。普段、魔法使いのローブを着て、王宮に出入りするときもよくあることだから。けれど、今日はシルヴィオが対等な立場として彼女を連れて来ている。シルヴィオが悪く思われないか、それだけが心配だった。
「あら? シルヴィオ様、お久しゅうございます。このようなところでお会いできるとは思いませんでした」
声をかけてきたのは、落ち着いた印象の美しい女性だった。清楚なドレスに身を包み、栗色の髪を結い上げた人物は、スカリオーネ家の分家の令嬢で、エルサという。一緒にいるのは妹のオリエッタで、少し離れた場所に、彼女たちの兄の姿もあることから、家族で観劇に来たのだとわかる。
シルヴィオもルーチェも、この姉妹とは面識がある。ルーチェと同じ年のオリエッタはなにかと好戦的だが、エルサは穏やかな性格の令嬢、というのがルーチェの認識だ。
「ちょっと、なぜあなたがシルヴィオ様と一緒なの? 少しはご自身の立場を自覚なさったら?」
姉とは真逆の、きつそうな印象のオリエッタがルーチェの姿を視界に入れた瞬間に、さっそく攻撃してくる。
「オリエッタ、やめなさい。……申し訳ありません。この子ったらシルヴィオ様に憧れているので、いつも一緒にいられるルーチェさんがうらやましいのでしょう」
「違うわ! べつにうらやましくなんて」
オリエッタが真っ赤な顔をして否定する。エルサはそんな困った妹をなだめてフォローする。彼女たちは、カルロの血縁のはずだが、姉のエルサはどことなくイメルダと印象が似ている。
シルヴィオの母イメルダは、その美しさと洗練させた立ち振る舞いで、淑女たちの憧れだ。もしかしたらエルサも、イメルダを目標にしているのかもしれないとルーチェは思った。
じつはルーチェ自身も、イメルダに憧れているのだが、まったく真似できずにいる。
「ルーチェさん! なにを笑っていますの?」
素敵な姉がいるオリエッタのことが、ルーチェには少しうらやましかった。だからつい、二人のやり取りを見て笑ってしまった。笑われたことが気に入らないらしく、オリエッタはますます顔を真っ赤にして、ルーチェをにらみつける。
「誰を同伴者にするかは、私が決めたことだが?」
シルヴィオがはっきりと意志を示す。これ以上、二人の関係に口を挟むのなら自分に直接言え、という意味だ。普段のシルヴィオなら「他人の言葉は耳に入ってこない」と言った態度で、聞き流すのに。
ここ最近の彼は少し変だとルーチェは首をかしげる。
「妹が大変失礼をいたしました。どうかご容赦くださいませ。ルーチェさん、ごめんなさいね? 今日のドレス、とても素敵ですわ」
「いえ、お気になさらないでください。ほめていただけて嬉しいです」
シルヴィオの言葉で、下を向いてしまったオリエッタに代わって、エルサが謝罪をする。彼女は本当に優しい姉なのだ。
「それではよい夜を。わたくしたちは失礼いたします」
姉妹と別れた二人は、そのまま劇場の毛足の長い絨毯の上を歩き、二階席に進む。
シルヴィオがチケットを持っているのは、貴人用のボックス席だった。
ボックス席は二階から四階までの三層になっていて、二階部分の側面、舞台に近い場所の席料が、一番高い。
ただし、舞台に近い席が観やすいかと言えば、そうでもない。見やすさだけならば、むしろ一般席の中央に陣取るほうがいいだろう。
舞台に近いボックス席は、ほかの観客に対し芸術に造詣が深いことを誇示する意味合いが強い。当然あとで「あの御方がいらっしゃっていた」という噂になる。
シルヴィオはそういう意味をもつ席を避け、やや後方よりの座席のチケットを買っていたようだが、それでも注目を浴びる。
「シルヴィオ様、私たち、目立っていませんか?」
「だろうな。……知っている」
「悪い噂になるかもしれません」
歌劇の開演まではまだ少し時間があり、客席の明かりは灯されたままだ。ルーチェはだんだんと他者からの視線に耐えられなくなっていた。
せめてシルヴィオの隣に座るのはやめて、後ろに控えていようと腰を上げようとした。
「噂になったとしても、それが? おまえが気にする必要はない。せっかく着飾ったのだから、堂々としていればいい。そもそも私はおまえを助手だとは思っているが、使用人だと思ったことなどない」
言いながら、シルヴィオはルーチェの手をつかまえる。席から離れることは許さない、ということだ。彼女はおとなしく座り直す。
楽団の
手をつなぐことは、二人にとっては特別な行為ではない。彼はよく頭をなでるし、ぎゅっと抱きしめることだってある。ルーチェは同じ紋章を宿す特別な相手。だから、二人の絆を確認するために必要な、日常的な行為のはずだった。
薄暗くなった会場で、ルーチェは彼が今、どんな顔をしているのかわからないまま、なんとか舞台へ意識を集中させようと必死になっていた。
でも無理だった。絹の手袋越しでも、手に触れられていたら落ち着かない。前奏曲がはじまっても、彼女は観劇どころではなく、隣に座る青年のことばかりを考えていた。
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