第27話 恋心1


 十六歳のルーチェは、充実した日々を過ごしていた。

 西の塔に行って以降、リーザとの距離がとても近くなった。休みの日には一緒に訓練をしたり、町へ出かけてお茶をしたり、友人と呼べる関係になった。


 そんな頃。仕事を終えた帰り、研究所から迎えの馬車が着く場所まで、シルヴィオと並んで王宮内を歩いていた。

 ちょうど噴水の前を通ったとき、ベンチに腰を下ろしているベネディットの姿が見えた。


「あれ? ベネディットさん」


 王都の西側に配属されているはずのベネディットが、ルーチェに向かって手を振っている。彼の姿を視界に入れた瞬間、シルヴィオは目を細めた。


「やあ、久しぶりだね。……スカリオーネ殿もお久しぶりです」


「ああ」


「どうなさったんですか? 休暇か、なにかの報告ですか?」


 若干、大人気ないシルヴィオに戸惑いながら、ルーチェはそれに気がつかないふりをして、ベネディットに話しかける。


「いや、移動になったんだ。王都の部隊に配属されて、今日はその任命式」


「……出世された、ということですか? おめでとうございます」


 地方よりも王都に配属されるほうが、出世ルートだ。王都に配置換えになった、ということは実力が認められたという意味になる。


「まぁ、モランド家の力かな? ありがたく拝命するよ」


 そう言いながら彼は胸元についた階級章に触れた。警備隊の階級にはあまり詳しくないルーチェだが、部下を持てる立場になったのだとわかる。


「でも、こんなところでお会いできるなんて、偶然ですね」


「いや、偶然じゃないよ。俺は君に会いに行くつもりだったから。君に会いたくて、待っていたんだ」


「私?」


 一年ほど前に任務で一緒になって以来、ベネディットは直球でルーチェへの好意を言葉にする。限られた人間関係の中で暮らしている彼女には、どう対応してよいのかがわからない。

 たとえば、リーザや料理長から同じ言葉を言われたら、素直に喜んでいいはずだ。けれどベネディットに対して、そういう態度をとったらだめだということはわかる。それならどうすればいいのかまでは、彼女にはわからなかった。


「……養父から観劇のチケットをもらったんだ。一緒に行かないか?」


「断る」


 それまで、ただ二人の会話を聞いていたシルヴィオが、口を挟む。


「スカリオーネ殿には関係がないことだと思われますが? 彼女はあなたのものではないでしょう?」


「観劇に行きたいのなら、私が連れていく。私には彼女を守る義務がある。……あなたのような害虫から、な」


「また随分とはっきりとおっしゃいますね。さすがは十六家の御曹司。怖いものなどないのでしょうね?」


 害虫呼ばわりされても、ベネディットにとっては想定内だったらしく、表情はそのままだ。ただ、言葉は辛辣で、それがシルヴィオをさらに苛立たせている。


「なんと言われようが断る。行くぞ」


 シルヴィオはルーチェの手を強く握って、早足でその場から立ち去ろうとした。


「あ、あの、ベネディットさん。ごめんなさい! 私、行けません。シルヴィオ様に言われたから、とかじゃなく! 私の意志で、行けません」


 正直に言えば、観劇に行ってみたいと思うルーチェだった。

 でも、シルヴィオが望まないことを、ルーチェは望まない。命令されたからではなく、純粋にルーチェの一番はシルヴィオだから。

 自分できちんと断らずに、まるであるじを悪者にしてしまうのはとても卑怯なこと。だから、はっきりと言葉にした。


「……残念。またね、ルーチェさん」


 ベネディットの表情が急に曇る。シルヴィオの敵意むき出しの言葉を、軽く聞き流していたというのに。ルーチェの「いけない」というたった一言が、彼を傷つけたようだった。

 言ってしまったルーチェにとって、それは衝撃的で、申し訳ない気持ちで胸が詰まった。だからといって、同情で誘いを受けることもできない。


 迎えの馬車に乗り込んでも、シルヴィオはずっと手を離さないままだった。



 §



十日後の休日。ルーチェはシルヴィオの研究室で作業の手伝いをしていた。いつもならそろそろティータイムの時間だ。

 ルーチェは道具や広げていた本をテーブルの隅に片づけ、お茶の準備をするために立ち上がる。


「……明日、観劇に行くか? もうチケットは買ってある」


「どうしたんですか? シルヴィオ様」


 急すぎる提案に、ルーチェはただ驚いた。シルヴィオは人の多い場所が大嫌いで、今まで社交の場には必要最低限しか出ていないのだ。


「おまえが行きたそうだったから。興味があるのだろう?」


「でも……」


 長い付き合いの彼には、ルーチェが好きそうなものはお見通しだった。

 けれど、シルヴィオがルーチェのために、好きでもない観劇に行くというのはなんだかおかしい。だからルーチェはすぐに返答ができなかった。


「べつに、芸術に興味がないわけではない。屋敷にも歌い手を招いたことだってあるだろう? おまえは、興味があるのか、ないのか、どっちだ?」


「あります!」


 行くかどうかではなく、興味があるかどうかをたずねるのは、シルヴィオの優しさだ。身分の差があるルーチェに、遠慮をさせないためなのだろう。


「ならいい。……ドレスを用意したから着替えろ」


 そう言って、彼は私室から大きな化粧箱を持ってくる。


 高貴な身分のシルヴィオならば、お付きの者を同行させるのが普通だ。ルーチェはてっきり、使用人としておこぼれに与るのだと思っていた。

 けれど目の前のきれいな化粧箱に入っているのは、どう考えても高級品だった。


「お仕着せでは私の後ろに控えていないといけないだろう? おまえのために行くのに、それでは意味がない」


 シルヴィオの同伴者として、観劇へ行く。そのためのドレスを彼が用意してくれた。それだけで泣きたいくらい嬉しくなるルーチェは、とても単純な性格をしているのだ。


 彼女はさっそく化粧箱の中身を開けてみることにした。

 中には鮮やかな青いドレスが収められていた。広げてみると、派手ではないがフリルがたくさん使われ、薔薇のモチーフがアクセントになっている素敵なドレスだった。


「これを着ていいんですか?」


「おまえのために、選んだのだから当然だ」


「あの、シルヴィオ様が選んで下さったのですか? イメルダ様ではなくて……?」


 はっきり言えば、ルーチェにはシルヴィオが女性ものの服を選んでいる場面が想像できなかった。だからつい、思ったことを口にしてしまったのだ。


「いい歳して、なぜ母に贈り物を選んでもらわなきゃいけない?」


「ごめんなさい」


 シルヴィオは不満そうだ。ルーチェは余計なことを口にしてしまったと、すぐに後悔する。


「いや、いいんだ。謝罪の言葉が聞きたいわけじゃない」


「あっ! ごめ……。ありがとうございます、とっても嬉しいです! シルヴィオ様」


 謝罪の言葉でなく、感謝の言葉を。シルヴィオが、ルーチェのためにドレスを用意してくれて、苦手なはずの賑やかな場所に行こうとしている。無理をしてほしくないという気持ちはどこかにあるが、嬉しい気持ちが大半だ。


「それでいい。とりあえずお茶にしよう。支度はそれからでも間に合う」


 観劇は日の沈んだ頃にはじまる。たいてい終わってから軽食をとって就寝、となるので今のうちに軽く食事をしておく必要がある。ルーチェは、急いでお茶の準備をした。


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