第22話 青いドレス3



 一年分の記憶が戻った翌日。ルーチェはシルヴィオの仕事に同行を許された。助手の仕事に復帰したというよりも、研究所の所長――――王弟ヴァレンティーノも含め、今後の対策を練るためだ。

 早く助手の仕事に復帰したかったルーチェだが、実際には不安だった。彼女にとっては数日休んだだけの職場だが、実際には三年経っているのだから。


「ルーチェ! 大丈夫なの!?」


 研究所に入ってすぐ、真っ赤な巻髪の女性が声をかけてきた。ルーチェより一歳年上の魔法使い、リーザだ。


「はい、体は元気なんです。……リーザさん?」


 リーザは涙ぐんでルーチェに抱きついてくる。記憶の中の彼女は、好意を丸出しにするような女性ではなかったはずだ。ルーチェは早くも混乱する。


「なんで疑問系なわけ? そんなに変わってないでしょう?」


「えっと、大人っぽくなって、とってもいい香りがします。あと、なんだか仲良しになってますか? 私たち」


 見た目はあまり変わっていないのに、化粧が上手になり、抱きしめられると甘い香りがした。彼女はルーチェの知らないうちに、すっかり大人の女性になっていたのだ。すくなくとも、以前のリーザは香水などつけていなかった。


「あんたは覚えていないでしょうけど、三年前に一度任務で一緒になってからは、よく話すし、休日にお茶をするくらいには親しいわ……面会謝絶になる少し前に、お見舞いにいったのよ?」


「そうでしたか! お見舞いのことは忘れてしまいましたが、任務のことはギリギリ覚えています。ご心配をおかけしました」


 ルーチェは素直にぺこりと頭を下げた。リーザと仲良くなっていたことは、嬉しい話だった。


「ねぇ……。混乱するかもしれないけど、私は態度を変えられないと思うわ。数年前のことなんて覚えていないし、わざと嫌な態度をとるなんて無理でしょ?」


「あの、嬉しいです! リーザさんと仲良くなれて。忘れてしまったけど、またやり直せますか?」


「あたりまえよ」


 以前のリーザだったら「ふん、そんなの知らないわ!」と言いながら顔を赤らめそうな場面だった。三年で、人は変わってしまう。

 反発したり、勝負を挑んできながら、いざというときには助言をしてくれた彼女には、もう会えないのかもしれない。嬉しい話のはずなのに、ルーチェにとってその変化は少しだけ寂しいものだった。


「ヴァンニ、すまないが所長と話があるから、……この書類を確認しておいてもらえるか?」


「はい、副所長」


 シルヴィオはできるだけルーチェのそばにいるために、屋敷でも研究所の仕事をしている。

 手渡したのは昨日の武器庫襲撃についての調査書だった。かなり遅い時間に帰宅したのに、ルーチェが寝てからも仕事の続きをしていたのだろう。“契約の紋章”関連の研究、そして研究所の仕事、それだけではなく、戸惑うルーチェを混乱させないために多くの時間を共有しようとしている。今のルーチェは役に立つどころか、負担ばかりをかけているのだ。

 リーザが書類の束を受け取る様子をちらりと見ながら、ルーチェは自身の不甲斐なさを情けなく思った。


 所長室に入って扉を閉める。部屋の奥には立派な執務用の机と椅子があり、王弟ヴァレンティーノはいつもと同じようにどっしりと座っていた。その姿は、十五歳の彼女の記憶とほぼ変わらない。短く整えられた金髪も口ひげも、そして魔法使いより剣士のように見える引き締まった体型も、寸分違わず記憶と一致した。


「おはようございます、所長。お騒がせして申し訳ありませんでした」


「いや、とりあえず元気になって何よりだね」


 言いながら、所長が魔法を使う。なんの素振りも見せずに、周囲の空気だけがふいに変わるような感覚だ。高位の魔法使いでなければ気がつかないほどの繊細な魔法で、所長室の声が外にもれないように遮断された。

 紋章を持っていない所長よりも、ルーチェのほうが魔法使いとしての実力は上だ。けれど彼女は繊細な魔法が苦手で、所長の技に思わずため息をもらす。


「それで、記憶の封印は不完全だったんだね?」


 空間が閉ざされ、ここからは秘されている話も解禁になる。


「もともと、そういう用途で考案した魔法ではありませんでしたから。すべての記憶をごっそり奪うことはできなかったようです」


「まあ、それでも延命措置にはなったからよしとしよう。ルーチェ君、記憶が戻ったとき、なにかきっかけは? そうだな……同じような体験をしたとか」


 問われて、ルーチェは馬車の中で急に変な気分になったことを振り返る。あのときは、シルヴィオが膝枕をしてくれて嬉しかったはず。けれど突然不安が押し寄せてきた。そして十五歳の記憶でも、同じ気持ちを経験していた。共通点はシルヴィオに触れられたことだが、状況はかなり違う。


「シルヴィオ様、西の塔へ行ったときのこと覚えていらっしゃいますか?」


 彼女はなんとなく、シルヴィオにはこの話をしたくないと思ってしまった。けれど、彼女だけではなく、大切なあるじの命がかかっているのだ。可能性のあることは、隠してはおけない。


「あぁ。だが、西の塔?」


 シルヴィオには西の塔と、昨日の出来事の関連がわからないのだろう。いぶかしげな顔をしている。


「屋敷に着いて私の部屋の前で、どんな話をしたか覚えてらっしゃいますか?」


「……よく覚えている」


 ルーチェの顔がかっと赤くなる。またあのときと同じ気持ちになった。嫌ではなかったのに、なぜかとても不安になる。


「戻った記憶の中で、一番鮮明だったのが、その記憶でした。昨日も、同じ気持ちになったんです」


「封じ込めた感情と、現実世界での感情が近づくと引かれ合う、と言いたいのか?」


「たぶん、そうだと思います」


 シルヴィオの問いかけに、ルーチェは首を縦に一度だけ動かした。


「ルーチェ君は同じような体験ではなく、同じような感情でもだめだと思ったのかい? だとすると、なにがきっかけになるか予想できないね。本当なら厄介だ」


 体験であれば、常に行動をともにしていたシルヴィオならば、同じような状況にならないようにできる。極端な話、屋敷から一歩も外に出ず、過ごせばいいということになる。けれど感情ならどうだろうか。まったく別の出来事で、たとえば誰かと会話をしただけで、同じような気持ちになることは誰にでもある。


「行動を制限しても意味はないか……。それに今のルーチェになにも経験させないわけにはいかないからな」


 彼の説明によれば、今のルーチェは、精神と肉体に年齢差がある状態だという。目覚めたばかりのときに魔法を暴発させたのも、そのせいだ。

 大量の魔力を有している魔法使いは、身体の成長に比例した自制心を身につけなくてはならない。

 なにも経験させなければ、保有している魔力と、それを操る精神の均衡が崩れ、心が壊れてしまう可能性もある。

 いろいろな経験をしなければ、今のルーチェに悪影響がある。一方で、経験をすれば当然そこには様々な感情が伴い、記憶を取り戻すことにも繋がる。難しい状況だった。


 シルヴィオの説明を聞いたルーチェは、一つの対応策を思いつく。


「あの! 記憶が戻らないように、完全に消してしまうことはできないんですか?」


「ルーチェ!」


 ひどく険しい表情だった。普段は彼女に対し、怒りをぶつけることなど決してしないシルヴィオが、本気で怒っている。ルーチェが失くした記憶を大切にしないことに、つまりは自分自身を否定していることに対してなのだろう。

 そうだとわかっていても、ルーチェには考えを変える気などなかった。


「どうしてですか!? 裏切った私なんて、私じゃない。いらないのに……!」


「そんなわけがないだろう!? ……苦肉の策で封じているだけだ! 私はおまえを卑怯な手段で従わせたいわけではない!」


 なぜ、シルヴィオが過ちを犯したもう一人のルーチェを庇うのか、今の彼女は理解できない。今の自分より、十八歳のルーチェがシルヴィオにとって大切な人であるような気がして、ひどく腹が立つ。記憶を失ってから、何度も思っていることだ。


「シルヴィオ君、落ち着いて! 君が感情的になってどうするんです? ルーチェ君も、今はまだ封じ込めておく以外に方法はないから、ね?」


 所長が二人をなだめるが、お互いに納得しないままだ。


「すまない……」


 言葉では、謝罪を口にするが、それは記憶を奪ってルーチェを混乱させてることについてなのかもしれない。記憶を完全に消してしまえばいいという、ルーチェの意見を認めてくれたわけではないのだ。


 もやもやした気持ちのまま、話し合いの結果は現状維持、という結論になった。


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