第19話 二律背反7



 翌日、王立魔法研究所の一行は、予定通り施設の復旧作業を一日で終わらせた。合計三泊したあとに、王都へ帰還することになった。

 シルヴィオは警備隊の馬車には乗らず、どうやったのか不明だがスカリオーネ家の馬車を呼び寄せていた。


「警備隊のご厚意には感謝するが……私は調和を保つためだけに、自己を犠牲にできるほどの忍耐力が備わっていない」


 警備隊が行きと同様の馬車を手配してくれたのに、シルヴィオはそれを断り、スカリオーネ家からわざわざ呼び寄せた馬車で帰るつもりだった。それは相手の厚意を無視し「十六家直系が、警備隊所有の質の悪い馬車などに乗れるか!」と特権階級の人間であることを、鼻にかけている行動のようにも思える。

 普段のシルヴィオなら「不要だ」の一言で、とっとと立ち去ってしまいそうな場面だが、今回はきちんとベネディットたちに理解されようと努力している。


「往路のスカリオーネ殿の状況を知っていますから、仕方のないことだと思います。俺は王都の警備隊本部への報告も兼ねて、馬でご一緒させていただきます」


 ルーチェは、あるじがこの旅で、周囲の人間に対する気遣いを覚えたのではないかと思い、嬉しくなる。研究所の所長、ヴァレンティーノもこういう部分を学ばせようとして、リーザやほかの組織の人間をあえて同行させたに違いない。


「ご立派です、シルヴィオ様」


「副所長が自己中心的発想のお坊ちゃまであることに、まったく変わりはないような?」


 感激しているルーチェに対し、リーザがしらけた顔で、突っ込みをいれる。


「そんなことありません。普段のシルヴィオ様なら黙って帰ってましたよ」


「そもそもの基準がおかしいのよ」


「むっ!」


 大切な主を非難するリーザに対し、ルーチェは頬を膨らませて抗議する。そんな二人を無視して、シルヴィオはさっさと慣れ親しんだ馬車に乗り込む。ルーチェとリーザも慌ててそれに従う。

 シルヴィオの向かいに女性陣二人が腰を下ろすと、すぐに馬車が動き出す。

 シルヴィオは背もたれに深く身を預けて、目を伏せた。


「疲れた……。とくにベッドが固すぎて、まったく眠れなかった」


 ルーチェはリーザと顔を見合わせて、思わず吹きだした。「今頃、ベッドが硬いって嘆いているわよ、絶対」というリーザの言葉が、間違っていなかったからだ。


「お疲れ様でした、シルヴィオ様。……私はリーザさんと仲良くなれて、楽しかったです、ね?」


「別に!」


 ルーチェにとっても、そして庶民で高い魔法の才能を持つリーザにとっても、同世代の友人は貴重だ。

 リーザはルーチェに対し、複雑な感情を抱いているが、嫌っているのとは違う。そして、いざ危機的状況に陥ったら、助言をくれたし、背後を守ってくれた。

 友人というより好敵手という言葉のほうがふさわしいかもしれない。


「ルーチェに得るものがあったのだとしたら、ここへ来た意味はあったのだろう。……ヴァンニ、今後もルーチェを頼む」


 それを最後に、シルヴィオは本格的に眠りはじめた。ほかの二人は小声で世間話をする程度にして、疲れている彼を気遣った。



 §



 先にリーザを家まで送り届けてから、ルーチェたちはスカリオーネの屋敷へ帰る。

 護衛や見張りを兼ねていたベネディットは、屋敷の前まで同行していた。二人が馬車から降りると、彼も馬から降りて別れの挨拶をしてくれる。


「お二人には大変お世話になりました。さすがに十六家の直系の方々の実力はすごいですね。これは嫌みのつもりではなく、力の差を感じましたよ。俺はこれから本部への報告が残っていますので、こちらで失礼させていただきます」


「わかった」


「お世話になりました、お元気で」


 ルーチェはぺこりと頭を下げる。するとベネディットが近づいてきて、手を差し出した。

 別れの握手をするのだと理解したルーチェも、彼と同じように手を差し出す。


「君は強くて、優しい子だね。戦っているときの凜々しい姿に、ちょっとぐっときてしまったよ」


 ぎゅっと握られた手がなかなか離れていかない。


「え、あ、あの? ……ありがとうございます」


「モランド家の屋敷が王都にあるから、俺もちょくちょくこっちへ来るんだ。また会えるかな?」


 手を離さないまま、ベネディットは朗らかな笑みでそう言った。そんな機会があるのかはわからないが、ルーチェにはとくに断る理由がない。だから、肯定の言葉を口にしようとしたとき――――。


「……さわるな、消えろ」


「シルヴィオ様?」


 シルヴィオはルーチェには決して向けない、険しい表情をしていた。彼女の首根っこを掴むようにぐっと後ろに引っ張り、二人の間に割って入る。

 自分に向けられている敵意ではないのに、彼女はなぜか主のことを怖いと思った。理不尽なことで怒る人ではないのに、彼がそこまで敵意をむき出しにする理由がわからなかったから。


「ルーチェの生まれを知っていて寄ってくるのは、害虫でしかない」


「休日にどこかへお誘いするくらい、いいでしょう? スカリオーネ殿になんの権利があって、彼女を束縛するんです?」


 敵意むき出しのシルヴィオに対し、ベネディットは冷静だった。


「それを説明する義務はない」


「それでは本当に、囚人ですね。……かわいそうに」


 その言葉はルーチェの心にも深く突き刺さった。ルーチェは誰かに同情されるような立場ではないはずだから。カッと頭に血が昇り、つい感情的になってしまう。


「違います! ベネディットさん、なにも知らないじゃないですか!」


 彼は、シルヴィオがルーチェの命の恩人であることも、契約者であることも知らない。だから囚人みたいだ、などと言えるのだ。事情を知らない人間に、主を悪く言われることは、彼女には耐えられない。


「ええ。だから俺にも知る権利がほしい、と言っているんだけど? それもだめなのかな? 俺には君と友人になる権利もないの?」


「……それは、えっと」


 ルーチェは答えに迷った。彼女には、ベネディットと親しくなってはいけない理由を、上手く説明できないからだ。


「ルーチェ、答える必要はない。行くぞ」


 不機嫌なままのシルヴィオに引きずられるようにして、ルーチェは屋敷の中に入る。こんなに強引な彼ははじめてで、ルーチェは不安で泣きそうな気持ちになった。

 屋敷の長い廊下をシルヴィオは彼の歩幅で歩いている。いつもの彼なら、もっとゆっくり歩いてくれるはずなのに。


「シルヴィオ様?」


 ルーチェの私室まで、シルヴィオは止まることなく早足で進んだ。扉を開けて、彼女を部屋に押し込んだところで、ようやく安心してその手を離す。

 そこまで来て怯えるルーチェに気がついたのか、一瞬目を見開いてから、大きく息を吐いた。


「すまない、痛かったか?」


 そう告げたシルヴィオは、もう先ほどのような険しい表情ではなく、いつもの彼だった。


「大丈夫です」


 大丈夫、と口にしたルーチェの心は、自分でもよくわからないほど、ざわざわしていた。シルヴィオは、彼女に対しあんな表情をしていたわけではない。それに、ルーチェが怯えているの気がついたら、すぐに安心させるような態度をとってくれる。それなのに、ルーチェの心からは不安が消えてくれない。


「紋章のことさえ言わなければ、ヴァンニと親しくなるのはかまわない。むしろ喜ばしいことだろうな。だが、あの男には気をつけろ。友人としてなら親しくなるな、とは言えないが……」


「男の人にとって、私は利用価値があるからですか?」


 家を失っても、ルーチェの持つ血には特別な価値がある。かつてそのことで誘拐されたことのある彼女は、主が心配するリーザとベネディットの違いを理解できないほど、無知ではない。


「わかっているのなら、いい。心配しているだけで、おまえの意志を無視したいわけじゃない。……悪かった、大人気ない態度だった」


「いいえ! 私の命はシルヴィオ様が救ってくださったんですから、シルヴィオ様のものです。私はずっとシルヴィオ様と一緒にいて、それでお役に立ちたいので!」


「……私はおまえを束縛したいわけではないよ。強制ではだめなんだ……」


 ぼそりと小さな声でつぶやくシルヴィオは、ルーチェの言葉によろこんではくれなかった。ルーチェの命も、能力も、すべてシルヴィオのためにある。そう告げたら喜んでくれると思っていた彼女は落胆した。突き放されてる気がして、また胸が痛む。


「移動ばかりで疲れただろう? 今日は早めに休め」


「はい」


 妙に心が落ち着かないまま、彼女はそれに気がつかないふりをした。


「……その前に、そろそろ補充しておこう」


「え、あの? シルヴィオ様?」


 シルヴィオが突然ルーチェのピアスに触れる。

 魔力の補充なら明日でも間に合いそうだ。なにも旅と戦いで疲れている日にやらなくてもいいはずだ。


「横を向いていろ」


 頭に疑問を浮かべたまま、ルーチェは反射的に主の命令に従う。


「おまえに黒は似合わない。……だとしても、今は私の“伴侶”。そうだろう?」


 息づかいがわかるほど、すぐ近くにシルヴィオを感じる。ルーチェにとっては数え切れないほど経験していることのはずなのに、急に気恥ずかしくなり、彼女はきゅっと目をつむる。耳たぶに触れる指先が、こそばゆい。なにかを強制したくないと語る彼と、“伴侶”だと語る彼は、ひどく矛盾していて混乱する。


「は、はい。私はシルヴィオ様の、……っ!?」


 指ではない、別のものがピアスと耳たぶに触れる。かすかな音を立てて、すぐに離れたなにか――――シルヴィオがルーチェの耳にくちづけをしたのだ。


 触れられた部分が熱を持ち、そこから身体中が熱くなる。走ってもいないのに、心臓がぎゅっと小さくなるような感覚にルーチェはとまどう。はじめて感じるその感覚は、ひどく不安で怖かった。


「今の……なんの、魔法ですか?」


「そう思ったのか?」


 ルーチェは主の顔を見ないまま、うつむいてこくりと頷く。いつも無愛想でも優しいはずの主が、どうして今日に限っていろんな表情を見せて、ルーチェの心をぐちゃぐちゃにかき乱すのか。意味がわからない。


「だって、とっても熱くなりました。体内に干渉する魔法はあぶないって」


 人間の体温はたった二、三度変わるだけで、へたをすれば死んでしまう。だから身体に直接熱を送り込むような魔法は危険で、緊急時以外は使わない。


「魔法ではない。説明が必要か?」


 ルーチェはまだシルヴィオの顔を見られないまま、もう一度頷く。なにをされたのかわからないから、こんなに胸のあたりが苦しいのだ。


「手を出してみろ」


 主の命令に従って、ルーチェは紋章が隠されている左の手を差し出す。その手をシルヴィオが優しく取る。隠された互いの紋章を重ねて、離れないように指が絡められる。


「紋章を持つ者同士は魂が繋がっていると言われているだろう? だからこうやって触れあえば、より繋がりが強固になる。それは知っているな?」


 契約して以降、紋章があるはずの手を合わせる行為は頻繁にしている。それは互いの絆を確認する儀式で、ルーチェは今まで、触れられると心地よかった。けれど、今日は耳に触れられたときと同じように、落ち着かない。


「きっと私の感情を、ルーチェも無意識に感じとっているんだろう」


「じゃあ、シルヴィオ様も……同じなんですか?」


「あたりまえだ」


 彼も同じだと言われたことが、ルーチェには嬉しく感じられた。胸が熱いのも、不安なのも、握られた手をそのままにしてほしいと思う気持ちも、一人のものではないと知ったから。

 結局、なぜ彼がいつもと違う感情で触れたのか、ルーチェは聞けなかった。それは聞かずに、自分で考えなければならないことのように思えたのだ。


 部屋に入ったルーチェは、上着だけ脱いでからベッドに寝転がった。


「なんだろう? まだ身体がぽかぽかする。……眠れないよ……」


 触れられた耳がまだ熱い。ルーチェはピアスに触れるのをためらった。さっきシルヴィオからもらった感触を、書き換えたくないと思ったからだ。

 ふわふわとしたした感覚に身をゆだね、瞳を閉じる。眠れないと思っていたはずなのに、旅で疲れた身体はすぐに彼女を眠りの世界へと誘った。


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