第16話 二律背反4



 翌朝、ルーチェたちは日の出とほぼ同時に、警備隊の用意した馬車に乗って、西へ向かった。馭者台にはベネディット、ほか三人は馬車の座席に座る。

 正確にはシルヴィオだけは、完全に横になっている状態だった。体調不良で倒れているのだ。

 進行方向に対して横向きに座るかたちになっているベンチの片側をシルヴィオが占有し、反対側にルーチェとリーザが座る。


 軍用の馬車にはいろいろな種類があるが、貴人用ではなく、荷物や兵の運搬に使われるものだった。

 ベンチは木張りで屋根は簡素なほろ。風は通り抜けるし、長時間座っているとおしりが痛くなる。


「シルヴィオ様、大丈夫ですか? 顔色が悪いです。お薬は?」


「……問題ない、いらない」


 丈夫さと軽さに重点を置いて設計された馬車は、けっこう揺れる。ルーチェもスカリオーネ家の馬車との違いに驚いたくらいだ。そしてシルヴィオは朝が弱いし、毎日遅くまで研究しているせいで寝不足だ。乗り物で酔ってしまう条件が揃っている。

 女性陣二人が不満を言わないのに、弱音を吐くわけにはいかないのだろう。ルーチェはできるだけ余計な話をせず、見守ることにした。


「あと一時間ほどで昼の休憩をとりますので、そこまで耐えてください」


 馭者台からベネディットが声をかけてくる。楽しいときならあっという間に過ぎるくらいの時間でも、苦しんでいるシルヴィオにとっては、先が見えないほどの長さに感じられるはずだ。


「はい! がんばります」


 声も出したくない、というあるじのために、ルーチェが気持ちを代弁しておく。


「……だから、嫌だったんだ」


 シルヴィオが低い声でつぶやく。それを最後に目を閉じてしまう。

 きっと、ルーチェと二人ならば膨大な魔力に頼ってずるをしたので、こんなことにはならなかった、と言いたいのだろう。


「あんたのご主人様って、けっこう大人気ないわね。明日の任務、大丈夫なの?」


 シルヴィオが完全に眠ってしまってから、リーザが不安を口にする。


「乗り物酔いですから、降りればすぐに治ります。じつは酔い止めを持ってきたんですが、使わないのは眠くなると明日の任務で困るからだと思います。任務のことはちゃんと考えているはずですから、大丈夫です」


 乗り物酔いを和らげる薬はとても眠たくなるのだ。翌日も頭が冴えないということもあるので、シルヴィオはあえて気持ち悪いのを我慢している。


「それならいいけど」


「それにしても、魔法使いが盗賊になるなんて……どうしてちゃんと働かないんですか?」


 警備隊の人員でも、ある程度の魔法なら対応できるはずなのだ。実際にベネディットも魔法を使えるという話だ。それなのにわざわざ研究所に依頼が来たのだから、敵はかなりの使い手ということになる。

 もし、庶民で魔法が使えるのなら、その人物はリーザのように、国に仕える機会を得られる。

 高い能力を持っていて、なぜ犯罪に手を染めるのか。ルーチェにはまったく理解できない話だ。


「……知りたいの?」


「それはもちろん」


「あんたの生家のせいよ。それ以外の可能性もあるけどね」


「え……?」


 予想していなかった答えに、ルーチェは声のぬしの方へ向き直る。


「内戦で負けた側、つまり旧カゼッラ家に組した魔法使いは、投降したら罰せられるでしょう? だから逃げて、盗賊やならず者に成り果てたってところかしら? 今回の盗賊団の魔法使いが必ずそうだ、とは言わないけれどね」


「……そう、なんですか」


 ルーチェにとっては八歳のときに起こった戦いで、すでに記憶から薄れつつある。けれど、私は子供だったから無関係だ、とは言えないし、責任を感じろと言われても実感を持てない。


「あたしが気に入らないのは、あんたがひどく世間知らずな部分よ。……もっとも、それはあんたのせいじゃなくて、そこで寝てるご主人様が、あんたに教えないからなんでしょうけど」


「……ちが、う!」


 ルーチェの心の中を、もやもやとした感情が支配していく。


「なにが? もうちょっと、自分でいろいろ考えなさいよ。お人形さんじゃないんだから」


「そんなことないです、お人形さんなんかじゃ! だって、シルヴィオ様は私の、私の、命の恩人で。それに、私のことは押しつけられただけで……、それなのに大切にしてくれて。リーザさんこそ、私のことなにも知らないくせにっ!」


 リーザの言葉は、辛辣だ。そしてルーチェは生家を非難されるより、スカリオーネ家やシルヴィオを批判されるほうが耐えられない。自身のすべてを否定されたような気持ちになるからだ。


「じゃあ、飼い犬ね! 首輪もついているみたいだし。あんたのご主人様が正しいと思うなら、べつに世間を知ったって怖くないでしょ? 自信ないわけ?」


「そんなことないです!」


「だったら、ちゃんと外の世界を見なさいよ。庶民の私からすると、危なっかしくて見ていられないのよ」


「…………」


 ルーチェは「わかりました」とも「ちゃんと見てますから余計なお世話です」とも言えなかった。

 ピアスは首輪じゃない。ルーチェを守るためのもので、実際に命を救われた。勝手な行動が許されないのも、将来を自身で決められないのも、王命があるからで、スカリオーネ家のせいじゃない。むしろ、スカリオーネ家は王命で許されている範囲で、できる限りの自由をルーチェに与えてくれている。彼女はそう叫びたかった。

 けれど、世間を知らないというリーザの言葉を否定できない。だから反論できずに口ごもる。


 気まずい空気を馬車の乗せたまま、一行は西へと進む。途中で昼食と二回の休憩をはさみ、西の塔の近くの村までたどり着く。その頃には日が傾きはじめ、進行方向を直視すると、橙色だいだいいろが眩しい。


 村にある警備隊の詰め所に到着したあと、さっそく討伐のための作戦会議が行われる。


「魔法使い一人? じゃあ、その二人は? 一人は正規の魔法使いですらないとは……」


 観測所周辺の地図が広げられた大きな机を取り囲むのは、明日の作戦に参加する者たちだ。この地区の警備責任者である隊長は、部下が連れ帰った戦力が少なすぎると、不満を隠さない。


「一人は助手、もう一人は非戦闘員。観測設備の修復のために連れてきた。私一人で問題ない」


 なんとか乗り物酔いから回復したシルヴィオは、無表情のまま淡々と説明をする。

 魔法使いを確実に倒すのならば、一人の敵に対し複数人であたるのが基本。それを無視した研究所の方針が、理解されないのは当然だ。


「おそれながら、王立魔法研究所の所長であらせられる、ヴァレンティーノ王弟殿下から、スカリオーネ副所長お一人で対処可能だとお墨付きをいただいております」


 まったく理解される気のなさそうなシルヴィオに代わり、リーザが口を挟む。



(王弟殿下の決めたことに逆らうなー! ってことかな?)



 ルーチェはリーザの補足を聞きながら、言葉の意味を考えた。王弟の名前を出されたら、隊長も引き下がるしかない。あまり相手からの信頼を得られる言い方ではないが、黙らせることはできる。


「……ですが、お一人というのはあまりにも!」


「観測所は私たちにとって重要な設備だ。こちらとしては嫌がらせのために、わざとギリギリの戦力しか出さない、などという馬鹿げたことはしない。魔法使い特有の過信かどうかは、すまないが戦いで証明するしかないだろう」


「……十六家直系の尊き御方の実力を疑うことなど、私にはできませんからね。信じましょう」


 隊長は苦虫を噛み潰したような表情のままだ。信じるという言葉が本心ではないことは、ルーチェにもわかる。けれど、ここでもめていても盗賊団を捕らえることなどできないし、正直言って早く打ち合わせを終わらせて、明日に備えたほうが建設的だとも感じた。


 他人に理解される気がないシルヴィオを、リーザが手助けするかたちで話が進み、あとは夜明けを待つだけとなった。


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