第13話 二律背反1
十五歳のルーチェは、王立魔法研究所でシルヴィオの助手として働いていた。毎朝の日課は、
「シルヴィオ様、起きていらっしゃいますか?」
扉をノックしたあと声をかければ、主からの返答があるはずだ。
「……ああ、大丈夫だ」
「お支度が終わった頃に、朝食をお持ちしましょうか?」
扉越しでも眠そうなのがわかるが、とりあえず起きている。ルーチェとしては毎朝しっかりと朝食をとって欲しいのだが、本人によれば「朝は食欲がない」とのことだ。その日によって食べたり食べなかったりするので、毎日たずねることにしている。
「果物だけでいい」
「かしこまりました」
スカリオーネ家のような上流階級の人間は、朝食を寝室でとる者が多い。ルーチェは厨房へ向かい、料理長に主の要望を伝え、果物と紅茶を受け取ってからシルヴィオのもとへ戻る。
許可をもらってから部屋へ入ると、窓際に置かれたテーブルのところで、シルヴィオが頬杖をついていた。まだ眠そうだが、シワのないシャツにベスト、そしてタイもしっかりと締めて着替えは済ませたようだ。
ルーチェは音を立てないように気をつけながら、彼の前にカットされた果物がのった皿を置く。
「食事は済ませたのか?」
「はい、食堂でいただきました」
ルーチェは日の出とともに起床して、掃除をしてから使用人用の食堂で朝食を食べている。今日の朝食は焼きたてのパンに野菜がたっぷり入ったスープ、そしてチーズ。ほかの屋敷で働いていた者から聞いたところによると、スカリオーネ家は、かなりの好待遇なのだとか。料理人の腕がよく、使用人用の食費に割かれる予算も多いということだ。
「明日から一緒に食べないか? 前にも言ったが、おまえは使用人ではなくて、私の、だな……。とにかく、そんなに早起きする必要はない」
「私はシルヴィオ様の“伴侶”、ええっと、契約相手って意味ですよね? だから、こっちの仕事よりもすごい魔法使いになるほうをがんばらないといけないんですよね!」
使用人の仕事ならほかの者でもできる。ルーチェが優先しなければならないのは、シルヴィオの契約相手として、ふさわしい人間になること。ルーチェの命を救うために、間違った契約をしていることは彼女も十分承知している。
だから、助手としての仕事や家庭教師から出された課題を最優先にしていたつもりだが、まだいたらない部分があったのかもしれない。そう思って彼女は自分の行動を振り返る。
「だめでしたか? できていないことがありましたか?」
「いや、おまえは努力している。……ただ、もう少し休んでもいいと思っただけだ」
「早寝早起き、とっても健康なんです」
夜、シルヴィオの研究を手伝おうと思っても「早く寝ろ」と言って追い出されてしまう。その分、朝早いのは当然だった。
「なら、それでいい」
シルヴィオは、フォークを使ってカットされたりんごを口の中に運ぶ。紅茶の蒸らし時間が終わったところで、ルーチェは慣れた手つきでそれをカップに注ぎ、彼の前に置いた。
そうやって朝の時間は、とてもゆっくり流れていく。
§
朝食のあとは馬車に乗って職場へ向かう。ルーチェはエプロンを脱いで、お仕着せの上から魔法使いのローブを羽織る。助手という立場で出入りを許されているルーチェのローブは、地味な灰色だ。灰色の生地に紺色の縁取り、そして肩の部分には王立魔法研究所を示す紋が刺繍されている。
高位の魔法使いであるシルヴィオは、真っ白なローブに金色の刺繍。一般の研究員は紺色の地に銀の刺繍。まとう色がそれぞれ違う。
王立魔法研究所の本部は、王宮内にある。スカリオーネ家の馬車に乗って、堀の上に掛けられた跳ね橋を超えれば、そこからが限られた者しか入ることが許されない王宮の中だ。
限られた者と言っても、堀の内には政治や軍、そして魔法に関する施設が多くあるので、中で働いている人数は軽く千人を超える。
区画がわかれていて、ルーチェが入れるのは研究所のある区画と中央にある広場だけだ。
王立魔法研究所の中に入ると、一階に大きな部屋があり、研究員たちの机が並べられている。その奥に所長の部屋、そして副所長の部屋がそれぞれ存在する。
シルヴィオは若くして、副所長の肩書きを持っている。
皆、シルヴィオには挨拶をするがルーチェの存在はないもののように扱う。ここにいるものはそのほとんどが十六家の血族で、ルーチェがどういう立場の娘なのかよくわかっている。
スカリオーネ家が保護して、誰が見てもシルヴィオとの関係は良好だとわかる。だから、ないがしろにもできないが、よく思っていないということなのだろう。
必要なことがあれば、会話はする。けれど気安く世間話をするような者はいない。
ルーチェが紋章を宿し、研究所に出入りしてから十ヶ月ほど経つが、まだ周囲との関係は築けないままだった。
唯一の例外は研究所の所長くらいだろう。その所長が二人を手招きして、部屋に来るようにうながす。
「シルヴィオ君、ちょっといいですか?」
所長の名前はヴァレンティーノ・エリゼオ・ザナルデと言って、ザナルデというのは王家の姓だ。今年四十歳になったというその人物は現国王の弟にあたる。
短く刈られた金髪に、口ひげを生やした軍人のように引き締まった体の人物。王家の姓は気安く口にしないため「ヴァレンティーノ王弟殿下」研究所内では「所長」と呼ばれている。
所長室の扉をきちんと閉めてから、立派な椅子に腰を下ろした所長と向き合う。
「なにか?」
「西の塔……。嵐観測用の塔なんですが、ちょっと様子がおかしいんです。というよりも、無人の施設を盗賊団に占拠されているようですね。さくっと捕縛してきてくれますか?」
所長は、見た目が戦士のようだというのに、話し方は丁寧でおっとりしている。それでいて言っていることは物騒だ。
バレスティ国では基本的に西から東へ気象が変化する。そのため、西にある一番高い山の上に観測用の塔があり、魔法を使って動く観測設備がある。その設計には代々のスカリオーネ家の魔法使いが関わっている。
「わざわざ、ここから人員を出すんですか……?」
シルヴィオが怪訝な顔をする。
「盗賊団と言っても、その中に魔法使いがいるようで、王都警備隊から依頼が来たんですよ。施設に詳しいのはこちらですからね」
王都守備隊というのは軍の一部隊で、王都やその周辺の治安を守る役割を持つ組織だ。軍の中には魔法に特化した部隊もある。それなのに、わざわざ別の組織である研究所に話がきた理由は簡単だった。
もし敵の魔法使いと戦いになって、施設が破壊されてしまった場合、軍が責任を負わされるのを避けるためだ。研究所所属の魔法使いが放った魔法で施設が壊れても、軍は関係ないというわけだ。
「わかりました。では、今日は早めに失礼して、旅の支度をしてもよろしいでしょうか?」
西の山岳地帯まで一日、警備隊の詰め所や宿がある麓の村から観測用の塔までは、徒歩で数時間ほどの距離だ。いろいろと準備が必要だった。
「ああ、それはかまわないけれど、同行者と打ち合わせをしてくださいね」
「……私たちだけで十分ですが。占拠している者を無力化し、守備隊に引き渡せばいいのでしょう?」
「あのね、君。仮にも副所長でしょう? 部下に仕事を教えなさい。二人で行ったら、どうせずるをするでしょう? ありえない報告書を出してもらっては困るんだよ」
二人は以前、任務で王都の外へ行ったとき、人目がないのをいいことに、十六家の直系というだけでは説明がつかない魔法を使い、ありえない日程で帰還してしまったのだ。
所長は報告書をねつ造するのに苦労したようで、その時のことを思い出して真っ青な顔をしている。
「では、今度は近くの温泉地にでも寄って、のんびり一泊しますので」
シルヴィオの顔にははっきりと「他人を連れていくのは面倒くさい」と書かれている。
もし部下を連れていったら、高度な魔法を大量に使うことはできない。二人が紋章を宿していることは、隠されているのだから。
「まったく、これだから……。ルーチェ君、彼を甘やかさないでくださいね」
「ええっと、甘やかしてないと思います。たぶん!」
「本当かな? まぁいいや。討伐には参加させなくていいけど、リーザ・ヴァンニ君を連れていってください」
「リ、リーザさん……ですか?」
ルーチェはその名前を聞いて目を見開く。ほとんどの所員がルーチェを空気のように扱っているなか、彼女だけは積極的に話しかけてくるのだ。――――ただし、どう考えても敵意を持って。
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