第11話 儚い望み5



 罠の一件は、明日にでも王立魔法研究所経由で、狩猟組合に報告することにして、とりあえず二人は本来の目的に専念する。


 シルヴィオが瞳の色と同じ黒い石を一つ、林道の脇に埋める。そこから道をそれて、森の奥にしかない薬草やキノコを探すのだ。

 埋めた石はルーチェのピアスと同じ役割をする。シルヴィオが闇色の石を持つルーチェを見失うことはないし、地中の石を起点にすれば二人が遭難することもない、というわけだ。


「私が先を歩く」


 丈夫なブーツと外套で武装しているが、深い森には棘のある植物や毒のある植物も多い。シルヴィオは獣道をふさぐ木の枝や蔦を魔法で吹き飛ばし、歩きやすくしている。


「水が湧いている。滑るから手を」


「はい」


 小さな沢を飛び越えるときは、彼が手を貸してくれる。口数は多いほうではないが、彼は本当に優しいのだ。


 ルーチェは苔の生えた石の上を、彼の手を借りて進んだ。


「シルヴィオ様はとっても優しいです」


「そんなことはない」


「私の知っている男の人のなかで、きっと一番……」


 反逆者の娘として、外の目は厳しい。けれどスカリオーネ家の者は皆、ルーチェに優しい。唯一カルロだけは怖いが、嫌われているのとは違う。

 だけどルーチェにとって、シルヴィオは特別だった。おそらく紋章を宿す前から。


「……そもそも私以外の親しい異性なんて、父上と所長と、モ……料理長くらいしか、いないだろう?」


 沢を渡りきったところで、ぱっと手が離される。前をあるくシルヴィオがどんな顔をしているのか、彼女がうかがい知ることはできない。



(そういえば、そうだ。……じゃあ、私が好きになった人って……研究所の人か、使用人の誰か……?)



 一度わいた疑問を、そのままにしておくことが難しいのが、ルーチェの性格だ。


「あの! シルヴィオ様、私が好きだった人って、屋敷の人か研究所の方ですか?」


「気になるのか?」


 ルーチェは素直に頷く。


「その人、もしかしてクビになってしまいましたか? そうしたらかわいそうだと思って」


 シルヴィオはいったん足を止めて、ルーチェに向き直る。


「使用人なら解雇していただろうし、研究所の人間ならスカリオーネの力で地方に飛ばしていただろうな。だが、違う。そういう意味では手を出していない」


「それなら、よかった……」


 シルヴィオの命に関わることなのだから、スカリオーネ家はなんとしても原因を排除しただろう。たとえそこに正当性がないとしても、権力を使っていたはずだ。

 もし、十八歳のルーチェの自分勝手な想いのせいで、その人物の生活を乱してしまったら、彼女はますます、かつての自分自身のことを憎んだはずだ。


「もう二度と会わせない、とは言った。……忘れてしまえ。いや、今は考えないでくれ、頼むから」


「ごめんなさい。シルヴィオ様を危険にさらすことなのに」


「いや、いい。そろそろ昼にしようか?」


 ちょうど木が少なく、日の当たる場所がある。敷物の大きさに合わせて、危険なものを取り除いてから二人でそこへ座る。

 小さな蝶がやってきて、時々ルーチェの目の前にある花の蜜を吸っている。風もなく、完全にピクニックに来たようだ。


 ルーチェはさっそく、持ってきた昼食を敷物の上に並べる。

 鶏の香草焼き、蒸したジャガイモを潰したもの、野菜の酢漬け――――それらが、丈夫な金属の容器に入れられている。パンの代わりに手作りのマフィン。ベリーやチーズがたっぷりと入っている。


「シルヴィオ様、じつは今日のマフィンは私が作ったんです」


「そうか、ありがとう。さっそくいただく」


 シルヴィオはチーズ味のマフィンを手に取り、口に入れる。


「どうですか?」


「……屋敷で食べるのとまったく同じだ」


 屋敷で食べるのと同じ――――職人が作ったマフィンと同じ味、つまりはプロ級のおいしさ、という意味だとルーチェは解釈した。


「そうでしょう? 料理長さんから習ったんです!」


「だからみやげが必要だということか」


「はい、そうなんです」


 食事が終わったところで、水筒のお茶を飲みながらのんびりと過ごす。こういったときは大抵ルーチェから話題をふり、シルヴィオは聞かれたことに答えるか、相づちを打つといったやり取りになる。

 ルーチェが“昨日”のことを話そうとすれば、それはシルヴィオにとっての四年前の出来事だ。そして“少し前”のことを彼から聞こうすると、それは失くした記憶の話になってしまう。


 シルヴィオとの会話で、話題に困るのは彼女にとってはじめてのこと。


 ぽかぽかの日差しが眠気をさそうのか、シルヴィオが小さなあくびをする。


「もしかして、遅くまで研究をされていたのですか?」


「いろいろと、やらねばならないことがある。手伝ってほしいことは、ちゃんと頼むから」


「はい」


 ルーチェの知っているシルヴィオは、四年前の彼だ。その頃も夜遅くまで熱心に研究をしていて、日中うっかり昼寝をしてしまうことがあった。自分が手伝えば、その分早く眠れるのではないかと、彼女は何度か申し出た。

 そのたびに「国家機密」だとか「子供は早く寝ろ」と言われて追い払われた。

 紋章のことだけでも、ものすごい迷惑をかけているのだから、無理に手伝いたいなどと言って、彼を煩わせるのは違う。


 彼女は早く大人になりたいと願っていた。六歳の差が大きいと感じていたのに、精神的には十歳――――その差が広がってしまった。


「とりあえず、昼寝がしたい」


「へっ!?」


 シルヴィオは敷物の上にごろんと寝そべった。頭はルーチェの膝の上だ。横向きで寝そべる彼が、膝の上にあったルーチェの手を取る。見えない紋章同士が触れて熱を帯びる。


「重いか?」


「いいえ、大丈夫です。……私、しっかりお守りしますね。熊が襲ってきたら、魔法を使ってもいいですか?」


 ルーチェは現在、魔法の使用に制限がある。基本的にはシルヴィオがフォローできない場所では使うな、というのが彼の指示だ。


「熊なら、いい。……炎はやめておけ、火事に……」


 本当に眠かったのだろう。そのまま目を閉じて、しばらくすると寝息を立てはじめる。

 望んでいる仕事とはなんだか違う気がしないでもないが、これも立派な仕事。彼女はシルヴィオが甘えてくれたことが、とにかく嬉しかった。

 ルーチェはシルヴィオの寝顔を見るのが好きだ。無防備で、心を許している、ルーチェが彼にとって家族だと認めてもらえている。そんな気がするからだ。


「シルヴィオ様……私、記憶なんていらないんです……だから……」


 だから、今からやり直したい。二度と裏切らないから、嫌わないでほしい。起こさないように、小さな声で、彼女はそうつぶやいた。


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