第8話 儚い望み2
午後は、腕輪の手入れをして過ごすことにした。
シルヴィオの私室の隣には、彼の研究室が二つある。一つはルーチェも使っていいとされている広い部屋で、彼女が勉強部屋のように使っている。そして、奥に続き部屋の扉があり、そちらはシルヴィオ専用の研究室だった。
シルヴィオの研究室は立ち入り禁止と言われている。ルーチェは、シルヴィオの私室と共同の研究室を掃除してから、作業に取りかかることにした。
中央に大きなテーブル、壁際の棚にはたくさんの薬草や本が並べられている。窓は大きく、昼間ならば明かりを灯さなくても十分な光量だ。魔法使いは視ることで、自然の摂理や原則を歪めている。だから、魔法を扱う部屋は、光をたくさん取り入れる設計になっているのが普通だ。
ルーチェは椅子に座り、腕輪を取り外す。
石のついた腕輪は魔法使いに欠かせない、大切な道具だ。
身体の中にある魔力を取り出す作業には、集中力と時間が必要となる。実際に魔法を使う時――――たとえば戦いの最中にそれをするのは難しい。だから魔法使いは、集中できる環境で、あらかじめ石の中に自らの魔力を込める。
魔法を使うときは、大半を石の魔力が補う。ただし、核となる部分は身体から取り出したものでなくてはならない。
実戦で、核となる部分を取り出すだけでも、魔法使いは疲労を感じる。だから無制限に石を持っていても意味がない。
核を取り出す実力がないのに、大量に石を持っていることは、とんでもなく格好悪いのだ。
ルーチェは魔法使いとしては一流と言える八つの石がついた腕輪をしている。けれど、これはあくまで十六家の直系としては普通、と説明できる数。実は、契約の紋章を持つ者として、さらに十個の石がついた腕輪を服の中に隠し持っている。
「色が薄くなっている!」
合計十八個の石のうち、まともに残っているのは三つだけ。ほかは時間の経過なのか、使ったあと補充しなかったのか、薄い水色になっていた。戦いの直後でもないのに、魔力の切れた石をたくさん持っているのは、魔法使いにとってなかなか恥ずかしいことだったりする。
ルーチェはまた、失くした記憶の中の彼女自身が嫌いになりそうだった。それと同時に、本当に紋章が心を蝕んで、危険な状態だったのだと改めて認識する。
「よーし! 元気だけど、病み上がりだってみんなが言うから、とりあえず三個くらい、やっておくか」
ルーチェは腕輪から石を取り外し、指でつまんでじっと見つめる。あとは思うだけ。時間をかけて身体の中にある熱のようなものを石に移すだけだ。
透明に近かった石が、ルーチェの瞳の色と同じ、澄んだ青に変わっていく。皆が、シルヴィオがきれいだとほめてくれる、瞳の色と同じ色だ。
「ふふっ、上手にできた」
仕上がりに満足した彼女は、シルヴィオのことを考えた。シルヴィオの瞳は真っ黒で、当然石も黒くなる。ルーチェの左耳についているピアスを似合わないと彼は言う。ルーチェという名前には光という意味がある。黒はルーチェにはふさわしくないと。
だけど、シルヴィオの黒は、ルーチェにとって不快なものではない。心が落ち着く、穏やかな眠りに誘う夜の色。そう思いたいのだ。
合計三つの石に魔力を込める。彼女としてはまだまだできそうな気もするが、根を詰めすぎると皆が心配する。だから、このへんにして、できあがった石を腕の台座に戻していると、シルヴィオがやってきた。
「今、帰った」
「シルヴィオ様、お帰りなさい!」
紋章を宿して以降、屋敷でも仕事でも一緒に行動をすることが多かった。急に引き離され、彼女は不安だった。だから、約束通り報告だけしてすぐに帰ってきてくれたのだと思うと、嬉しい。
「寝ていろと言ったのに、大丈夫なのか?」
闇色の瞳が、ルーチェをじっと見つめる。
「はい、とっても元気ですよ? でも、今日は三つだけにしておきます。自分の力を過信して無理をするのはいけないこと、ですよね?」
「ああ。……焼き菓子を買ってきたから、お茶をいれてくれるか?」
「はい!」
研究室にはアルコールのランプややかんが用意されていて、お茶くらいならばすぐにいれられる。ルーチェはマッチを持って、ランプに火をつけようとする。
「今日は、魔法を使っていい」
日常生活で魔法を使いすぎると、魔法を使えない一般人の感覚とかけ離れ、魔法なしではだめな生活力なし人間になってしまう。だから、便利で早いから、という理由で安易に使わないのが普通だ。
とくに急いでいるわけでもないのに、シルヴィオがそう指示するのはめずらしい。ルーチェは意図がわからず、きょとんと
「心と身体のバランスが崩れているかもしれない。小さな魔法を使って慣らしたほうがいいだろう」
「なるほど」
彼の意図を理解したルーチェはやかんを台の上にのせた状態で、ふたを取り外す。台の下で火をおこして、やかんを熱する方法もあるが、やかんの中の水を直接あたためるほうが効率がいい。
先ほど魔力をこめたばかりの石の一つに、手で触れる。石から魔力を取り出し、熱に変換、それを目の前の水に移す。そんなイメージを頭の中に思い浮かべるだけでいい。魔法使いは視ることで、すべてを操る。イメージを膨らませるために、呪文のように決められた言葉を口にする者もいるが、ルーチェもシルヴィオも無言で魔法を発動するようにしている。実戦を想定するなら、いちいちこれからすることを声に出すのは、まずいからだ。
昨日までと同じように、普段通りに魔法を使う。ルーチェの感覚ではそのはずだが、やかんのお湯は急激に沸騰し、ボコボコと音を立てながら
「わっ!」
噴水のように勢いよく湯が飛び散る。一度舞い上がった水滴がルーチェにかかる。
「大丈夫か!?」
「はい、あまり熱くありませんでした。……ごめんなさい、失敗です」
一度舞い上がった湯が降りかかっただけなので、熱いがやけどをするほどではない。シルヴィオが慌てた様子でハンカチを取り出し、ルーチェの顔と髪をごしごしとふく。
ルーチェにとっては昨日までと同じ感覚で魔法を使ったのに、うまく制御ができなかった。もともと紋章を宿して人並み外れた魔力を持っているから、細かい魔力の調整が苦手というのもある。
「やはりな。……慣れるまで、壊れてもいいもの以外に魔法を使うな」
「はい」
もし、今の状態で人に向けて魔法を使ったら――――。ルーチェはそのことを想像して背筋が凍る。
結局この日、お湯を沸かすだけの作業で、合計三回の失敗をしてしまった。
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