第23話 想いが繋ぐ愛の紋章3
魔法使いに絶対的な力をもたらす『契約の紋章』だが、失われた血や体力はやはり戻らなかった。傷が完璧に癒え、魔法だけなら今すぐにでも使える状態となったレオだが、すぐに体を動かすことはできない。
「心配しないでください、少し休めば動けます。……それに、今なら動けなくても戦えるでしょう。あの者たちはやはり『紋章』所有者に対抗できるほどの力はない。……今の私にはわかります」
それはロゼッタにもわかる。
薬の力で能力を高めたという敵の魔法は、威力だけは増幅しているが、彼ら自身が全く使いこなせていないように感じられた。
威力に対して、それに見合った『視る』力は彼らに備わっていないのだ。
ロゼッタは空っぽになった水晶に再び魔力を込め、いつかしたように周囲の空気を暖める魔法を使った。
激しく降り始めた雪が届かない常緑樹の根元に二人で座り、魔法で暖を取る。肩を寄せ合い、紋章のあるほうの手を互いに強く握る。
手袋をしていないレオの手はごつごつとしていて分厚い。ロゼッタとは全く違う、剣士の手だ。
つい先ほどまで冷たく震えていた彼の手が、今は少しだけ温かく力強い。本当なら、もう一度手袋をした方がいいはずなのだが、互いのぬくもりを感じていたくて、ロゼッタはそのままにしていた。
「出会った時のことを思い出します。あの時も同じように魔法を使ってくれました」
最初に出会った森で、ロゼッタはレオを助けるために、持っていたたった一つの腕輪を手放した。
魔法使いにとって、腕輪を失うということは武器を捨て無防備になるということだ。腕輪を捨ててまで命を救おうとしてくれたその優しさにレオは惹かれたのだ。
「あの時も、今も。二度も命を助けられて、これから一生を懸けてお返ししなければなりませんね」
「それじゃあ……とりあえず、前みたいにいつでも笑っていてほしいです」
ロゼッタの言葉にレオは少しだけ困った顔をする。
「申しわけありません。……なんというか任務上、感情を表に出さないことが習慣になってしまっているようです。あなたの前では気をつけます」
ぎこちなく笑おうとするレオを見て、ロゼッタは少しだけ安堵した。口元が笑っていようがいまいが、彼が温かく優しい眼差しを向けてくれることに変わりはないのだ。
ロゼッタはまだ彼のことをよく知らない。彼がどう思っていようが、ロゼッタが彼を好きでいることは自由だ。けれど、ロゼッタが彼を好きになったその根幹部分は、レオが一途に彼女のことを想ってくれている気持ちで成り立っているのだろう。
「レオさん。都に着いたら、あなたのことをたくさん教えてください。……まだ、知らないことが多いから」
一方的に想われて、優しくされたから好きなった――――そのこと自体を否定する気持ちは彼女にはない。けれど、あまりにも受動的すぎて早くそこから脱したいと感じていた。
そうじゃないと、対等な関係にはなれない。知らないことは不安に
「私はつまらない男だと思いますよ。それでもよろしければいくらでも。……ところで、ロゼッタはここを脱することができたなら都で暮らすつもりですか?」
「だって、私はレオさんの……」
レオと一緒にいるためには都に住む必要がある。襲撃の前にレオがレストリノに帰ったほうがいいと話していたことをロゼッタは思い出す。『伴侶』になる前なら正しいことだったのかもしれないが、もうそんな言葉は聞きたくないと彼女は顔をしかめる。
「そうではないのです。私の事情に関係なく、あなたが選んでいいという意味です。……私はあなたとともにいますから」
ロゼッタがレオに合わせるのではなく、レオがロゼッタに合わせるという意味だ。
「レオさんは、私が都に行くのは反対ですか?」
「正直に言えば反対です。『十六家』の人間は政争に巻き込まれたり、
ロゼッタは今まで都から遠い地に住み、政治や家同志の権力闘争とは無縁だった。レオと都に向かうのならば、今までと同じ生活はできない。彼はそれを心配しているのだ。「私のものになりなさい」と言った言葉を忠実に実行しようとするレオは、やはりとても真面目な青年なのだと彼女は改めて思った。
レオが心配する、名家に生まれた者の義務。それは本来『十六家』の血筋であるロゼッタも果たさなければならない役目でもあるのだ。
アレッシアならば若いうちに一生分の義務を果たしたと堂々と言いそうだが、ロゼッタ自身はまだ何もしていない。
「レオさんの甘やかし方は何だか変です!」
レオはまるで全ての災いをロゼッタが傷つく前に払おうとしているようだ。ロゼッタがレオに求めるものはそうではない。辛いことがあったら抱きしめてくれる。泣いていたら涙を拭ってくれる。そしてロゼッタ自身もレオの支えになりたい。そういう関係を望んでいるのだ。
「あなたは本当に強い方ですね……」
「まだわかりません。都の生活に馴染めなくて帰りたいって言うかもしれません。そしたら、一緒に逃げてくれますか? 父様と母様みたいに」
「もちろんです」
ロゼッタの言葉の半分は冗談だ。きっと一度でも都に足を踏み入れたのなら、彼やロゼッタの立場は役割から逃げることなど許されないものになるのだろう。この状況でレオがわざわざ都へ行かない選択肢を提示しているのは、今しか選べないからなのだ。
それでも最終手段として、レオが自身の立場よりもロゼッタを守ることを優先してくれるという言葉は、彼女を勇気づける。
レオが今後も近衛騎士であり続けるのなら、彼を守るためロゼッタがするべきことを考えなくてはならないだろう。
そのまましばらく肩を寄せ合っていると、急に不穏な気配がただよい始める。自らの気配を消そうともせず、複数の人間がロゼッタたちを探しているのだ。
「大丈夫です……」
ロゼッタを安心させるように、一度だけ強く彼女の肩を抱きしめたレオがゆっくりと立ち上がる。魔法使いとしての能力は桁違いに上がり、傷も治っているが、ただそれだけだ。少しよろめきながらもロゼッタを守るように前へ出る。
ロゼッタも周囲を暖める魔法を解除してから立ち上がり、敵の襲撃に備えた。
ざくざくと落ち葉や小枝を踏む複数の足音が近づき「いたぞ」という敵の声が二人の耳に届く。
「こんな所にいやがったか!」
彼らは目を見開いたまま肩を大きく揺らし、二人の方へ向かってくる。ロゼッタには、男たちが自分たちを追い詰めている者だとは思えなかった。むしろ彼らの方こそ切羽詰まり、追い詰められている状態に見える。
「……なんでそこまで、このままじゃあなたも……」
彼女は自分でも気づかないうちに、そうつぶやいていた。実際に彼らは命を削り、もう後がないのだろう。
「なぜ? なぜだとっ? 俺たちは何も持っていないからだ! お前のような小娘になにがわかる!!」
その理由を聞いて、ロゼッタが男たちに共感することも同情することもない。ただ、この男たちに大切なものを奪われたくないと感じるだけだ。
「レオさん! 彼らの攻撃はレオさんには当たらない! 私がそうさせない。だから戦ってください!!」
ロゼッタは母が前に言っていた、魔法とは本来の摂理・法則を『視る』ことで歪めるものだ、というその言葉を正しく理解できるようになっていた。
「わかりました」
全部で五人いる敵が、一斉に手を高く掲げる。ほぼ同じ形の光の矢が、掲げた手の上部に浮いている。
レオに向けられたその矢が放たれる直前、ロゼッタはその力を相殺する魔力を一斉に相手にぶつけた。
二つの力が衝突し合い、敵の真上で爆発が起こる。その瞬間、レオが彼らの腕輪を狙って、数え切れないほどの針状の魔力を放つ。
正確に五人の腕輪を狙ったレオの攻撃によって、パリンという音を立てながら水晶が粉々になっていく。
「水晶がぁ!!」
水晶を破壊されれば、もう大した魔法は使えない。痛みを感じない男たちは憤り、水晶を破壊したレオを
「な、なんだその紋章は!!」
ティーノと同じ顔の男が、レオの手のひらにある紋章が王家のものではないことに気がつく。
「私は王太子殿下ではないと言ったはずだ。それ以上のことをお前たちに話す必要などない」
冷たく言い放ってから、レオは紋章のある右手を大地につける。
「拘束する。……お前たちにはまだ聞きたいことがある」
言葉と同時に男たちの足下付近から植物の蔦が伸び、異常な早さで足や腕、そして顔面にも巻き付く。
「くそっ! 離せ!!」
「目がぁ、目が見えん!!」
視界を奪ったのは完全に魔法を使えなくするためだ。植物に巻き付かれた状態の五人の男は、もはや抵抗することもできなくなっていた。
「……仲間の名誉を守るため、ここで
レオが男たちを拘束した理由は、彼らが魔法を使って姿を変えた謀反人であり、ティーノや護衛兵とは別人であるという証拠を得るため。そして薬の入手経路や背後にいる人物を洗い出すためだった。
入れ替わったティーノたちが生きているとは考えられないが、せめて弔い、家族の元へ帰したい。そのためにも男たちを捕らえて捜索に役立つ証言をさせる。レオはそう考えていた。
「レオさん、大丈夫ですか?」
「もちろんです。……問題は、彼らをどうやって運ぶかですが……」
未だにふらついているレオや、女性のロゼッタには到底この人数を運ぶことなどできない。雪の降る中で、人を呼びに行くなどと悠長なことをしていれば彼らは凍死するだろう。
「オーホホホホッ! 愚弟はどこですの!? 返事をしなさいな!」
その時、街道の方から人間が出したとは思えないほどの大きな声が森に響き渡った。
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