第24話 想いが繋ぐ愛の紋章4

「オーホホホホッ! 愚弟はどこですの!? 返事をしなさいな!」


 森の中に特徴的な声が響き渡る。獣の咆哮ほうこうだと勘違いした鳥が一斉に止まり木から飛び去るほどの大きさだ。


「母様?」

「いいえ、あの声は私の義姉……王太子妃ヴィオレッタ様ですよ」


 レオはなぜか、ため息をついてから右手を軽く挙げ、そこから光る球体を空に向けて放つ。点滅しながら輝くその光はヴィオレッタに居場所を知らせるためのものだ。

 しばらくすると、十数人の集団が二人のところへとやってきた。その先頭を、森の中だというのに全くよろめくこともなく颯爽と歩いてくる人物は、真っ白な騎士の服を着た女性だ。


 レオが立ったまま礼をするのを見て、ロゼッタも慌てて腰を落とし頭を下げる。


「いいのよ。従妹いとこ殿ね? 顔をお上げなさい」

「はい……。王太子妃殿下にはお初にお目に掛かります。ラウル・デュトワの娘、ロゼッタと申します」

「ええ、わかっていてよ。従妹殿……。愚弟が不甲斐ないばかりに、あなたを危険な目にあわせてしまったようね」


 金糸で縁取られた純白の衣装に燃えるような真紅のマントを羽織っているヴィオレッタは、そう言って微笑む。

 ロゼッタと同じ灰色の髪は、綺麗に巻かれ頭の高い位置で一つにまとめられている。目は少しつり上がり、その中央に意志の強そうな瑠璃色の瞳が輝く。唇には真っ赤なべに。彼女自身が意図的に真似ているせいもあるのだろうが、本当にアレッシアにそっくりだった。


「なぜ妃殿下がここにいらっしゃるのですか?」


 レオは他者がいるところではヴィオレッタのことを「姉上」ではなく「妃殿下」と呼ぶのだ。


「スピナー家の討伐および謀反人の捕縛命令が下っていますの。……というより、あなた、記憶喪失ではなかったの?」

「数日前に戻りました。……妃殿下自らが指揮を?」

「まさか! たった一つの家を取り潰すのに、わたくしや王太子殿下が直接出ることなどありえませんわ! わたくしは途中まで同行して愚弟と従妹殿を迎えに。スピナー家が出したあなたの手配は取り消しましたが、手違いがあるといけないでしょう?」


 近衛騎士で『十六家』ルベルティ家の跡取りが指名手配されるというのは相当大きな事件だった。そういったものは伝わるのが異常なほど早いのに対し、間違いであったとしても訂正内容はなかなか浸透しないのだ。


「それにしても、なぜここがおわかりになったのです?」


 レオの言葉にヴィオレッタの美しく弧を描く眉がぴくりと動く。


「なぜ、ですって!? この愚か者。『契約の紋章』の儀を行えば同じ『紋章』持ちならばわかります」


 ヴィオレッタは二人が問題なく都に入れるように、スピナー家討伐隊に同行する形で一つ手前の町まで迎えに来ていた。

 その場所で予想よりだいぶ遅いレオたちの到着にイライラしていたところ、魔力の異常な高まりを感じ取り、急いでこの場へやって来たのだ。


「街道沿いで気絶していた怪しげな連中は捕縛しておきましたわ。こんな天候でいつまでか弱い女性をそのままにしておくつもりですの? ささっと帰りますわよ」


 話は馬車や宿の中でもできるだろう。レオは同僚の騎士たちに、捕縛したティーノたちが偽物であることや薬物を使っていることを告げ、後の処理を任せた。


 そしてヴィオレッタの用意した馬車で都へたどり着いた二人は、ルベルティ家で休息を取ることになった。



***



 都の一等地にあるルベルティの屋敷は高い塀に囲まれたかなり大きな建物だ。レンガ造りの二階建ての屋敷は少し古びた印象だが、手入れは行き届いている。

 ヴィオレッタと別れ、レオに手を引かれて馬車を降りたロゼッタは、母の実家の大きさに尻込みをした。旅装束のままの二人はあまりにも場違いだったのだ。元々この屋敷の住人であるレオはともかく、ロゼッタには眩しすぎる。


「さあ。きっと、ご両親がお待ちですよ。……当主はこの時間だと登城しているはずですので、そんなに緊張しなくても大丈夫です」

「……は、はい」


 屋敷の優秀な使用人たちは、馬車が着いた時点で二人を出迎える準備をしていたようだ。レオに手を引かれ分厚い木製の玄関扉の前まで進むと、絶妙なタイミングで扉が開けられた。


 開かれた先、屋敷のエントランスホールは白い大理石の床で、人が歩く部分には落ち着いた草色の絨毯が敷かれている。

 そのホールに使用人たちがずらりと整列し、この屋敷の若様であるレオを出迎える。

 質素な旅装束の二人を、シワ一つないお仕着せを着用した使用人たちが出迎える姿は、どうにもちぐはぐだった。

 エントランスからまっすぐ続く階段部分にも草色の絨毯が敷かれ、金色の固定金具で一つ一つとめられている。

 物語のお姫様か王子様が登場しそうな金の手すりが付いたその階段の踊り場には、お姫様ではなく女王様とその従者が立っていた。


「母様、父様……。ただいま帰りました」


 レオと『契約』をしてしまったことをどう説明していいのか。それを告げたとき、アレッシアとラウルがどう思うか。ロゼッタは両親の反応が怖くて次の言葉を言えずにいた。

 アレッシアはつかつかと階段を下り、ロゼッタの前までやって来た。


「母様、あの……ごめんなさい……」


 何を言っていいのかわからないロゼッタから出たのは、謝罪の言葉だった。アレッシアは戸惑う娘を優しく抱きしめた。アレッシアはいつも花の香りをまとっている。たった二週間離れただけだというのに、ロゼッタは母の纏う香りを懐かしく思い、安堵で目頭が熱くなる。


「それは、何に対する謝罪ですの?」

「……心配をかけて、ごめんなさい……」

「そうですわね、とても心配しましたわ。……手を見せてごらんなさい?」


 アレッシアがロゼッタの左手を取る。娘の手のひらにある薔薇の紋章を見て、彼女は少し寂しそうに微笑んだ。


「あなたは選んでしまったのね……?」

「はい。あの、母様。……でも、そのことは謝りたくないし、後悔したくないんです」


 ロゼッタは『契約の紋章』のことを自分自身でおとしめてはいけないと考えていた。アレッシアからとがめられても仕方のないことだとわかっている。けれど、自ら進んで貶めてしまっては『紋章』にも両親からもらったロゼッタという名前にも背を向けることになる。それは嫌だった。


「それならば、これからも後悔しないようになさい。わたくしやラウルを悲しませるようなことにならないよう、努力し続けなさい。わかるわね?」

「はい、母様……」


 ロゼッタはこれから、未熟な身で大きな力を手に入れた代償を払わなければならないのだろう。『契約の紋章』の所有者は本人が生きたいようには生きられない。普通の人間なら嫌なことから逃げるという手段もあるだろうが、それが許されないのだ。

 ロゼッタが『紋章』の呪縛から逃れる術はなく、心変わりは死を意味する。

 成熟した人間でさえも、たった一人のことを想い続けることは難しい。娘よりは長く生きてきた分、アレッシアにはそのことがよくわかる。


「まだ子供だと思っていたけれど、あなたはもう自分で選ぶ年になったのね……?」


 娘が背負った宿命に、母として不安がないわけではない。けれどもアレッシアは愛娘をもう一度強く抱きしめ、知らぬうちに成長していた娘の存在を確かめた。


 レオとラウルはそれぞれ母子の再会を黙って見守っていた。

 レオとしては『伴侶』の両親である二人に、どうしても話さなければならないことがある。彼は覚悟を決めて、話を切り出す。


「ラウル殿、……大切なお嬢様を危険な目に遭わせてしまい申しわけありませんでした」

「…………」


 ラウルは右手をぴくりと動かしながら無言でレオの次の言葉を待つ。


「順番を間違えてしまったことは、謝罪いたします」

「……順番を間違えた?」

「はい。ですが半端な気持ちでしたことでは決してありません」

「……半端な気持ちでしたこと?」


 ラウルの右手がガタガタと震えながら腰に携える剣の柄の方へ移動する様子を見ながら、それでもレオは言うべきことを言おうと言葉を続ける。


「先に『契約の紋章』の儀を行い、ほかの選択肢がない状況でこのような願いを述べるのは、卑怯だと承知しておりますが……。必ず幸せにいたしますので、娘さんを私の妻にすることをお許――――」

「……こ・と・わ・る!」


 最後まで言えなかったのは、その前にラウルが剣を抜いたからだ。冗談では済まされないラウルの一撃は、抜刀せずには防ぎきれない。

 静かな室内に金属がぶつかり合う音だけが響く。

 ロゼッタと屋敷の使用人たちは、真っ青になり慌てるが、アレッシアだけは奪う者と奪われる者との決闘を涼しい顔で見守る。


 本気のラウルに対し、レオは防戦一方だ。まさか義父となる男性を傷つけるわけにもいかないのだから、それも当然だ。


「と、父様! やめてください」

「……ロゼッタは下がっていなさい。私より弱い者をお前の夫とは認めない!」


 ラウルがこんなに長い言葉を発するのは久しぶりである。


「父様! レオさんに何かあったら『伴侶』の私も死にますよ! レオさんに剣を向けることは私に向けるのと同じです!」

「……なに?」


 ロゼッタの言葉でラウルの動きがぴたりと止まる。


「だ・か・ら、やめて下さい。いくら父様でも怒りますよ!」

「……そ、そ、そうか」


 何の心構えもなく、突然娘を奪われたラウルの傷ついた心はロゼッタによって粉々に砕かれた。ロゼッタに叱られたラウルは肩を落としてレオを睨む。


「……貴様もいつか同じ目にあうがいい」


 そう言ってラウルは剣を収める。それが彼にできる精一杯の承諾の言葉だった。

 将来レオが同じ目にあうときとは、ラウルにとって孫が嫁に行くときだということには全く気づいていないようだ。


 両親と再会したロゼッタは、帰宅した伯父・リベリオにも挨拶をし、しばらくルベルティの屋敷に滞在することになった。落ち着いたら、王太子夫妻に謁見し今後のことを決めなくてはならない。不安だらけのロゼッタだが、レオと両親が見守っていてくれるのならば、この先も自分らしく生きていける。そう信じることにした。

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