第18話 過去と真実、すれ違う想い3

 南寄りの街道を進んだアレッシアたちは十日間で三度も敵に遭遇するという過酷な旅を続けていた。

 南北の街道が合流するサレルメの町までたどり着いた二人は、町で一番の高級宿で身体の疲れを癒やすことにした。


 魔法で「変装した王太子」の幻影まで用意したおかげで、敵は完全に王太子がアレッシアたちと行動をともにしていると思い込んでいるようだった。

 事件の起きた時点で行方不明になったのは王太子と近衛騎士ジェラルドの二人だ。二人ともデュトワ家とゆかりのある人物ということになり、本来ならアレッシアと同行しているのがどちらであるか、敵は知らないはずだ。

 だから、アレッシアは「変装した王太子」にわざと手袋を外させて『契約の紋章』の所有者が同行している偽装までした。


 アレッシアたちが保護している人物が王太子なのだと敵が思い込んでくれたのは成功だが、真相を知っているはずの近衛騎士ジェラルド・ルベルティも敵の捜索対象のはずだ。

 ジェラルドが王太子の身代わりをしていたのだから、実際には騎士に扮した王太子ということになるのだろうが、敵が戦力を割って二人の人物を捜索している可能性がある。

 いくらアレッシアたちが引きつけているとしても、ロゼッタたちの進んだ北寄りの街道にも敵の捜索があるだろう。アレッシアは娘のことが心配だった。


「ロゼッタはうまくやっているかしら? あの子の場合、別の意味でも危険ですわね、おほほほ!」

「…………」


 ラウルは無言だが、アレッシアの言葉に殺気立った。大切な一人娘が男と一緒に旅をするなど彼にとってはありえない話だ。


「それにしても……。まさか、殿下に限って害されたなんてことはないと思いますけれど、あの方はどこにいらっしゃるのかしら?」

「……そうだな」


 アレッシアが知る王太子は幼い頃から要領がいい人間であったし、なによりも『契約の紋章』の所有者だ。敵に捕らえられたとは考えられないが、それ以上のことはアレッシアにもわからなかった。


 アレッシアは非常に目立つ。そして『瑠璃色の魔女』であることを隠さずに旅をしてきたのだがら、もしかしたら彼の方から接触してくるかもしれない。そのように考えたアレッシアの期待は裏切られ、今のところ王太子が接触してくる気配はなかった。


 この日も盗賊のような集団と一戦を交え、蹴散らしたアレッシアだが『瑠璃色の魔女』の異名を持つ彼女も無敵ではない。敵の多くが『十六家』の者に匹敵するほどの魔法の使い手で、さすがの彼女も苦戦した。いくらスピナー家が関わっているとしても、秘密裏にここまでの魔法使いを揃えるのは無理だ。


「敵はなにかの薬物でも使っているのかもしれませんわね。そうでなければ説明ができませんもの」

「……そうか」


 ヴァルトリの領を出た後から、敵は盗賊やならず者に扮して襲撃してくるようになった。『十六家』であっても他人の領地で好き放題できるわけではないということだ。そうなると町中や人目のある場所の方がむしろ安全だった。だから、町では堂々と高級宿に泊まれるのだ。


 もうすぐ日が落ちるという時間になり、気の早い食堂の主人がランタンの明かりを店先に灯す。その横を通り過ぎながら、二人は町で一番の高級料理店まで歩く。過酷な旅を強いられているのだから、食事くらいは贅沢をしなれば気が済まないのだ。


 宿に泊まるときは富裕層の夫婦とその従者の三人という設定で部屋を用意させた。もちろん従者というのは「従者に変装した王太子」の幻影だ。そして、その従者を宿で待たせ、夫婦水入らずで食事に出かけたというのが、現在の設定である。

 ラウルに腕を絡ませ、石畳の上をかかとの高い靴で颯爽と歩くアレッシアの耳に、リウトの音色が届く。軽快に弦を弾きながらも、どこか懐かしく切ない旋律は多くの人々を惹きつける。なかなか腕のよい奏者だ。


 リウト奏者は石畳の歩道の上に勝手に木箱を置き、その上に腰を下ろしていた。彼の足下に置かれた小さな籠には早くも小銭が放り込まれている。


「……アレッシア」

「ええ、わかっていますわ」


 ラウルに言われるまでもなく、アレッシアは奏者の正体にすぐに気がつく。上手く周囲に溶け込む偽装をしているが、アレッシアからすれば奏者の青年はとんでもなく異質な存在に感じられた。

 演奏が終わる前に声をかけるのは無粋だ。さらに二曲の演奏が終わり、見物客が捌けていく様子を見守ってからアレッシアは奏者に声をかける。


「ねぇ、そこのリウト弾きさん。わたくし、あなたの演奏が気に入りましたの。今から弾いていただくことは可能かしら?」

「ええ、奥様。今宵はまだ宴の席に呼ばれていませんので、なんなりと」


 羽根付き帽に隠されていた彼の瞳は淡い青。にやりと笑いながらアレッシアに答える。


「そうですの。それなら一緒にいらしてくださる?」


 アレッシアも青年につられて目を細める。今夜は町で一番の料理店は諦め、宿の部屋で食事をすることに決めたのだ。



***



 アレッシアたちの宿泊する宿は尖頭アーチの大きな入り口と緻密な彫刻が施されたオーダーが特徴的な三階建ての宿だ。

 その三階部分をほぼ独占する造りになっている貴賓室は、王族も宿泊したことがあるという豪華な部屋だった。

 食事を運ばせた後、人払いをし三人は豪華な料理が並ぶテーブルを囲んでいた。


「それで、どういうことですの?」

「いやぁ、まともな食事は十日ぶりかなぁ? 奏者が豪華な食事をするわけにはいかないでしょう? お金もないし辛かったなぁ。……どういうことかって? どちらかと言えば、僕の方がよくわかってないかもしれない」


 アレッシアはつり上がった目でじろりと奏者――――王太子イルミナートを睨む。


「アレッシア殿は怖いなぁ。じゃあ、僕の知っていることから……」


 イルミナートは事件について二人に話した。

 ジェラルドと入れ替わり、騎士の隊服を纏ったイルミナートはレストリノの近くで休憩を取った際に、一人で用を足しに森の中に入った。


「争う声がして戻ったら、一人倒れていて近衛騎士の二人はいなくなってるし、僕も護衛兵に襲われるし……、二人切ったところで逃げたんだ。幻影の魔法は結構得意だからね」

「そうでしたの……。でも、殿下の護衛ならジェラルド殿との入れ替わりを知っていたのではなくて? 状況から考えたら殿下が襲われる前にジェラルド殿が襲われた、ということにならないかしら?」

「そこは僕にもさっぱり……」


 もしアレッシアが襲撃犯なら、森に入った王太子を護衛するふりをして油断した隙に背後から襲うだろう。ジェラルドの傷の状態やロゼッタの話、王太子の話を整理すると近衛騎士に扮した王太子が離れた時を狙って王太子役のジェラルドが先に襲われたということになる。

 そして、倒れていた護衛兵とジェラルド以外は全員裏切ったということもほぼ間違いなかった。


「近衛騎士だけじゃなく、護衛兵も信頼の置ける人物ばかりだったはずなんだ。……ティーノ・サルヴィーニもか、結構痛いなぁ……」


 イルミナートは大きくため息をついた。信頼していた者に裏切られることは誰にとっても辛いことだ。


「見知った顔のはずなのに、彼らは僕を王太子だとわかっていなかったのかもしれない」

「……意識を乗っ取られた、もしくは幻影のたぐいだとお考えなのかしら?」

「いや、少なくとも幻影ではないね。僕にはそんなもの通用しない。だったらわかると思う。……ところで、君の娘とジェラルドに会ったけど、彼女可愛いね。僕の魔力に怯えちゃって……ふふっ」


 イルミナートの思い出し笑いに、ラウルが禍々しい殺気を放ち始める。


「娘に会ったんですの?」

「うん。北の街道で会ったんだ。彼女に聞いたらアレッシア殿は南に行ったというから、この町で待ち伏せしていたってわけ」


 彼女に聞いた、というその言葉にアレッシアとラウルは反応した。ロゼッタは知らない人間にそんなことを話すほど迂闊ではない。


「ちょっと、ちょっとだけ! ほんの少し干渉しただけだよ! ジェラルドは僕のこと忘れちゃってるみたいだし、情報を得るために仕方なくね」


 精神に干渉したことをさらりと告げるイルミナートに対し、我慢の限界を超えたラウルが無言で立ち上がり、音も立てずに剣を抜き放つ。アレッシアは夫の行動を止めなかった。


「悪かったよ! ジェラルドと一緒にいるのが、まさかアレッシア殿の娘だなんて思わなかったし!」

「……次はありませんわよ? スピナー家だけでなく、わたくしまで敵にしたいのならどうぞご自由になさって」

「肝に銘じるよ。ジェラルドにも真顔で『殺す』って言われたし! 主君を忘れるなんて薄情だと思わない?」


 イルミナートの言葉を聞いて、ラウルは剣を鞘に収め、もう一度席に着いた。


「彼が一応、ロゼッタを守るという仕事をしてくれたのなら、良しといたしますわ。彼、怪我の影響で記憶喪失中ですの」

「そうみたいだね。僕なんてこんな小汚い格好で自力で旅費を稼ぎながら旅をしているというのに、あっちは可愛い女の子と新婚旅行気分だなんて理不尽だ」


 イルミナートがわざわざアレッシアたちと合流した理由は、手持ちの情報が少なく、本当に都に戻っていいのか考えあぐねていたからだ。

 アレッシアたちが敵を引きつけてくれていたと知ったイルミナートは、このまま別行動で早急に都へ戻る決意をした。


「悪いね。都に着いたら必ずルベルティ家やアレッシア殿の忠義に報いるから!」

「対価はいただきますわ。早くジェラルド殿の嫌疑を晴らしてくださいまし。ルベルティ家の人間が裏切ったというのは、わたくしには屈辱ですわ」

「僕だって! 一応、彼は義弟なんだから、気持ちは同じだよ」


 イルミナートは最後まで小汚い奏者の格好で都の城まで戻ることになった。

 まもなく、スピナー家に対する討伐命令、そしてティーノ・サルヴィーニを含む謀反人の捕縛命令が王命で発せられた。

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