第17話 過去と真実、すれ違う想い2

 レオはとても悪い夢を見ていた。

 それは親友が裏切る夢だった。目が覚めたレオには、それが悪夢ではなく、現実に起こったことだとはっきりわかっていた。


(私はただ本当に忘れていただけということか……)


 親友の裏切りを知るのと同時に、レオは「レオ」がまだ消えていないことに安堵した。


 視線を横にやると、眠っていたベッドのすぐ横で、ロゼッタが泣いている。レオはただ不思議な気持ちでそれを見つめる。


 記憶を取り戻しても「レオ」が消えることはなかった。彼には特別に愛する人間などいなかったのだから。


 レオは自分の心のほぼ全てを支配するロゼッタへの想いが他者への愛情にすり替わるのならば、それはもはや「レオ」ではないと考え、そのことをひたすら恐れていた。けれども実際には、記憶を失っていた間に芽生えた新たな想いが消え去り、ほかの者への愛が復活することなどなかった。

 ここ十日ほどの経験も想いも、全て含めてジェラルド・レオナール・ルベルティというただの男でしかない。


「…………ロゼッタ? なぜ泣いて……?」


 レオが彼女の名前を呼ぶと、彼女は少しだけ安堵の表情を浮かべた。

 レオの「記憶を取り戻したら消える」という予想を聞いて、彼女はひどく悲しそうにしていたのだからそれも当然だ。

 悪夢にうなされる様子を見て心配してくれたのだと考えると、レオの心はそれだけで満たされ幸せを感じる。

 彼女の柔らかく、温かい手を握っている。そしてもう、誰に咎められることもなく彼女に想いを告げられる。


 嬉しいというのに、レオの表情はまったく動かなくなっていた。記憶が戻ったレオは、元々そういう男なのだから当然と言えば当然だ。


(なにを、していたんだ? ……いや、なにをしているんだ? 私は!)


 急に我に返ったレオはロゼッタの手を急いで離し、今までの数々の非常識な行動を、一つ一つを思い出す。そして、本気で死にたくなった。

 自分自身がルベルティ家を継ぐ者であることを意識しすぎて、極端に自制心が働き、つまらない男であったという認識は彼にもあった。だからといって、ルベルティの跡取りとして、近衛騎士としての責任から解放された自分がここまで馬鹿になれるとは思いもしなかったのだ。


「レオさん……?」

「…………」


 レオの変化に気づいたロゼッタが不安そうに彼を見つめる。


「……イルミナート王太子殿下?」


 彼が絶対に間違えられたくない名前をロゼッタは口にした。

 レオとしてはすぐに否定したいのが、ロゼッタにとって「ジェラルド」は王太子行方不明事件の重要参考人という認識だ。

 少しためらいながら、レオは真実の名を口にする。


「いいえ、違います。私の名前は……ジェラルド・レオナール・・・・・・ルベルティです」

「ジェラルド・レオナール……?」


 その名を聞いたロゼッタが反射的に一歩後ずさる。あまり広いとはいえない部屋なので、それだけで隣のベッドに足がぶつかってしまう。


「そんなに怯えないでください。私は王太子殿下暗殺未遂の犯人ではありません。……あなたが見た黒髪の騎士は、おそらく近衛騎士のティーノ・サルヴィーニです。彼が裏切り者であるということはまだ知られていないかもしれませんが」


 ティーノは『十六家』サルヴィーニ家の嫡男、ほかの護衛兵たちも身元確かな者たちばかりのはずなのに、なぜ事前に動きを察知できなかったのか。レオは自分でも気がつかぬうちに強く拳を握りしめていた。

 親友というべき人物の裏切りをすぐに受け入れることはできないのだ。 そして、最後に見せた彼の表情、呼ばれた名前、レオにも理解できないことがまだある。

 ひとまず入れ替わりのこと、親友の裏切りについてレオは簡単に説明した。


「でも、なんで……レオナールって?」

「私の名前を決めたとき、アレッシア様が動物に例えろと誘導しましたよね? ……あの方は、私の正体がわかっていた、ということだと思います」


 動物由来の名前と言われて、すぐに思いつく名前は実は少ない。そして彼の髪の色などから連想される名前は獅子しかなかった。

 ロゼッタからすれば、彼女自身が命名したと思っているのだろうが、実際にはそれしか選択肢がなかったのだ。


「あなたの母君が都を離れて十八年経ちますが、私も王太子殿下もアレッシア様とは面識があるんです」

「じゃあ、何で! 母様はわかってたのに何で……?」


 ロゼッタは母の行動に怒っているようだ。最初からアレッシアがこの事実を告げていれば、彼女がレオのことで思い悩む必要などなかったのだから当然だ。そしてレオも失くした記憶をこれほどまでに恐れなかっただろう。


 レオが予想したアレッシアの行動はこうだ。


 アレッシアはレオの目が覚め、顔をよく観察した時点で、彼の正体に気づいた。『紋章』を持つ王太子がそう簡単に殺害されるとは考えられず、どこかに身を隠している可能性が高いと判断した。

 王太子を捜索するにあたって、アレッシアは最初からスピナー家を疑っていたので頼らなかった。

 そしてラウルと二人で地道に捜索するよりも『伴侶』に知らせるべきだと判断し都を目指すことにしたのだろう。


 都までの道のりを急ぐ場合、かなりの強行軍となるため、ロゼッタには辛いはずだし危険を伴うから同行させたくなかったのだろう。

 だが、このタイミングでルベルティ家出身のアレッシアが都へ向かえば王太子を保護していることが疑われる。家に踏み込まれる可能性があるからロゼッタ一人を自宅に残すことはできない。

 敵が探しているのは絶世の美女と凄腕の剣士に守られているはずの王太子だ。

 そもそもレオは王太子ではないし、まさか小娘と二人きりで新婚夫婦のように旅をしているとは思わないだろうから、二人の安全はそれなりに確保できると判断したのだろう。


「それじゃあ……母様の目的はあなたを都へ行かせることではなくて、母様自身が都に行ってヴィオレッタ様に知らせることだけだったと……?」

「そうだと思います。お二人が南の街道を選んだのも、もし姉上……王太子妃殿下が騎士を動かす場合、そちらの街道を利用することが多いからだと思います」


 距離としては北寄りの街道の方が近いが、舗装されていない細い道が多く大軍を移動させるのには向かないのだ。アレッシアたちがわざわざ南寄りの街道を選んだのは、『伴侶』の危機を察知してヴィオレッタが動いた時に合流するつもりがあったからだろうとレオは考えた。


「母様が私たちの安全をよく考えてくれていたというのはわかりますけど! だけど、あなたのことを黙ってたっていいことなんて一つもないじゃないですか!」

「そんなことはありません。とても重要なことだったと思います」


 レオには自身が心だけの存在で、身体は別の人物の持ち物だという思いがあった。ロゼッタに愛されたいとただ願う一方で、それが破滅でしかないこともわかっていた。だから拒絶されるたびに心のどこかで安堵していたのだ。

 でももし、過去の自分に愛する人などなく、二人の間には何の障害もないのだと知ってしまったら、どうなっていただろう。

 未婚の女性に手を出すことなど、「ジェラルド」の常識では考えられないが、記憶喪失中の「レオ」ならば十分にあり得た。

 レオからすれば、ロゼッタはかなりの世間知らずのお人好しである。もし「好きになってはいけない相手」ではないと知ったら、同じように彼を拒絶できなかったはずだ。


「知っていても、あなたは私を拒否してくれましたか?」

「……それは」


 ロゼッタは言葉に詰まる。レオを拒絶した理由は彼が既婚者だから。まずそのことが念頭にあったので「もしそうではなかったら?」と聞かれても彼女は答えられないのだ。


「母君はあなたの安全を一番に考えたのでしょう。今までのあなたへの態度は、騎士としてふさわしいものではありませんでした。……お詫びいたします」


 レオの中でロゼッタへの想いは消えたわけではない。少しも薄れてはいなかった。けれども今までのように自身の地位や責任を無視した行動を取ることはもうできない。

 相手の気持ちを無視してでも、ロゼッタに「レオ」という存在を刻み込みたいという欲望は、自分が消えてしまう存在であるという焦りや絶望からくるものだ。心の中に彼女しかいないという不安は、彼女も自分と同じ存在になればいいという歪んだ形になり彼女を傷つけた。

 レオの謝罪にロゼッタは少し顔を歪める。今までやってきたことを考えればすぐに許されることではないだろう。


「本当に、申しわけありませんでした」

「別に、もういいです! それより、これからどうするんですか? ジェラルドさん」


 初めてロゼッタに「ジェラルド」という名前で呼ばれたレオの心情は複雑だった。「レオ」という名前も確かに彼を表す名前なのだ。

 今後も彼女だけがその名で自分のことを呼んでくれるのなら……、「ジェラルド」という人間のなかに今でも確かにある「レオ」という存在がそう切望する。


「ロゼッタ。これからも私のことはレオと呼んでください。記憶を取り戻したとはいえ私は変わっていません。それに、殿下が都へ戻るまで私は謀反の疑いがありますし。……ひとまずこのまま都まで行くしかないと思いますが」


 おそらくティーノは行方不明のジェラルド・ルベルティを犯人に仕立て上げるつもりなのだろう。そのことはレオにも予想がつく。ただ、その嫌疑はすぐに晴れるという確信もレオにはあった。


「あの……その王太子殿下は無事なんでしょうか?」

「ええ、あの方は私とは比べものにならないほど上手く変装して先に都へ向かったはずです」

「なんで、そんなことがわかるんですか?」

「……会っていますから」


 この事実をロゼッタに伝えていいものかとレオは少し迷った。彼女は彼と会った時に子猫のように怯えていたのだから。


「えっ!?」

「殿下とは一度、会っています。……あなたの部屋に侵入したあの変質者が、恐れ多くも我が国の王太子殿下です」


 王太子に対し明らかに毒を含む言い方で、レオは事実を口にする。

 ロゼッタが王太子を恐れた理由は『契約の紋章』を持つ者が有する圧倒的な優位性を肌で感じ取ったからだろう。彼女は未熟だが、魔法使いとしての潜在能力はとんでもなく高い。そして、他人の魔力にとても敏感なのだ。

 一方のレオはそこまで過敏な体質ではないし、常日頃から一緒にいる人物だったので、彼の異質さには気がつかなかったのだ。


「レオさん……? 王太子殿下に剣を向けていませんでした?」


 ロゼッタがレオの不敬を気にかけるが、レオにとってはどうでもいいことだ。


「それが何か? 年頃の女性の部屋に窓から侵入するなど王族だろうがなんだろうが許されません。……むしろ、こんなことが私の義姉に知られたら大変なことになりますしね……」

「逆に、脅す気ですか……?」

「上に立つ者であるのなら、国民の手本となるべき人格者あるべきでしょう? 変質者には罰を。それだけのことです」


 あの時のことを思い出したレオは、やはり王太子であろうが義兄であろうが許せそうにないと再確認しただけだった。

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