第16話 過去と真実、すれ違う想い1

 男は同志を伴って、とある村の自警団の詰め所に来ていた。

 同志とともに追っている人物は全部で二人。一人は王太子イルミナート。もう一人は近衛騎士ジェラルド・ルベルティだ。どちらか一人でも都にたどり着けばそこから真相が露見してしまう可能性がある。

 もうこの先の未来などない男は、なんとしても都に着く前に王太子に止めを刺したかった。


 同志からの情報によれば南の街道へ逃げた『瑠璃色の魔女』に同行した人物が王太子である可能性が高かった。

 それ以外に怪しい人物の情報は男たちの元へは届いていない。

 男の本音としては王太子をこの手で葬りたいと思っていた。けれど、指名手配しておいたジェラルド・ルベルティを探すにあたっては、未だに有する近衛騎士という身分が役に立つのだ。


「騎士様。こちらには不審人物の情報は入っていません。あるのは盗賊の出没情報くらいですね」

「そうですか、ご協力感謝します。それにしても、盗賊ですか? それは大変ですね。このような緊急時でなければこちらも協力をしたいところですが……」

「いいえ、実はもう捕まったのですよ! とんでなく強い剣士が通りがかったとかで……」

「ほう……。強い剣士ですか?」


 男は目を細めた。標的のうちの一人はどうやらこの近くにいるようだ。



***



 ジェラルドは『十六家』ルベルティ家の分家に生を受けた。

 ルベルティ本家には彼よりも一つ年上のヴィオレッタという娘がいた。夫人を早くに亡くした当主リベリオには後妻を迎える気が全くないということで、娘のヴィオレッタが一族の中の優秀な男子を婿にする予定になっていた。


 そして、幼い頃から文武両道、魔法の才能もあったジェラルドがヴィオレッタの許嫁となったのは、彼が十歳の時だ。

 はっきり言って、ジェラルドは気の強い一つ年上のヴィオレッタが大の苦手だったが、両親の期待を背負った真面目な彼は可能な限りヴィオレッタと良好な関係を築こうと努力した。


 ジェラルドはルベルティ家当主の推薦により、二十歳で近衛騎士となった。騎士としても魔法使いとしてもかなりの実力であるという自負はあったが、ルベルティ家当主・リベリオの推薦なしに、近衛騎士という称号を得ることは無理だったろう。

 このことによりジェラルドは益々、将来ルベルティを背負う人間になるため、剣や魔法に磨きをかけ、両親やリベリオの期待に応えるために必死になった。

 結果として、つまらない男になってしまったのかもしれないが、当時のジェラルドはそれでいいと考えていた。


 そんなジェラルドの転機は三年前、西部で起こった内戦を鎮めるため、王太子とヴィオレッタが『契約の紋章』の儀を行った時だ。

 正直に言えば、王太子とヴィオレッタが互いを想い合っていることなど全く気がつかなかったジェラルドだが、二人のことは素直に応援できた。

 ヴィオレッタとの婚約が立ち消えになってしまい、ルベルティ家を継ぐ身ではなくなったことで、ジェラルドはある意味目標を失うことになった。

 さすがにそのことは残念ではあったが、同時に全く気の合わないヴィオレッタと夫婦にならずに済んだことは、彼にとって幸いだったのかもしれないと前向きに考えた。

 彼はヴィオレッタのことを近衛騎士としては尊敬できる人間だと感じていた。しかし男女の仲にはなれそうにないし、どちらかといえば恐ろしい存在なのだ。


 正式にヴィオレッタが王太子妃となった後、ジェラルドはリベリオの養子となり、再びルベルティの跡取りになった。

 リベリオの娘であるヴィオレッタは義姉、そしてその夫である王太子イルミナートは義兄となった。


 ジェラルドは『十六家』のなかでもさらに限られた者しか使えない癒しの力を一応使えるのだが、実はあまり得意ではない。

 そこでルベルティ家の本流に近いアレッシアの一人娘が結婚相手の候補となっていた。

 ただしアレッシアに断られてしまい、話は全く進展しなかったのだが。


 ジェラルドとしては、幼い頃に何度か会ったことのあるアレッシア、そして彼女に憧れて同じ近衛騎士の道を進んだヴィオレッタ。この二人があまりにも強烈すぎたために、アレッシアの娘であるロゼッタも似たような女性だろうと思い込み、そこまで乗り気ではなかった。

 まさか、そのロゼッタに命を救われるとはこの頃のジェラルドには思いもよらぬことだった。


 西部での内戦が終結し、ヴィオレッタが近衛騎士を辞したために配置換えが行われた。

 ジェラルドは変わらず王太子付きの近衛騎士であったが、この時にある青年騎士に出会った。

 互いに王太子付きの近衛騎士であることや、年齢や立場が近いことなどからすぐに打ち解け、二人は親友と言ってもおかしくない関係になる。


 それが『十六家』サルヴィーニ家の嫡男ティーノ・サルヴィーニ――――ジェラルドに瀕死ひんしの重傷を負わせた男だった。



***



 三年前の内戦、そしてその後の食糧難を乗り越えた後も、王太子イルミナートは西部に強い関心を持ち続けて度々訪問していた。

 非公式での視察もその一環だった。非公式というのはお忍びとは全く違う。訪問先に対し歓迎の式典や晩餐などを要求しないというだけで、きちんとした王族の務めであり、当然だが騎士も同行する。


 今回、王太子に同行したのはジェラルド、ティーノの二人の近衛騎士、そして精鋭の護衛兵だった。


「スピナー家に不穏な気配?」


 視察を終えた帰路の途中で、ティーノがイルミナートにそう告げた。

 非公式とはいえ、王太子が休む場所とあって、宿場町で一番まともな宿を丸ごと借り上げている。会議室代わりに使っている広々とした一室で、イルミナートはその報告を受けた。


「まあ、スピナー家とはあまり良好な関係とはいえないしねぇ」


 イルミナートはたいして気にするそぶりを見せず、余裕の笑みを浮かべる。撫でつけるように整えられた金髪は淡く、瞳の色も淡い青。切れ長の目は見る者を萎縮させるほど冷たい印象だ。

 外見の印象に反して、臣に対し親しげな口調で接するイルミナートだが、彼から漏れ出る圧倒的な魔力はどうしても他者を威圧してしまう。

 ジェラルドやティーノは慣れているため何も感じないが、感覚の鋭い魔法使いなら卒倒してしまうほどだ。


「殿下、道中は身代わりを立てましょう。狭い街道で襲撃があった場合、地の利がある者が有利となることもありえます」

「真面目だねぇ、ジェラルドは。君は僕がヴィオレッタ以外の誰かに負けるとでも? 魔法使いを百人集めて試してみようか?」

「ご冗談を、この国の魔法使いを全滅させるおつもりですか?」

「まぁいいか! 僕も馬車より馬が好きだし魔法使いは不死身じゃないしね。……じゃあ、ジェラルド頼むよ」

「承りました」


 ジェラルドとイルミナートが入れ替わることは初めてではなかった。王族の顔を間近で見ることが許される人間は限られている。それ以外の多くの人間が金髪で青い瞳という特徴しか知らないわけで、顔立ちが全く似ていないジェラルドでも身代わりは務まるのだ。


「うーん。いまいち似てないんだよなぁ……。ちょっと笑ってみてくれないか? 僕はそんなに無愛想じゃない」


 イルミナートより濃い、蜂蜜色の金髪にべっとりと整髪料を塗りつけられ、王太子の服を着せられたジェラルドが顔を引きつらせた。真面目な彼なりに笑っているつもりなのだ。


「殿下、あまりからかわないでください。ジェラルドが困っておりますよ。馬車に乗るだけなんですから、この程度で問題ないでしょう」


 ティーノが親友に助け船を出す。黒髪で二人よりも横幅のあるがっしりとした体つきのティーノは意外にも陽気な性格の青年だった。


「僕だって、可愛い義弟をいじめて楽しむ趣味はないよ。……まあ、あとは紋章かな?」


 王太子の特徴といえば、『契約の紋章』だ。万が一、敵に捕らえられた場合、まずそこを確認されるはず。逆にそれさえあればこの人物が王太子であると間違った認識をするということだ。


 イルミナートはジェラルドの手をとり、冷たい色の瞳で一瞬だけ彼の手を『視』た。瞬間、ジェラルドの手は淡い光に包まれた。


「……っ!」


 ジェラルドは手のひらに焼けるような痛みを感じ、顔をしかめた。近衛騎士として醜態を晒すわけにはいかないが、地味に痛かったのだ。実際に、手のひらがかなりの熱を持っていた。痛みが治まった手のひらにはイルミナートのものと寸分違わぬ赤い紋章が現れた。


「あれ? ごめん、痛かった?」

「殿下。疑うわけではありませんが、きちんと消えますよね?」

「うーん、たぶん……?」


 にやにやと笑いながら、適当なことを言うイルミナートは、本当にたちの悪いあるじだとジェラルドは改めて感じた。

 王太子夫妻とお揃いの入れ墨を入れる趣味はない。ジェラルドは本気で勘弁して欲しいと思い、イルミナートを睨んだ。


「まったく君には冗談が通じない。都に着いたら、きちんと消してあげるよ」


 こうして西部への視察の帰路、王太子イルミナートと近衛騎士ジェラルド・ルベルティは入れ替わった。


 何度か休憩を挟みながら、王太子一行はレストリノの町に近づいていた。山間部の割合広い道で一度馬車を止め、そこでしばらくの休憩ということになった。

 上質で柔らかい座席だとしても、箱馬車の中に押し込められているのは息が詰まるし肩がこるものだ。ジェラルドは気分転換に外へ出た。


 馬車を止めた場所は渓谷に沿うかたちで作られた街道の、少しだけ道幅が広くなっている場所だ。谷の斜面にまで木や背の高い草が生い茂っているために川を望むことはできないが、水の音はジェラルドの耳にも届く。

 少し肩や腕を伸ばしてから深く息を吸い込むと森の清涼な空気が彼を癒やした。


「ティーノ? ジェラルド・・・・・と一緒ではなくていいんですか?」


 谷の方を眺めていたジェラルドにティーノが近づいてきた。

 王太子の側から離れていいのかと気になったジェラルドは彼にそう問う。

 ティーノはもちろん、同行している護衛兵は当然入れ替わりのことを承知している。だが、間者がどこに潜んでいるのかわからないので、念のため呼び方には注意しているのだ。

 ティーノはできるだけ近衛騎士に扮した王太子から離れないようにしているはずだというのに、この時は一人で行動をしていた。


「ええ、用を足す時くらいはお互い一人になりたいので……」

「…………?」


 王族だろうが、近衛騎士だろうが生理現象を止めることはできない。ただ、万が一のことを考え、そういう時でも誰かがそばに控えるのが普通だ。

 ティーノは三年近く王太子に仕えているのだから、もちろんそんなことはわかっているはずだった。



――――カシャン。



 突然、ジェラルドの耳に不快な金属音が響く。剣が抜き放たれた音だと気がつき、何事かと音のする方――――ティーノに向き直るのと同時に、身体に衝撃が走る。

 ジェラルドが切られたのだと認識したのは、腹部の焼けるような痛みと滴る自身の血の赤を見た後だった。


「ティ……ノ……!?」


 ジェラルドが膝を折り、親友の顔を見上げると、彼は心底嬉しそうに笑っていた。けれどその笑みは醜く歪んでいるように見えた。


「サルヴィーニ殿!? 何を!? ――――ぐっ、あぁぁぁぁ!!」


 ジェラルドが切られたことに驚いた護衛兵の一人が、声を上げた。彼がティーノに向かって剣を抜こうとした瞬間、別の兵に背後から切りつけられた。その様子をジェラルドは呆然と見ていることしかできなかった。


「この時をどれほど待ったか……。さようなら王太子殿下!」


 大きく振りかざされた剣が下ろされる瞬間、ジェラルドは残る力を振り絞り、後方へ下がった。


(なぜ……?)


 足下が崩れる感覚と浮遊感。

 呼ばれた名前、切られた傷の痛み。ジェラルドがそれらの意味を理解する前に歪んだ笑みを浮かべた親友の顔が遠ざかっていった。ティーノが遠ざかったのではない。ジェラルドが谷に落ちたのだ。


 そして、ジェラルドの世界は暗闇に包まれた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る