第19話 過去と真実、すれ違う想い4

 ロゼッタは怒っていた。記憶が戻ってから三日、予定より一日遅れてサレルメの町に二人はたどり着いた。ロゼッタが怒っているのはレオの態度が急に変わったことだった。

 初日以降、絶対に同室だと言い張っていた彼の態度は一変し、別々の部屋になった。そしてロゼッタに対し急によそよそしくなった。


「こんなに高い宿でなくてもいいんじゃないですか? 贅沢ですよ!」


 残り二日ほどで都にたどり着くとはいえ、今までの安宿の十倍の値段の部屋を彼は手配したのだ。


「大丈夫です。高級宿の方が施錠もしっかりしていますので安心です。それにアレッシア殿から預かった路銀もきちんとお返しできる当てがありますから、何も心配はいりません」


 レオは名誉ある近衛騎士だ。当然かなりの額の給金をもらっている。つまりは自分の財産で返せるから安宿に泊まる必要はないということなのだろう。


(普通は逆でしょ!)


 既婚者疑惑のあった時には、ロゼッタがいくら拒絶しても甘い言葉で言い寄ってきたのに、疑惑が晴れたら突然素っ気なくなった。

 どれだけこの青年に振り回されなくてはならないのだろうとロゼッタは釈然としないのだ。


 ふかふかの絨毯の上を歩きながら、二人は二階にあるそれぞれの部屋へ向かう。

 ロゼッタの部屋は大きな掃き出し窓から光が差し込む明るい部屋で、窓から小さめのバルコニーに出ることができる造りになっている。

 全身が映る姿見、クローゼット、柔らかいソファなど設備もそれまでと大きく異なっている。ベッドも今まで泊まっていた宿のものよりも一回り大きい。レオはともかく女性として平均的な身長のロゼッタなら今までの大きさでも十分だった。


(もったいないなぁ……)


 綺麗な内装の部屋に泊まれることは嬉しいが、高い宿泊代を払ってまでレオが部屋を別々にしたことがロゼッタにとってはショックだった。

 レオは一度、ロゼッタの部屋の窓や扉を見て、危険がないかを確認していく。この作業も記憶が戻ってから毎回行っている。


「あなたが眠ってから、念のため魔法で扉が外から開かないようにしておきますから安心してお休みください」

「そんなに心配なら同じ部屋にすればいいのに……。私はレオさんのこと信用しているつもりなんですけど。そんなに嫌ですか?」

「やはり危機感が皆無ですね。……よりにもよって私にそんなことを……」


 レオはため息混じりにあきれた顔でそう言う。ロゼッタはレオが突然態度を変えた理由がわからずに、ただ憤るだけだ。なんだか馬鹿にされている気がするのだ。


「そんなことありません。人を見る目はあるつもりです!」

「…………いいえ、全くありません」

「あります!」

「ないですから、諦めてください。それより、食事に出ましょう」


 レオは無理矢理会話を終わらせた。記憶が戻ってから彼は、あまり感情を表に出さなくなった。ロゼッタに対してはいつも優しい笑みだけを向けていたのに、この三日間は無表情か、呆れているか、困っているかの三種類だ。

 それでも、ロゼッタをいつも気にかけてくれていることには変わりないし、根本的な部分は変わっていないように見える。

 ロゼッタにだって自分が世間知らずであるという自覚は多少なりともある。けれど人を見る目はあると自負しているのだ。

 記憶が戻ったレオが、実は悪い人間だったとは思えないし、ロゼッタに対し何か害をなす存在だとは到底思えない。


 彼はレオであることに変わりはないと言っていた。記憶喪失中にあった出来事を忘れているわけではないことはロゼッタにもわかる。

 けれども彼の想いは本当に変わっていないだろうか。ロゼッタはそのことを彼に聞けずにいる。


(聞けるわけないじゃない……)


 レオが失うことを恐れた気持ちはロゼッタに対する好意。その想いは今でも心の中にあるのか、などとロゼッタが聞けるはずがない。

 もうないと言われたらロゼッタはとてつもなく傷つく。あると言われたら、それもまた困るのだ。

 レオが自分をどう思っているのかよくわからないから、自分がどう思えばいいのかがわからない。自分の気持ちがよくわからないから、レオにどう思っているのか聞けない。ロゼッタの頭の中は堂々巡りで結局、彼のことばかり考えている。


(なんか……。なんか、腹立つ!)


 ロゼッタがレオを睨むと、彼は困ったような、少し悲しそうな顔をする。ロゼッタが見たい彼の顔は、そんな表情ではないのだ。


「レオさん!」

「はい? どうしまし――――」


 ロゼッタは少し背伸びをして両手で彼の頬を思いっきり引っ張る。彫りの深い端正な顔立ちをめちゃくちゃにしてやろうと思ったのだ。

 彼の両頬を持ち上げるように引っ張り無理矢理笑わせようとした。その顔は笑っているように見えないことはないが、彼女が見たいと思っていた表情ではなく、ただ間抜けなだけだった。


「レオさん、笑って!」


 懇願に近いロゼッタの言葉はレオには届かない。彼は顔を引っ張られたまま、ただ困惑するだけだった。


「……ロゼッタ。異性にそうやって簡単にさわってはいけませんよ」


 レオはロゼッタの両手首をつかみ、自分の頬から引きはがす。そして眉をひそめて彼女の行動をたしなめる。


「レオさんだけには言われたくないんですけど!」


 そんなことを言うのなら、今までのレオの方がよほどひどい。すぐ手を握るし、抱きつくし、彼にはそんなことを言う権利がないとロゼッタが思うのは当然だ。彼女はレオの手を振り払おうと両腕に力を込めた。


「…………?」


 ロゼッタが力を込めてもレオは全く離そうとしない。近衛騎士であるレオと、女性としては至って普通の腕力しか持たないロゼッタの力の差は歴然としている。彼にそのつもりがなければ逃れることができないのは当たり前だ。


「ほら、逃げられない。……私が悪い男だったら、どうします?」

「レ、レ……レオさんは悪人じゃないでしょう?」


 レオが悪い人であるはずがない。それなのに、ロゼッタは彼のことを怖いと感じた。しっかりと合わさった目は獣のように獲物を捕らえて放さない。そんな危険な色をはらんでいるように思えた。


「いいえ、あなたにとっては悪い男ですよ」


 腕をつかまれたまま、ロゼッタの顔に彼の顔が近づいてくる。そして吐息がかかるほどの距離でそう囁かれた後、ロゼッタの耳に彼の唇が微かに触れる。

 その瞬間、彼女の頭の中で何かが弾けた。


「ぎゃぁぁぁぁ――――っ!!!!」


 叫び声と同時にロゼッタの腕輪が鈍く光り、彼女の意思とは関係なくレオに純粋な魔力の塊をぶつけていた。

 至近距離から圧倒的な魔力の一撃を食らったレオはその場にひれ伏す。そこにとどめを刺すかのように、ロゼッタの足が跳んできて容赦なく頭を踏みつぶした。


「変態! 変態! 変態――――っ!!」


 不埒な真似をした男を完全に沈黙させてから、ロゼッタはやっと我に返る。レオは魔力にあてられ、さらには物理攻撃まで食らい完全に沈黙している。

 意識はしっかりしているが、いくら絶対に傷つけてはいけない相手だとしても年下の小娘に足蹴りされたという事実は、若き近衛騎士の精神に相当なダメージを与えたようだ。

 さすがに少しだけやりすぎたと反省するロゼッタだが、根本的にレオが悪いのだ。触れられた耳が異常なほど熱を持つせいで顔まで真っ赤になりながら彼女はレオを見下ろす。


「いいですか! 私はこれでも『瑠璃色の魔女』の娘ですから、小娘だと思って侮らないでください。わかりました? 変態騎士様!?」

「…………」


 人生で一度も経験したことがない他人に頭を踏みつけられるという貴重な体験を、二週間足らずのうちに二度もしてしまった上に変態認定されるという不名誉に、レオはただ言葉を失うだけだった。

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