第12話 道が教える彼の過去1

 男は故郷を捨てて、彼らに復讐する手段を探し回った。妹の病が魔法では治せなかったことはすでに知っていたが、男にとってはそんなことはもはやどうでもよかった。あの内戦で英雄だともてはやされている人間そのものが許せない。そんなどす黒い感情に支配されていた。


 人は誰かを憎もうと思えば、理由などいくらでも思いつく生き物なのだろう。


 そんな時、男は王家と軋轢のある、とある領主の使いだと名乗る人物と接触することができた。

 領主の使いから与えられたのは『契約の紋章』を宿す者にも勝ちうる力――――口にすれば人としての限界を超えることができ、痛覚も奪うという万能薬だった。もちろんただでそんなものが手に入るわけがない。代償は命、それで構わないと思った。

 その領主や使いの人物が、男を捨て駒にすることなど当然承知している。男には失う物などなにもないのだから、それで構わない。


(待っていろ……! 待っていろよ!)


 小瓶に入れられた薬を手に、男の気分はかつてないほど高揚していた。ほかにも同じように居場所がなく英雄たちを恨む人間が集まり、静かに時を待った。

 彼らに近づける身分は、きっと領主が用意してくれるはずだ。男はただ、それを待っていればいいだけだった。



***



 朝起きると、ロゼッタの目は真っ赤に腫れていた。泣きながら寝てしまったのがいけなかったのか、頭痛もする。


「これは、まずいわ……」


 ひとまず宿でもらった水で顔を洗い、身支度だけは整える。

 井戸から汲んだばかりの水は冷たく、彼女のもやもやとする頭を少しだけすっきりとした気分にさせてくれる。けれども泣き腫らした頬はかさついて、冷たい水がしみた。


 ロゼッタが起きた時にはすでにレオはいなかった。

 ある意味で真面目な性格のレオは、ロゼッタよりも必ず先に起きている。そして宿の裏手かその辺の雑木林の中で剣や魔法の稽古をすることを朝の日課にしている。

 昨晩はロゼッタよりもかなり遅い時間に眠ったはずだが、だからといって鍛錬を怠ることはないらしい。


 レオが毎朝部屋にいないのは実は鍛錬のためだけではない。おそらくは、同室のロゼッタが着替えをしたり身支度を整える時に男性がいるのはよくないという配慮もあるのだろう。彼がロゼッタのことをいつも気にかけているということは彼女もわかっている。

 最初の宿で不審な奏者に侵入されて以来、別室にすることは頑なに拒むレオだが、それ以外のことなら意外にも常識人で、同室であることでロゼッタが嫌な思いをすることはない。


 いつもは編み込んでからしっかりとまとめている髪を、今日はそのままにする。そうすれば少しだけ顔を隠すことができると彼女は考えたのだ。無駄なあがきだとわかっていても、年頃の女性としてはやはり気になるのだ。

 ロゼッタが髪に櫛を通していると部屋の扉が叩かれる。レオが帰ってきたのだ。


「おはようございます。入っても大丈夫ですか?」

「……どうぞ」


 扉の外から聞こえる声はやはり彼のものだった。彼は扉の付近に立ったまま困った表情でロゼッタを見つめる。

 泣き腫らしたひどい顔を見られるのも、昨晩めそめそ泣いていたことを知られるのもロゼッタには耐えられない。思いっきり顔をそらすが、その瞬間、すぐにまずいと思った。

 いくら昨日から気まずい雰囲気になってしまったからと言っても、彼と離れることはできないし、会話をしないまま旅を続けることは彼女の性格的にできることではない。早くなんとかしなくてはいけないのに、不自然にそっぽを向くような態度を取ってしまい、ロゼッタはさっそく自己嫌悪に陥った。

 早く取り返さなければと思いながらも、どうすればよいのかわからず沈黙が続く。意を決してロゼッタは口を切る。


「「昨日は!」」


 言葉を発したのは二人同時だった。


「レオさんからどうぞ!」


 こういう時は男が先に言うものだ。ロゼッタはそう思ってレオに次の言葉を催促する。


「昨日は申しわけありませんでした。……忘れてしまった自分の立場というものを、全く理解していないわけではないんです。あなたが私の気持ちを必ず拒んでくれるということすら承知の上で、それに甘えていたのかもしれません。今後は、あなたをできるだけ困らせないようにします。……だから、都に着くまでは、それまでは一緒にいてくれませんか?」


 反則だ、ロゼッタはそう叫びたくなる。そんなに素直に謝られ、懇願するようなまなざしを向けられたら、ロゼッタのほうが素直になりにくい。


「わ、私は母様からレオさんのことを頼まれているし! 記憶喪失のあなたを見捨てることなんて、するわけがないでしょう!?」

「そうですね、あなたはそういう方です。本当に申しわけありませんでした」

「き、気をつけてくれるなら、それでいいですから!」


 言っているそばから自分の発言を後悔するような、棘のある言い方しかできないロゼッタのことを、レオは咎めない。不快な顔もしない。

 ただ柔らかく笑って受け入れるだけだ。


(こんなふうに言いたかったわけじゃないのに……)


「少し、顔が腫れていますね。本当に申しわけありませんでした」

「顔のことはいいんです。忘れてください!! それより早く支度をしましょう!」


 ロゼッタが無理矢理話を終わらせ、レオは次の町へ行くための準備をしようと背を向けた。

 顔の腫れを指摘され、勢いで話を終わらせてしまったが、ロゼッタの方はまだ彼に謝っていなかった。


「……レオさん。昨日はその、言い過ぎてしまって、ごご、ごめんなさい」


 時間が経てば経つほど、謝罪の言葉は言いづらくなるものだ。

 本人の覚えていない義務を押しつけられ、唯一すがりたい相手からは自分ではどうしようもできない理由で拒絶される彼。

 ロゼッタは自分の行動が間違っているとは思えないが、たった一週間分の思い出しか持たない人間に対して、もっと別の言い方をすべきだったと後悔したのだ。


「レオさんも知っていると思いますが、私はちょっと卑屈で素直じゃないところがあって……」

「…………」

「私だから、と言ってくれたことは、本当はとっても嬉しくて。だから、だからっ、余計に、本当に、とても困るんです」

「わかっています。私はいずれ……」


 いずれ……。その後に続く言葉はいくら待っても彼の口から語られることはなかった。いずれ全てを思い出し、本当に愛する人の元へ帰る。ロゼッタはそう続くのだと思っていた。

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