第11話 記憶を辿る道5
お腹いっぱいになった後、二人は宿へと向かう途中で回廊にある店を見て回ることにした。
日はもうすでに落ちていたが、旅人向けの品物を扱う店を中心に、遅くまで営業しているようだ。
「おそらく私は、この町に来たことがあると思います。それに、海を見たことも……きっとあるんでしょうね」
レオは少し考え込むようにしている。その瞳がなんだか随分と遠くを見つめているような気がして、ロゼッタは彼の服の袖を引っ張る。
「レオさん……?」
「思い出したわけではないんです。でも、どこにどんな店があるのか、なんとなくわかりますから」
王太子がミリアの町に立ち寄ったことがあったとしても、なんら不思議なことはない。今まで立ち寄った町とは違い、ミリアの町には特徴的な建物が多くあるので印象深いのだろう。
初めて彼の記憶に近づけそうな予感がしてロゼッタは素直に喜ぶ。もし、彼にとって思い入れのある場所なら、記憶を取り戻すきっかけになるのではと考えたのだ。
「じゃあ、いろいろ回ってみましょうよ! まだ開いている店もたくさんあるでしょう?」
「そうですね……」
いちおう同意したレオだが、その表情はあまり浮かない。
レオが以前の記憶を取り戻したいと思っていないことはわかっているが、ロゼッタとしては早く思い出してもらわなければ困るのだ。それはもちろん彼が王太子で『契約の紋章』を持つ大切な人物だから。彼はこの国で本当に代わりのいない、ただ一人の人間なのだ。『伴侶』の存在を忘れてしまったレオに今のところ目立った症状はないが、いつまで平気でいられるのか誰にもわからない。
彼にもしものことがあれば、国が乱れる。きっと三年前、西部で起こった紛争とは比べものにならないほど混乱するだろう。だからこそ田舎に引きこもっていたアレッシアが動いているのだ。
失くした記憶を思い出しさえすれば、レオの不安は消えるのではないかと彼女は単純に考えていた。昔の自分がどんな人間であるのか全くわからないのならば不安に思って当然だが、彼には高い身分と愛する女性の存在が保証されている。
思い出したらなぜ過去を恐れていたのか不思議に思うほど、自然にそれを受け入れられる。ロゼッタはそう思うのだ。
ロゼッタに向けられる彼の表情はいつも優しい。けれども、今は少し苦しそうだ。
「大丈夫ですよ! きっと」
ロゼッタはその言葉を自分自身にも言い聞かせるつもりで言った。彼が記憶を取り戻すことは絶対必要なことで、正しいことなのだ。けれども、記憶が戻った後のことを考えるとロゼッタの胸がちくりと痛む。
(どうしてだろう……?)
ロゼッタはなぜ自分の胸が痛むのか、全くわからなかった。そして、ロゼッタの励ましが最もレオを傷つけるということも、このときのロゼッタには思い至らなかった。
二人は夜の回廊を無言のまま歩く。もう明かりの消えている店もあれば、ランタンやロウソクが煌々と灯され、暖かみのある光を外にもらす店もある。
酒場や食堂からは旅人たちの笑い声が聞こえ、時々楽器の音や歌声も聞こえる。奏者や歌い手を雇っている店もあるのだろう。
「せっかく、大きな町で買い物だというのに一文なしだということが残念です」
先に沈黙を破ったのは意外にもレオだった。
「お金ならレオさんだって持っているでしょう? 何か欲しい物でもあるんですか?」
万が一はぐれてしまった時やスリの被害にあった時のために、アレッシアから預かった路銀の半分はレオが持っている。
レオが着ていた大きさの合わない
そんなレオが欲しいと思う物ならば、たとえ旅に必要な物でなかったとしても買っていいのではないかとロゼッタは思う。
「いえ、あなたから借りたお金で買っても意味がないんです」
そう言って、レオはすぐ近くの店のガラス窓をのぞき込む。回廊からのぞき込んでいたその店は装飾品店だった。ガラス窓から見える位置に置かれた展示用の机の上には、七宝焼きの髪飾りやブローチなどが綺麗に並べられている。
「無職でさえなければ、あなたにあの髪飾りを差し上げたかったのに。残念です」
色とりどりの花があしらわれた髪飾りを見つめながら、レオが心底残念そうにつぶやく。あの髪飾りをつければ、地味なロゼッタの灰色の髪も明るい印象になるだろうか。それとも、髪飾りに容姿が負けてしまいみっともないだろうか。そんな考えがロゼッタの頭の中をぐるぐると回る。
「そういうの、いりませんからっ! それに、母様みたいに似合わないし」
「とても似合うと思いますが?」
こういった細かな細工の髪飾りは時々アレッシアがつけていることがある。ロゼッタは母にあこがれ、よく母のまねをしてしまう。けれども絶対に敵わないと思うと、全く逆の方向を目指してしまうのだ。
灰色という地味な色の髪を長く伸ばし、それすら武器にして性別に関係なく他者を魅了するアレッシアのようになりたいと思う。でも、それができないからあえて母と違う髪型にして、別のものを目指すふりをしている。魔法使いとしても、女性としても、中途半端で自分が何を目指しているのかロゼッタ自身にもわからない。
「私は母様みたいになれない……」
「ロゼッタは母君が理想なんですか?」
「わ、悪いですか?」
「悪くはないです。目標があることはいいことですよ。でも、私は今のロゼッタが可愛らしくて好きです」
「……既婚者浮気男!」
今のレオの想いは偽りの気持ちだ。レオが命の恩人であるロゼッタを本気で想っているということはロゼッタも承知している。けれども本来のレオはヴィオレッタという愛する女性がいる。
ヴィオレッタは『瑠璃色の魔女』の後継者で、王太子妃となる前はアレッシアと同じように近衛騎士を務めていた。噂では容姿もアレッシアとそっくりなのだという。彼が本当に愛する女性はロゼッタとは違い、高い能力や知識、それに男性に負けない強さを持った女性のはずだった。
それとも
「レオさんはたまたま私が助けたというだけで、勘違いをしているだけですよ。いい加減、あきらめてください」
「たまたま……? それならば、偶然あの場に別の人間がいたとして、その人もあなたと同じ行動をして、あなたと同じ言葉を私にくれたと言うのですか?」
勘違いをしている、というロゼッタの言葉にレオは険しい表情で反発する。
「あの時、震えながら私を守ろうとしてくれたあなただから――――」
「い、言わないで! 恩人だと思ってくれているのなら、困らせないでください! 私が絶対にあなたを受け入れないことくらいわかるでしょ!? そんなことしたら、死んじゃうかもしれないんですよ!」
「ロゼッタ……」
なぜ、この人なのだろう。ロゼッタは油断したら泣いてしまうほど嬉しくて、それ以上に苦しくて、目の裏に力を込めてなんとかそれに耐えた。
ロゼッタはあらゆる能力が母より劣っていることをずっと気にしていた。いつか母と比べずにロゼッタだからこそ好きだと言ってくれる人に出会いたいと願っていた。比べられることを嫌っているくせにロゼッタ自身が一番、母や周囲の人間と比べて勝手に劣等感を抱いている。ひどい矛盾だ。
レオがくれる言葉はずっとロゼッタが本気で欲していた言葉だ。
それを言ってくれた相手が、なぜ彼なのか。
レオの言葉は苦しさと、未来の望めない虚しさ、そしてなによりヴィオレッタへの罪悪感でロゼッタの心をめちゃくちゃにする。
これ以上はだめだと、頭の中に警鐘が鳴り響く。
「親戚を、従姉を不幸にすることも……それだけじゃなくこの国を乱すことに
「ロゼッタ……」
「記憶喪失だとしても、レオさん私より年上でしょう!? 大人なら甘ったれるな! 私が困るだけだっていい加減わかれ! 馬鹿野郎ぉぉぉぉっ!」
自分自身でも気がつかないうちに、ロゼッタは泣いていた。瞳から流れ落ちる涙は熱いのに、頬を伝う間にすぐに冷えてしまう。そんなふうに、彼の気持ちも自分に芽生え始めた気持ちも簡単に冷めてしまえばいいのに。彼女はただそう願った。
「レオさんはその辺で頭でも冷やしてくれば!?」
きっとひどく傷ついた表情をしているであろうレオを見ることができずに、ロゼッタは下を向いていた。石畳の上にぽつりぽつりと黒いしみができる。もしかしたら、自分の涙は黒く汚いものなのかもしれない。ロゼッタはそんな自虐的な気持ちになる。
「申しわけありませんでした。あなたを傷つけたいわけじゃない……。しばらく頭を冷やします。絶対に部屋にいてくださいね」
あれだけひどい言葉を浴びせても、まだロゼッタのことを心配する。彼はロゼッタの言葉で傷つくが、きっと嫌いになってはくれないのだろう。
ロゼッタにとってそれが一番辛かった。純粋な彼の想いはロゼッタを縛り付けて、身動きを封じる鎖のようだと感じたのだ。
ロゼッタは言われたとおり宿に戻り、そのまま布団を被ってめそめそと泣いていた。そして自分でも気がつかないうちに眠ってしまった。
早く寝てしまったせいか、真夜中に目が覚めたロゼッタが隣のベッドを見ると、気づかないうちにレオが帰っていてロゼッタに背を向けるように眠っていた。
(レオさん……)
間違ったことを言っているわけではないのに、なぜ胸が痛いのか。その理由は知らない方がいい。ロゼッタはなぜかそう思った。
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