第10話 記憶を辿る道4
旅を始めて五日目。二人は湖に面した町に辿り着いた。
ミリア湖というバレスティ国で最も大きな湖と同じ名前のこの町は、それまでとは比べものにならないほど大きな町で、行き交う人々で賑わいをみせる。
空が茜色に染まる頃、先に宿を確保した二人は、夕食がてら繁華街や湖を見物して回ることにした。
実のところロゼッタはミリアまで来たことが生まれてから一度もなかった。彼女の父、ラウルが時々買い出しにいき、珍しいものを土産として買ってきてくれることはあったのだが、ロゼッタ自身がこの町を訪れるのはこれが初めてである。
大きな通りは舗装され、馬車がすれ違うのに十分な幅がある。
通りに面した建物は隣同士の隙間がなく、一階と二階の間の屋根が道の方へ突きだし回廊になっている。これで買い物客は天気を気にせずに店を見て回れるのだ。
柱が多く設置されているせいで、遠くから見ると、どこに何の店があるのかがよくわからない。それすらこの町を楽しむ醍醐味であるらしい。
まずは早めの夕食にしようと、二人は酒場兼大衆食堂に入った。
旅人が多く集まる食堂は、彼らにとって大事な情報が集まる場所だ。たとえば、盗賊や凶暴野生動物の情報、洪水や土砂崩れなどの情報もこういった場所に自然と集まるのだ。
ロゼッタたちが入った店には大きな掲示板があり、そこに様々なことが書かれた紙が乱雑に貼られている。
『用心棒募集。あなたもタヴァーノ一座の一員になりませんか?』
『北の洞窟へ向かう道に、落石注意情報が出ています』
『指名手配、近衛騎士ジェラルド・ルベルティ。王太子殿下行方不明事件の重要参考人として』
「ジェラルド・ルベルティ?」
掲示板の中央に貼られた紙には、はっきりとそう書かれていた。
それは旅に出る前、ロゼッタが母から聞いたルベルティ家の跡取りの名前だった。母の生家であるルベルティ家の一人娘が王太子妃となったために、親戚から取った養子が王太子に仕えているという話は彼女も聞いていた。
「おう! お二人さん。まさか賞金稼ぎじゃないだろうな!?」
掲示板を見ていたロゼッタたちに、陽気な声で大男が話しかけてくる。片手にビールを持って、結構な距離からでもわかるほど酒臭い男だ。
「まさか、私たちはただの新婚夫婦ですよ。彼女の両親に挨拶をしに行った帰りなんです」
レオはさりげなく、酒臭い男からロゼッタを遠ざけ彼女を守るように引き寄せる。
初日に宿屋の主人に兄妹でないことを見破られ、怪しい奏者の侵入を許してからというもの、レオは勝手に新婚夫婦という設定を作り、宿に泊まるときは必ず同室にしているのだ。
よくもすらすらと嘘がつけるものだと、ロゼッタはあきれてしまう。腰に回された手を酔っ払いから見えない位置でこっそりつねってみても彼は表情一つ変えない。
「随分と物騒な事件があったんですね……こちらは女性もいますから、道中が心配です」
「おう! でも、残念ながらその指名手配犯ってのが、反対の街道にいっちまったんじゃねぇかって情報があってな。俺としちゃ今から湖を渡るか、ほかの獲物を探しに行くか考えてんだよ」
「残念ですね。こちらとしては、その方が安心ですが」
「つーか。兄さんよぉ……随分いい体してんじゃねぇか? 同業者じゃないだろうなぁ?」
ロゼッタはその言葉に思わず冷や汗が出る。そのすじの人間が見ればレオの体つきは明らかに武術の心得があるとわかってしまうのだ。新婚夫婦という設定については旅の間何度も使っているが、職業まで問われたことはなかった。本来の職業はもちろん、特権階級の人間であることは知られたくない。
「わかりますか? 実は私、都で結構な名家に護衛として雇われていまして」
「あぁ、なるほど。だからやたらと上品なんだな」
「えぇ、職業病というやつですよ」
涼やかな笑みを浮かべて堂々と嘘をつくレオにロゼッタはもう言葉も出ない。自身は庶民だが、名家に仕えているから言葉遣いや動作が上品で洗練されているという説明は、感心するほどあざやかだ。けれど、記憶喪失のくせにやけにこういうことに慣れている彼は、本当はいったいどういう人間なのだろうと疑問に思い、素直に褒める気持ちになれないロゼッタである。
「ところで、おじ……おにいさん。王太子殿下行方不明事件って詳しくご存じですか? 前の村でも事件があったことだけは聞いたのですが……」
「それな! 何でも近衛騎士が裏切って王太子様が行方不明なんだとよ」
賞金稼ぎの男はレオがライバルではないとわかると、得意気に事件の情報を二人に教える。
男の情報によれば、ヴァルトリ領の西の街道で非公式の視察からの帰路にあった王太子を、側近の近衛騎士が襲ったということだ。
王太子は未だ行方不明で谷に落ちて死亡した可能性もあるという。
ロゼッタたちがレストリノで得ていた話では犯人についての情報はなかった。むしろ、犯人である騎士が捜索と称して王太子を探しているのだと予想していた。新しい情報では犯人が騎士となっていることでロゼッタは少しだけ安堵する。
それと同時に、裏切り者がルベルティ家の人間であるという情報に驚き、この先が不安になる。アレッシアはルベルティの人間が王家を裏切ることはないと言っていた。それが覆されたのだから、今後本当にルベルティ家を目指していいのか彼女は迷う。
ロゼッタが見た、黒髪の騎士がルベルティ家の跡取りだったとすれば、絶縁状態で一度も会ったことがないとはいえ、ロゼッタの親類が王家を裏切ったということになる。ロゼッタの心はレオに対して申しわけない気持ちでいっぱいになった。
「でも、なんでその近衛騎士は謀反なんてしたんでしょう? ルベルティといえば王太子妃の……」
賞金稼ぎがそんなことまで知っているとは思えないが、ロゼッタの疑問は勝手に声になって外に漏れ出てしまった。
「それだよ! 実はな、ルベルティの跡取りは養子で、元々は王太子妃様の婿になる予定だったらしいんだよ!」
つまり、ヴィオレッタと結婚してルベルティ家に婿に入る予定だったのに、彼女を王太子に取られ逆恨みしていたというのが謀反の理由だということだ。
そうであれば、裏切ったのはジェラルド・ルベルティ個人ということなのだろう。
「さすが賞金稼ぎさんは、情報通ですね! 教えてくださってありがとうございます」
「お、おう」
ロゼッタが笑顔で礼を言うと、賞金稼ぎの男は酒に酔った顔をさらに赤くした。
「ロゼッタ。 いくら親切な方でも、初対面の男性に笑顔を向けてはいけませんよ」
「はい? 何言ってるんですか!?」
「むしろ、
そう言いながらレオは少し熱を帯びた視線でロゼッタを見つめ、腰に回していた腕の力をぐっと強める。気恥ずかしさと怒りでロゼッタは悲鳴をあげそうになるが、新婚夫婦設定を今さら変えるわけにもいかず、なんとか我慢する。
ロゼッタは真っ赤になりながら、今度はこっそり足をぐりぐりと踏みつけるが、やはりレオには効果がない。
「初々しいねぇ。んじゃ、お邪魔虫は退散するか!」
二人の攻防を、新婚夫婦のいちゃつきだと勘違いした賞金稼ぎは、そそくさとカウンター席に戻っていった。
わからないことは多いが、他人に聞かれてしまう場所でルベルティ家やこれからの方針について話し合うことはできない。この件について話すのは宿に戻ってからになるだろう。
入り口とは反対側の窓際の席に案内され、そこに腰を下ろした二人は、とにかくお腹を満たすことにした。
この食堂の名物だという大きな白身魚をまるごと使った豪快な揚げ物、野菜のスープ、パンを注文する。
ロゼッタはレオがお酒を飲んでいるところを見たことがない。最初は病み上がりだから、ということだったが、どうやら万が一レオを狙う人間が襲撃してきた場合に備えておきたい、という気持ちがあるようだ。旅を始めてから五日間、敵の気配などまったくないのに真面目なことだとロゼッタは感心する。
ふと外を眺めると水面に夕日が反射して綺麗な橙色に輝いていた。気温が低いので扉は閉められているが、夏場は湖に面したテラスでも食事ができるようになっている。美しい湖を望めるのも、この店の自慢の一つのようだ。
「湖にも波が立つんですね。見たことがないですが、海だけだと思っていました」
「大きな湖では、そうですよ……」
風が強いせいか、湖の岸に白波が立っては儚く消えていく。料理を待つ間、静かに湖を見ているとロゼッタの心はなぜか穏やかになっていくような気がした。
「はい! おまたせ」
体格のいい女将が大きな皿に乗せられた魚の揚げ物をドンとテーブルに置く。魚の上には少しとろみのついた甘辛いソースがたっぷりとかけられ、二人の食欲をそそる。
「ロゼッタ、魚は骨があるので気をつけてください」
「もう! 知ってますよ。川で獲れる小さな魚の方が、小骨が多くて食べにくいはずなんですから、大丈夫です」
「それは失礼しました」
いちおう反省の言葉を口にするが、レオはすぐにロゼッタを子供扱いする。子供扱いというよりは単純に甘やかしているだけなのかもしれない。居心地が悪いのでやめて欲しいと思うロゼッタだが、彼はロゼッタが機嫌を悪くしてもただ笑っているだけだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます