第36話 七年の真実
保健室のドアを、音を立てずに閉める。
どこまでリードにこちらの気持ちが届いたのかは分からないが、今は一人にしておく時だ。実は、ヴァンも一人になって色々と考えたい。
それぐらい、頭の中が情報の洪水を起こしている。
今日はあまりにもたくさんの事件が起こり過ぎた。と、
「ヴァン!」
独りきりになりたいと思っていたのに、お邪魔虫が飛んでくる。といっても無造作に振り払うなどできない。急いで走ってきたようだし、そしてなにより話しかけてきた相手が相手だ。
「……イリーブ、抜け出してきたのか?」
「な、なんとか……」
「どうした? そんな息切れして。そんなに急いで何か俺に用でもあるのか?」
膝に手を当て、肩で息をしていたイリーブが、深く深呼吸すると、
「言わなくちゃいけないことがあるんです。今すぐ、今だからこそ言わなきゃいけないことがあるんです」
「あ、ああ。いいけど、ここで? もっとひと気がないところの方が……」
「いいえ! もう時間がないんです。だから、ここで言わせてください! これだけは、言っておきたいんです。とっても、大切なことだから! ずっと、ずっと私はあなたに言えなかったことがあるんです! やっと、私がやりたいことがやれるんです! ……だから!」
「わ、わかった」
よく分からないがすごい剣幕だ。
しかも、どうやらかなり真面目な話のようだ。
「…………」
しかし、聴いて欲しいと、時間がないといいながら、イリーブは黙り込んでしまった。
かなり言い出しづらそうにしている。
指をもてあそびながら、言いそうになると、すぐに口を閉じてしまう。
なんだか、こっちの方が緊張してきてしまった。
すると、覚悟を決めたイリーブが、ようやく話を切り出す。
「実は私、隠していたことがあって……」
「隠していたこと?」
「隠すつもりはなかったんですけど、もしもこのことを言ってヴァンに拒絶されたらと思うと怖くて……」
「俺は、もうお前のことを拒絶しないよ」
両親が死んでしまった時に拒絶してしまったことを、未だに後悔している。
「これを言ったら、きっとヴァンはとんでもなく面倒で困難なことに巻き込むかもしれない。それでもいいですか?」
「ああ、もちろんだ」
今回のことだけではない。『破壊針(ブレイクタイム)』保持者であるイリーブは、これからも彼女の『|特異魔法(スペシャリテ)』を悪用しようとする者が現れるかもしれない。強大な力を持つ人間と共にいれば、必然的にこちらにも火の粉が降ってくるということ。
だが、アムリタとも約束した。
どんなことがあっても、あんたの娘を守ると。
「わ、私と――」
「……ん?」
「……て……」
「なに?」
「…………あっ……い……」
「ごめん、全く聴こえない」
あー、うー、と泣きそうな顔をしているイリーブに、悪いとは思いつつもズバッ、と指摘してしまう。
イリーブは大口を開けると、
「私と付き合ってください!!」
廊下どころか、きっと保健室の個室にも届くような声で絶叫する。
耳鳴りがする。
イリーブの声が耳の中に反響して、しまくって、外にでていこうとしない。いつまでもリフレインする。頭が割れそうだ。それどころか、彼女の甘い声が体中に駆け巡って、全身が痺れるみたいに痛い。
よろめいて、後ろに倒れそうになる。
過呼吸になりそうになりながら、壁に手をつく。
「……イリーブ、お、俺は……」
これは、もしかして、告白というやつなのだろうか。
だが、動揺しまってくっている自分に、自分は動揺してしまっている。
どんな臭い台詞も真顔で吐けるほどの自分が、こんな真っ直ぐでベタベタな告白に、顔から火が噴き出すほど真っ赤になっているなんて信じられない。
告白された。
ということはつまり、返事を返さなければならないということだ。答えなんて決まっている。娘さんをくださいとか、そんな順序を間違えた回答を打ち出したのだ。だったら、それよりもハードルの低い台詞、簡単に言えるはずだ。
なのに、喉がはりついたようだった。
あ、が、とさっきのイリーブのように声がでない。
正直、苛立ちを覚えるほどだったのに、さっきの彼女の再現だ。だめだ。どうしてだろう。どうして言えないのだろう。と、
「ごめんなさい!!」
興奮状態だったヴァン。
まるで高度四千メートルぐらいに魂となって飛び上がっていた自分が、いきなり地面まで叩き付けられるような衝撃の言葉。それは、無意識化でヴァンが口に出した言葉ではない。
振ったのではない。
振られたのだ。
返事をする間隙などなく、ものの見事に振られてしまった。
「え、ええっ!!」
告白の返事をする前に振られるなんて、人類史上初なんじゃないだろうか。
「これ!」
茫然自失としていたヴァンに、これ! と言いながら差し出されたもの。
ぼやけた瞳でそれを視認すると、仰天してしまう。
……どういうことだ。
幻覚か。
思わず、首にかけている指輪に手を掛けると、やはり――ある。感触だけでなく、見下ろすが、やはり持っている。だが、これはどういうことだ。ありえないものを、イリーブに見せつけられている。なんでだ。なんで、
「ゆ、指輪が二つ!? いや、俺のものを合わせると――三つ!? どういうことだ、これは……」
指輪の数が合わない。
結婚指輪なのだから二つしかないはず。まさか重婚していたとかいう落ちではないはず。ということは、まさかまた時間跳躍の関係で、今この時指輪が同時に三つ存在するということなのか。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。私は知らなかったんです。私はなにもまだしていない。今の私はあなたの知っている私じゃないんです」
「な、なに言っているんだよ。意味わからないんだけど。この指輪は、本物なのか? どうして全部で三つあるんだよ!?」
ここにいるのは、本当に今、現在のイリーブなのか。
目を離している間に、イリーブは過去か現在に飛んで、もう一つの指輪を手に入れたのか。どういうことなのかわからない。が、
「私は七年前になんか時間跳躍していないんです」
解は、明後日の方向のものだった。
「……なっ! でも、俺は確かに見たんだ! この学園の制服を着ていて、それでこの指輪を持っているお前を!」
あれは幻覚なんかじゃない。
今でもあの煉獄の炎のような熱さを覚えている。
助けてもらった感動を今でも思い返すことができる。
「だったら話は簡単ですよ。私は今から七年前に行くんです」
「はあ?」
突飛な考えに、ついていくことができない。
「考えてみてくださいよ。そもそも私は自分の『|特異魔法(スペシャリテ)』を正確に発動させることができない。だけど、今ならできるかもしれない。お父さんもらったありったけの魔力をまだまだ内包している今だったら、きっと……」
「……そうか。確かに通常時のお前が七年前まで時間跳躍なんてできるはずがない……だが、今なら成功するかもしれない……」
「成功するかもしれないじゃない。絶対に成功するんです。それは過去が証明します。急いでください。今はまだ魔力が体内に定着していますが、いつ魔力が対外に放出されるか分からないんです。あくまで付け焼刃の魔力。時間が経てば、私の器に収まりきれない魔力は勝手に消滅してしまいます」
イリーブがどこかに向かって走り出す。
ついでに、ヴァンの腕を掴んでだ。
「待て! どこに行くんだ!?」
「校舎の外。できれば、ひとめのつかない茂みへ! 私達が七年前の校舎に時間跳躍すると、騒ぎが起きます! 何故なら、いるはずのない生徒がいきなり目の前にでてくるんですから! 正体不明の侵入者として拘束されるかもしれません!」
「だとしても、なんで俺まで! 俺が七年前に見たのは一人。お前だけだ! 俺は時間跳躍なんてしなかったんじゃないのか?」
……いや、同じ人間を目にしたパニックを起こすことを想定していたとしたら、過去にとんだ自分はどこかに隠れていてもおかしくはないか。
「時間がないっていってるじゃないですか! このまま走りながら、私がどんな言葉を話して、どんな行動をとったのか覚えている限りでいいから教えてください! それに、二人分の時間跳躍するぐらいの魔力なら十分あります! だから私に付き合ってください! 七年前への時間跳躍に!!」
付き合ってください、っていうのはそういうことか。
どうやら意識しているのはこちらだけのようだ。
イリーブは何も変わらず、いつも通りだ。いつものようにこちらの言葉なんて話半分。こちらの都合は考えない。とにかく腕を引っ張って走っている。ほんとうに、いつも通りだ。
「……仕方ないな。こうなったら、とことん付き合ってやるか」
だけど、前を走っているイリーブの顔は、見えない。
嬉しそうに笑っている顔なんて、ヴァンからは窺い知ることはできない。
ヴァンが、イリーブの真意に気づくのは、今ではない。
きっとそれは遠くもなく、近くもない未来――。
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