第35話 人生の幸せ
保健室。
あれだけ大勢の患者で覆い尽くされていた部屋は、閑散としていた。
ここにいるのはチギリとリードだけのようだ。
だから、個室が用意されている。
もう一人の方には、もうお見舞いをした。
疲れ切って眠っているようだったので、起こさないよう慎重に病室をあとにした。いいたいことはたくさんあったが、いくらでも時間を作ることができる。また彼女の面会をしよう。
全ては、この個室での話し合いが終わってからだ。
「どうして、嘘をついたんだ」
窓が開いていた。
隙間から吹いてくる風のせいで、カーテンがめくれている。そして、やがて風がやむ。カーテンに隠れていた顔が顕わになる。
「――リード」
リードは、いきなり入室してきたこちらのことなど、特に驚きもしなかった。
「……嘘? ああ、仮病のことですか? すいません。もう少し授業サボりたかったんですよ。だけど、そんな神妙な顔をされて言われるようなことですか?」
「そうじゃない。俺が言いたいことは、そんな程度の嘘じゃない。なあ、リード。どうしてお前はあの時嘘をついたんだ。どうして――」
「アムリタに心を支配されたって嘘をついたんだ?」
ピクッ、と眉が微かに動いただけ。それだけしか動揺が伝わってこない。
元々何を考えているのか分からない奴だ。
気にせず問い詰めていこう。
「……どういうことですか?」
「お前は自分の意志と自分の魔力で、図書館深部で俺達に立ちはだかったんだよ。冷静に考えれば、心を支配された奴が、あれだけペラペラ自分の考えを喋れるはおかしい。もっと単純な言語を喋れるようにしか、伝達神経をコントロールできないはずなんだ。いくら、アムリタがとんでもない魔導士だったとしてもな」
「そうですか? 対象となる人間の深層意識を表面化させただけなのかもしれませんよ?」
「アムリタはな、確かにイリーブの心を支配ようとした。支配して、『破壊針』を自在に扱おうとした。だけど、結局支配は最後までしなかった。あいつは、結局誰の心も操っていない。もちろん、お前の心もだ」
「それは根拠じゃなく、希望的観測っていうんじゃないんですか?」
「……そうかもしれない。だけどな、最大の根拠が一つある」
「それは、なんですか?」
今までの口上は全てここに集約される。
この根拠があったからこそ、パズルのピースはぴったりあてはめることができたのだ。
「お前の『特異魔法』が、お前の、お前だけの実力だったってことだ」
偽物を造りだす『特異魔法』だったとしても、その実力は本物だった。……つまりは、そういうことだ。
「アムリタに操られて、実力の底上げをされたんじゃない。あれは、お前自身の力だったんだ。そうだろ?」
「……ふ」
すると、リードはベッドで身体をくの字に折る。
「ふははははははっ!」
「ど、どうした? 元から壊れてるけど、さらに壊れたか?」
なにげに失礼なことを迂闊にも言ってしまった気がするが、彼女は気に留めていない。
笑い過ぎて、目尻にちょっぴり涙をたたえさせている。それを小さな指でしっとりと拭いながら、
「いいえ。ただ、そんな嬉しいこと言われたら、本当のことを言うしかないって思っただけです」
……あっていた。
ようやく真実に……真相に辿りついた。
「ええ、そうですよ。私はあの先生に操られてなんていません。ただ単純に、あの人の理想に加担しただけです。この事実は、あの人だって知らないと思いますよ?」
「どうして、そんなことを。やっぱり、不幸になるためか?」
「ええ、まあ。そう思っていましたよ。ただ、仮に先生の新世界が実現したとしても、不幸になれたかどうか、私はきっと認識できなかったでしょうけどね。そんなの今考えればつまらないですよ」
「……どういうことだ?」
「あの人の理想がもしも実現していたら、私は消滅してしまうんですよ。それどころか、ヴァンさんも、いや、先生以外の全ての人間が消滅していたはずです」
世界の変革を認識できないことイコール消滅。
……なるほど、そういうことか。
「そうか。確かに、ここに存在する『今』の俺達は完全に消滅してしまう」
「その通りです。記憶を保っていられるのは、時間跳躍をした人物だけ。それ以外の人間は全く別の未来を歩むことになる。それが私の考えす。記憶の積み重ねが人間ならば、それは別人となる。あったはずのことがなくなり、ないはずのものがあったりする。その微妙な差異を感じながら時間跳躍者は生きなければならない」
それが過去を無理やり捻じ曲げたものの罪。
僅かなヒビは、時の流れと共に大きくなる。圧倒的な違和感。自分の認識していた現在とは違う世界を体験しなければならない。
それは、精神の崩壊へと繋がる。
……そういう考え方もあるのか。
だが、アムリタならば自分の記憶を改竄することができる。自分が過去を改竄したという記憶そのものを改竄してしまえば、精神崩壊は起きない。そう考えると、本当に凄い魔導士だったことを再認識してしまう。
「あなたとイリーブはどうですか? 時間跳躍をしてきたんですよね?」
「待て。どうしてお前がそれを知っている? やっぱりアムリタと共謀していたのか?」
「いいえ。ただの推論です。ヴァンさんから七年前のことを聴いた時からすぐにピン、ときましたよ。そもそも時空の不文律を破壊するような『特異魔法』を聴いた時に、時間跳躍ぐらいは思いつきました」
……全然思いつかなかった。
それだけ発想力が貧困なのか。それとも、読書家であるリードの想像力が豊かすぎるのか。
「それで、どうなんです? 今、どんな気持ちですか?」
「べつに、違和感はないよ。――俺達は過去を変えていないんだから」
「……それはおかしいですね。だったら、どうしてあなた達は時間跳躍したんですか?」
「過去に起こったことをそのまま現実にするために、俺達は時間跳躍したんだ。だから、きっと俺達は改変されていない本来の未来を歩んでいる」
「……なるほど。イリーブさんの入れ知恵ですか。流石、『破壊針』の保持者だけあって、なかなか懸命な判断ですね」
フト、リードは声を途切れさせると、遠い目をする。
視線の先にはきっとなにもない。ただ思いふけっているだけだ。会話の途中というのに、相も変わらずマイペースな奴だ。
「あなたがもっと不幸になってくれた方が、私とは嬉しかったんですけどね。あなたは私のことを特別だと言ってくれたけど、私だって、私にとってあなたは特別なんですから……」
意外だ。
そんな素直な言葉を、根性が曲がりに曲がった彼女から聴けるとは思わなかった。
事件が帰結して、気が緩んでいるのかもしれない。
「……俺のことを特別だって言ってくれたのは嬉しいけど、俺はきっとお前が考えているほど特別不幸なわけじゃないよ」
「あの地獄を経験しても、自分が特別不幸じゃないって言えるんですか?」
「言えるよ。だって俺、結構器が小さいんだ。地獄のような目にあって、俺は昔は幸せで良かったなって思った。だけど、過去の俺も同じことを思っていた。例えるなら、十五歳の時の俺は、十歳の時の俺を幸せだと思っていた。十歳の時の俺は五歳の時の俺を幸せだと思っていた。……過去は美化される。きっと『破壊針』で時を遡ってみれば、分かる。俺の過去の幸せは、今の俺が回顧しているほど幸せじゃないってことを」
過去は綺麗に見えるけれど、きっとそれは平凡そのものなんだ。
手に届かないものが輝いて見える。ただそれだけのこと。
「でも、だから俺は確信できる。そんな風に、過去は良かったって思えるってことは、今が不幸だからじゃない。過去の自分が幸せだっていえるんなら、きっと――」
きっと、そうだ。
「俺の人生全てが幸せに溢れていたんだ」
どこまで楽観的に思ってるんだって、って自分でも思う。
だけど、これはきっと真実なんだ。
「だって、過去の全てが幸せだって思えるなら、きっとこれからの人生だって幸せなはずだろ? 今不幸だって思っていることだって、未来になったらこの感情だって風化してしまう。だから、俺は幸せなんだよ。不幸じゃない時なんて一時もなかった。だから、お前だって……」
自分だけの力じゃない。
こんな風に幸せを感じられるのは、周りの環境が恵まれていたから。
出会った人達の誰もが尊敬できて、特別な人ばかりだったから。
そのうちの一人に、リードだってちゃんと数えることができるんだ。
「……そんなことを思えるのは……。そんな気持ち悪くて幸せな台詞を吐けるのは、幸せな奴だけですよ……。やっぱりどん底を経験した人は、幸せの尊さをも知っているってことですかね? 私にはそんな幸せ者の歯の浮くような台詞、一生言えそうにないです」
「言わせてみせる」
間髪入れずに断言してみせる。
きっと今は言えなくても、いずれきっと言わせてみせる。
「お前がそんなもの望んでいなくたって、俺が無理やり言わせてやるよ。ああそうだ、どれだけまたお前が不幸になりたいかなんてどうでもいい……。それでもお前が強情に幸せになることを否定し続けるんだったら……。その時は――」
「俺がお前を幸せにしてやるよ」
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