第34話 天敵の助言

 なんとか誰にも見つかることなく、自室までたどり着く。

 二つの泡を弾けさせて、解放。

それから自分とイリーブをベッドに寝かせつけて、『破壊針』を使ってもらう。すると、

「うお、ほんとに消えたッ……」

 傍目から見ると、空間転移や、透明化の魔法を使ったように見える。一瞬で消えてしまった。もう、あの二人はここではない、過去へと飛ばされてしまったのだ。

 いくらアムリタがイリーブの身体に魔力を注ぎ込んだとはいえ、やはり信じがたい光景だ。

「これで、ほんとうに終わったんだ……」

 過去にいったイリーブ達は、ベッドで目覚め、それからあの洞窟で戦うことになる。そう考えると、頭がぐちゃぐちゃになって訳が分からない。

 小難しい話を長時間熟考するのはよそう。


「いいえ、違います」


 頭を振ろうとすると、イリーブは真顔でとんでもないことを言い出した。

「…………は? どういうことだ?」

 まさか、まだ何かやらないといけないことがあるのか。

 他に何かやり残しでもあったか。

「それは――」


 ドン! ドン!! ドン!! ドン!! と、部屋のドアを壊さんばかりの勢いのノック音がする。


 ビクッ、と一瞬飛び退くぐらい驚いてしまう。あまりにも強いノックの仕方。ただの訪問客ではないことだけは確かだ。

 しかも、外にいるのはきっと一人じゃない。

 なにやら話声とか、足音とかがどんどん増えてくる。複数人がどっとこの部屋に押し寄せてくるような音がしてくる。

「な、なんだ、このノック音。だ、誰だ?」

 臓腑が凍りついてしまうかのような寒気。

 このままドアを閉め切りたい気分だが、そうもいかない。このままこちらが何の反応も示さなかったら、ドアが蹴飛ばされそうだ。

 ゴクリ、と意を決してドアノブに手を掛ける。

 ドアを開けた瞬間――ドッ、と生徒が押し寄せてきた。

 ほとんどが見覚えのない学園の生徒。ドアの前に驚いた顔で立っているヴァンなど邪魔とばかりに、一番最初に入ってきた生徒によって、脇に押しのけられる。

「うげっ!」

 壁に激突した鼻が痛い。

 そんな自分のことを心配する奴なんて一人もいない。

 入ってきた生徒たちは、一斉にイリーブにすり寄ってくる。

 ヴァンのことなど忘れているようだ。

 ここが誰の部屋なのか、今一度思い出してほしいぐらいだ。

「イリーブ、大丈夫!?」

 とても心配げな声をかける女子生徒。

 肩に手を掛けている様子。それから容姿とか背格好からして、同学年ぐらいだろうか。

「えっ、うん、だ、大丈夫」

「聴いたよ。イリーブのお父さんが全ての元凶だったんだってね」

「なっ」

 動揺が声に出てしまった。

 ナニヲイッテイルノカ、マッタクワカラナイ。

 この親しげに話す感じは友達なんじゃないのか。だったら、イリーブの傷ついた心に塩を塗りたくるような言葉は慎む べきなんじゃないのか。

 イリーブは一瞬、物凄い表情をする。

 だけど、怒鳴り散らしてもおかしくない発言を――彼女はは見逃すことにしたらしい。

 グッ、と全てを堪えたのが、指先で分かる。

 友人らしき女性徒が、イリーブに近づきすぎて彼女の挙動の細部までは悟れない。だから、指に力を入れている。遠すぎず、近すぎない自分だからこそ、彼女の指の動きを知れた。知ってしまった。

「う、うん。ごめんね、みんな……」

「いいの。私達みんな、もう元気だから! イリーブがちゃんと全部解決してくれたんだよね! 辛かったよね、大丈夫だった?」

「大丈夫だよ」

 全然大丈夫ではない。

 すっかり蚊帳の外――部屋の外にまで追いやられてしまったヴァン。

 まるで部外者のような扱いを受けてしまった。

 もう、イリーブの姿が人垣で見えない。

 どんな話をしているのかも。

 どんな悲しい想いで、感情を爆発させるのを我慢しているかも分からない。

 そんなの、あんまりだ。

「なんだ、あれは……」

 絶望のあまり、独りごちた。

 それを拾い上げたのは、いつの間にか傍にいたネクトだった。

「あなた達の了承を得ずに、事情をペラぺラ喋ってしまってごめんなさい。でも、彼女達にだって知る権利はあるでしょ?」

「だからって、どんな風に吹きこんだらああなるんだ」

「私達は知っていることを普通に話しただけよ。私達が知らない不透明なことに関しては、口に出さないよう細心の注意を払ったわ」

「じゃあ、どうしてアムリタが全ての元凶で、それを退治したからもう大丈夫みたいなことになっているんだよ。確かにそうかもしれないけど、あの人にだって理由はあったんだよ!」

 何も知らないくせに。

 当事者でもない。家族でもない。ただの他人だ、あいつらは。それなのに、どうして分かったような台詞で、イリーブの心を抉ることができるんだ。どうして死者の気持ちを踏みにじることができるんだ。

 そんな、上から目線の理論を、ネクトは冷静な顔をして、


「理由があれば、他人を傷つけていいの?」


 切って捨てる。

 何もいえない。

 反論できない。

 だけど、なんでもいいから口出ししたかった。

「それは……」

「はっきり言って、私達みたいな部外者にはあなた達の事情なんて知らないし、きっとみんな、深い事情なんて知りたくないのよ」

「知りたくないって……」

「だって、聞けばきっと重荷になる。わざわざ赤の他人のために背負えるものなんてない。まあ、仮に聴いたところで、きっと話の半分も理解できないから、背負いたくても背負えないかな……。主観で事件にのめりこめるのは当事者だけだから」

 そうかもしれない。

 そうかもしれないけれど、背負わなきゃいけないことだってあるはずだ。

「……俺の気持ちなんて分からなくていい。だけど、自分の父親が死んだばかりのあいつの気持ちぐらい汲んでやってくれても……」

「だから、他人の気持ちなんてどうだっていいんだって。あそこに群がっている連中は、イリーブの心が大切なんじゃない。自分の心が大切なのよ」

 口数がどんどん少なっていく。

 それと反比例して、ネクトはビシビシ言ってくる。

「敵が必要なの。みんなに必要なのは否定することができて、自分を正しいと思い込むための『敵』。……ただ、それだけのこと」

「そんな……」

「もしかしたら、あの先生にだってその覚悟はあったのかもしれないわね。これだけの大事をしでかしたのだったら」

 そうかもしれない。

 アムリタだったら、それぐらいの覚悟ぐらいはできていただろう。

「私は最初、アムリタ先生が記憶をいじっていると思った。記憶を捏造して、命の恩人そのものがいないはずなのに、あなたにいるはずだと認識させているのだと思った。あなたが犯した女子寮侵入の大罪の罰のために洞窟に入ったあの時……。あの人から攻撃を受けたんでしょ? だって、きっとあの人の『想造手』なら、それが可能だと思ったから。図書館ではそれを言おうと思ってた。だけどね、今ならそれは間違いだったんじゃないかって思ってる」

 ネクトが言いかけていた仮説はそれか。

 だが、本当のところはスケールがまるで違った。

記憶を改竄するどころか、過去を、世界を改竄しようとしていた。

「なんだかんだいいながら、みんなの敵になったアムリタ先生は、そこまでの悪人になりきれなかった気がするわ」

「いや、でも、アムリタは……リードの心を……」

 支配しようとした。

 それはどう言い繕うとも言い繕うができない。

 完全なる悪だ。

 ……いや、待てよ。

 ネクトと会話を繰り広げているうちに、何か違和感のようなものが胸の内でムクムクと膨れ上がっていくのを感じる。

「そういえば、チギリやリードはどうなったんだ?」

「チギリ・イヌブセが一番の重症ね。あの根暗な本好きはそうでもないけど、二人とも保健室にまだいるんじゃない? チギリ・イヌブセに関しては心というより身体的傷が大きい。というより心を傷つけられた人達はあの通りみんな元気よ。あの先生がなにをしたかったのかは知らないけど、失敗した場合、みんなの心が元通りになるぐらいの細工ぐらい、あの魔導士レベルだったら簡単だったでしょうね」

 用意周到に新世界の創造主になろうとしていたアムリタ。

 きっと彼は自分の命を懸けた計画が失敗に終わることも視野に入れていた。

 そして、根っからの悪人ではなかったかもしれないあの人は、きっとアレをやっていない。

「心の傷は快復している……。そうか……!」

 可能性は二つ。

 やはり、あいつは根っからの悪人だった。

 もう一つの可能性、それは彼女が嘘をついているということだ。

 イリーブの周囲に群がってくる心優しい人達のことを見て、自分の答えが正しいことを確信づける。

 彼女達のほとんどが重症患者だったはず。

 事件直後だというのに、あれだけ元気に振る舞えるということは、そういうことだ。

 ようやく真相にたどり着いた。

 もしかしたら、さきほどイリーブが言いかけたことはこれだったのかもしれない。まだ、この話は終わっていない。まだこの物語には続きがある。それを気づかせてくれたネクトには、どれだけお礼を言っても言い足りないほどだ。

「ありがとう、ネクト!」

「…………お礼を言われるようなこと、なにもしていないけど?」

 ネクトは訝しげな瞳をよこす。

「それでも、そうだとしても、言わせてくれ。……ありがとう!」

「……ふん。敵に塩を送ったつもりなんてないけど」

「……『敵』?」

 それはどういう意味なのだろう。

 自分の腹黒い部分を誤魔化すための敵なのか。

 いや、きっと違う。

 それは、真っ直ぐ見つめてくるネクトの顔を見れば分かることだ。

「ええ、そうよ。私にも『敵』が必要なの。でもね、自分の傷を癒すための『敵』じゃない。必要なのは、倒すべき『好敵手』であり『天敵』」

 ヴァンの部屋にやってきた連中は、こちらを一瞥すらしない。

 ただの路傍の石程度にしか思っていない。

 だけど、ネクトだけは自分のことを敵だと認めてくれている。

 相対してやる価値をこちらに求めてきてくれる。

「……あなたを倒すのは私なんだから。……だからそれまで誰にも負けないでよね。負けるなってのは、勝負に負けるなってことだけじゃないわよ。心も負けるなってことなんだから。私との再戦前に、腐ってちゃ意味がない。前よりずっと強くなったあなたを倒すことで、私は私の敗戦に意味があるものにしたい」

「まだ、戦うつもりだったのか? 正直、お前とは戦いたくないんだがな」

 そういいながらも、予感めいたものがある。

 例え、イリーブの『破壊針』がなくとも、未来のことが分かってしまう。

 きっと遠くない未来、彼女とまた戦うことがきそうだ。

 敵対して、戦い合うような気がする。

 意見をぶつけ合って、互いが互いを高め合う。

 自分達の限界を戦いのなかで限界でなくすような、そんな最高の戦いができるような気がしている。

 そんな宿命の敵ともいえるネクトが、踵を返そうとしているヴァンに対して首をかしげる。

「どこへ行くの?」

「ちょっと答え合わせしてくる。……そうだな。推理小説風に言うと、これから探偵役が犯人を追いつめるシーンを演じてみようと思う。ジグソーパズルの最後の一ピースがようやく見つかったみたいだからな」

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