第32話 笑顔の死別
光の球体がフワフワと漂う。
爆発の余波に吹き飛ばされたヴァンは、意識を喪いそうになりながら思い出す。
これに似たような現象を、この場で観た気がする。
あれは、オルトロスを倒した時だ。
「俺は自身の『特異魔法』の実験と共に、自分の生徒から魔力を奪っていた。奪った大量の魔力があれば、より操りやすくなるからな。お前が私を攻撃し、抑えきれなくなった魔力が今溢れている。だが、それだけじゃない」
力なく笑うアムリタの横で、闇の繭が蠢く。
シュルシュルと影の手が闇の中へと撤退する。閉じ込められていたイリーブが姿を現す。どうやら無事なようだ。だけど、
「俺はもうすぐこの世界から消える」
アムリタは無事ではない。
足元から徐々に煙のように消えていっている。
「……どういうことだ?」
当然の疑問が口から突いて出る。
「俺の『想造手は想いを形にできる『特異魔法』だ。だから、七年前のあの大災厄の時、俺は残った魔力を振り絞り、想いを形にして造りあげえたんだ。――俺自身を」
「残留思念を実体化、そんなこと――」
いくら才覚のある魔導士だからといって、一個人の魔法でどうにかできることじゃない。
「できるかどうかは議論すべきことじゃない。実際できたんだ。死の淵に立たされ、俺は俺のコピーを造りだした後、俺自身の本物の肉体は朽ちた。焼けて顔が見えなくなった死体がいくつもあったから、本当の自分が死んだのを隠匿するのはそう難しいことじゃなかった」
「そんな……」
自分自身の肉体を焼いたってことか。
それとも、アムリタの『想造手』で、関係者の記憶全部を操作したのか。
二度殺したのか。それとも世間的に殺したのか。
どちらにしても、自分を自分で殺したのだ。
「この光は、俺の中から溢れだした思い出でもある。正直、俺自身の形を保つのも限界だったんだ。だから行動に移した。俺という存在が消滅する前に、どうしてもやっておきたいことがあった。どうしても――」
悔恨するように唇をかむ。
「エリアラに会いたかった」
アムリタのたった一つの願い。
それは二度と会えない人との再会。
「お父さん……」
「たった一目でいい。もう一度元気なかあさんを見たかった。そして、別れの言葉を告げたかった。あの一瞬で全てを失った俺は、あいつに何もしてやれなかった。だから、七年前に時計の針を戻し、被害者となった住民全てを事前に逃がしてやりたかった。みんなを守りたかった。俺の『想造手』ならば、それができるはずだった」
後悔しているのだろうか。
アムリタは、やはり七年前からやり直したいと今でも思っているのだろうか。
ずっと望んでいた。
そのためには、何もかも捨てるつもりだった。
でも、
「だけど、目の前にある大切なものを失ってまでやることじゃなかった」
やっぱり、アムリタにとって、今、大切なものはなんなのか。
それを思い出したようだった。
「こんなことをしてしまったのは、俺が俺じゃないからかな。本当の俺は七年前に死んでしまった。仮初めの命を持っている偽造の記憶集合体。そんな俺だから、人の命を軽んじてしまったのかもしれない。――いや、こんなもの言い訳にすらないな」
アムリタは自嘲しながら、
「すまなかったな、イリーブ。そしてヴァン。私は最期の最期に大きな過ちを犯してしまった」
最期の言葉を告げる。
「じゃあな」
想いが消えゆく。
アムリタの姿そのものが霞んでいく。
「待って!」
イリーブの声が木霊する。
だが、彼が振り向くことはない。
この世に未練は山ほどあるだろう。だけど、その未練を解消することはできない。だから、もしも引き止めることができるとすれば、それは――
「もう、なにやってるのよ」
未練の大本となる存在しかありえない。
「この……声は……」
アムリタが眼を見開く。
何もなかった空間に、塵のように舞っていた光の粒子が集束していく。
光の集合体は人間の形になっていく。
「誰かが死んでも、それでも誰かが憶えてくれれば心の中でその人は生き続ける。愛さえあれば、ずっと一緒にいられる。そんな当たり前のこと、どうして気がつかないの?」
「まさか――」
アムリタの呟きの続きを、娘であるイリーブが紡ぐ。
「かあ――さん――」
半透明でありながら、まるで生きているように満面の笑みを見せてくれる。
「いえぇーい! 久しぶりぃ! 元気にしてた? 私はみてのとおり幽霊だけど元気モリモリだよっ!」
場違いな明るい声。
この、どうしようもなく空気を読まない感じは、間違いなくエリアラだ。
死んだはずの彼女が生き返るはずがない。
つまり彼女は、アムリタと似たような存在。
「残留思念体であるアムリタの身体が消えるってことは、過去の記憶が空気中に散布されているということ。本来なら、溢れ出すだけで終わる。だけど、気絶しているイリーブの無意識なに発している『破壊針』によって、顕在化が固定化された。それによって、『メモリーダスト現象』よりも鮮明に過去の人格が反映されている」
「もうっ!違うよ! 相変わらず理屈っぽいね、ヴァン君は。こんなの、ただの奇跡で、ただの愛だよ」
ふざけて話すエリアラが、スッと表情を変える。
「あなたがずっと私のことを憶えてくれたから、私もこうしてみんなの前にもう一度姿を現すことができた……ありがとね……」
「エリアラ……だけど……俺は……」
「うん、最悪だね」
一拍も置かずに、アムリタをバッサリと斬る。
こういうところは、本当に生きていても死んでいても変わらない。
「あなたの中に私はいたから、あなたがどんな間違いを犯したのか全部分かっている。許されることじゃない。……だけど、死んだ大切な人達の想いの大きさや、そのため犠牲にしなければならない人達への罪悪感、ヴァン君たちとの戦いでの葛藤。それから、どれぐらい私のことを想ってくれていたのかも全部、ぜーんぶ分かっちゃったから。だから、これ以上は私からはあんまり言えないや……」
「エリアラ……」
何も言えなくなったアムリタ。
瞳からは透明な色の水が流れている。
「まっ、それはそうとして」
くるりと、こちらに首を傾ける。
「ねえ、ヴァン君」
「え?」
「首から下げているその指輪のこと、全然知らないんでしょ?」
「ああ、これはその、イリーブから奪い取った奴で……」
なんだ、いきなり。
唐突な話の振り方に動揺する。
が、アムリタとイリーブはそれ以上に動揺しているようだった。
「ま、待て! エリアラ、それは!」
「そ、そうだよ! かあさん!!」
この異常な反応は、何かを知っている。
まだヴァンが知らない指輪の秘密について、ここにいる三人は知っている。
完全に仲間外れにされている。
「もうっ、二人して。いいじゃない。だってさ、アムリタさんが指輪を取り戻す試練を与えたのは、ヴァン君を試すためだったんでしょ? 本気で強奪しようと思えば、その機会はいくらでもあったのに、それをやらなかったってことは、心のどこかじゃ認めていたんんじゃないの?」
「勘違いだ。俺はそんなこと微塵も考えていない。ドーラの森で大切なものを奪ったのは、イリーブを誘き出して、過去の改竄のための仕掛けをするためだ! それ以外の意味はない!」
「何の話だ……?」
ひた隠しにしている。
アムリタとイリーブは、ヴァンにこのことを知られたくないようだ。
エリアラが暴露しようとしているのを、必死で止めようとしているようだ。
一体なんのことか、見当もつかない。
「だからね。あなたのその首に下げている指輪と、イリーブが指に着けているそれはね――」
もじもじと、指をつきあわせると、
「私とアムリタさんとの結婚指輪なの」
エリアラは顔を紅潮させる。
「は?」
もっと重要な話かと思ったが、これはただの惚気の類か。
何故、そんなことを隠していたのだろう。
「お揃いの指輪って言ったら、それぐらいでしょ。それをイリーブとヴァンくんの二人が持っているってことは……そういうことでしょ?」
二人の結婚指輪を受け継いだ。
そうか、そういう意味にとれるのか。
受け継いだのは物だけじゃなく、二人の関係性も。
と、そういう風にエリアラが深読みしている訳だ。
「イリーブ……知っていたのか?」
「それは……」
イリーブは何か言おうとしているようだが、失敗する。
どうやら的確な言葉が出てこないらしい。
問い詰めたかったけれど、ブワッとエリアラの身体の構成物である光が眩く。
「……最期に成長した二人のこと見られてよかった。ちゃんといい子に育っているみたいで安心した。――これで私も安心して逝けるね」
いや、エリアラだけではない。
アムリタの肉体も光に包まれる。
蝋燭の火が消える刹那、より燃えるみたいに光が強くなる。
「おかあさん、おとうさん、逝かないで!!」
イリーブが泣きながら絶叫する。
だが、エリアラはあくまでも穏やかな表情をしている。
「大丈夫だよ。本当の意味で死ぬわけじゃないから。心の中に私のことを住まわせてくれたら、私は生き続ける……。だから、イリーブ。お願い……。最期は泣き顔じゃなくて、笑い顔でお別れしよう」
「………………うん」
滂沱の涙を流しながらも、唇を震わせながらゆがめる。
無理をしているのが分かる。
そして、アムリタはこちらを見やって、
「ヴァン」
小さく、だけど胸まで響くかのように名前を呼んで、
「娘を頼む」
噛みしめるみたいに言葉を紡ぐ。
「あんたが、そんなこと言うなんて……。あんたが、俺にそんなこと頼むなんて……らしくないだろ」
ポロリ、と一滴でも涙を流してしまって、もうおしまいだ。
あのアムリタが泣いているのを見て、もらい泣きしないはずがない。
もう、どうしようもなく決壊する。
涙が溢れて、止められない。
「俺は消えてしまう。だから、お前が俺の娘を守れ。お前にしか頼めないんだ。俺の、俺の――」
景色が一瞬真っ白に染まる。
「たった一人の息子にしか」
そのたった一言に、胸をうたれる。
だから、今まで一度も言わなかった、あの言葉を言おう。
息子だからこそ言える言葉を。
「『とうさん』」
その、四文字を言うだけで涙の勢いが強まってしまう。
「……死んでもその約束守るよ」
「そうか……」
大切なものを失ってしまった。
だけど、別の大切なものができた。
それなのに、また失ってしまうなんて――。
でも、最期の願いを聞き入れたい。
お別れの時ぐらいは、どれだけ涙を流していても笑っていたい。
「じゃあね。――二人ともお幸せに」
そうして、まるで明日また会うかのような気軽さで手を振ったエリアラと、アムリタは、光の中に包まれて霧消してしまった。
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