第25話 旧友の会合

「はっ!」

 瞳を開くと、そこに見えたのは白い天井。

 全身が痺れるような痛みに蝕まれている。あの戦闘からどれだけ寝ていたのか。

 身体に叱咤激励して起き上がると、ここがどこなのかが分かる。

 保健室だ。

 長い布によってベッドがしきられているため、他の人間に寝顔を見られることはない。――椅子に座っていたポーラをのぞいては。

「やっと起きてくれましたか――」

 目尻を垂れさせながら、


「ドフレン先輩」


 と、懐かしい響きで呼称する。

 学生時代、一つ下の後輩であるポーラによくこうやって呼ばれ続けていた。

 こんな偏屈な自分のことを慕ってくれた数少ない一人だったが、当時は煩わしく感じた。だから相手にしなかった。自分の後ろを小走りでついてくる奇特な奴だった。

「凄い音がするから、向かってみれば先輩が倒れていたから驚きました。だめですよ、子どもみたいにはしゃいだら。学生時代とは違って私達は教育者になったんですから。生徒のお手本にならないといけません。指導するにしても、もっと温厚なやり方があったんじゃないんですか?」

「その呼び方、生徒の前ではやめた方がいい。しめしがつかない」

「大丈夫です。みんな熟睡していますから」

 どうやら、本当にここにいる生徒は熟睡しているようだ。

 それだけ、襲った魔導士が強力な魔法をかけたということか。

「……どうして僕が生徒に指導したと?」

「だって、先輩が倒れるぐらい頑張ろうとするのって、きっとヴァンくんか、イリーブさんのことじゃないかなって思って。そして私の予想だと、ヴァンくんが今回問題を起こした人じゃないんですか? そこまで実力行使にでたってことは」

「指導するのに僕は贔屓などしない。厳しくするにしても、あいつが問題児だからだ」

「贔屓していますよ。彼が入学してから、ずっとヴァンくんのことを気にかけてたじゃないですか。今回の件だって、ヴァンくんが傷つかないように、止めようとしたんですよね?」

「……さあな」

 見知った相手だと、やはりやりづらい。

 生徒からはよく嫌悪感を孕んだ視線をもらう。

 それに慣れきってしまっているせいで、その真逆の視線をもらうとどこかむず痒い。

「お茶です。飲みますか?」

「ああ」

 付き合いが長いから好みが分かっている。

 舌が火傷しそうなぐらい熱く、そして眉間に皺が寄ってしまうぐらいに渋いお茶だ。

 ゆっくりとお茶を飲んでいく。

「本当は大切に思っている癖にそうできない先輩、全然あの頃と変わってないです。だから、サテラちゃんにも、いつもそうやって不器用な対応ばかりするから先輩の気持ちが伝わらなかったんですよ」

 サテラ・アナザーヴレイド。

 ヴァンの母親だ。

「僕の気持ち? 確かにあいつは鈍感だったからな。おとなしそうな顔をして、子どもみたいな冒険心を持つ奴だったからな。こっちがどれだけ心配したって、いつも危険なことに首を突っ込んで、それに巻き込まれるこっちの気持ちを全然分かっていなかった……」

「あはっ、そうじゃないですよ。そういう意味じゃなくて、もっとかわいらしい意味です。先輩がずっと……」


「ずっと、サテラちゃんのこと好きだったって意味です」


「ゴボォッ!!」

 盛大にお茶を噴き出す。

 こいつ、このためにわざとお茶を差し出したわけじゃないだろうな。

「ゲホォッ! ゴホッ! なに……言って……」

「またまたー。先輩の気持ちに気が付いていなかったのなんて、サテラちゃんぐらいなものですよ。レイズくんもあまり察しがよくなかったけど、それはドフレン先輩が教えてくれたんじゃないですか?」

「……あー、少し落ち着いた。…………何のことを言っているさっぱりだ。君はいつもそうだな。男女が一緒にいれば、それだけで恋愛感情が発生する。そんな短絡的な思考に憑りつかれている」

「むっ。いけませんか? ずっと傍にいるってだけで人を好きになるのって。先輩はいつも恋心と理論を結び付けようとするから、未だに結婚していないんですよ。心の頭は切り離して、もっと強引にアタックしていたら可能性あったかもしれないのに……。私みたいに影から見ているだけだから、そんな……」

「未だに独身のお前に言われたくないな。少しは男を探したらどうだ? 生徒にも人気あるだろう」

「私よりも一回り以上年下の異性なんて、子どもにしか見えませんよ。それに、私は年上好きなんです。傍にいて落ち着けるような人が好きなんです。何年でも、そして何十年だって……」

 意外に理想像のようなものはしっかりとあるらしい。

 あまりそういうことを考えたことがないから、ドフレンにはわからないが。

「へぇ。見つかるといいな」

「……先輩はそんなんだから……」

「おい! ぼそっと言うな! ぼそっと! 聴こえてるぞ!」

 先輩はそんなんだからだめ、独身恥ずかしい! とかそういうことを言おうとしたに違いない。サテラと違ってこっちは鈍感などではない。だから、その程度のこと簡単に推察できる。

「あの頃、私達が六人でいた頃がずっと続けば、どれだけ幸せだったか」

 ポーラは飾ってあった写真立てを手にする。

 そこには、レイズ・アナザーヴレイドとサテラ・アナザーヴレイド。

 それから、アムリタ・メビウス、エリアラ・メビウス。

 そしてここにいるドフレン、ポーラの計六人が写っていた。

 自分とポーラが少しばかり離れて写っているのが、そのまま親密度を表している。

 まさかあの頃は、レイズとサテラ。それからアムリタとエリアラの二組が結婚。そしてその子どもの教育指導を自分がするとは思わなかった。

「もう昔の話だ。昔幸せだったことを思い返すより、今どうやって幸せになろうとするかの方がよっぽど重要なことだ」

 過去に浸るのは心地いい。

 だけど、今は身体を引きずってでも、子ども達の未来を守らなければならない時なのだ。

「行くつもりですか? 本気でまたヴァンくんと戦うつもりなんですか?」

「僕が止めなきゃ、ヴァンは、自分の父親と戦わないといけないんだろ?」

「気が……ついていたんですか」

「気がついていたんじゃない。気がついたんだ。お前の態度で。七年前からずっと避け続けてきた昔の話を持ち出すなんてことすればすぐにな。それに、お前が診断したにしては少なすぎる情報提供のせいで、誰を庇っていたのかってことぐらい気づくさ」

「私は、先輩を行かせたくないです! だって……私は……私はヴァンくんがやろうとしていることが間違ってないって思うから……。それに……先輩にはもう、傷ついて欲しくないんですっ!! だから――」

 ポーラは涙を流しながら、縋るように服を掴んでくる。

 行かないで、と。

 かつての友人をその手で殺しに行く覚悟を持つドフレンのことを止めるために。そんなものは誰も望んでいない、と。だけど、


「それでも、僕が行かなくちゃならないんだ」


 理解されなくてもいい。

 手を汚させまいと止めたヴァンに、恨まれることになってもいい。

 それでも、大人の責務をしっかりと果たさなければならない。

「図書館深部まで行けば、異常が発生した洞窟まで近道になる。あそこの抜け道を使えばきっとまだ間に合う」

 速くいかなければ……。

 子どもの出る幕などない。こんな悲しい事件は、大人が解決すべきことなんだ。

「今も傷ついている奴がいる。そいつを助けなくちゃ、僕は先生になった意味がないだろ」

 旧友と戦うことが辛いからといって、ヴァンのことをこのまま見捨てていいはずがない。そんなこと、あいつが――レイズが生きていたら、絶対にするはずがない。

「でも――」

「待て。……これだけ大きな声を出しているはずなのに妙に静かだな。まさか――」

 カーテンを引き千切る勢いで横に引く。

 だが、そこには誰もいなかった。

 ここには生徒が眠っているはずではなかったのか。

 あるのは、壁の残骸だけ。

「これは……」

「私達が話している最中に、壁をパズルにしてこっそり抜け出したの? でも立っているのもやっとの状態でいったいどこに……」

 壁をパズルにして壊した奴だけではない。複数のベッドがもぬけの殻になっている。自分達の実力も把握しきっていない子どものやることなら、最悪の事態を連想できてしまう。

「僕達の話を聴かれていたとしたら……行き先は……まさか――」

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