第24話 時間の跳躍

「はっ!」

 ガバッ、とヴァンは起き上がる。

 意識を取り戻して、かけてあった毛布がずり落ちる。手に反発する感覚。これは、ベッドだ。いつの間にかベッドに寝かされていた。

 静謐とした空気の保健室。――ではない。

 見覚えのあるものが転がっている。棚とかベッドの配置まで知り尽くしている。いつもここでヴァンは生活している。そうだ。ここは――


「俺の部屋だ」


 ばかみたいに静寂を保っている。

 あれから、どうなった。どうして自分の部屋で寝ているのか。自分の動いた覚えはない。つまり、誰かがここまで運んだということだ。

 しかし、この世界は、はたしてヴァンが知っている世界なのか。もう、アムリタの手によって改変された世界なのか。そもそも、改変した結果。ヴァンの記憶は残るのか、それとも残らないのか。それすらも分からない。

 ここが学園の、自分の部屋であることだけは分かる。しかし、何かが違う。違和感がある気がする。

「そうだ。傷がないんだ……」

 折られたはずの右腕だけではない。

 全身の傷や、服の破れた個所、汚れなどが一切ない。かといって、服は新品というわけではなく、着こなした感がある。



「うっ……私……」


 ビクゥ、と飛び跳ねる。

 何故なら、自分以外の声。しかも女性の声が、何故か同じ布団の中から聴こえた気がするからだ。布団は、人一人が隠れているかのように、もっこりと隆起を描いている。

 まさか、まさか、と胸がざわつきながら、ペランと布団をめくってみる。


 そこには目を剥いて、覚醒しつつあったイリーブがいた。


「…………………………えっ?」

「待て待て待て。な、な、なんでこんなところにイリーブが。今までのは全て夢だったのか? だとしたらいったいどこからが夢だったんだ」

「き――」

 バアァンッ!! と、叫び声を上げようとするヴァンの声を両手で塞ぐ。

 多少痛いだろうが、こっちには気遣う余裕などない。

「んっ! んんっ! んんんん!」

 くぐもった絶叫が聴こえるが、どうしよう。この状況に陥れたのはいったい誰だ。全く記憶がない。責任とか、どうやってとればいいのだ。いったい記憶がない間にどんな過ちを犯したというのか。

「なんか勢いで口封じたけど、これってやばいんじゃないのか。この状況を誰かに見られたらそうとうやばいことになるんじゃ。今度こそ一発で退学になるんじゃないのか……」

 コツン、コツンと最悪のタイミングで足音がする。

 部屋の外からここに近づいてくる音がする。

「やばいッ! 誰か来たッ!」

 鍵をかける余裕もなく、イリーブの口を塞いだままベッドの下に転がる。

 ん、んんんん! と抵抗する彼女に、わるい、黙ってくれ、頼むからと懇願する。

 まさかこの部屋に乗り込むはずはないよな、と思っているとノックもなにもなしに、いきなり人が入ってくる。そいつは、

「クソッ!」

 と、悪態をつきながら、ベッドに座り込む。……誰、だ? 聞き覚えのある声をしているが、この部屋にノックもなしに入ってくるような友達などヴァンにはいないはずだ。

 恐る恐るといった様子で、ベッドの下から覗きこむ。

 鏡に反射したその姿は――

「――へ――んぐっ」

 声を上げようとするヴァンの口に、今度はイリーブが手を当てる。喋るな、とでも言いたげ首を振る。お互いがお互いの口を塞ぐこの異様な光景。だが、ベッドの外にはもっと異様で奇妙なことがおこっている。

「このまま待っていられるかよ。あいつが……俺の妹が……誘拐されたんだぞ」

 この台詞そのままを聴いたことがある。

 というよりは、言ったことがあるといった方がいいか。

 落ち着きない侵入者は、そそくさと部屋を出て行った。足音を確認するまでもない。もう、あいつはここに帰ってこないことをヴァンは知っている。

「どうなってるんだ。あれは、あいつは――」


「俺自身だった」


 実際起こった出来事を追体験している。

 まだ夢の中にいるのか。

「そんな……まさか。この現象は……。この『特異魔法』を使えるのは……」

「イリーブ、お前何か知っているのか?」

「……私はどうなったんですか? 誰かに襲われたあとの記憶がないんですけど」

「お前は……その、アムリタに襲われたんだ。そしてドーラの森の洞窟まで攫われていたんだ。そしてアムリタはお前の『破壊針』で七年前の事件をなくすとか言っていた。俺はそれをとめるために動いたんだが、なにもできなかった……」

 言っていいものか一瞬ためらったが、イリーブは意外に平然としていた。

「そう、ですか」

「……驚かないのか? アムリタがやろうとしたことを」

「お父さんがずっと母さんが死んだことで思い悩んだことは知っていましたから。正直、犯人はお父さんじゃないかって思ってました。だけど、本当の問題はいったい誰が私達をここに運んだかってことです。……心当たりは?」

「知らないっ! 俺だってさっき起きたばかりなんだ。ここまで運んできたのだって――」

「すいません。声をもっと潜めてください。ここからは慎重に行動しないといけないんです。もっと確認したいことがあるんです。ここで誰かに見つかると厄介なことになる」

「わかった。もっと声を抑える。だけど、まずはこっちから質問させてくれ。さっき俺の部屋から出て行ったのは誰だ? 俺みたいだった。あれは俺に変身した誰かなのか? 変身魔法の『特異魔法』なんてあってもおかしくはないが、イリーブは分かるのか?」

「あれは、正真正銘ヴァン・アナザーヴレイドという人間です。正確にはあなたが、洞窟へ向かう少し前のあなたです」

「……悪い。言っている意味が分からない。どういうことか簡潔に言ってくれ。あれが俺だって?」

 起きたばかりで、突拍子もない話についていけない。

「あれは、過去のあなた自身って言ったんですよ。つまり私達二人は――」


「未来からこの過去へ『時間跳躍』したんです」


「じ、『時間跳躍』だって? そんなこと……」

「私の『特異魔法』だったら、それができるはずです。魔力の増大する魔法陣を使えば、それが……。だけど、使ったのは私じゃないんですよ」

「……どういうことだ?」

「私が『特異魔法』を使ったとした、その魔力痕跡が私の身体に必ず残るはずなんです。だけど、それがまるでない。つまり、私以外の誰かが私の『特異魔法』を発動したことになる……。もしくは他の『特異魔法』で、『時間跳躍』をしたことになるんですが、それについての心当たりが私には……」

「いや、俺にはある。お前の『特異魔法』を扱える奴が」

「違うんです。私の父親が使ったとしても、私の身体を介して『特異魔法』を使ったはず。その魔力痕跡が残らないはずがない。だから、私でも父親でもない第三者が『時間跳躍』をしたはず。いったい……誰が――」


 ドゴォオオオンッ! と、近くから何かが倒壊するような爆音が響く。


「なに、この戦闘音……?」

「ああ、これ、多分、俺がドフレンと戦っている音だ……」

「ど、どうしてあの人と戦っているんですか? う、ううん。今はそれどころじゃない。時間がない。とにかく今は走りながら話します!」

「お、おい!」

 ガシッ、と不意打ちで手を握られる。

 そっちは平気なのかもしれないが、こっちはやはり高揚してしまう。

 そのまま手を引かれて、部屋の外へと勢いよく出る。

「どこ行くんだよ?」

「戦闘音と反対方向に行くんです。このままじゃ過去のあなたと鉢合わせしてしまう」

「はあ? なんでだよ。ここで過去の俺を手助けすれば、もっと楽に勝てる。無傷でドフレンを止めることができるんだよ」

「ふざけないでください! あなたはドフレンとの戦いの時にあなたそっくりの人物を見ましたか?」

「いいや、見ていないけど……」

 一応思い返してみたが、自分どころか他の人物とも顔合わせなどしていない。

「だったら、この道で正解です。仮にあなたが過去の自分を助けに行こうとしたとしても、それは徒労に終わります。それが『歴史の強制力』っていうやつなんです。過去を変えることははっきり言って不可能に近いんです」

「なっ――。だったら、どうしてアムリタは過去を変えようとしていたんだ?」

「父さんほどの魔導士ならば可能です。だけど、過去を変えられたとしても、そのせいでもっと最悪の未来が描かれるかもしれないんです。死んだ人間数十万人を救おうとすれば、他の数十万人の人間の生きていたはずの人間が死ぬかもしれない」

「つまり、人を救っても、起きるはずだった惨状が誰か見知らぬ人間へ肩代わりするだけなのか?」

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないんです。ただ、それだけ過去を改変するということは危険なんです。だから私達はできるだけ本来の未来に逆らわずに行動しないといけないんです。誰にも見つかってはならない。ここに送り込んだ人も、きっとバタフライ効果を恐れて、できるだけひずみのでない半日以下の『時間跳躍』で私達を飛ばしたはずです」

「確かに、みんな部屋にこもっている今なら、誰にも会わずにすむかもしれないけど、このままじゃどんどん目的地から遠ざかってる。学園の奥に進んでいるじゃないか。窓から飛び降りればいいんじゃないのか?」

 ヴァンの『水泡に帰す部屋』を使えば、なんとかなる気がする。

「恐らく、正規のルート以外は無数の『魔動監視小型ヘリ』が上空を滑空しているはず。だからこそ、ドフレン先生は悠々と真正面から待ち構えていたんです。だから、先生達の裏をかく必要があります」

「結局、どこに行くんだよ!?」

「それは――」


「図書館深部。そこに誰も知らない秘密の抜け道があります」

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