第21話 再びの人生

 洞窟倒壊跡地。

 ドフレンを打倒して、ここに来れば何か手がかりの尻尾を掴めると勇み足できた。

 だが、それは間違いだった。

「なんだ……これ……」

 手がかりどころの話ではない。

 倒壊したはずの洞窟は、完璧に復元されていた。

 それが、あまりにも不気味。

「元通りになっている。まるで、何事もなかったかのように……」

 暗がりの中。

 最初に来た時よりかは迷わずに奥底へと進んでいける。

 進むべき場所はきっと、あのオルトロスがいたところ。

 あそこにたどり着けば、きっと何かが分かるはずなのだ。

「あれは……」

 誰かが倒れている。

 やはり、復元されている魔法陣。

 しかし、今度は最初から光を放っている。

 この前とは段違いの眩さ。

 その魔法陣の中心に、顔の見えない角度で横たわっている。走って近づくと、それは……

「イリーブッ!」

 首筋に手を当てる。どうやら脈はあるようだ。胸が激しく上下していて、呼吸は多少乱れているようだが、無事には違いない。ここまで誘拐した奴がどうして近くにいないのかは分からないが、今が千載一遇のチャンスだ。


「ヴァン……か?」


 後方から投げかけられた声。

 バッ、と振り返るとそこにはアムリタがいた。

 まさか、アムリタまで誘拐されたのか。

 それとも、ヴァンと同じくイリーブを助けに来たのか。

「……逃げろ……速く……」

「なにがあったんだ? 誰に襲われたんだ?」

「分からない。俺には何も分からなかった……。だけど、俺達はもう手遅れだ。身体が動かないんだ。なにか……身体にされた。俺達のことは置いて速くここから逃げろ……。あいつには、あの化け物にだけは誰も勝てない……」

 アムリタでさえここまで怯える相手。

 いつまたその化け物とやらがここに帰ってくるか分からない。

 アムリタを見ると、どこかしこもぼろぼろだ。

 自力で走るのは不可能だろう。

 イリーブは意識を喪失しているから、おぶることになる。もう一つお荷物を抱えて逃げるのは、生存確率を一気に引き下げることになる。だけど、

「見捨てられるわけないだろ! 肩に掴まれっ!」

「……馬鹿が。さっさと逃げればいいものを……そうすれば――」

 かすれた声で懸命に何かを伝えようとする。


「お前を殺さずにすんだのに」


 深淵の闇から鉤爪が襲ってくる。

 ザグンッ! と五本の爪によって身体に裂傷が刻まれた。

「……ったく。あと少し……あと少しで儀式は完成だったのに。とんだ邪魔がはいったものだ……。しかし、ドフレンか、ポーラあたりが立ちはだかるかと思いきや、まさかヴァンがくるとは思わなかったな」

「な――ん――で?」

 訳が分からない。

 どうしてアムリタに襲われているのか。

「あぁ? なんでっていうのはどういう意味のなんでだ? どうしてお前を殺そうとしているのかってことか? それとも俺が自分の娘を連れ去ったことか? ――それとも――」


「たくさんの人間の精神を操ったことか?」


「精神を……操った?」

「これはこれは。本当に分かっていないみたいだな。それとも、分からないふりをしているのか? 俺が全ての元凶で悪党だ。少しは理解したか? 俺の悪性を傷ついた身体で実感しているか?」

 自分の娘を誘拐したのか。

 魔法陣を使った儀式ってなんなんだ。

「どうして、イリーブを誘拐したんだ?」

「んん? そんなもの利用するために決まっているだろ。こいつの『特異魔法』を使えばなんだってできる。そう、全てをやり直すことだって――」


「七年前の地獄をなかったことにだってできる」


 思わず、耳を疑ってしまった。

 これだけ大掛かりなことをしているのだ。

 嘘や冗談の類は口にしないだろう。だが、にわかには信じられない。

「あいつにそんなこと……」

「ああ、イリーブにはできない。あいつは未成熟な魔導士だから……。だから俺の『想造手ゴッドハンド』で、あいつの『心』を『支配』すれば可能だ。俺だったらできるんだ。俺だからこそ、あいつの心を支配し、『特異魔法』を支配する。俺だったら完璧にあいつの『特異魔法』を使いこなすことができるんだよ。そうすれば、七年前に時計の針を戻して、全てをチャラにできるんだ」

「そんなことが……」

「できる。できるように七年前から準備してきた。俺の『特異魔法』がもっとも力を発揮できる朔。……闇がもっとも世界を覆い尽くす新月の日。つまりは、今日こそ、俺の七年の悲願を達成する日なんだ! そのために、この学園の魔法学生には心を支配するための実験体になってもらった。子ども達には悪いことをしたが、どうせそんな過去も全て抹消されるんだ。どうってことないだろ」

 心を支配する実験。

 過去の記憶を掘り起こす副作用で、過去の症状が合併したということなのか。

 でも、そうなると問題が浮かび上がってくる。

「……待て。それは、危ないことじゃないのか。あんたの『想造手ゴッドハンド』を使ってイリーブの心を支配してしまうのになんのリスクもないのか?」

「ああ、なんだ。そんなことか。そんなもの分かりきったことだ。恐らく――」

 なんてことはない些末なことを告げるように、


「イリーブは死ぬだろうな」


 自分の娘に死刑宣告を言い渡す。

「だがそれは、最悪から二番目の結果だ。一番最悪なのはこの計画が失敗に終わること。だが、大丈夫。みんなの尊い犠牲のおかげで確実に成功できる。運が良ければ、イリーブも死ななくてすむかもしれないが、まあ、生きようが死のうがどうでもいいことだ。どうせ、全てはなかったことになるんだからな」

「俺の父親や母親とも会えるのか……」

「ああ、そうだ。邪魔をするかと思ってさっきは不意打ちしたが、ここまで事情を説明したお前になら分かってくれるだろ? 理不尽に大切なものを奪われた俺達だったらきっといい理解者になれる。あと、少しばかりの犠牲を払えば、全てを取り戻すことができる。人生をやりなおそう。やりなおせない人生なんてないんだ」

 父親や母親だけじゃない。

 あの時死んでしまった、たくさんの人間を救えることができる。

 顔も分からないほどグチャグチャに溶けてしまった人達の元気な笑顔をまた見ることができるんだ。

 ご近所づきあいしていたメビウスの家の人達とまた一緒に食事をしよう。

 美しい花が咲いた庭で、青葉の香りを嗅ぎながら談笑しよう。

 味音痴だったうちの母親が砂糖をふりかけて食事を台無しにしようとしたり、抜けているところがあったうちの父親が一番大切な肉を忘れたり。

 それを察してメビウスのところの母親が用意周到に準備していて。その隣にはイリーブとアムリタが笑っている。

 あんな当たり前で黄金色に輝いていた日々を取り戻せるなら、どんな手段を使おうとも取り戻したいと思う。

「……うん。あんたの言うとおり、きっとやりなおせるよな。人生ってやつは」

「ああ、そうだ。だから俺と一緒に再びの人生を――」


「でも、やっぱり嫌なんだ」


 人生はやりなおすことができる。

 けれど、人生を繰り返すことは違う。

 失くしてから初めて気がつけたのだ。あの尊さを。それをまた自らの手で放棄しようとするのは、絶対に間違っている。

「あんたにとって今一番大切なものってなんなんだ? もう死んでしまった人達じゃなくて、今生きている自分の娘なんじゃないのか。娘を殺したら、あの時と同じ想いを味わうことになるんだぞ!」

 あんたのためにも、あんたを止めたい。

「それはこっちの台詞だ。俺を今止めたら、あの時と同じ想いをすることになる。助けられる命を見捨てるのか? 俺を今止めれば、お前は自分の親を殺すことになるんだ。それでもいいのか?」

「親殺しになるとしても……俺は、今大切だと思うものを守りたい! 二度と失いたくない大切なものなんだ。死んでしまった家族を俺は守れなかった。だからこそ、今度は守り切りたい。それがたとえ、あんたと戦うことになったとしても!」

 自分の親を殺すことになったとしても、自分の妹は見殺しにはしない。

 それがヴァンの答えだ。

「大切なもの――だと?」

 アムリタは嘲笑するように、

「俺は『想造手ゴッドハンド』で貴様の全てを曝け出した。だが、お前にとって大切なものは過去の幻影だった。お前が俺を否定するのか? 顔もよく知らない者をこの学園まで追い求め続けているだけのお前が、私の娘のことを守るだと? ふざけるな。お前には誰かを大切にすることなんてできない!」

「あんたの『特異魔法』もたいしたことないな……。心の表層しか感じることができないのか。俺があいつのことを大切にできないって。そんなことあるわけないだろ。だって、俺は――」

 妹のことを。


「イリーブのことを愛しているから」


「他人なんかが簡単に覗けない『心の奥底』で、そう思い続けてきたんだ。何もかも失ったと思った七年前。あの時俺はみっともなくイリーブに当たり散らした。あいつのせいなんかじゃないのに、付き纏ってくるあいつの相手が面倒だった。視界から消えていろみたいな最低な台詞をたくさんあいつに浴びせてしまった。あいつだって、自分の母親が死んでしまって辛かったはずなのに、追い打ちをかけてしまった。それを今でも悔やんでいる……」

「……なんだ、ただの後ろめたさで愛していると言っているのか? お前ともっと近い存在。お前のもっと傍にいるというなら、チギリがいるだろ。お前がそうやってイリーブを傷つけてしまったせいで、イリーブはお前から離れてしまった。それでどうして娘のことを愛しているといえるんだ?」

「あいつは、確かにいつも傍にはいなかった。だけど、いつだって近すぎず、遠すぎない場所で俺のことを見守ってくれていた。ちょうどよく、心地よい場所に、あいつはいてくれたんだ」

 いつも見てくれていた。

 視線を感じていた。

 だから、ヴァンは頑張ってこれた。ここまでやってこれたのだ。

 死にたいとさえ思っていた七年前。

 死なないでいれたのは、根気よくイリーブが声をかけてくれたからだ。

 声を掛けずとも見守ってくれていた。

 見守って、守ってくれていた。

「俺はあいつに嫌われている。それでも、俺はそんなあいつを心の底から愛している」

「そのくだらない幻想を持ちながら、お前は死ぬのか? お前は命をかけて俺と戦おうというのか」

「命なんていくらでもかけてやる。忘れたのか? 俺は妹のパンツのために命を懸けた男だぞ」

 兄が妹のために命をかけるのに理由なんていらない。

 愛する人のために命をかけるのにも理由なんていらない。


「だからおとうさん。娘さんを俺にください」


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