第17話 恩人の正体

 図書館の地下書庫。

 図書館深部。

 そこは本来二年生の立ち入りが禁じられている禁断の地。

 ひんやりと冷たい空気が漂っているのは地下だからというわけではない。

 きっと、貯蔵されている本から放たれる、嫌な空気があるから。

 人を呪い殺す本や、国家機密級の本まで。

 焚書されるべき禁書が数えられないぐらいある。一階の本棚よりも貯蔵量が多いせいか、きちんと並ばずに、斜めに適当につっこまれている本もある。

 ヴァンも、その膨大な本を読み漁っていた。

 目的の本を探すだけで、一日を要した。

 創立から今までの卒業生に関する生徒情報が載っている本が、ずらりと年代順に並んでいた。その中から命の恩人が載っている可能性がある、ここ数年の卒業生の情報を何度も読み返した。だけど、

「……見つからない。どこにもいない……」

 本は見つけた。だが、肝心の彼女がどこにもいない。

 パラリ、と横で優雅に本をめくる音がする。

 われ関せずとばかりにリードは、分厚い本を読んでいた。

 なにやら『魔力と月の満ち欠けとの関係性』とかいうタイトルのやつで、ちょっと読んだだけで頭痛がしそうなぐらい小難しそうな文章だった。

 相変わらず、よく分からない本が好きみたいだ。

「そもそも、ヴァンさんの命の恩人とやらの顔は覚えているんですか?」

 リードは本から目をそらずに、器用に会話する。

「いいや、まったく覚えていない。あの時は意識が朦朧としていたからな。でも、見れば絶対に分かるはずだ。あの時のあの人だって」

「そうですか? 人間の記憶なんて曖昧ですからね。仮に目を通しても分からないかもしれないですし、それに、もっと最悪なことだってありえます」

「……最悪なこと?」

「『既に死んでしまっている』――だから、卒業できていない」

「まあ、そういう考えもあるな……」

「あれ? 意外ですね。もっと怒るかと思ったんですが」

「なんだよ。怒って欲しかったのか? あの人が死ぬわけがないって信じているんだよ。心の底からな。――それに、なんとなくリードに怒ろうとする気がしないんだよな。けっこうひどいことを色々言われている気がするんだけど」

「どうしてですか?」

「だから、なんとなくだって。強いて言うなら、リードは悪気があって悪口を言っているんだろ? だからかな」

 ピクン、と本をめくる指が淀む。

「それって、自分で言うのもなんですが最悪じゃないですか」

「最悪だけど、最低じゃないって気がする。悪気がなくて悪口を言われることが多いせいで、リードの反応は新鮮なんだよ。なんか悪者ぶっている感じがかわいいよな」

「かっ、かわいい!?」

 からかったのが気に喰わかったのか、凄い顔だ。

 怒ったような表情だが、ようやくこっちを振り向いてくれて嬉しい。やはり、目線を合わせてくれないと会話している気にならない。

「もう、いいですっ。どうせ、ヴァンさんの命の恩人とやらは、転校でもしたんじゃないんですか?」

「転校……か。ありえるな……。本に書いてあるのは卒業生だけだし……。調べられるのは、ここまでか……」

 落胆の色を隠せずに俯いていると、


「ドフレン先生に訊けばいいんじゃない? あの人ここの卒業生らしいし」


 ネクトが机に肩肘をつきながら、チラリとこちらを見てくる。

 こっちも本を読みながら話しかけてくる。あれはきっと、二年生まで閲覧禁止図書となっている恋愛小説なのだろう。いったいどんな過激なやつなんだろうか。ちょっと離れているために視認できない。

 ネクトがいなくなってから、こっそりどんな内容の本なのか盗み見してみようか。

 ……というか、いつの間にいたのか。

 ネクトはたまにこうやって話かけてくるのだ。

 特にこちらのことを手伝ってくれるわけでも、邪魔をするわけでもない。

 ただ話しかけてくるだけ。

 謎だ。

 図書館深部は他の閲覧者がほとんどいない。貸切状態に近いことをいいことに、なし崩し的に彼女といつも談笑している。

「なあ、さっきから気になってんだけど、なんであの人ここにいるの? 座るなら他にも席あるだろ。それともあれだけ犬猿の仲だったのに、お前らもうそんなに仲良しなの?」

「違いますよ。私はあの人みたいに友達いっぱいいて、自信たっぷりな人苦手なんです。狭いし、速くどこかに消えて欲しいんですけど」

「おーい。聴こえてるよ。こんな至近距離でこそこそ話していても聴こえるって。分かっててやってるー?」

 ネクトが冗談っぽく手を振ってくる。

 仕方ない、ちゃんと答えてやるか。

「俺はあの先生に嫌われてるんだよ。何故か、問題児扱いされているんだよ。どうして俺があの先生に眼をつけられているのか、永遠の謎なんだ……」

「あんたが女子風呂に侵入したこと、もう忘れたのかしら?」

 ゴゴゴ、とネクトの背後から強烈な威圧感が発せられる。

 握りこぶしをして、今にも振り下ろされそうだ。

「そ、卒業生っていうんならアムリタもだろ? あの人にもだいぶ昔に訊いたけど、やっぱり知らないって言われたしな」

「だったら、この学園の生徒じゃないっていう可能性が高いんじゃないの?」

「つまり、この学園の生徒じゃなくて、この学園の制服を着ていたってこと? なんでそんなことをわざわざするんだ?」

「――まさか」

 ネクトは強張った表情で、自分の考えを述べる。


「……素性を隠すため?」


 一言だけしか言っていないが、唇を噛みしめる彼女は他にもいいづらいことを思いついたようだ。

「素性を? なんでそんなことを?」

「ヴァンさん。あなた、推理小説が好きだって言ったわね?」

「あ、ああ。言ったけど」

「推理小説で犯人がどうして素性を隠そうとすると思う?」

「それは……犯人が罪を隠すためにだろ。誰だって罰を逃れるために……あ……」

 ある意味死んでしまっているよりも、もっと酷いことを想像してしまっている。そんなことするはずがない。ネクトが言いたいことは絶対に間違っている。

「そんな、まさか、七年前の大災厄は自然現象だ! あの人がそんなことをするはずが……」

 最後まで否定しきれなかった

 言葉を区切ってしまったのは思い当たる節があるからだ。

 何故ならあの時の彼女は、彼女はまるで自分のせいだと言いたげな悲嘆に満ちた表情をしていたからだ。

 そしてなぜか、自分に謝っていたのだ。

 しかし、意外なところから否定の言葉が横入りする。

「私はあの事件を色々と調べましたが、あの大災厄には魔力痕跡はありませんでした。たとえどれだけ巧妙に犯人が犯行を隠そうとも、魔法を使えば必ず魔力痕跡は残るはずです。あれだけ大規模な事件。捜査をした魔導士の数も質も並みではなかったはず……。偽証するのは不可能のはずです」

 リードの情報に、うん、とそれは想定の範囲内というようにネクトは頷く。

「私もそれには同意するわ。なにも私はそんなことを言っているんじゃない。気が付いたのはそういうことじゃなくて……」


「命の恩人とやらの正体よ」


「なっ――ほんとか? ネクト?」

 自分が七年にもかかって探して見つからなかったものを、ネクトはこの数日でつきとめたのか。

「正確に言うと、ヴァンさんの命の恩人と、あなたとの関係性よ」

「関係性?」

「犯人が素性を隠す時は、犯行を隠す場合だけじゃない。犯人が被害者と顔見知りの場合よ。犯人っていう例えが悪かったかしら。犯人ではなく、命の恩人である彼女とあなたは七年前よりも前に顔見知りだった可能性があるわ」

「七年前よりも、顔見知り……!? いや、それは絶対にない。顔は見えなかったけど、声は聴いたんだ。ぼんやりとだけど体格だって知っている。あれは俺の知っている人間じゃなかった。だから今までずっと探してきたんだ」

「顔見知りじゃない? だとしたら、そもそも命の恩人の正体そのものが分からないというより、恩人そのものが……。……そうか。そもそも彼女の顔が見えなかったんじゃなくて、記憶そのものが偽りだったとしたら……。そんな、まさか……。もっとひどいことを私は今想像してしまっている。本好きだからこそ、常人より想像力がありあまっているからこそ、私は最低最悪のことを想像してしまっている……」

 ゴクン、と溜めこんだ唾を呑み込む。

「な、なんだよ。それ? どういうことだよ。最低最悪なことって、なんだよ?」

「忘れているんじゃない。きっとあなたはあの人に記憶を――」


「ヴァンくん!」


 不穏な空気を破ったのは、ここ最近保健室で毎日目にするポーラ先生だ。

 先生は血相を変えながら、駆け込んできた。こんなに慌てている彼女はは初めて観る。

「ど、どうしたんですか? 先生? ここは図書館ですよ? 俺が言うことじゃないでしょうけど私語は――」


 ヴァンの言葉は、衝撃の事実によって打ち消される。

「チギリさんが襲われたの!! 意識不明の重症よ!!」

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