第16話 弱さの強さ

 戦いはひとまず終わった。

 パズルとなった身体や、図書館はネクトが気絶すると同時に元通りになった。

 かなりの速度で修復されて、泡で移動させたものを元の位置に戻す方が大変だった。

 本の虫が正確な場所を把握していたので、なんとか本を直せた。それでもかなりの時間を食ってしまったが。

 もそもそと、ネクトが起き上がる音がする。

「そんな……私は……負けたの……?」

 両手で眼を覆いながら、ネクトは呻くようにつぶやく。

「ああ。意識を取り戻したのか。思ったよりも早かったな。長時間起きなかったら、保健室に連れて行こうと思ってたんだよ。良かった。どこか痛いところとか――」

「――違う」

 髪をゆっくりと掻きあげる。

 違う、違う、違う、と呪詛のように繰り返す。自分を責めるみたいに、今度は髪をぐちゃぐちゃに掻き毟る。

「あ?」

「私はッ、負けてなんかない! 負けちゃだめなの、私は! だって私はエリートだから、パパにそう言われたから! 落ちこぼれなんかに負けたら私はエリート失格で、コールスロー家の家失格で人間失格だって言われたんだ! だから負けてなんかない! そういえば、今日はたまたま体調が悪かった気がする。それに、最初から全開で戦っていればこんな屈辱的に負けなかったんだ! そうだ! だから、私は――」


「お前の負けだよ、ネクト」


 そう言わなければならない気がした。

 そう言わなければ、ネクトが救われない気がした。

「どんな言い訳したってお前は負けたんだ。負けて敗者らしく気絶したんだ。だらしない恰好のまま、その間勝者にあんなことやこんなことをされても文句がいえないほどに。完膚なきまでに負けたんだよ、お前は」

「違う! 違う! 聴きたくない! 私は負けてない!」

 ネクトの手を握る。

 自分を傷つけるみたいに髪を掻き毟るその手を止めるために。

「お前にとっての強さの定義はそんなものか。一度負けたら、それで強さ全てが失われるようなものなのか。本当に強い奴ってのは負けない奴じゃなくて、自分の負けを認めて這い上がれる奴なんじゃないのか」

 完璧な人間なんてこの世にはいない。きっと、パズルみたいに欠けている箇所があるはずなのだ。誰もがどこか欠けていて、その欠けているものを満たすために一生懸命探すのだろう。ぴったり、自分に当てはまる答えというものを。

「父親にどんな強迫観念を植え付けられたのかは知らないけど、負けた奴が本当に弱いわけないだろ。負け続けてきた俺が……お前に勝てるぐらいに強くなれた。だから俺が保証してやる。お前はエリート失格なんじゃない。コールスロー家失格なんかじゃない。人間失格なんかじゃない。お前はただの強い奴だ。これからどんどん強くなれる奴だ。だから、そんなみっともないこと言って自分の価値を下げるなよ」

 弱くてよかった。

 エリートじゃなくてよかった。

 どうしようもなくちっぽけな存在だからこそ、傷ついたネクトの心に寄り添うことができる。きっと、この言葉をネクトに届けることができる。ネクトの笑顔を取り戻すことができる。

「……あなたみたいな弱い奴にここまで言われるなんて屈辱ね。あなたに言われなくたって分かってる。私は強い奴なんだから、この程度で挫けると思わないで。あんたは私の敵よ。だから――今度戦う時は絶対に倒す」

 良かった。

 調子が戻ったようだ。

 ……悪い方向に思考が捻じ曲がってはいるが。

「……元気が出たのはいいことなんだけど、なんでそんな好戦的なんだよ。お前の目的は結局はもっと違うところにあったんじゃないのか」

「いいの。私にはもうどうしようもないから」

「どうしようもないじゃなくて……。お前、とにかく言葉が足りな過ぎるんだよ。どうして、リードをいじめてたんだ?」

「いじめてた? 私が? リードさんを?」

 ポカン、とした表情。嘘をついているようには見えない。

「おいおい。まさか、いじめとは気が付きませんでした。私はリードと仲良くしていただけですとか。いじめの加害者の常套句をのたまうつもりじゃないだろうな」

「そうじゃなくて……いいわ、もうそれで……」

 完全に否定せずに受け止めようとしているのは、負い目を感じているからか。このまま何もつつかなければ藪蛇もでてこない。ネクトを悪者にしてハッピーエンドを迎えるのは、とても綺麗な終わり方だろう。

 だけど、それは何かが間違っている気がした。

「ネクト。お前、女子風呂になにか持ってきてたよな」

「はあ? いまさら何を蒸し返してるの? バラされたいの?」

「そうじゃない。俺がいいたいことはもっと別にあるんだ。……あの時お前が持っていたものが認識できなかったんだよ。あまりにもありえないものだったから気が付かなかった。でも今なら思い出せる。お前が手に持っていて、そして俺に投げたのは……本だった」

 水びたしを防ぐために、わざわざビニールに入れていた。そうまでして読みたかった。お風呂に入る時間はきっと女子の方が長いのだろう。半身浴だってしたいだろう。その長い時間がもったいなくて、本を持ち込む。それぐらい本好きなネクトには、親近感が湧く。

 エリートのネクト……よりも、本好きのネクト。……の方がよっぽど好きだ。

「風呂に持ってくるぐらい本好きなお前が、リードと何度も会っていたんだったら話は簡単だ。俺と目的は一緒だったんだ。お前、本当はただ自分の好きな本を読みたかっただけなんじゃないのか? 図書深部にしかない閲覧禁止図書に用があったんじゃないのか? だから、少し強引なやり口になってしまったんじゃないのか?」

「…………悪い?」

「悪いだろ。もっと自分の気持ちを声に出せよ。本心を曝せよ。そのせいで、俺はあんたに生きたままバラバラ死体にされたんだから」

「……ごめんなさい」

「えっ?」

「なによ、私が謝るなんて意外?」

「いや……意外じゃ……いいや、やっぱり意外だ」

「私だってやり過ぎたって思ったら謝るわよ。『自分の弱さを認めるのが強さ』っていうのはさ、私も一理あると思う。だから、ごめん……」

「あ、ああ……」

 くるりと、ネクトは首を回す。

「リードさんもごめんなさい。私ひどいこと言って、ひどいこともやっちゃったわね。私、どうしても読みたい本があったの。最初からこうやって頭を下げて頼めばよかったんだろうけど、私無駄にプライドが高いから……」

「…………いいですよ、もう。私が出した条件は既に達せられました。これでまた私の平穏な一日になるというなら、それでいいです。お二人には図書深部への扉を解放します」

「おっしやああ!」

 ヴァンはもろ手を挙げる。

 これで、ようやく長年探し続けてきた命の恩人の手がかりを見つけることができるかもしれない。色々と巻き込まれたような気がするが、結果オーライだろう。

「……ああ、そういえば、ネクトが読みたい本ってなんなんだ?」

 図書深部の本となれば、それ相応の危険物であるに違いない。

 リスクを冒してまで眼にしたかったものというのは、いったいなんなのか。

 それが気になって、質問をした。話してくれるか自信はなかったが、あっけらかんとした表情をして、ネクトは普通に答えてくれる。

「恋愛小説」

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