第15話 本棚の重み

「俺の腕があああああああああああ……あ、あ、あ?」

 吹き飛んでしまった腕は、回復の見込みなどない。

 くっつけるにしても、ヴァンの魔法ではどうにもならない。

 なのに、急激に冷静になる。

 なぜなら、激痛が走るはずの左腕が全くもって――

「痛くない。……痛くないし、なんだこれ……パズル?」

 左腕はバラバラに砕かれていた。

 ただし砕かれた肉片は、パズルのような形に切り取られていた。

 切断面から血が噴き出すこともなく、ぽっかりとあるはずのものがない。そんな違和感だけが纏わりつくだけ。ただそれだけで、痛覚は機能していない。

 つまり、ネクトの『特異魔法スペシャリテ』は、いかなるものでもパズルのように分解する魔法ってことか。

「そう。でも、パズルをくっつける余裕は与えるつもりないわよ」

「うわっ!」

 ネクトの蹴りを、後方跳躍して避ける。

 が、背中にくっつきそうなぐらい近くに本棚がある。蹴りは当てるためじゃない、逃げられないように誘導されたのか。

「次はどこをもらいましょうか……」

 迫りくる手は避けられない。だから、

「…………っ!」

 後ろにある本棚を泡の部屋の中に閉じ込めて、無理やりにでも避ける。

 転がるようにして、ネクトの魔の手から逃れる。

「泡をうまく使って避けたわね。……ふん、その戦い方、アムリタ先生にでも教えてもらったのかなあ!」

「あぶねっ!」

 ネクトが踏んでくるのを、必死で避ける。

 パズルになってしまった左腕は、当然動かない。くっつければ直るかもしれないが、戦闘中にできるはずもない。一度でも砕かれた箇所は、もう二度と修復できないという前提で戦った方がいい。

 だが、ネクトの魔法にも弱点がある。

 それは、距離を取ればどうにかなるということ。

 手か、足か。

 とにかく触れたものをパズルのように崩壊させる魔法。幸い図書の本棚はたくさんあって、身を隠すにはちょうどいい。

 ネクトの猛攻によって本棚が倒壊していくが、逃げ場所を確保する余裕は多少ある。

「メビウス家も堕ちたものね。エリートは、エリートの血統の下生まれるもの。それを、才能の欠片もないアナザーヴレイドの血を家に入れるなんて。考えられない。メビウス家からは今後、質の悪い雑種犬しか生まれないわねぇ」

 ピクリ、と肩が反応してしまう。

 淀んではいけない。動きを止めてしまったら、ネクトに掴まる。

 安い挑発だ。

「血統書付きのエリートたる私と、雑種で落ちこぼれのあんたとじゃ、勝負すら成立しないのよ」

 ガクン、と階段を踏み外したように、いきなり足に力が入らなくなった。

 なんだ……? と見下ろしてみると、床がパズルのピースになってしまっている。


「床ごと足場を崩して――!!」


 仮にヴァンネクトの『特異魔法スペシャリテ』を持っていたとしても、こんな大規模な魔法展開などできない。できたとしても、魔力残量は空っぽだ。

 しかし、ネクトにはまだ余力がある。

「こ、これは……」

 図書館の床そのものをパズルにして、まるで蟻地獄のように身体が自然と引き寄せられる。

 ずずず、と大きな本棚をも呑み込んでいく。

 完全に脚が床と同化する前に、前方へと跳躍する。

 狙い通りとばかりにネクトがにやりと笑う。

 だが、攻撃される前に、こちらから泡を飛ばす。

「喰らっとけ!」

「ふんっ」

 そこらに転がっていた椅子を投擲してくる。

 ネクトにぶつける前に、投擲された椅子にぶつかって弾ける。

 泡の部屋からは、分厚い本が強制的に退去させられる。

「あんたの『特異魔法スペシャリテ』なら既に見切ったわ。物体を内包する泡か、それともただの泡か。どちらを飛ばすにしても、私に当たる前に何かをぶつけさせれば無効化できる」

 その通り。

 泡が当たる前に、物を投げる。

 ただそれだけで、泡の魔法は無力になってしまう。

「少し見ただけで攻略法が思いつく。その程度の魔法しか使えないから、あんたは今まで一度も勝ったことがない。噂で聴いたわよ。洞窟で双頭の犬に襲われてなにもできなかったんだって? チギリとの戦いも勝敗を決めずにうやむやにするのがやっと。落ちこぼれは、いつまでも負け犬だから落ちこぼれなのよ」

「…………それじゃあ、エリートってのはどんなやつのことだ?」

「エリートとは、勝つ者のこと。常勝こそがエリートの資格なのよ!」

「それじゃあ、その資格失ってもらおうか」

 ネクトに泡を飛ばす。

「さっきと同じただの泡――? そんなものまた割れば――」

 投擲された本と激突した泡は、パァンといとも容易く割れる。

 だが――割れた泡の中から、さきほどより一回り小ぶりの泡がでてくる。

「泡の中に――もう一つの泡が――!」

「一つしか内包できないのなら、こういう使い方もあるんだよ!」

 タイミングをずらした泡はネクトに当たる。投擲するモーションよりも先に、泡の中にある本棚がネクトに雪崩れ込む。そのはずだったのに――


 いきなり、ネクトの前に大きな壁が出現する。


「か、べ――!?」

 防護壁となったその壁は、床の模様をしていた。いや、その壁は床そのものだった。パズルでばらけさせていたものを、壁のように縦に構築したのだ。

 いい手だ。

今のように、仮に二つ目の泡がなにも内包していなかったとしても。

 泡が壁を取り込む間隙に、また別の壁を構築すればこちらの攻撃を防げる。

 だが、しかし。

 こちらの攻撃を先読みしていないと、防ぎきれなかったタイミングだったはず。

 初めて二重の泡を使ったというのに、予測していたというのか。

まさか、これほどの実力者とは思わなかった。

 すぐに熱くなるヴァンと違って、冷静沈着な知略家タイプのようだ。

 戦いが始まる前は気が動転しまくっていたように見えた。

 だが、一度戦闘開始されれば、ここまでの戦いができるのか。

「――そんな防ぎ方が?」

「私のパズルは私の意志で自在に分解、構築ができる。応用性があるのは、あなたの泡だけじゃないのよ」

 応用性があってもここまで使いこなすのに必要なのは、先祖から受け継いだ魔力量というアドバンテージではない。

 彼女自身のとんでもない才能だ。

「そもそもあなたの泡は、相手の攻撃が強ければ強いほど効力を増すカウンタータイプの『特異魔法スペシャリテ』。私のように力で押すのではなく、技術で相手を追いつめるタイプとは相性が悪い。同じ技巧派でも、あなたのクズみたいな魔法と違って、私はどんな相手だって戦えるのよ。……でも、これ以上長引くのも面倒ね」

 ふっ、と息を吐くように笑う。

「さて……そろそろ当事者である彼女にもスポットを当ててあげないと」

「……え? うぐっ!」

 床が地割れを起こし、傍観に徹していたリードの真下の床が陥没を起こす。

 それと同時に、牙のように床が彼女のの両足をガッチリと噛みしめる。

「動けないわよね、リードさん。あなたの欠陥らだけの『特異魔法スペシャリテ』じゃあ、どうすることもできない。使うことすら躊躇われるその『特異魔法スペシャリテ』は、使う時には魔力を溜める準備がいるんじゃないの? 私の『世界の崩壊ワールドエンド』を防げるかしら?」

 ダッ、とネクトは床を蹴り上げて突進する。

 くそっ、と泡を使って止めようとする。しかし、泡の速度は遅く、間に合わない。リードを守るためには、身体を張るしかない。だけど、

「……ぐああああッ!」

 後ろから殴りかかったが、その攻撃も読まれていた。

 ネクトは瞬時に後ろを振り返ると、残った右腕さえもパズルにされてもぎとられてしまった。両腕を失ってしまったせいでバランスを崩し、


「――ついでに足ももらうわね」


 足を蹴られ、前のめりに倒れてしまう。

 ああ、そうだ。

 今度は―――――右足を失ってしまった。

「あっ、がっ……」

 痛みを伴わない攻撃とはいえ、これではもうほとんど勝負が決まったようなものだ。両手がないせいで起き上がることもできない。

「ひ、卑怯者!!」

 リードがらしくもなく声を荒げる。

「卑怯っていうのは、一人の人間に対して二人で待ち伏せするような連中のことを言うんじゃないの? 背後からいきなり魔法を放たらたまったものじゃないから、効率的に一人ずつ潰そうとしただけよ。こういう風にね!」

 左足を蹴られる。

 なんの抵抗もできずに、両手両足が木端微塵に消し飛んでしまった。

「四肢は潰した。もう、脚のない蜘蛛みたいにじたばたするしかないわね」

「……終わりだな」

「終わり? そうね。あんたはもう終わりね」

「そうじゃない。この勝負。エリートのあんたの大敗北で終わりってことだ!」

 両手足を喪失したとしても、それでも魔力が残存している限り魔法を使うことはできる。

 泡を飛ばすことだってできる。

「くどいな。同じことを何度も何度も! あんたの泡はどうしたって弾けるしかできないのよ!」

 その通りだ。

 ブンッ、とネクトは半壊した机を泡にぶつけてくる。そのあとに待っているのは、泡の中に内包されていた二つ目の泡。そしてそれをネクトは読み切ってる。簡単に泡を破壊するのはパズルの障壁だった。だが、その前に、


 パチンッと泡があっけなく消し飛ぶ。


 ――ヴァンの意志でだ。

「私の障壁にぶつかる前に、泡が弾けた!? しかも泡の中に入ってたのは――」

 ヴァンの右腕だ。

 消し飛ばされた瞬間――泡の中で封じ込めていたのだ。

 そして、何度も、何度も。

 しつこいぐらいに泡を同じタイミング。同じ速度で飛ばしていたのは、ネクトの有能さを逆手にとるためだ。あえてタイミングを覚えさせていたのだ。

 ネクトの防ぎ方は完璧だった。

 壁の大きさも、そしてタイミングさえも全てが完璧で、何一つ欠けていてない。

 だからこそ、振りかぶった腕は、パズルの壁の内側へと滑り込むことができた。

「俺の泡は俺の意志でいつでも弾けさせることができる。しかも俺の泡はあんたに殴りかかったままの腕をそのままの威力を引き出せる。これで終わりだ!!」

 振りかぶった腕は加速している。

 しかも、リーチが長い。

 どれだけ準備していたところで、絶対に防ぎきれない。こちらの攻撃の先手を読むネクトは、虚をつかれた。それ故に、動くことすらできない。なのに――

「ふん」


 バラバラ、とネクトの顔がパズルとなって砕けた。

 

 振りかぶった腕が、虚しく空を切る。

「なっ――に―――? まさか、自分の身体をもパズルのようにできるのか?」

「これで理解した? 私の家は千年前からずっと続く家柄なの。つまり、プレミアムな純血なのよ。だからプレミアムな強さなの。あなたみたい一代一代区切られている強さとは訳が違うのよ!」

 魔導士は文字通り、それこそ血の滲むような魔術開発をしている。

 一代では完成できない魔法を、何代にもかけて大魔法を発現させる。

 自らの血を触媒にして。自らの骨を媒体にして実験を繰り替えす。

 それこそが魔導士の本分。

 ネクトの『特異魔法スペシャリテ』も、きっと彼女の先祖が開発してきた魔法の一つの終着点。アナザーヴレイドの家とは全く違う。隙が全くない。手も足もでないとはこのことだろう。だから、いっちょ口出しをしてみよう。

「……あんた、本は好きか?」

「はあ? 好きよ。大好きだけど、それが何か?」

「俺はそこまで本好きってわけじゃないけど。好きなジャンルがあってな。推理小説が好きなんだ。それによくあるのが、伏線っていうやつなんだ」

「犯人がうっかり口を滑らせて、間接的に自分の犯行を暴露しまうとかいうやつでしょ?」

「ああ、そういうやつだよ。お前はさ……とんでもない伏線を見逃したんだ。その時点でお前の負けは決定していたんだよ」

「……なんのこ――」

 ――と? と、言葉を紡ぐ前に、ネクトの後方で泡が弾ける。

 そこから現れたのは、彼女の身体を押し潰せるだけの巨大な本棚。


「そのまま大好きな本に埋もれてろ」


「馬鹿な! いったいいつの間に! 泡を出すタイミングなんてなかったはず……。はっ――まさ――きゃあああああ!」

 パズル化する余裕もなく、ネクトは下敷きになる。

 ネクトに追われて隠れている時に、閉じ込めていた本棚だ。

 さらに探偵を気取ってみて、種明かしをする。

 どうやってネクトの監視の眼をかいくぐって、彼女の後方に泡を飛ばすことができたのかを。

「そうだ。お前が、自分の身体をパズルにした瞬間に、視界がゼロになった。その時を狙って泡を飛ばしておいたんだよ。パズルの影に隠しながらな。本望だろ? 好きな本に囲まれて負けられるなら」

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