第12話 待望の邂逅

 図書室へと続く廊下を歩く。

 病室を追い出され、待ち合わせ場所でチギリと落ち合った。……のだが。会ってそうそう、服についていた汚れについて指摘されてしまった。

 イリーブの投げた皿には、スープが少しばかり残っていた。

 そのせいで、服にはスープの跡がベットリ。

 まさかこの年齢になってボタボタ口から溢しましたとかいう言い訳はできないので、洗いざらい話した。

 病室での一件。

 理不尽な扱いを受けたことについて、同情されたかった。だけど、

「……とまあ、そういうことがあったんだよ。ひどいだろ?」

「お前が悪い」

 即答だった。

「えっ、お前話を聴いていたか?」

「ばっちり聴いていた。――お前が全部悪い」

「そうかあ? どこが悪かったのかがよく分からないんだよな。やっぱりあいつ、パンツの柄が気にくわなかったのか?」

「そ、そういう問題じゃない! 私と買い物に行ったことを話したのが悪かったんだ」

「口が滑ったんだよ! それに、どうしてあんなに怒られたのか、未だに納得できていないんだよなあ。だって、俺一人で買った変なパンツより、女のチギリに選んでもらった可愛いパンツの方が絶対にあいつも喜ぶだろ? 全部、あいつの喜ぶ顔が観たいからやったことなのに……」

「そうだとしても、包み隠さず話すのは誠実じゃない。たまには嘘をつくことも、誠実なんだ。そして、お前どんな風に話したんだ? 笑いながら、楽しかった思い出を思い返すように言ったんじゃないのか?」

 うーん、と顎に手を当てて一考してみる。

 あんまり鮮明には思い出せない。

「まあ、実際楽しかったし、そんな感じで話したかもな……」

「馬鹿が。それが一番の失敗だ。私と楽しくショッピングしたなんて口が裂けても言わない方がよかったんだ。お前だって、ずっとイリーブと親しくなることを望んでいたんだろ? 昔のように仲良くしたいってお前は言っていたろ? だったら――ほんとうは買い物なんて嫌だったけど、あいつが強引に誘ってきたから仕方なく付き合ってやった――と、今からでもいいから彼女に告げて来い。手遅れになる前に速く――」


「あっ、それ無理だな」


 熱弁しているところ悪いが、ついつい反駁してしまった。

 自分のために懸命になっているのは伝わってくるが、やはりどこか得心いかない。

「な、なぜだ? ちょっと考えれば分かることだろ? お前、ほんとうは誰よりあいつと仲良くなりたいんじゃないのか?」

「そうだ。そうだよ。でもさ、それを分かってくれるようなお前のことを、嘘でも悪く言いたくないんだよ。お前のことを踏み台にしてまで、あいつと仲良くなりたくなんてないんだ」

 病室にチギリはいなかった。

 その場にいたとしても悪口など言いたくないが、病室で悪口を言っていれば、それは陰口だ。

 ヴァンはよく陰口を叩かれる。

 日常茶飯事的に、不特定多数の人間に傷つけられる。

だからこそ――その度に感じる痛みを、チギリに感じさせたくない。

「それに、そもそものきっかけは俺なんだ。全部俺が悪いんだよ。今、あいつがああやってまともに話しくれているのが奇跡なぐらいなんだ。だから俺が自分の力でなんとかしないと意味ないだろ」

「……お前、もしかしたら私以上に不器用かもしれないな……。お前が一度そう決めたのならそうすればいい。……でもな、下着選びの時のように、力を貸して欲しい時はいつでも言ってくれ。その時は微力ながら助太刀しよう」

「ああ、頼りにしているよ」

 そうして、廊下の切れ目。

 とうとう終着点である図書館へとつく。

 学園の図書館というには、あまりに多い書物の貯蔵量を誇る。ここにしかない貴重な本もあるらしい。ヴァンにはほとんどその価値はわからないが。

 目的は命の恩人の手がかりをつかむこと。

「……それで、まだちゃんと訊いていなかったが、閲覧禁止の書物をどうやって読むんだ? 監視の目をかいくぐるのは不可能に近いだろ」

「正攻法でいくんだ。私達二年生であっても、『図書の番人』――ディーリング・リードの許可を得ることができれば図書館深部の本も閲覧できる」

「『図書の番人』……?」

 聴いたことがないな。

「ああ、お前、本は読む方か?」

「いや、あんまり。全く読まないってわけじゃないけど、たまーに。暇つぶしに読むことはあるけど、積極的に読もうとはあまり思わないな……」

「そうか。だったら、この図書室にも来たことがないんだな?」

「まあな。だから、どうだっていうんだ?」

「……いや、お前が図書の番人を知らないことにも得心がいった。今、開けるぞ」

 重いドアが軋みと、景色が開ける。

 が、見渡す限り、本、本、本。

 とにかく本が静謐な雰囲気な部屋の中を埋め尽くしていた。

 図書館の中心には螺旋階段があって、三階まで天井をぶち抜いて設置されている。

 そして、なにやら埃っぽくて、独特な本の香りがする。

 自分の背丈よりも高い本棚に、様々なジャンルの本が並んでいた。

 どれも同じに見えてしまうが、本好きにはたまらないのだろう。

 その場にいる誰もが黙々と読み続けている。

「ここからは、なるべく静かに話せ。……この先にいる」

 同じ形の本棚がずらりと並んでいるせいで、突き進んでいくとどこがどこだか分からなくなってくる。螺旋階段を進んでいないということは、一階のどこかに図書の番人とやらはいるらしいが。

「やっぱり、ここにいたか。あれだ。あそこにいるあいつが図書の番人。図書館深部への『鍵』だ」

「……あれが、か?」

 晩餐会でもできそうな長いテーブルに、数十冊、下手したら数百本の本をドンッ! と並べている。本の山をいくつもつくっていて、そこに埋もれるようにいる同学年の女子。図書の番人とやらは、あまりにも想像していた人間と乖離していた。

 黄金色で豪奢な髪飾りをしていて、発光しそうな色白な肌。深い色をした瞳を象る蝶のような睫毛を時折はためかせながら、細い首筋は微動だにしていない。

 パラリと、紙を時折めくる指を長くて綺麗だ。

 どこか名家のお嬢様のようだが、少々派手なものが好きそうだ。化粧も微かにしていて、ヴァンの周りにはあまりいないタイプ。同年代とは思えないほどの女性らしさを醸し出している。

 あれが、ディーリング・リード。

「なんだか、全然図書の番人って見た目じゃないな。むしろ、俺以上に本を読まないような……」

「見た目はな……。本好きな奴は地味な奴が多い気がするが、あいつはその真逆だ。……とにかく、ここからはお前の仕事だ。私は退散するとしよう」

「ま、待て待て。あいつのこと知っているんだろ? 知り合いだったら、紹介ぐらいしてくれよ。いきなり初対面の奴が話しかけてきたら、あっちだって混乱するだろ? それに、今気がついたがここは図書館! 喋ったらだめな空間。時間や場所をあらためた方がいいだろ?」

「あいつとはほとんど喋ったことがないんだ。というより、喋れなかった。苦手なんだよ、あいつは。それにあいつと会えるのはここしかない。あいつは一日のほとんどの時間ここで過ごしている」

「こ、ここで過ごしているって、授業は?」

「さぼっているんだよ。あいつは引きこもりなんだ。しかも、部屋に引きこもっているんじゃない。この図書館に引きこもっている。完全に二年間ほど居座っている。どれだけ説得しても、どかないものだから、先生も諦めている。だから奴は図書館の番人と言われているんだ」

「なっ、なんだそれ……。――っていうか、あの人俺達とためなのか?」

「ああ、そうらしい」

 ある意味、自分達よりよっぽどの問題児だ。

 よく二年生に進級できたな。

「厄介な奴だが、ここの書物について一番詳しい。だからこそ、生徒でありながらこの図書館ではそれなりの権限が与えられている。――それじゃあな。道は作ってやった。あとどうするかはお前次第だ」

「おいおい。旅は道連れっていうだろ。さっきあれほど力を貸すとかなんとかカッコいいこと言ってたのが台無しだろうが!」

「どんな地獄だろうがお前と一緒に行く覚悟はできている。だが、あいつだけはほんとうに無理なんだ。それじゃあな」

 そういって、チギリは片手を上げてそそくさと立ち去ろうとする。

「おい! ちょ――」

 咄嗟に大声をしてしまうが、あわてて口をつぐむ。

 他の読書家の方々に迷惑に極まりない。

「ほんとに行っちまった……」

 ……と、なにか猛烈な違和感がある。さきほどの保健室のように、多数の人間に睨まれると覚悟していた。それなのに、批難の眼がない。何故なら――


 ここには彼女以外、本を読んでいる人間がいなかったのだ。


 ガラン、とここだけ閑古鳥が鳴いている。

 それが、あまりにも異様。ここだけ不可侵領域のように、誰も足を踏み入れない。だが、たとえここが地雷原であろうと、突き進まなければならない。

 今はとにかく、指輪の女の情報が欲しいのだ。

「あのー、リードさん……ですよね」

 本に熱中している時に、いきなり大声はまずいだろう。だから声を潜めた気遣いをしてみせたのだが、見事なまでに――無視された。

 圧倒的集中力だ。

 それか、耳まで声は届いているが、返答するのすら惜しいほどに本が面白いのか。

「あのー、もしもし。聴こえてますか?」

 再度話しかけてみるが、反応がない。どうしたものか。いっそ、目先に手をヒラヒラさせてやろうか。

 彼女がこちらに気づくまで待つか。こちらがお願いをする立場なのだ。少しは下手に出なければならない。だが、それまではちょっと暇だ。失礼とは思いつつ、彼女が目を落としている本の文章を読んでみる。

 どうやらこれは、神話の本のようだ。

 振り下ろせば撲殺できそうなぐらい分厚い本の中には、様々な種類の怪物が書かれている。

 図鑑のように絵が載せられてはいるが、ほとんどが長ったらしく、しかも小難しい単語がズラズラでてくる。

 小説ならまだしも、こういう本は手に取った経験は多分ない。

 彼女が目にしているのは、竜の項目のようだ。

 伝説上の生き物である竜は、オルトロスよりもさらに稀少だろう。

 基本的に、人間が生息不可能な環境下にいるため、目撃することすら難しい。仮に目撃した人間がいたとしても、生き残れる人間はほんの僅か。そして、あらゆる魔法を弾くことができる竜の鱗は、かなり高値で取引される。……とか、そういう内容のものがつらつらと書かれ――


「……え? も、も、も、もしかしてさっき私に話しかけくれましたか?」


「うおっ! ちかっ!」

 本を読んでいたら、いきなり頬にキスされそうなぐらいリードが顔を寄せてきた。慌てて飛びのく。か、かなり変わった人だ。どもりながら話しかけてくる彼女は、普段から人と話す機会が少ないのかもしれない。

 話しながら、微妙に視線をこちらから外している。

 手遊びをずっとしていて、落ち着きがない。

 黙って後ろから本を覗きこんでいたし、警戒心をあおってしまったかもしれない。とにかくここからはイメージ回復のために、柔和な態度で臨もう。

「そ、そうですけど。あの、俺の名前は――」


「ああ、知っています」


「えっ?」

 ふふ、とリードは不気味な笑い方をする。

 ヴァンは二年間この学園に通いながらも、彼女のことを目にしたことがなかった。彼女の存在すら知らなかった。なのに、彼女はまるでこちらの旧知の仲であるかのように、親しげに手を握ってきた。

「ちょ、おい!」

「よ、ろ、し、く、お、ね、が、い、し、ま、す」

 しかも、かなり強めにだ。

 親愛の証の握手のようなものじゃない。

 そう。まるで、これは敵意の証の握手。

 もうどこにも逃がさないとばかりに手を両手で包み込む。

 そして、仰け反っているヴァンに、鼻と鼻がくっつきそうになるぐらいに接近してくる。

「名前はヴァン・アナザーヴレイド。そして、アナザーヴレイド家に生まれるも、七年前の災厄によって血の繋がりのある両親を亡くし、昔から親同士の仲が良かった隣の家に引き取られる。そして金銭的迷惑がかからないように、奨学金のでるこの学園に入学を決意する。魔力至上主義であるこの学園では針のむしろになることは分かりきっていたにも関わらず。と、……こんなところですか、おにいさん?」

 早口でべらべらと諳んじる彼女は、まるで台本を音読するようだ。この時をずっと待ち望んでいたかのように、これはきっと準備されていた言葉だ。

 なんだ。

 こいつは一体なんなんだ。得体が知れない。こんな奴は知らないはずだ。記憶の片隅にもない。

「お、お前……なんでそんなこと?」

「調べたんですよ。あなたには並々ならぬ関心を持っていましたからね。七年前の歴史に残る大災厄に生き残った三人のうちの一人。アムリタ・メビウス先生の養子になり、イリーブ・メビウスの義理の兄となった、あなたのことはね」

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