第11話 病室の食事
洞窟が崩落してから、七回ほど月が傾いた。
処分を受けたヴァン達の命は無事だった。
が、その代償としてイリーブの身体は蝕まれていた。
魔法陣の影響を受けた彼女は、あの後まともに自立歩行ができないほどに衰弱していた。その世話役として、ヴァンは毎日欠かさず保健室に通っている。
慣れた手つきでドアを開いて人垣を抜けると、仏頂面をしているイリーブがベッドから頭をおこしていた。
「悪い、今日はいつもより少し遅れた」
「別に……待ってないです」
「まあ、だろうな。……って、飯まだ食ってなかったのか?」
イリーブは夕食が盛りつけられている食器に、一切手を付けていなかった。病人食ということで、味が薄く。それから量は少ないものが多いが、何故かイリーブは食べる時にいつもご機嫌だった。
それなのに、今日に限ってどこかイライラしているように見える。
「私は全身がしんどいんです」
「ああ、わかってる」
「手を動かすのだって辛いんです。誰かさんのせいで!」
「悪かったって!」
そういいながらも、実はあまり反省していない。
助けたことには本当に感謝している。だが、悪いのはほとんどアムリタだ。あの魔法陣のことについてはしらを切られたが、番犬を用意していたことからも、一枚奴が噛んでいることは間違いないはずだ。
でも、だからといって、イリーブを傷つけることをアムリタが何の考えもなしにやったとは考えづらい。
それほどまでにイリーブのことを溺愛している。
やはり、今回の事件は何かがおかしい。何か裏がありそうな気がする。
こちらの反論に不満そうな声色がでていたのか、より一層イリーブはむっとする。
「本気で反省しているのなら、それ相応の態度でいてください」
「悪かったって思ってるし、助けてもらったことには感謝している。これ以上何をすればいいのか言ってくれれば、俺はなんでもするって」
「…………なんでも? そ、それじゃあ――く――い」
「……え?」
「――――て――――くくくくく――ださいいいいいいい」
「な、なんだって!?」
絶対遵守の命令権を得た途端、物凄い嬉しそうにイリーブの唇が緩む。
いったいどんな残忍な仕打ちを思い浮かべているのか想像もしたくない。
あまりにも嬉しすぎて、呂律すら回っていない。
まずい。さっきのは軽い気持ちで言っていいような台詞ではなかった。
「お、おい! やるといっても、俺ができる範囲で――」
「食べさせてください」
「……ん?」
「私に……ご飯を食べさせてください」
「ご飯? え、どういうことだ?」
「そ、そうじゃなくて! 私にあーんしてください!」
「は、え?」
「………………」
下唇を噛みしめながら、勇気を振り絞っているかのように両手は握りこぶし。その、今のイリーブは、控えめに言ってめちゃくちゃ可愛い。その仕草は、狂おしいほど可愛い。が、どうしたんだろう。頭でも強くうったのか。それとも熱があるのか。いきなり、こんなこと頼むなんて。
確かにご飯を一人で食べるのが辛そうだったから、食器を彼女の手元まで運んでやるとか、そんな簡単な世話なら毎日していた。
だが、ここまで踏み込んだ世話なんてしたことがなかった。
「え? え? え? え?」
助けを求めるように周りを見渡すが、他の連中は好奇な目で見てくれるだけだ。他人事だと思って目元が笑ってる奴らもいる。
「そ、それじゃあ、あ、あーん?」
「べ、別にあーんは口に出さなくていいです!」
「そ、そっか。やっぱり恥ずかしいよな……」
「そういうのは、二人きりの時にしてくださいっ!」
は、はあ? 二人きりの時はあーんを言っていいのですね、とか感嘆しながら言うものなら、フォークで突き刺されそうだったので、今度こそ黙々料理を彼女の口元へと運ぶ。
イリーブはギュッと目を瞑って、柔らかい唇をプルプルと震わせる。
……なんだか、いけないことをしているような気がしてきた。
他の患者達の視線がグサグサと突き刺さってくる。ただでさえ最近患者が増えているのだ。多めの、なんだか嫉妬みたいな感情の伴った睨みまであるような気が。
なるほど。骨を切らせて肉を断つ作戦か。
こちらも羞恥心に耐えなければならないが、こうやってあーん、を繰り返しているイリーブも辛いだろう。きっと、これが彼女流の罰だ。しかし、お互いに黙ったままこれを続けるのは気まず過ぎる。なんでもいいから話さないと。
「最近、風邪でもはやってるのか?」
保健室には患者が多くいる。しかも、尋常ではない数だ。この部屋だけでなく、隣の部屋のベッドはほとんど満室といった様子だった。
イリーブの症状は軽いものだが、重症患者は隔離されているらしい。
ただの流行病というわけじゃないのは確かだ。
「いいえ。もっと深刻なことです。最近、いきなり倒れる人が続出しているみたいです。しかも、原因不明で、一人でいる時にいきなり意識がなくなるみたいです。倒れた前後の記憶が全くないので、もしかしたら……」
「誰かが……襲っている? まさか?」
ただの流行病ならば、魔法で治癒できる。
だが、それができないということは、人為的な呪術を掛けられた可能性が高い。
しかし、魔力を持っているだけで、魔導士には魔法の抵抗力がある。
小さな結界みたいなものを、魔力があればあるほど持っていることになる。それを打ち破って魔法をかけるとなると相当な実力者になる。
「たとえ、個人の対魔法障壁を打ち破れたところで、学園の結界を破れるとは思えない。仮に破れたとしても、今頃俺の時の数十倍の警報が学園内に轟いているだろうよ」
女子寮に侵入した時とは、まるで話が違う。
何の痕跡もなく学園の結界を破れる魔導士がいるとは思えない。
「学園の外には結界がはってあるからといって、完全に安全っていうわけじゃないと思います。侵入するのが困難でも、一度学園内に入られたら結界の意味はないんですから。手引きした人間がいる、もしくは、合法的な手段で入ったか」
痕跡なく学園結界に入れる。
つまり、それは招かれざる客ではないということになる。
「内部犯ってことか? ここの生徒か、先生。だったら、もっとばれないように水面下で事を起こすだろ」
「ばれてもいいんじゃないんですか? ばれたとしても、誰にも手出しができないほどに事が進んでいたとしたら?」
「……身内を疑うのはあんまり気分がよくないって。情報の少ない今、何を話しても憶測の域を出ない。この話はやめよう」
仮に誰かが無差別に生徒を襲っているとして、それがいったいなんになるのか。腕試しでもしたいのかは分からないが、それも長くは続かないだろう。生徒がやられるにしても、先生クラスの魔導士が動いたら、その謎の襲撃者もひとたまりもないはずだ。
……先生、先生で思い出した。
あいつが奪った三つのもののうち、たった一つだけ明らかになっていないものがあった。
「そういえば、あの黒い球に入ってたやつってなんだったんだ?」
「あ、れ――は――」
どうにもイリーブの歯切れが悪い。
やはり言いづらいのか。不用意に訊かない方がよかった。
「――ツです」
「は?」
指をもじもじさせながら、イリーブはなにやら答えてくれる。だけど、あまりにも小さな声のため聴きとりづらい。そして、
「あなたが私に、私のためだけにくれたパンツです!!」
目の前が真っ白になった。
強烈な光を瞬間的に当てられたみたいに眩暈がした。
「そ、そっか……」
鼓膜が破れんばかりに絶叫した彼女の声に、事実に驚いた。驚いたからこそ、頭がすっからかんになった。思考が止まってしまった。でも、ぶるぶると頭を振って、一言返すだけの正気を取り戻してようやく脳が回転し始める。
そして……やっぱり……嬉しかった。
「気に入ってくれて嬉しいよ」
だって、イリーブがパンツをはいてくれていたのだ。
嫌そうに受け取ったパンツを、あの時装着してくれていて、そしてそれを一番大切なものだと認識してくれたのだ。
真剣に選んで、そして勇気を出してプレゼントして本当によかった。
「き、気に入ってなんかないですっ! ……ただ、せっかくだからつけてみただけです」
あわあわと小さな手を振って否定するイリーブが、ほんとうに可愛くて。だからこそ、その時油断してしまったのだろう。
「それでもよかったよ。はいてもらって。だって――」
「俺一人じゃ、まともな下着を選ぶこともできなかっただろうから」
「……え? 『俺一人じゃ』?」
なにか……なにか極大の地雷を踏んでしまったような気がする。
ドバァ、と滝のような汗が顔から、背中から溢れてくる。
「あっ、いやなんでもない」
「一人じゃってどういう意味ですか?」
「なんでも――」
「一人じゃってどういう意味ですか?」
あっ、これもうだめだ。手遅れだ。観念して正直に話すことにする。特に悪いことをした覚えはないが、正直に言えば許してもらえるはず。包み隠さず言えば、イリーブも許してくれるだろう。
「いや、チギリが買い物に付き合ってくれたんだよ。俺一人じゃ、女の子がどんな下着が気に入るのかわからなかったし、なにより一人じゃ女性ものの下着売り場に行きづらいだろ?」
「……続けてください」
「続けてくださいって、これ以上は特に……。……ああ、そういえばついでだからって、あいつも服を選んでたな。俺じゃなくても店員に訊けばいいと思うのに、どの服が可愛いかを何度も聴いてきたし。うーん。今思えばあの時のチギリはちょっとおかしかったかもな?」
「……どういうところがですか?」
「店員にも見られたくないからって、俺を更衣ロッカーに連れ込むし。見ろと言われたから見たら、脱いだ服を見るな! って剣を取り出してきたな。その時に止めに入った女性店員がこけた拍子に、チギリのはいていたスカートを脱がしたんだよ。不可抗力でパンツを見せられたのに、さらに激怒したチギリは止められなかったんだよなあ」
結局店は追い出されるし、高い服は買わされるし。
散々な目に合った。
だが、チギリの貴重なスカート姿を見れたのはよかった。あまりヒラヒラした服を好まない奴だからな。
「……先輩とは仲が良いみたいですね?」
「ん? そうだな。この学園だと一番仲が良いな」
この学園だと一番、のあたりでビキッ、となにかが切れる音がした。
「今日も図書館で会う約束しているし。……やっぱり、そういうのって仲が良いってことになるよな」
「ほー、ほー、そうですか、そうですか。私のパンツをだしにお買いものデートをしたと思ったら、図書館デートですか。それはほんとに微笑ましいことですねぇ!!」
語尾を伸ばす声に違和感しか覚えない。なぜだか、ちょっと泣きそうな感じに瞳が潤っている気がする。いったいなんなんだ。訳が分からない。
「な、なんだよ、フクロウの鳴き声みたいな声あげて。……っていうか、デートとかそんなんじゃないんだよ! ちゃんとした目的があるんだ! あいつには洞窟での話の続きがあって――」
「う、る、さーいっ! もう、出て行ってください!」
傍にあった皿やら花瓶やらが飛んでくる。
しかもけっこう本気めに投擲してくる。
肘とかにあたって、これがけっこう痛い。
「うわっ、ちょ、やたらめったら物を投げるな!」
「……せっかくいい気分だったのに! 速く出ていけ――――!」
情緒不安定なイリーブの叫びを背にして、脱兎のごとく病室から逃げだした。
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