第10話 記憶の統合

 今でも間違いだと断定できる。

 ヴァンなんかと出会ってしまったために、自分は変わってしまった。変えられてしまった。

「お前さえいなければ、私は自分が全て正しいものだと認識できていたんだ。自分を責めることなく、周りが全ての元凶だと罵ることができたんだ。それを無理やり気づかせてくれたのは、お前だ」

 オルトロスの頭の一つは、岩の落下をもろに受けたせいでほとんど機能していない。潰れてしまっている。だが、手負いの獣は手ごわい。狂気を孕んだ瞳をしながら、オルトロスはより強力な斬撃を操る。

 蛇と犬の頭が向い合せになって、斬撃を飛ばしあう。

 二つの斬撃は対消滅するのではなく、一体となって強大になる。中空に飛ぶ斬撃は回転して、最終的に竜巻になった。この土壇場になって、オルトロスは自分の『特異魔法スペシャリテ』を進化させた。

「お前は本当に迷惑な奴だ」

 発生した竜巻は、泡なんて寄せ付けない。どれだけ泡が全てを内包できるとしても、それが届かなければ意味がない。

 ヴァンでは、オルトロスに勝てない。

 ならば、自分ならどうだ。

「それでも私は……これからも、お前なんかと過ちを犯そう」

 全力で『駆斬狗々ドッグラン』を飛ばすが、竜巻によって弾かれる。……まだだ。元々、『駆斬狗々ドッグラン』はその名の通り、複数の狗を具現化させる『特異魔法スペシャリテ』だったはずだ。

 でも、いつの間にか一匹の狗しか出せなくなっていた。

 剣を持つたびに、小刻みに指が震えていた。

 怖かった。

 振るう剣を見ると、誰かを傷つけてしまうと、思い出してしまう。兄の怨嗟の声を。どうしても、耳の奥から鳴り響いてくる。その度に、心が軋んだ。身体が縮こまってしまっていた。

 でも、ヴァンが過ちを正してくれた。いや、違う。チギリにとっての正しさを過ちに変えてくれた。

 だからこそ、過去と真正面から向き合うことができた。

 そして、必ず乗り越えてみせる。

 一太刀の斬撃に、間隙なくもう一太刀の斬撃を重ねる。二連続の斬撃、それではまだ足りない。

 剣の継承試合のあの時。

 かつてあの兄を打ち倒した時には、八連続の斬撃を出せた。しかし、八連続の斬撃だけで満足してはいけない。

 過去の自分と同格では、ヴァンに申し訳がない。

 かつての己を超える。弱い自分に打ち克つための『駆斬狗々ドッグラン』。それこそが、


「『駆斬九狗ドッグオーバーラン』」


 目にもとまらぬ九連続の斬撃。

 竜巻を切り裂き、オルトロスを八つ裂きにする。

 未完成だったチギリの『特異魔法スペシャリテ』の完全版。オルトロスが自らの『特異魔法スペシャリテ』を進化させたのを見て、類似の魔法を持っている自分でもできるだろうと確信した。何故ならあのオルトロスはきっと、チギリそのものだったからだ。

「これは……!?」

 バラバラになってしまったオルトロスを、黒い包帯のようなものが全身を覆い尽くす。

 何重にも巻かれた黒い包帯みたいなものは、半球体となり――爆ぜる。

 闇の繭のような形をしていたソレは中心から亀裂が入って爆発すると、そこから眩いばかりの光の柱が立つ。

 それは、光の奔流。

 渦巻く光が、洞窟内の闇を果てなく切り裂く。

 奔流の外側には、光の球がいくつも付着していて、それが自然と解離する。

「これ……は……」

 ヴァンが驚愕の声を上げる。何故なら、光の球の中には映像が映っていて、そこにはヴァンの顔が映っているからだ。それだけではない。彼だけではなく、他の人の顔も次々に映っていく。校舎や兄との訓練の姿をも映される。

 記憶の投影。

 かつてチギリが経験したものが、光の球の中で動き出す。

「『メモリーダスト現象』。相当強力な『バク』が消滅する時に発生する現象だ。私も観たのは初めてだ」

 『バク』とは喰らうもの。

 心を、思い出を貪る化け物。

「あれは、私の『バク』だったんだ……」

 狼も、オルトロスも、何故チギリと同じ『特異魔法スペシャリテ』を使えたのかというと、チギリの『バク』だったからだ。

 アムリタの『想造手ゴッドハンド』によって、心を暴かれた。

 そして、そのまま心の一部を『バク』にしてばら撒かれたのだ。だからこそ、戦う度にチギリは、過去の記憶を取り戻していった。

 頭の片隅に追いやって封印していたものを、鮮明に思い出したのは『バク』を傷つけたから。不可視の記憶の欠片が漏れ出ていたのだろう。

 大切なものなどない。

 ヴァンに胸中を告白していたが、それは間違いだった。

 大切なものなら、心の中にあったのだ。

 それが、記憶。

 ヴァンや他の人間との思い出が、自分にとって一番大切なものだったのだ。それが、とてつもなく誇らしく、嬉しい。だけど今は、


「まずい……。今のがとどめだ。洞窟が崩れ落ちるっ……!」


 光の奔流は天井を貫く。そして、『駆斬九狗ドッグオーバーラン』の余波が、洞窟を破壊してしまっていた。

「走れっ!!」

 一目散に逃げ出す。

 ヴァンは黒い二つの球を泡でコーティングして、持っていく。あれならば瓦礫が降ってきても即座に壊れる心配性はない。しかし、今のままでは生き埋めになってしまう。

 永遠に降り注ぐ洞窟の瓦礫。

 それら全てを防ぐ方法を、二人とも持っていない。洞窟の奥底から入り口までどれほどの距離があるのか。そして、一回も道に迷わずに出られるのか。その答えも持ち合わせあがない。

「ヴァン!」

 頭上から降ってくる巨大な瓦礫が、ヴァンの全身を覆うような影を作る。泡も、剣も、間に合わな――


「『破壊針ブレイクタイム』」


 雪崩れ落ちてくる岩石群の全てが、ピタリと停止する。

 噂に名高い、時の概念を破壊する『|特異魔法(スペシャリテ)』。これを使えるのは、


「イリーブ……!? 今までどこに――!?」


 ヴァンの声が洞窟に木霊する。

 いつからそこにいたのか。前方には、手を掲げて、発汗しているイリーブがいた。

 あの魔法を行使するのは、かなりの危険が付き纏うようだ。

「あなたには関係ありません。それよりも、速く黒い球を――」

 瞬間――。


 イリーブの口から悲鳴が迸る。


「うあああああああああああああああああああ!!」

 頭を両手で抱えて蹲ってしまう。尋常じゃない苦しみ方だ。魔法が誤作動を起こしたとか、そういう次元を超えている。

「イリーブ!! どうした!?」

「脳が……焼き切れそう……」

 ヴァン駆け寄っていくと、ボボボボボ! と、炎のように鈍い光が地面を奔る。

その光の炎は円を描き、そして何重にも線を引いていく。

「魔法陣……!? こんなものさっきまでは……」

 意味が分からない。

 一度にたくさんのことが起き過ぎて、脳の処理が追いつかない。

 まるでイリーブと呼応しているかのように、ドクンドクンと魔法陣は脈打つ。イリーブの身体から光が漏れ、それが急激に強くなっていく。魔力が吸い取られているのか? しかし、こんな魔法聞いたことがない。

 上を向くと、

「まずいぞ……」

 ズ、ズズズ、と完全に停止していたはずの岩が動き出している。集中力を欠いたせいで、時を操ることができなくなっている。このままじゃ全滅だ。

「悪い」

「えっ――ちょっと――」

 肩で息をするイリーブを、ヴァンが強引に抱え込む。

イリーブは、ちょ、ちょっと! と口で抗議するだけで、それ以上の抵抗はしなかった。嫌いなヴァンに抱えられてそれだけしか抵抗しないなんて、よっぽど辛いようだ。

「逃げるぞ、チギリ!!」

「あ、ああっ!」

 スローモーションになりながら落ちてくる岩石を避け、時には破壊しながら突き進む。

 走って、走って。

 光の束が網膜いっぱいに拡散して、ようやく脚を止める。洞窟を抜けられた。

 背後では完全に洞窟が崩壊した音が響く。

 イリーブの身体の痙攣は収まったようだが、やはり体調は悪いようだ。顔が真っ青になっていて、なにかしら魔法陣の影響を受けている。

 ドタッと、無様にヴァンは仰向けになる。

 チギリも疲れている。

 あれだけの『特異魔法スペシャリテ』を発動したのだ。イリーブ並みにとは言えないが、肉体的にも精神的にも疲弊している。そして、

「……生きていたみたいでなによりだ」

 アムリタが、倒れ伏しているヴァンにゆったりと近づいていく。どこまで計算していたのかは知らないが、にたにたと笑う先生はかなりイラついた。

 剣を握りしめる力が強くなる。

 ヴァンはギリッ、と奥歯を噛み殺し、口汚く罵った。

「この――クソオヤジッ!!」

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