第8話 疑惑の魔法

 オルトロスはガバッと口を開けると、周囲の空気を集束させる。

 球状に固めた空気の中には、気流が暴れ渦巻いている。

「やばい!」

 切迫したチギリの声を聴いて真横に避ける。

 その刹那――轟音を響かせながら、地面がゴッソリと削られた。

 空気が圧縮されて、爆弾のような威力になっている。

 だが、ただの爆弾じゃない。

 これは、まるで斬撃。

 さきほど相対した狼の『バク』と類似した攻撃手段。というよりも、根っこの部分ではまるで同一の能力だ。……いや、それだけじゃない。これはまるで……。

「何を呆けている!」

 チギリが斬撃を走らせる。

 オルトロスの圧縮された斬撃にぶつけるが、あちらの方が威力は上。

 弾かれた『駆斬狗々ドッグラン』はでたらめな方向へと飛ぶ。

「この魔法は……」

「おい!」

 叱咤は、オルトロスの攻撃が一撃では終わらないから。

 もっと神経を研ぎ澄ませと注意勧告している。だが、それはできない。双頭の犬の頭がもう一つあって、より弱い方に狙いを定めていると分かっていても、問いただしたいことがある。


「この魔法は、お前の『特異魔法スペシャリテ』だろ! どうなってるんだよ!」


 ……認識が、前提が最初から間違っていたのか。

 ヴァン達は襲われていたはずだった。

 だが、チギリが襲う側だったとしたらどうだ。偶然で済ませられるはずがない。狼もオルトロスも、まるっきり『駆斬狗々ドッグラン』と同じ魔法を使っている。

 『特異魔法スペシャリテ』は、どんなことがあっても個人財産だ。一代限りの特別な魔法。それを他の『バク』が使えるということは、チギリがこの『バク』を差し向けた張本人ということになる。

「し、知らないっ! 私は何も知らないっ!!」

「じゃあ、どうして黒い球は二つしかないんだ!」

「……それは……」

 ヴァンと合流する前に、黒い球を一つ彼女が既に回収していたとしたら。そして番犬を配置して、何食わぬ顔をしてひょっこり現れていたとしたら、全ての辻褄が合ってしまう。

 そして、どうしてイリーブは姿を現さない。

 どこかで鉢合わせしてもおかしくない。

 それなのに彼女影すら見当たらない。

 既に黒い球を奪取した、というのはよくよく考えるとありえない。あの双頭の犬の目を欺いたとしても、この場所に戦闘の痕跡が残っているはず。それがないということは、チギリがイリーブに対して手を打ったということか。

「イリーブをどうしたんだ!?」

「イリーブ!? わ、私は――」

 百戦錬磨であるはずのチギリが、オルトロスの尾に掴まる。

 今まで一度も蛇は動かなかった。先程までの攻撃は、頭に注意を向かせるためのもので、実はこれが本命。ギチギチと拘束する蛇のしめつけは、チギリの骨を軋ませる。

「あ――がっ――」

 胸を押し上げるように身体を一周している蛇は、チロロと愉快そうに舌を出す。力が入らなくなったのか、剣を取り落す。血の気が失せていって、今にも死にそうな声を出す。

「……た……て……」

 だが、これは演技なのではないのか。

 手を突き出したその瞬間、致命的な傷を負わせようという魂胆なんじゃないのか。ヴァンの声に必要以上に動揺して蛇に掴まったのも演技なのではないのか。だとしたら……。


「――助けて、ヴァン」


 くそっ! と泡を放出する。狙いは足元。

 オルトロスがやったように、地面を抉り取る。

 泡の部屋に地面そのものを取り込んで、巨体の重心を崩した。

「あっ、がっ、はっ!」

 ようやく解放されたチギリは蹲って咳き込む。

 黒幕がこいつなのかもしれないという疑念が、完全に消えたわけではない。でも、彼女が仮に何かを企てていたとしても、それを信じたくなかった。

 この学園に来てから、ずっとヴァンは独りだった。

 権威も実力もない家に生まれ、問題ばかり起こしていたヴァン。傍にいてくれたのは、チギリだけだった。彼女はたった一人だけの味方だったのだ。だから、信じたい。信じられなくても、信じたい。

「悪い。少し、お前のこと疑っ――」

 言葉の途中で、『駆斬狗々ドッグラン』が牙を剥く。ザシュッ、と簡単に肉を斬り落としてしまった。そう――ヴァンを襲おうとしていたオルトロスの前脚をだ。

「次、同じことしたら五体満足でいられると思うな」

 片膝をつきながらも救ってくれた奴の斬撃。

 それを受けたオルトロスの脚は修復する。だが何の代償もなしにというわけじゃない。存在が希薄になったように、脚が一瞬半透明になる。

「だが、確かにおかしいな。私の魔法をどうしてこいつらが……」

 怒り狂ったように首を回しながら、オルトロスは斬撃の球を繰り出す。

 泡で応戦するが、捌ききれない。手数が違い過ぎる。一気に魔法を展開できるほどの魔力は持ち合わせていない。

 それに、チギリの『駆斬狗々ドッグラン』も、おいそれと連続使用できる代物ではない。攻撃の溜めと集中力が必要不可欠なのだ。徐々に圧されていく。

「くっ……」

 オルトロスはわざとヴァンの足元に斬撃の弾を落とす。

 罅割れた地面や岩は、土砂や石つぶてとなって襲い掛かってくる。

 弾き飛ばされたヴァンを、オルトロスは前脚で踏みつける。

「があああああああああああ!!」

 斬られた前脚の敵を取るために。元々の元凶を傷つけられた脚で踏む潰すことで、受けた躰の痛みを和らげるために踏み潰しているようだった。そのぐらい懇切丁寧に脚に力を入れてくる。

「ヴァン!」

 チギリが絶叫しながらこちらに向かってくるが、それを許すオルトロスではない。

 全ての頭をチギリに向けて、斬撃の弾の弾幕を張る。なにせ、こちらは脚に力を入れるだけでいい。それだけで、こちらの身体は薄い金属板みたいにひしゃげる。……なのに。なのに、いくら脚に力を入れても、ヴァンはひしゃげない。

「……鈍いな、でか犬。お前が踏んでいるものをちゃんと見てみろ」

 泡だ。

 オルトロスの脚とヴァンの身体の間隙に、ギリギリのタイミングで泡を滑り込ませることができた。

「お前は確かにチギリの《特異魔法スペシャリテ》を使えるみたいだな。しかも、本家よりもさらに強力な魔力だ。でも、あいつのもう一つの武器である『眼力』はお前には備わってないみたいだな」

 今の今まで大量の泡で応戦していた。その泡の中に、奴の強力な魔法を閉じ込めていたのだ。だが、それらは次々に射出された斬撃の球によって割られてしまった。――たった一つの泡をのぞけば。

「目を凝らしてみろ」

 訝しむようなオルトロスの頭上には、フワァと泡が浮き上がっていく。

 洞窟の天井。

 行き止まりにたどり着くと同時に爆ぜる。泡が割れると、斬撃の球が展開される。それが直接の攻撃ではない。だが、


「獲物を前に涎を垂れ流す駄犬に対する躾だ。受け取っておけ!!」


 洞窟の固い岩石が雪崩のように降って、それらはオルトロスに直撃する。断末魔を上げて、巨体はズシンッと軽い地震のような音を立てながら倒れる。

「……終わったな、チギリ……」

「……ふん、大したやつだよ、お前は……」

 勝つためにはしかたがなかったとはいえ、今の衝撃で洞窟が崩れるかもしれない。すぐにでも脱出を――

「ヴァン!」

「――え?」

 チギリの悲痛な叫びが耳に届く頃には、片目が潰れたオルトロスが大口を開けて突進するのを視認できただけだ。

 抵抗の一切ができないほどに、相手の動きが速い。

 まるで時間がゆっくりと進んでいるかのようだった。

 体感時間は長い。

 そのくせ、身体の動きは遅く、まるで石になったように動かない。どうやらオルトロスの頭の一つは戦闘不能にできたようだが、もう一つの頭は生きていたらしい。

 大きな顎が地を滑るように迫って――そして、ヴァンの全てを覆うようにして大口が開閉し――


「詰めが甘いんだよ。――ご主人様」


 ドガガガガガガ、と上下の牙を、たった一本の剣で塞ぎきる。

 地すべりしながらも、巨体の突進を止める。その呼び方をされたのは久しぶりだった。もしも彼女がオルトロスを止めていなかったら、ヴァンは死んでいたかもしれない。

 この呼び方はあの時のことを思い出す。

 恐らく、チギリも思い出しているだろう。

 ヴァンとチギリが出会った、二人の始まりの記憶を。

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