第7話 三体の怪物

 狼の『バク』の大群に襲われながらも、なんとか生き延びることができた。

ほとんどチギリのおかげであり、彼女と合流できなかったらと思うと背筋がぞっとする。

 逃げているのに夢中で、洞窟の奥底まで何の考えもなしに来てしまった。ひんやりとする空間の中を、明かりもなく進んでいく。

「……暗いな」

 隣のチギリとの距離感を掴めずに、指同士が触れ合ってしまう。

「あっ、悪い……」

「ふん。もっと目を凝らせ」

「お前みたいに夜目が効くわけじゃないんだよ、俺は」

「しかたないな……」

 剣の鞘を地面で叩くと、光の円がブワッと広がる。

 洞窟全体を照らすほどの光じゃないが、足元から目の前の闇ぐらいは打ち消せるほどの光源は確保できた。

「私だってあまり魔法は得意な方じゃないんだが」

 そうか。チギリは魔法よりも剣術が得意だ。でもなんで……。

「……チギリは、なんでこの学園に来たんだ?」

「なんだ。私はこの学園にふさわしくないということか?」

「そ、そうじゃなくて! ただ……もっとチギリが過ごしやすい学園だってあっただろ。ここは特に差別が多い学園だから……」

 ホーマ学園は魔力を専門に教えている学園だ。

 体術や剣術だって教えてはいるが、やはり魔法を教わっている時間が圧倒的に多い。

 有名な魔術師だって多く輩出しているこの学園に入れば、より自分の魔法を磨くことができる。

 だが、剣の道に生きるチギリがここにいてはもったいない気もする。もっとのびのびと自分の得意な剣の修練を積める場所もあるはずなのだ。それなのに、どうして……。


「……私は実家から逃げてきたんだよ」


 あっ、と小さな声でも洞窟内を木霊してしまう。

 きっと、これはチギリの核を、核心をつくような話だ。きっと気軽に聴いてはいけないような代物だ。

 もしも本心を曝したくないというなら、笑ってはぐらかされるだろう。もしくは内心憤慨しながらも受け流すようなこと。だけど、チギリは話を続ける。

「ここは全寮制の魔法学校だからここを選んだんだ。実家にいると息苦しくてな」

 洞窟の通路は狭くて、いくら明かりの魔法があろうとも薄暗い。

 否応なく二人っきりでいることを意識してしまう。

 そして何故か深いところまで話こんでもいいような雰囲気。

 さっきとさほど変わらないほど接近しているのに、歩いているから目線を合わせないで済んでいるからもあるのか、大胆に踏み込んでいける。

「家族と仲悪いのか?」

「両親とは仲が良いも悪いもないな。命令する側と命令される側といった関係で、親子の情は欠片もない。でも、だからかな……。兄とは仲が良かったんだ……」

「仲が良かった……今は?」

「家を出て行ってしまったよ。私のように魔法学校を出たとかじゃない。家出だ。でも、消えてしまった兄を両親は探そうともしない。最低な家族だろ?」

「…………」

「でも、兄が家出してしまった元凶は――私なんだ」

 思わず、チギリの横顔を覗いてしまう。厳しい目をしていて、焦点は合っていない。昔のことを回想しているのか。こちらの視線に気がついているはずなのに、首を動かすことはなかった。

「イヌブセの家は一人だけ後継者を立てるんだ。その人間にだけイヌブセの全ての剣術を教え込むっていうしきたりがあってな。その後継者を選ぶ実戦試験で……私は兄に勝ってしまった」

「実力でチギリが後継者争いに勝ったんだろ? そんなの、どうしようもないだろ。チギリが手を抜いて負ければよかったのか?」

「ああ、その通りだ」

 チギリらしくない。

 正々堂々と本気で勝負を挑もうとするところが、彼女らしく。それにかっこいいところだと思っていたのに。

 どうして、曲がったことを言ってしまうのだろう。

 きっと、それは――


「正しくあろうとすることが、常に正しいとは限らないんだよ」


 当人にしか分からない何かがあるのだろう。

「私に負けた兄に居場所なんてなかった。本来、男が剣技を受け継ぐものだったからな。兄に対する周囲の罵倒は凄まじいものだった。それで……兄は壊れてしまった。涙を流しながら、私に恨み言を吐いてどこかに消えてしまった」

 チギリは、きっと一部始終を見ていた。

 全てを目撃しながら、大好きな兄が摩耗していくのを知りながら……なにもできなかったのだろう。

 なにかできていたのなら、ここに逃げてなど来なかっただろうから。

「私は褒められたかっただけだった。剣が上手くなればなるほど兄が褒めてくれた。髪がクシャクシャになるまで撫でてくれた。それが嬉しかったから、強くなりたかった。そんなどうでもいい動機で、後継者になりたいという兄の夢を奪ってしまった」

 心を許せる唯一の家族の夢を、知らず知らずの内に奪ってしまっていた。

 しかも、笑顔で。

 無知なまま無邪気に勝利した彼女のことを、兄はどんな風に思ってしまったのか。

 彼女が強くなる度に、自分の夢が壊れてしまうのを分かっていながら、どうやって彼女の髪を撫でていたのか。

「目が曇っていたんだ。撫でていた兄が奥歯を噛みしめながら、本当はずっと我慢していただなんて。ずっと、私のことを恨んでいたなんて……気が付けなかった」

「そんなこと……そんなことは……」

 何も知らなかった。だから、どれだけ傷つけてもいい。一番酷いやり方で、傷口を抉ってもいいなんて思わないし言えない。

 だけど……だけど……チギリの全てが悪かったわけじゃない。

 だって、チギリだって傷ついたんだ。

 兄という支えを失ったチギリは剣を捨てなかった。

 兄との唯一の繋がりである剣の道を今でも究めようしている。絆を消さないために。

 だけどきっと、剣を持つことで、過去の痛みを思い出してしまう。

 剣を振るえば振るうほど、罪の意識を覚えてしまうはずなのに。それなのに、あえて自分が一番傷つく生き方をしているのだ、チギリは。

「……相変わらず甘いな、お前は」

 ふっ、と吐息を溢すみたいに笑う。

 顰め面をしていた自分が、どれだけお節介なことで苦悩していのか察したらしい。

「もっとも、一番甘やかしているのは、自分の妹のようだが」

「俺の今の家族は俺を含めても、三人だけだからな。そりゃあ、少しは甘やかすし、我が儘だって聞きたくもなるさ」

「そうか……お前の本当の両親は……」

 今でも瞼を閉じると思い出す。

 あのどす黒い炎が、ヴァンの全てを奪い去っていったのを。


「ああ、七年前に死んだよ」


 気が付けば燃え盛る家から抜け出していた。

「贅沢者だな、私は……。ヴァンには血の繋がりのある両親はもういないというのに、私にはどれだけ最低でも両親は健在だ。兄もきっとどこかで生きていると信じている。それなのに……私はお前に酷いことを訊いてしまったのだな」

「いや、気にしていないよ。それに、どちらかより不幸かを比べるなんて不毛だ。意味がないし、それに分からないさ。持っている者と持たざる者。どちらが不遇かなんてことは……一生答えなんてでない」

 ――持っている者、といえば、チギリの持っていたものはなんだったのだろう。

「そういえば、お前の大切なものってなんなんだ?」

 こちらだけ大切なものが一方的に知られているのは、どこか不公平だ。ならば、チギリの大切なものも訊いておきたい。

 だけど、


「そんなものはない。――私には、大切なものなんて何一つない」


 チギリには何もなかった。

「そ、そんなわけないだろ。実際にお前の分の黒い球も飛んでいったんだから、お前にだって大切なものぐらいあるだろ」

 どんな聖人君子だろうが。どんな世界の滅亡を企む大悪党だろうが。

 どんな人間にだって分け隔てなくあるはずだ。

 大切なものがあるから、それを支えに生きていける奴だっているのに。

「それじゃあ、ヴァンのあの指輪ってなんなんだ? そういえば、ずっと首から下げているような気がするが」

「あれは……命の恩人にもらったものだ。正確には、俺が勝手に指輪を掴んでとってしまったものか。七年前のあの日、あの時救ってもらった証なんだ、あの指輪は」

「……命の恩人? なんだそれ? 初耳だな。どんな奴なんだ?」

「俺にも分からない。分からないから俺は探しているんだ。手がかりはこの指輪と、それからこの学園の制服だけだ」

 あの時、指輪を下げていた恩人が来ていたのは、この学園の制服だった。

 それ以外の身体的特徴は意識が朦朧としていて分からなかった。

 だが、年上で、それから桁違いの魔力を持っていることだけは分かる。

 最後の瞬間、彼女は忽然と姿を消した。

 瞬きなど一度もしていない。

 網膜に灼きつけようとしたのに消えたあの魔法――恐らく『|特異魔法(スペシャリテ)』だ。

 空間転移(テレポート)や、透明化(クリア)の魔法を使えるのは、魔導士の中でも極少数。すぐに割り出せると思ったが、そんな魔法学生(メイジメイト)は一人もいなかった。

「ここの学生だってことは確かなんだけどな。だが、俺が見たであろうその人はこの学園にはいなかった」

「……在学生でいなければ、卒業生っていう可能性があるんじゃないのか? 図書館に行けば、何か分かるかもしれないぞ」

「でも、個人情報を取り扱っている本棚には、三年生か先生以外近づけないはずだろ。夜中にこっそり忍び込もうとしたら、とんでもなく強力な魔術結界が張ってあった。痕跡を残さずにあの魔術結界を破れるのは、恐らく教師クラスだろ」

「…………いや、私達二年生でも図書館深部に立ち入る方法があるぞ」

「なに!? なんだよ、その方法は一体―!?」

「それは――」

 しかし、チギリの言葉は続かない。何故なら、

「あれは……おい! あったぞ、黒い球が!」

 台座のようなところに、チギリが黒い球が鎮座しているのを見つけたからだ。

 しかも、二つもだ。

 あと一つはどこにいったのかは知らないが、やはりここに結集していたのだ。

 もしかしたら姿を見せないイリーブが一つだけ既にとって、この場を去ったのかもしれない。

 先に道はなく、ここがこの洞窟の終着点か。

 他にもたくさんの分かれ道があったから、行き違いになったかもしれない。

 だが今はとにかく、取り返さなければ。

「待て! 迂闊に近づくな!」

 チギリの絶叫に振り返ろうとするが、首が途中で止まってしまう。

 洞窟の影となっているところに、何か巨大なものが潜んでいた。

 頭が洞窟の天井にくっつきそうなぐらいでかい。しかも――それは一体じゃない――!? その獣はブン、と無造作に腕を振ってくる。

 鋭利な爪が襲い掛かってくる。

 適当に蹴散らすような動作なのに、避けられるような速度じゃない。だから――

「なっ――!」

 後ろから首根っこ捕まえられて、安全地帯までチギリが引き戻してくれなければ直撃していた。


 ドゴォォン! と、たかだか腕を振るっただけで、視界全体に土煙が舞う。


 爪痕が地表にくっきりと残るほどの威力だ。

「大丈夫か!? ヴァン!」

「なんだ……あれは?」

 チギリに押し倒された状態で、後ろにいる異形の化け物へ目が釘付けになる。

 目を離したその瞬間殺されてしまいそうだ。

 三体だと思っていたが、そうじゃない。

 一体の《バク》だった。

 だが、普通の《バク》ではない。

 一つの胴体に、二つの頭がついている。

 獲物を仕留めきれなかった怒りに狂った眼光が、洞窟内でも輝く。

 人間の骨など一噛みで砕きそうな立派な歯の間から、突風にも似た荒い息を漏らす。

 黒い犬は長い舌を垂らして、涎の糸をぼたぼたと雨のように幾重にも地面に落とす。

 艶美な毛並みを逆立てさせながら、しなやかな四本足で佇む。

 シャー、と縄のようにうねっている尾は大蛇。

 そして、頭は二つある黒い犬。これは――


「『オルトロス』だと……!?」


 おとぎ話の怪物だ。

「伝説級の『バク』が、どうしてこんなところで番犬をしているんだ!! アムリタの差し金だったとしても、私達だけでなんとかできるような相手じゃないぞ!!」

 本当にアムリタが用意したものか? いくらなんでも趣味が悪いの一言で片づけられない。森の中で遭遇した不自然なまでに多かった狼の『バク』といい、第三者の介入を感じる。

 しかも、オルトロスを従えさせることができるほどの実力を持った魔術師による介入だ。

 だけど、狙いは一体なんなんだ。

 自分達三人が邪魔だから排除したいのか。この洞窟に何か秘密があるのか。それとも、自分達三人の内の誰かに恨みを持っている人物の犯行か。

 だとしたら、ここにいるのは危険だ。せめてアムリタに事情を話して助けを呼んでもらうのが一番だ。だけど、

「それでもやるしかない。大切なものを取り戻すために。この様子じゃ逃がしてくれそうにもない……だけど……お前は速くここから逃げた方がいい。俺にだって足止めぐらいはできる」

 チギリは関係がない。

 黒い球が二つしかないということは、チギリの言うことが真実だったということかもしれない。本当に大切なものがないのなら、黒い球が途中で弾けたのか。

 だったら、チギリに戦う理由などない。

 だが、ヴァンには退けない理由がある。

 オルトロスがあの黒い球をそのまま放置するとは考えづらい。すぐにでも消してしまうかもしれない。だから、チギリだけでも逃がして――

「私も付き合おう。この私に大切なものがなくとも、お前の大切なものなら――私にとっても大切なものだからな」

 鞘からスゥ――と剣を抜き取るチギリを見て、笑みがこぼれる。

 自然と背中を合わせるようにして、半身。突進する構えではない。むしろ横に避けやすいような姿勢。圧倒的な力を持つ者に特攻は自殺行為だ。

 そして目配せなどしなくとも、チギリはこちらの動きに呼応してくれる。

 鏡を見ているかのように同じ格好になる。

「……ありがとう。だったら俺は俺のもう一つ大切なものを守ろう。――チギリ、お前をな」

 そういって、少しだけチギリの赤くなった横顔を見る。

 だけど、大切な人は素っ気なくしか答えなかった。

「……言ってろ」

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