第25話 元支配者は勝利を確信して哄笑する

 コレクベルトは、ひっくり返った蜘蛛のように地面を転げ回る。

 息も絶え絶え。

 背骨を後ろの壁に擦り合わせるようにしながら、少しでも領民達の復讐に燃えた双眸から距離を取る。矜持をかなぐり捨てながら、数の暴力に対して原始的な恐れを抱いて総身震わす。

 領民達を支配できていた地位から、一気に地の底まで引き摺り下ろされた。

 頂点に君臨する。

 それは恐らく、コレクベルトの人格を構成していた中で、最も割合を占めていたものだ。

 ベリベリと薄っぺらな金メッキが剥がれ、最終的に残ったのは保身。

 私兵達は多勢に無勢な領民達の前にジワリジワリと倒されて言って、もうほとんど残っていない。分が悪いからと裏切って領民達に加勢する者も続出した。

 最後の切り札であった《ポイニクス》も破られた。

 全てを失ったコレクベルトにできることは、我が身を案じることしかできなかった。

「やめろぉっ! お前達! いったい誰がここまでラクサマラを守ってきたと思ってるんですか……。この私がいなかったら、こんな寂びれたフロンティア潰れてしまっていたんですよ! それをここまで持たせたのは、ほかでもない私のおかげです!」

 領民の独りが皆の代弁者として、憎しみの感情を激に飛ばす。

「ふざけんな! お前が俺らから搾り取ったからこうなったんだろうが!」

 それから口々に領民達は、不平不満を訴え出る。

 ヒエラルキー最下層の住人らしい、手前勝手な意見ばかりだった。流石はドトリナスとウーゼニアのおこぼれにあずかっただけの連中だ。完全に、今まで何もしなかった自分達のことを棚上げしている。

「……こんな辺境の地に左遷されて、上へ行く道を閉ざされた気持ちが、お前らみたいに最初から地を這いずり回っている奴らに分かるのですか? それでも頂点に立つために、弱者から金を掠め取って何が悪いんですか?」

 コレクベルトは、ラクサマラへ突然異動を命じられた。

 連盟加盟国であるラクサマラが貧窮に瀕しているので、立て直せという表向きの命令が下ったが、実際のところは全く違う。

 体のいい首切りだ。

 永遠に近い戦力外通告をされた。絶望の淵に立たされたといっても過言じゃない。同僚達には鼻で笑われた。出世街道から外れた人間に、いい気味だと陰口を散々叩かれた。落伍者を視るような憐憫の視線を浴びせられた。

 だが、それでもふかふかな椅子の座り心地が忘れられなかった。

 必ず、『F.U.G』の上層部の階段を再び駆け上がる。そして『F.U.G』の頂点に立ってみせることこそが、コレクベルトの野望だ。

 その野望を――夢を――諦めたくなかった。

 その為には、力が必要だった。

 理不尽な命令をねじ伏せるだけの力だったら、それが財力だろうが権力だろうが必要だった。

「お前らみたいに、人任せで自分から何もしようとしない奴らと私は違うっ! いつか絶対にまた帝都へ……私はまたあそこまで成り上がってみせる。だからクズ共、この私を助けろっ!」

 偉ぶった口調が、領民達の逆鱗に触れたようだ。

 怒りが沸騰したように、

「こいつ……やっちまえ!」

 個が群をなして、雪崩込んでくる。

 コレクベルト独りを取り囲んで、圧倒的力を持って排斥しようとしている。

 恥ずかしくないのか、こいつら。

 寄ってたかって武器を所持している。たった独りの、しかも丸腰の人間を追い詰めるためだけにそこまでやって、心が少しでも痛まないのか。

 憤怒に燃えている瞳の領民達には、何も目に入っていないように見える。

 コレクベルトではなく、もっと遠くの。

 どいつもこいつも、辛酸を舐め続けていた自らの過去から目を逸らしている。

 ドトリナスを見殺しにし続けてきた記憶を、今だけでも闇に葬り去るために、コレクベルトを利用にしているだけだ。過ちをなかったことにしたいだけだ。

(こんな終わり方で……私は……)

 武器や殴る蹴るなどといった一方的な蹂躙は、あちらの人数が多すぎて逆に一撃必殺にはならない。一斉にかかればそれは当たり前のことだが、怒りに支配されている彼らにはそれがわからない。

 亀のように身を固めるコレクベルトへ武器や拳が叩きつけられる。後頭部から血が流れながら、生命が削られていくのを体感する。

 一気に殺ってくれた方が、この苦境から解放される。

 楽になれる。

 だが、そんなことを許してくれない。

 嬲るように大勢の人間がコレクベルトを傷つけ、傷つけ、


 そして、停止した。


 まるで台風が巻き起こる予兆のように、異様なまでの静けさがその場に漂う。

 領民達も不穏な空気を感じ取ったようで、コレクベルトに対する逆襲はパタリと止む。

 誰もが不安に駆られ、反駁してくれるのを期待するような瞳で見交わし合う。

 だが、どいつもこいつも揃って口を重く閉ざして、病的なまでに蒼白な表情を浮かべる。

 何かが擦れ合うような音。

 地面の砂が、まるで自意識を持っているかのように蠢く。

 少しずつだが、砂は確実に一箇所に身を寄せ合う。脳髄をかき回すようなノイズ音は、次第にその存在が明らかになっていく。

 いや、それは砂ではなく――灰。

 地に這いつくばっていた灰が、磁石みたいにくっついていくと、生物の輪郭をなぞっていく。灰と灰は集合していき、どんどん質量は肥大化していく。

 領民の間に恐怖が伝染していく。

 絶叫の如き悲鳴を上げる者も現れる。

 この場にいる誰もが、その圧倒的な強さは骨身にしみているはずだ。逆らおうとする気すら起こせない。そんな気が触れるようなこと、凄惨なる過去を頭に刻まれたラクサマラの領民ができるはずがない。

 こいつらが決起できたのは、ひとえに安全だったから。

 勝利を確信し、自らが傷づかないと判断できた時だったからだ。

 だが、その平和もすぐに終止符が打たれることになる。

「ハハッ」

 だが、たった独りだけ、狂気じみた喜びに身を委ねる者がいる。

 コレクベルトだけは、邪悪な笑みを隠しきれない。

 歓喜に呼応して震えが止まらない指を抑えるために、両拳を力いっぱい握り締める。

 燦然たる光が降り注ぐ、雲なき天空を仰ぎ見る。

 網膜を灼き尽くす光量のせいで、眼球の水分が枯渇する。

 まるで神に祝福されているかのような天候に、口元が次第に緩んでいく。ついには耐え切れなくなって、罅割れた哄笑が迸る。


「アッ――ハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」


 絶望を感じ取った領民達は金縛りが解けると、我先にとみっともなく逃げ惑う。押し合って、さっきまでの結託なんてなかったかのように足を引っ張り合う。

 蘇ったのは不死鳥ポイニクス。

 今回は復活するのがあまりに遅延したため、ほんとうにその命を散らしてしまったのかと頭を抱えたが、全ては杞憂に過ぎなかった。

「バカがッ! 貴様らの命運もここで完全に尽きましたね」

 最早、《ポイニクス》の猛攻を防ぎきれる猪口才な障害物など存在しない。

 『灰かぶり』の頭領たるドトリナス。

 余所者ながら、一度は《ポイニクス》に土をつけたウーゼニア。

 都合がいいことに、その両名は影も見当たらない。

 僥倖すぎるほどの条件に、もはや笑いしか生まれない。

「そうです! 最後に笑うのはいつだって私。あはっ、あはははははは。正義は必ず勝つようにできてるんですよっ!!」

 蜘蛛の子を散らすようにして背を向ける領民達が、あまりにもちっぽけに見える。

 哀れだ。

 そんな可哀想な者達にあげられるのは、死という絶対的な絶望だ。

「死ねぇえ! どいつもこいつも死んでしまえぇ!!」

 真横に腕振りをして、《ポイニクス》に殲滅命令を下す。

 ここにいる全ての領民達は、疑う余地もなく反逆の徒。それを殲滅するついでに、このラクサマラが更地になろうが知ったことではない。

 絶対の支配者に逆らった報いは受けるべきだ。

 《ポイニクス》がその両翼を全力で広げて、蝸牛のようにのろのろと動く標的に狙いを定める。どこまで逃げようが、空を滑空できる《ポイニクス》から逃れる術はない。

 真空波が二重三重に飛ぶ。

 あらゆる万物を一瞬にして細切れにできる斬撃は、上空から爆撃のように落とされ、


 コレクベルトに猛威を振るった。


 かッ――と、喉の機能が壊れてしまったかのような音が漏れる。

 間違いなく、《ポイニクス》が狙ったのは、他の誰でもないコレクベルトだった。領民達は一瞥しただけに留まって、確実にこちらに首を固定している。

「……ポイ……ニ……クス……?」

 腰が抜けてしまって動けない。

 コレクベルトのすぐ横には、真空波による溝ができていた。あと少しずれていたら、首と胴が別れを済ませていた。

 《ポイニクス》は、コレクベルトの座り込んでいる箇所にマグマを吐く。種火となった火が建物から建物へと燃え移り、風に乗ってその猛火の勢いがどんどん増していく。

 コレクベルトは声を枯らして何度も《ポイニクス》に命令を下すが、こちらの指示を聞く気がない。

 《精霊獣》は、自分が敗北を認めた人間だけに頭を垂れる。

 だが、《使役者》の実力が劣っていることを判断すると、枷は外れる。使役する前と同様自由に行動するようになる。ずっと拘束されていたのを不満に思っていたのか、憤怒するかのように暴虐の限りを尽くす。

「お前も……なのですか……。……お前も……私を裏切るんですか……?」

 熱波だけで、空間が歪みそう。

 あらゆる建物がチーズのように溶け落ちて、地面には破壊の跡が刻まれる。

「どうして、どいつもこいつも私を裏切る……」

 グラスに裏切られ。

 私兵に裏切られ。

 そして、自らの《精霊獣》にすら裏切られた。

 もう、コレクベルトの味方なんて一人たりともいない。

 なんて理不尽なんだ。

「――けろよ」

 《ポイニクス》は、炎熱満ちる火球を嘴に蓄える。

 圧縮しているがために、単純にマグマ吐くよりも数十倍の威力を誇る。人間に直撃してしまえば、ただの一撃だけで骨すら残れない。

 それを大砲の砲弾を放つように、コレクベルトへ向けていた。

 ただ無造作に攻撃していた先刻とは違い、確実にコレクベルトに焦点を合わせていた。自らを支配していた存在を消し炭にすることで、ようやく自由を得ることができると盲目してるようだった。

 目を覚まさせることなんてできない。

 こちらが抵抗できるだけの武力なんてない。切り札があれば、とっくに使っている。

 そして、とうとう火球を解き放った。

 轟音を鳴り響かせながら、慈悲なき一撃が放たれた。ここまできたら、例え《ポイニクス》本人ですら止めることができない。


「誰でもいいから――助けろよおおおおおおおおおおお!!」


 差し迫ってくる脅威。

 明確なる死の恐怖が体を支配し、悲しみに打ちひしがれるしかない。今までやってきた所業が、頭の中でありありと映像となって流れる。こんなところで死に絶えることなど、考えもしなかった。

 凄まじいまでの威力を持つ火球は、そして――


 真っ二つに斬り裂かれた。


 ドパァン、と凝縮していたマグマは、コレクベルトの左右で黄身のように潰れる。ドロドロとしたマグマは地面を溶かす。

 それだけじゃない。

 ただの一閃で《ポイニクス》は切断されていた。火球と同じく、真っ二つになっていたのだ。

 身体のあちこちを見てみるが、《ポイニクス》の先ほどの攻撃は全く受けていない。九死に一生を得た。

 だが、実感が湧かない。

 有り得ない。

 助かるはずがなかった。

 あの《ポイニクス》の最強たる一撃を力押しでどうにかできる人間が、この世にいること自体信じられなかった。

 そして、結果として命の恩人になった奴が、誰なのかが全くわからない。少なくともラクサマラの領民ではない。どこかで見たことはある気がするのだが、すぐには顔と名前が一致しない。

 女だ。

 両手に携えている二本の長剣の銀色の刃は、ギラついている朝日を反射させる。

 煌びやかな発光を身に纏いながら、その凶刃は血でぬれている。

「ようやくあいつがこのラクサマラに来たって情報を手に入れて、リュウキュリィアから駆けつけてみれば……いったい何が起こってるのよ……。どこ探してもあいつはいないし。……まったく……今日は厄日ね」

 女は気だるげに独りごちりながら、ラクサマラを崩壊させるだけの戦闘力を誇る《ポイニクス》を討ち取った。

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