第24話 集いし仲間と海原へ旅立つ
「ああああ。もうだめだだめだー、死ぬー」
人の気配がないことをいいことに、ウーゼニアは遠慮なくその場にブッ倒れる。大げさすぎる言い草ではあるが、心身ともに磨り減らしてしまっているのは確か。
岩肌が波で抉れている場所で、このまま熟睡してしまってもいい所存。
ぐぅぐぅ、といびきをかくまねをしてみるが、なんだか虚しい。自分でもアホなことをやっている自覚はあるが、どうにかして心の奥底から湧き上がる、このなんともえいえない寂寥感を拭いたかった。
土埃が降灰に混じりゆきながら、ウーゼニアを覆い隠す。より一層希薄な存在にしてしまう。
潮騒が耳朶に響く波打ち際。
海中電車は包囲網が敷かれていて、ドトリナスの根城方向からはどうしても到着することはできなかった。もしかしたら他の場所なら包囲網の薄い箇所もあったのだろうが、何だか突破する気力もなかった。
そうしてラクサマラの端にまで来たのはいいが、いい加減血液が足りない。もうどうでもいいから、プカプカ大海に浮かんだままどこかに漂流してくれないかなあ、と考えていた。
だが、今の状態で海に入るのはただの自殺行為。
傷口がパックリ開いて、海の藻屑と化すこと受け合いだ。
仰向けになる余力もないまま、頬を地面に押し付る。
地面はひんやりとして気持ちいい。
すっかり朝日が昇ってしまい、気温が尻上りに上昇していく。
太陽光は海に反射してさぞかし圧巻の景観が広がっているのだろうが、そんなもの見たところで虚しさが助長されるだけだ。どんな出来事もそれを共有する人間がいなければ、ただの色褪せた思い出にしかならない。
微睡みながら、嫌なことを思い出す。
「あー、そういや。金ないーじゃんかよ」
今思い返せば、ドトリナスの根城でカッコつけるようにしてたそがれていた。どうにも自分の世界に浸っていたように想える。恥ずかしい限りだが、今またあそこに舞い戻るのは、いくら向こう見ずを体現したようなウーゼニアであっても到底無理だ。
どんな面してあそこに戻ればいいのか。
しかも、ドトリナスに盗まれた金を請求するために戻るなんて、一体どれだけ空気が読めていない奴なんだろうと思われる。
ドトリナスは、もう手が届かない存在となってしまった。
ラクサマラを救った英雄になったのだから。
だからもう、気軽に会うことすらできない。
だとすると、一文無しのウーゼニアは、海中電車に乗車することも叶わない。本当ならば、体面なんて過剰に気にせず、当たり前のように金の無心をすればいいだけだ。どれだけ批難の目を浴びせられようとも、ウーゼニアにある正当な権利なはずだ。
でも、それはできない。
できない理由がある。
みんなで、和気あいあいとしているのを見せつけられるのが嫌なんだ。
あっちに悪気があるわけじゃないってわかってる。それどころかこの理不尽な感情が、全部自分勝手な一人相撲だってことも。だけど、ああいう手に手を取り合って、という関係性を見ると、なんだか気分が悪くなってしまう。
それでも、ああいう本当の絆みたいなものには憧憬の念を抱いてしまう。
くだらない、と一蹴できるほど、家族に恵まれているわけでもなくて。
自分でもどうしていいのか、何がやりたいのか。あやふやだ。
そんな自己嫌悪に陥っているウーゼニアのことを、誰でもいいからぶん殴るでもなんでもいいから一喝入れて欲しかっ――
「おえっ!」
と、上からとてつもない重量感のあるものが伸し掛ってくる。
確かにぶん殴ってでも、とか一瞬思ったりしたが、本当にやるなんて。重症を負った人間に対して、なんてことをするんだ。しかも殴るんじゃなくて、踏みつけるだなんて、いったい誰だ。
冗談抜きに、外側から内臓が潰されそうなほどの重さ。なんだか前にもこんな風に死にかけたような……。
既視感を覚えながら首を捻じ曲げると、
「…………《ガルグイユ》?」
どうしてこんなところに。
《使役者》であるグラスの姿はどこにも見当たらない。
単独行動らしい。
《ガルグイユ》は、甲羅の隙間から首を伸ばし、ウーゼニアの腕辺りに押し付けてくる。攻撃か――と一瞬身構えてみるが、どうもそうではないらしい。むしろウーゼニアの身体を労わるように、首を器用に使って優しく撫でてくる。
何やら擽ったい。
そして、ひとしきりウーゼニアの身体を触診すると、《ガルグイユ》はパクンとウーゼニアの服に噛み付いてくる。パックリ、そのまま横から肉体を食いちぎられるのかと思いきや、なんのつもりなのか、そのままゴツゴツと突起のある甲羅の上に乗せようとする。
「なんだ、なんだ?」
当惑しながらも、為すがまま。
《アルラウネ》を自在に扱えるだけの体力がない以上、《ガルグイユ》の逆鱗に触れてもいいことは一つもない。
ボスン、と《ガルグイユ》の背の甲羅に乗る。
尻が痛くなるのではと思っていたが、実際に乗ってみると意外に乗り心地がいい。
「どうしたんだお前? グラスの《精霊獣》だろ。なんで俺にこんなに懐いているんだ?」
何やらじんわりと胸のあたりに温かなものが染み渡っていると、
「《ガルグイユ》がお前のことを認めたんだろ、自分の《使役者》として」
聞き覚えのある声。
一緒に視線をくぐり抜けたばかりの人間だったが、ここにいるはずがない。肩で息をしながら、ウーゼニアがラクサマラを出ようとするその前に駆けつけたとばかりの様子だ。
だが、そいつにとって重要なのはウーゼニアではないはずだ。
昔馴染みの仲間が生きていたのだ。積もる話もあるだろう。今頃、たくさんの領民達の笑顔に囲まれたまま、仲間達と勝利の美酒に酔っているのだと思っていた。
そこまで必死の形相になってウーゼニアを追いかけてくるなんて想定外過ぎて、反応に困って呆気にとられてしまった。
そこにいたのは、ドトリナスだった。
その様子はあまりにも自然体。
見間違いかと思うぐらいに、普通に解説してくれたので、逆に驚くタイミングを喪失してしまった。
ウーゼニアはザラザラとした灰が口内に侵入するほど口を開けながら、甲羅を滑るようにして地面に降り立つ。
「……ドトリナス。何やってるんだよ? 主役がこんなところにいていいのか?」
「別にいいだろ。あっちはあっちで楽しくやってるようだしなあ。俺様はどうせテロリストだからなあ。善良な領民と仲良くできる身分じゃあない」
なんだか達観している物言いがムカついた。
もう少し欲張りになってもいい。
ドトリナスはそれだけのことをやってのけた。
「だけど、領民全員がコレクベルトに反旗を翻したんだ。他の誰かが領主になったら、あんたの罪も帳消しになるんじゃないのか? テロリストとしての肩書きもなくなって、英雄として扱われるんじゃないのか?」
「……かもな。だけど俺様はなにも英雄になろうと、コレクベルト達と戦ったきたわけじゃない。ただ俺様の夢を叶えるためにそうしていただけだ。そして……ラクサマラにいちゃ……俺様の夢は終わっちまう。だから――」
「一緒に旅をしようぜ、ウーゼニア」
感極まって、あ――と一声出しただけで硬直してしまう。
今一番言われて欲しいことを、そのままドトリナスが言ってくれた。
ここに駆けつけて来た時に予感がなかったといえば嘘になるが、それでもドトリナスはこのラクサマラに居座る方がいい想いをできるはずだ。
テロ活動をしていたドトリナス。
しかも頭領だったから、それなりの責任は問われるかもしれない。だが、それは形式上のこと。ほとぼりが冷めれば、それなりの報酬をもらえていたはずだ。
それらを振り切って、愛する故郷であるラクサマラから外界へ飛び出すなんてことをドトリナスがやるだなんて。
しかも、その同行者として選んだのがウーゼニアだなんて。
「……俺なんかでいいのか?」
「他に誰がいるんだよ。お前と戦ってみて分かったが、俺様の《サラマンダー》と相性がいいみたいだからなあ。これからも戦いやすいだろう。それに、お前みたいな愉快な馬鹿と一緒に旅ができるなら願ったり叶ったりだ」
「誰が、馬鹿だ。これでも俺は、リュウキュリィアではそれなりに頭良かった方なんだぞ」
「まあ、リュウキュリィアはど田舎だからなあ。そこで、それなりの頭の良さってことは程度が知れるってもんだ」
「口が減らないのは相変わらずだな……。ちょっとは……英雄様らしくしたらどうだ」
バチバチと火花を交換し合う。
元々は殺し合いすらした敵どうしだ。再戦するというならば、手加減なんてするつもりはない。
まずは傷口を狙うとするか。爆弾を持っていないドトリナス相手ならば、楽勝で勝てるような気がする。……が、こちらの《アルラウネ》もほとんどの力を使い果たしている。
ということは、条件は五分五分だ。
不意打ちすれば、一気に勝負の流れはこちらのものだ。とか、冗談に過ぎない計略を巡らすと、気になることを問いただす。
「そういえば、《ガルグイユ》が俺のことを認めたって……?」
「……ああ。他の領民達に聞いたけど、お前……《ガルグイユ》と一戦交えたんだって? その時に勝ったらしいなあ。にわかには信じがたいが、それでお前の実力を認めたんだろ。《精霊獣》はそれを操る《使役者》の任意で、他の《使役者》に譲渡できるしな」
「えっ? そんなことできたのか?」
「……そんな常識も知らなかったのか。……ま、まあ、他にもケースはあるが、《精霊獣》が他の《使役者》のものになるのは特に珍しいことでもない。……例えば、《使役者》が死んだ時とかなあ」
「ハハハ」
物騒な物言いに笑うしかない。
自分もあと一歩間違えていたら《アルラウネ》を手放していたのかもしれないと思うと、馬耳東風というわけにもいかない。そんなことにならないよう、肝に銘じておこう。
「『灰かぶり』の連中とは別れは済ませたのか? 死んだものだと思っていた奴らなんだろ」
「ああ。どいつもこいつも俺様なんかいなくたって大丈夫そうだった。あいつらさえいれば、ラクサマラの領民はこれから正しい道を自分達の意志で歩いていけるさ」
そう言って、ラクサマラの街を見据えているドトリナスの横顔は、どこか大人びていた。
塩気のある風に舞う灰が眼に入ったのか、ひっそりと睫毛を顰める。
何か思うこともあるだろう。
いい思い出ばかりではなかっただろうが、それでも仲間達との別れというのは感傷的にならざるを得ない気がする。
ウーゼニアがリュウキュリィアを出るときにには、そんな心の余裕はなかったから分からない。だが、少しばかり落ち込んでいるように視えるドトリナスに、どうにかして元気を取り戻して欲しかった。
「……ったく、何偉そうに言ってんだ。そもそもお前が金盗みさえしなければ、こんなことになってねぇんだよ、そもそもな。さっさと盗んだ分の金を払――」
「ほらよ」
どん、と麻布で作られた袋をウーゼニアの目の前に差し出してきた。さらけ出すまでもなく、縄で締めることができないほどに溢れ出たのは――これでもかかと主張する札束の山。
小ぶりな家ならば、一軒ぐらい余裕で建つほどの量だ。
こんなもの一介の領民が持っているようなものではない。
「ど、どうしたんだ? この金?」
「ああ。コレクベルト邸から目に付くだけかっぱらてきた。もともとは俺達ラクサマラの金なんだから、このぐらい当然の権利だろ?」
「……あんたも、大した悪党だな……まったく……」
ガジガジ、と後ろ髪を面倒くさげに掻く。
「これで俺達は貸し借りなし。対等な関係だ。これで俺が共に行動するのに、文句なんて無いだろ?」
晴れやかな顔をしたドトリナス。
横を見ると、《ガルグイユ》も人間ではないにしろ、同じような表情を浮かべているようにも見えた。
喋ることができない《ガルグイユ》は唸り声を上げながら、海へ着水する。どうやら浮かぶだけでなく、そのまま泳ぐこともできるらしい。
そしてくいくいっと首で乗るように合図してくる。
「安心しろ。《ガルグイユ》は水竜だからな。陸上より、むしろ水面の方が動きは速いだろ」
ドトリナスの言葉が最後の後押しとなって、勢いよく《ガルグイユ》の甲羅へと飛び乗った。
それに続くのは、もちろんドトリナス。
同乗しやすいよう、手を出してやる。その手をしっかりと握り返して、ドトリナスと二人して《ガルグイユ》の甲羅でまったりと座り込む。
一面に広がるコバルトブルーの海。
チャプチャプと白波が寄せては返す。
その先のフロンティアなんて全く見えることがない、未知なる世界が無尽蔵に広がっている。
期待に胸をときめかせながら、明瞭な声でウーゼニアは絶叫する。
「行くぜ、ドトリナス! 《ガルグイユ》!」
「目的地は、『K.O.F.T』開催地――――――帝都だ」
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