第23話 孤独な異物はその手で幕を下ろせない

 ウーゼニアは倒壊した建物を見やって、満足そうに笑う。

 全てが終わったあとに訪れたのは虚脱感。

 アドレナリンが分泌されていたから無心で矢を放つことができた。だがが、全身にまとわりつくような疲労感や、ズキズキと痛む傷を意識してしまうと、歩くのもままならない。

 全身の細胞が休むのを求める。

 ウーゼニアと同様、いやそれ以上に死力を尽くしたドトリナスの元に、棒のようになってしまった足を引きずりながら近寄る。辟易しきったドトリナスは、仰向けに倒れていた。

 どちらも無様であることに変わらない。

 鏡のない自分がどんな姿をしているか視認できないが、きっと眼下のドトリナスのように酷い状態なのだろう。

 そう思うとおかしくてしかたない。

 口の中が降灰でいっぱいで、砂を噛むよう。

 火で炙られているかのように、風で切ってしまった手足が熱い。

 とっとと治療するなり、ベッドに横になるなりしたい。

 こんな状態でよく今まで戦えたものだ。

 それはきっと、ドトリナスが一緒になって巨大な敵に対して抗ったからだ。

 唇の端を持ち上げながら、お互いの健闘をたたえるように手を差し伸ばす。

「よう、大将。立てるか?」

 冗談めかしたウーゼニアの手を、迷わずにドトリナスは弱々しく握る。ヘトヘトになってるせいか半眼になっているドトリナスを、海で溺れた人間を救助するみたいに引き上げる。

 一気に立ち上がったせいか、フラリと貧血になったかのように千鳥足。

 縺れるように足をばたつかせるが、ウーゼニアの肩に掴まるようにしてなんとかバランスをとる。羞恥心があるのか、ハッとドトリナスは誤魔化すように鼻で笑う。

 そして何か重大なことを話そうとするかのように、表情を改め――


「そこまでです!」


 ザ、ザ、ザ、と規律のある足踏みが、不安感を煽る。

 甲冑に身を包んでいる集団が、あっという間にウーゼニア達を取り囲む。

 相当な訓練を積んでいることは機敏な動きから分かる。

 一人ひとりがその辺のゴロツキとは一線を画す実力者。それが何十人にも及ぶ人数で、敵意を持って包囲してくるのはかなりの威圧感だ。

 私兵を盾に取りながら、安全圏に立っているのはコレクベルト。

 勝利を確信している表情だ。

「手こずらせてくれましたね。随分と頑張ってくれたようですが、それもここで打ち止めです。満身創痍であるあなた達と、傷一つないこちらの私兵とどちらが強いか戦わずともわかりますよね?」

 冷静にこちらの戦力を分析する。

 ドトリナスは《ポイニクス》との戦闘において、残存する爆弾は絶無。小脇に控えている《サラマンダー》のへたり具合から鑑みてすぐさま爆弾を生成して、トンズラをこくなんて都合のいいことできそうもない。

 ドトリナスの疲弊しきった肉体では、徒手空拳でこの人数に挑むのは理論上不可能。それは、巨像に対してアリが挑むようなもの。

 はっきりいって戦力にならない。

 爆弾を使えないドトリナスは、ただのお荷物だ。

 それに比較してウーゼニアはというと、ドトリナスとそこまで大差はない。無尽蔵に蔓や大木を《アルラウネ》が出し続けられるわけではない。人間と同じように《精霊獣》の能力には限度というものがある。

 無理をすれば能力を発動させることもできなくはないが、コレクベルトの私兵による包囲網を突破し、尚且つ逃げきれるとは到底思えない。となると、腕っ節の強さに頼ることになるが、はっきり言ってウーゼニアは激弱だ。

 潜伏することだけは得意なのだが、一体一の喧嘩でも勝てそうにない。

 選択の余地はないようだ。

 無理にでも《アルラウネ》の力を借りるしかない。

 覚悟を決めて、ドトリナスにアイコンタクトを送る。あちらもこちらの心情とシンクロしているようで、コクンと他の人間に気づかれないよう微小に頷く。

 コレクベルトは支配者らしい酷薄の表情を浮かべると、

「一斉に、かかれ!」

 高く上げていた腕を振り下ろして、大声で命令をする。

 甲冑に身を包んでいる私兵達が怒涛の勢いを持って襲いかかってくる。雪崩の如き猛攻が襲いかかり、押しつぶされる――はずだったが、


 コツン、と最初はただの石ころ。


 それから、どんどん巨大なものになっていった。木材とかゴミとかそのへんにあるものを無造作に、誰かが投擲してくる。いや、誰か一人じゃない。これは複数人だ。直撃を受けているのは、ウーゼニア達ではなく、コレクベルトの私兵達。

 援軍?

 だけど、そんな人間たちラクサマラにいるはずがない。

 一つ一つはあまりに小さな、気に留めないほどの雨粒のようなもの。だがどんどん投げられてくるものが増大していき、まるで土砂降りのように私兵達に降り注いでいく。

「誰だっ! こんなことをするのは! この私がッ誰かわかっているのか!?」

 今更取り消したりはできない、反逆行為。

 体制側であるコレクベルトに弓を引いてしまえば、ドトリナス同様に犯罪者扱いになってしまう。

 だが、それでも投げてくる者達の瞳に、揺らぎはない。

 独りじゃない。

 何人も、何人も。

 徐々にその数が増していき、ウーゼニアの視界に収まりきらないほどの領民達がその場に居合わせる。

 現状に絶望していた停滞していた彼らではなく、恐らくは昔の表情を取り戻してここに立っていた。

 これが、本来のラクサマラの領民。

 コレクベルトに支配され、傀儡となっていた彼らではない。自分たちの意思を持って、生ける屍と化していた彼らは、ここで戦う道を選んだ。

 自分たちの尊厳を取り戻す。

 ラクサマラの領民として生きるために、彼らは武器を手に持ってこの場に馳せ参じた。

「もうお前らなんかの命令なんて、知っちゃこっちゃねぇ!」

「消えろ! ここは俺達のフロンティアだ!」

「ドトリナスを守れ! ラクサマラの英雄を……今こそ!」

 一気呵成に、彷徨する領民達。

 一つ一つはただの言葉ではない。魂を込めてラクサマラの領民達捲し立てる。それらの声がどんどん高まっていき、まるで火山の噴火音のような轟音を響かせる。

 ただの烏合の衆では断じてない。

 一つの目的に向かって、一丸となった彼らの迫力は凄まじいものがあった。私兵達に動揺が走り、戦意喪失している輩も見かける。

 恐怖や金で支配されているだけの奴らには一生出せない力。長年鬱屈としていた想いを、ここぞとばかりに解き放つ。

 量の違いではない。

 質が違う。

 根源たる想いの重さがまるで別物だ。

 あらゆる人間達が、ドトリナスを救うために手を組んでいる。普段はしがらみや葛藤もあるだろうが、今この時だけはコレクベルトという共通の敵に対して立ち向かう。

 今まで戦ってこず、ドトリナスに全てを押し付けてきた。

 そんな傍観者たちが、絶対的な支配者であるコレクベルトに立ち向かうなんてどれだけの勇気を要しただろうか。後ろめたさもあっただろう。だが、彼らは確かに見ていたのだ。

 ドトリナスが何度倒れても、その度に立ち上がる姿を。

 きっと、どこか建物の影に隠れながらも、何もできなくとも、きっと歯痒い想いをしていたのだ。

 本当は誰もが立ち上がりたかった。

 だけど無謀だ。

 命の無駄使いだと吐いて捨てた。

 自分の心に嘘をついていた。

 そうしなくてはいけないから。支配されることで平和が続くのならばそれでいいと、信じきっていた。そうしなければ、一度ドトリナスを見捨てたことを後悔することになるのだから。

 一生自分達を責めつづけなければならなかったのだから。

 だが、そんな理屈はどこかに吹き飛んだ。

 どうなろうが知ったことではない、と開き直っているように想える。

 ドトリナスが――唯一のラクサマラ領民の生き残り。

 ちゃんとした意志を持った最後の一人が窮地に立たされたのを見て、そんなことをどうでもいいと思ってしまったのだろう。

 ラクサマラが本当の意味で崩壊することを、黙って見られるはずがなかったのだ。どれだけ心は腐敗していたとしても、元々の姿をようやく思い出したのだ。

 そんな領民達を見渡したドトリナスは感動したかのように打ち震えていた。そして、ある集団の一角を見やって呼吸が止まったかのように、

「……ナスカ……それに『灰かぶり』の……お前ら……」

 そいつらは、ウーゼニアの見たことのない連中。

 だが他の領民達と違って、動きが洗練されていて戦いなれているような気がする。あれが、『灰かぶり』のメンバーなのだろうか。

 一様に笑顔を浮かべて、ドトリナスと見交わし合っている。

「バカ……な……! 何故……何故生きているっ! あのゴミどもの処理は、グラスに一任したはず。……まさか……私を裏切ったのか……? 私の命令をあいつが聞かない――まさか、さらに上からの命令を受けて――」

 コレクベルトが何やら言っていたが、ウーゼニアの耳にはほとんど届いてなどいなかった。

 ただ目の前の奇跡じみた光景に立ち尽くしてた。

 『灰かぶり』のメンバーだけじゃない。裏道でウーゼニアが絡まれたアホ丸出し自称蒼龍とかも、それから空き巣をしでかしたあのクソ苛立った盗人の姿も拝見できる。

 どれだけ都合がいいんだよと思いつつも、ウーゼニアは強烈な疎外感を覚えていた。

 颯爽と、ドトリナスのピンチに駆けつけた時。

 ウーゼニアの力だけでドトリナスを救うつもりだった。

 コレクベルトを《精霊獣》共々バッタバッタとぶっ飛ばして、ドトリナスはおろか、ラクサマラ全てを救おう! なんて内心では息巻いていた。そんなどうしようもない傲慢さに、胸中は埋め尽くされていた。

 だが、そんなことできるはずもなかった。

 このラクサマラを救えるのは、ラクサマラの人間だけだったんだ。

 どうしようもなく、異物感が漂うのはウーゼニア一人だけ。

 全然だめだ。背景にすらとけこめていない。

 一体今までやってきたのはなんだったんだって思うぐらい、最後の最後で全てを持って行かれた気分だ。

 ラクサマラが、本来のフロンティアとして復興した。

 それを喜ぶべきなのに、素直に喜べていない。

 どうしてこんなにも自分は醜悪なのか。

 なんで喜べないのか。

 きっとそれは多分、みんなが一致団結していて家族みたいだから。

 ラクサマラの領民達は血なんて繋がっていないけれど、何か見えない糸みたいなもので繋がっているような気がする。一致団結して、問題を解決している。コレクベルトを打ち倒すのも時間の問題だと、見ていて分かる。

 なんというか。

 どうも現実感がなかった。

 ああ、そうですか、良かったですねって感じだ。

 なんという綺麗過ぎるハッピーエンドで、なんだか違和感すら覚えてしまっている。こんな……胸がとくんとくんと高鳴り、これほどまでに熱くなることなんてなかった。狩りをする時の高揚感とはまた違う。

 独りきりでしか感じられない心の動きなどたかが知れている。複数人と共有し、共鳴することによって、感情の波は激しく上下するものだ。

 他人と手を繋いで、一緒に困難な道を歩いていく。

 それは、どこまでも信頼している人間たちでしかできない。背中を互いに預け、そしてコレクベルトの私兵達と死闘を演じている。

 あんな風に条件反射で助け合っている領民達にしかできなくて、きっとウーゼニアはあの輪に入ることなどできない。

 彼らの心の絆の深さを見ているだけで、どうしようもなく悲しくなった。正直、歪んだものに見えた。実際に起っていることとは思えないぐらい、ウーゼニアにとって縁遠い光景だった。

 ずっと独りで何もかも抱え込んでいたウーゼニアは、孤独感とともに生涯を過ごしてきた。

 自分の感情を他人に打ち明けることなんてできなかった。心の叫びを訴えても、即座に全否定されることは分かっていた。

 だから信頼できるだけの家族なんて、ウーゼニアにはいなかった。

 目の前の光景はとても眩しくて、目が潰れそうだった。

 こうして旅に出て、今になってようやく何が欲しかったのか気がついた。だが、それはゼルミナと築けるようなものではない。根本的に何かがあの人と自分はズレている。

 もしかしたらホームシックにでもかかると、内心期待していた。

 心のどこかでは、あの人のことを欲していると。

 そんな人並みの感情が、自分にはあるのだと信じていたかった。

 だが、やはり自分にはそんなものなんてなくて。もっとリュウキュリィアから遠ざかりたいという気持ちしかなかった。

「……そっか……。俺のこの旅の目的、夢。それは『K.O.F.T』に出場することでもある。だけど、ゼルミナから逃げ出してでも叶えたかった、俺の本当の願いは――」

 もしかしたら、帝都へと向かうその道中で、自分が変えられるかもしれない。信頼できる人間が現れるかもしれない。そう――ウーゼニアが欲しかったのは――


「家族のような絆だったんだ……」


 この壊れやすいガラス細工な心を誰かに預けることができたのなら、その人間が自分にとって大切な存在となり得る。そうすれば、自然に垣根は取り払われるのだろうと、そう思っていた。

 だが、それは無茶なことだった。

 肉親の絆すら断ち切ってしまったウーゼニアが、赤の他人を心から思いやることなどできない。心の門扉を解放できないウーゼニアには、誰も近づくことなどできない。傍にはいれない。

 みんなの輪にいながら笑っているドトリナスを未練がましく見やる。

 そして――ウーゼニアは誰に気づかれるでもなく、その場から足音もなく消え去った。

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