第19話 余所者は命の危機に瀕して遁走する

「爆弾の無駄打ちはできない。走るぞ!」

 ドトリナスはボケっとしているウーゼニアを急かすと、廊下を駆ける。

 一気に建物の外に出ようとしたのだが、予想以上に地下の岩盤が硬かった。《アルラウネ》でも、地下室を突き抜けた一階まで蔦を伸ばすのが限界だったらしい。

 地下に置き去りにしてきた連中は、ここまで登ってくるのに相当手間取るはずだ。狭い地下通路は、統率をとるのにあまりに不向き。階段を上がってくるにしても、一気に押し寄せては来ないだろう。

 だが、目の前から騒ぎを聞きつけてきた、私兵達が踊りかかってくる。

 恐らくは、元々上にいた連中だ。

 地下に入りきれないからと、隊を分断していたのだろう。それとも、用心のために配置していたのだろうか。

 どちらにしろ、コレクベルトという司令塔がいないのは好機。絶対的支配者がいないせいか、動きに迷いがある。ウーゼニアとの戦闘の時も思ったが、彼らは自らの思考で動くのは苦手なようだ。

 私兵達が状況を把握できず、緩慢な動きになっている内に包囲網を突破するしかない。

 全力疾走で逃走を図るが、物量作戦によって追い詰められていく。

 指揮官がいなくとも、圧倒的な数の差はごまかしきれない。

 それに、相手は日夜訓練を怠っていないプロだ。一言に逃げるといっても、容易ではない。最初の戸惑っていた動きが薄れ、私兵達は次第に肩の力を抜いて、本来の動きに戻ろうとしている。

 このままじゃジリ貧もいいところだ。

 眼前にガラスの窓が迫っているが、ドトリナスは走る速度を一向に緩めるつもりはない。というより、緩めることができない、切迫した状況だ。少しでも立ち止まってしまったら、すぐさま捕縛されてしまう。

 背後からは、怒号の声が響く。

 突き当たりの廊下は死角となっていて様子は分からない。だが、その左右から轟く足音は、まるで地鳴りのようだった。

 通常の退路はこれで完全に絶たれた。

 だが、どうするべきかは脳みそではなく身体の細胞が教えてくれた。

「ウーゼニア、行くぞ!」

 靴底で窓ガラスをブチ割ると、そのまま突進するようにして、自由のある外へと転がりでる。

 濃霧のような灰が、闇の天蓋から降りかかる。

 こんな面倒な降灰であっても、地下に閉じ込められていた身としては、なんだか懐かしさを感じる。他のフロンティアから来たウーゼニアなんかは、なんて住みづらい場所なんだろうと愚痴を零しそうだが、ドトリナスにとっては生まれ故郷。愛着がないわけがない。

 酸素を求めて大きく開いた口の中に、微量の灰が入って思わず噎せる。

 走った疲労も相まって、ゴホゴホと割とシャレにならないぐらいに咳き込む。だが、立ち止まっている余裕はない。追っ手は、もうそこまで来ているはずだ。地下室に慣れてしまったせいで、降灰の街ラクサマラで大口を開くとどうなるかをついつい忘れてしまっていた。

 ようやく枷は外れたのだ。

 とにかく身の安全が保証できる、どこか遠くへと場所を移さなければならない。

「よし! それじゃあ……どこかに――」

 言葉を放とうとするが、動かした口を停止させる。

 猛烈な違和感を覚える。

 音が――消えている。

 追いかけてきているはずの恐ろしい敵の足音も、叫び声も聞こえてこない。それに深夜とはいえ、領民の声が一切ないというのはおかしい。

 まるで、鼓膜が破れたかのようだ。

 第六感が警鐘を鳴らす。

 早くこの場から退却しなければ、何かがやばい。うまく言葉では表現できない。だが、途轍もなく恐ろしいものが、強襲してきそうな気がする。

 その空白の刹那――激音がその場を支配する。

 さっきまで健在だった豪邸が、轟音を立てて崩落する。

 バキバキバキッ、と建物の天井がいともたやすく、完全に壊れてしまう。まるで卵の殻を破るかのように、建物は瓦礫となって真っ二つに裂かれ、巨躯の化物が顔を出す。

 それは、鳥だ。

 鮮血のような赤い躯の先には、上空へピンと斜めに逆立った尾がついている。

 ギザギザの刃物のような羽に覆われた体躯が少し動くだけで、傍にある瓦礫を根こそぎなぎ倒す。久しぶりの自由を手に入れ、喜びを表現するための身じろぎをしただけだというのに、とんでもない大惨事に発展する。

 そして、いくつか流れ弾の大きな瓦礫がこちらに飛んでくる。

 わっ! とウーゼニアは叫び声を上げる。

 飛来してきた建物の塊を、ウーゼニアは無様に横っ飛びに避けて事なきを得る。

 反対側に跳んだドトリナスは華麗に躱してみせるが、当たっていないというのに、その場にヘナへナと崩れ落ちてしまう。

 やがて、巨大な化物は、ズバッと両側にどこまでも羽を伸ばす。

 対となる翼は化物の躰を包み込むほどに雄大。

 そのまま広げた両翼でかまいたちを引き起こすと、闇の夜を浮上する。飛翔するのは久々なのか、不格好ながら落ちてこない。完全に空を飛行している。


「憤れ――《ポイニクス》」


 《ポイニクス》と呼称された《精霊獣》の口が、パカッと開く。

 破壊エネルギーを収束しているかのように、嘴の周囲の空気が蠢いている。空気を灰ごと呑み込むようにして、首を後ろに控えさせる。これから見せる攻撃の予備動作のようだ。

「くそっ……ボケっとするな!」

 ドトリナスは身を挺して、惚けているウーゼニアへと突進する。

 ウーゼニアが先程まで立っていた場所に、《ポイニクス》は豪炎の渦を放射する。耳を聾するほどの破壊。可燃性のものが少ないというのに、轟々と炎が燃え盛る。ドトリナスが助けていなければ、ウーゼニアは骨と化していただろう。

 厄介極まりないのは、ギリギリで避けたとしても、あの豪炎が身体に触れれば一瞬で服に燃え移って全身に回ってしまうということだ。

 夜闇のヒンヤリとした空気との温度差によって、瞳に映る景観が度のあっていない眼鏡を掛けたかのようになる。

「溶けてる……」

 ウーゼニアの呟く通り、強固な岩石はバターのように爛れている。

 例え一撃であったとしても、心を折るには十分。

 あれだけ果敢に困難に立ち向かってきたウーゼニアですら、顔面は土の色。それほどまでに、《ポイニクス》は敵に絶望を与える。

「だろうな。火山に生息している伝説の霊長の《ポイニクス》は、体内に胃袋とは別にマグマ袋がある。そこにマグマをたっぷりと溜め込んでるんだよ」

「く、詳しいな……」

 凝視してくるウーゼニアに、疑問を氷解させるために答える。

「なんたって、あの《精霊獣》一匹のせいで、俺様達はなんの抵抗もできずにラクサマラを手放したようなものだからな……」

 自嘲するように、ドトリナスは恥にまみれた事実を告白する。

「フロンティア連盟政府『F.U.G』の派遣員。コレクベルトの唯一にして最強の《精霊獣》――《ポイニクス》。そいつを出してきたってことは、また粛清が始まるだろうな……」

 そう。

 粛清という名の虐殺が始まる。

 コレクベルトがこのラクサマラに君臨した直後に、力を見せつけた時の再現だ。

 あの《ポイニクス》のせいで、誰もが反撃する気力を失ってしまった。頭を垂れて、コレクベルトのもとへ自ら軍門に下った人間も大勢いた。残った人間のほとんどは、我関せずとばかりに、事態を静観する道を選んだ。

 それに耐えられなかった『灰かぶり』のメンバーは、もうドトリナスだけ。そして、横にはさして事情も知らぬウーゼニアがいる。

 ここまで巻き込んでしまっては、いくあら謝罪しても足りないほどだ。だが、最大限の報いはしたい。ウーゼニアにできることといえば、ラクサマラから逃がしてやることぐらいだ。

「ウーゼニア、お前はさっさと海中電車に乗れ」

「はあ? 何言ってんだ。俺はまだ――」

 《ポイニクス》が両翼が軋むほど広げる。

 飛行のためではなく、攻撃のためだと見切ったドトリナスは粉塵を起こしながら必死になって跳躍する。それを見たウーゼニアは逆方向の遮蔽物へと潜り込む。

 そして、二人がいた場所に衝撃波が飛ぶ。

 斬撃のような風。

 切り刻まれたコンクリート片の断面を凝視すると、どれだけ鋭利な斬撃だったのかが分かる。その破壊力を余所者のウーゼニアよりも知っているドトリナスは、顔全体を青白くする。

「……ウーゼニア、お前の夢はなんだ? 自分を変えるために『K.O.F.T』に参加するんじゃなかったのか。だったらなあ、こんなところで油売っている意味はあんのか?」

「それは……」

 削られた鉄骨などを呑み込んだ《サラマンダー》から、新たに爆弾を受け取る。

 渾身の力を込めて、飛翔している《ポイニクス》へ投げ込む。

 だが、翼をはためかせて生じたかまいたちによって、爆弾は体へと届く手前で爆発してしまう。

「さっさと行け。お前は邪魔なんだよ。このラクサマラの領民にとってお前は、最高についていない余所者だ。こっちの問題に関わるんじゃねぇよお」

 《ポイニクス》の風と炎の攻撃によって、建物が破壊の限りを尽くされていく。

 生まれ故郷であるラクサマラが蹂躙され、それをただ眺めていることしかできない。止めることもできずに、ただ自分の無力さを噛み締めるだけだ。

 ドトリナスは、何も変わっちゃいない。

 『灰かぶり』を立ち上げてからも、その前も。

 ただ何もできずに、理想を追いかけていただけ。その代償として、とんでもない間違いを堆積してしまっていた。自分の本当の理想を忘れ、永遠に停滞していた。

「お前、ホント馬鹿だよな……。『K.O.F.T』に参加表明するだなんて、命がいくつあっても足りない。しかもこんな辺境の地にいる奴が言うなんて……今更になってそんな言葉を聞けるなんて思わなかったなあ。滅茶苦茶笑えるよ。ほんと……馬鹿げた夢だ……」

「うるせえ! 馬鹿にされるなんて、この数日で慣れきったんだよ!」

 こっちの心中を察することができない馬鹿は、単純に意見を跳ね除ける。

 ただの揶揄だと思っている様子だ。

 本物の馬鹿だな、こいつは。

 だけど――

「最後にお前みたいな馬鹿に出会えて、ほんとうによかった……」

 ドトリナスの投擲した爆弾で、一瞬耳が遠くなる。

 鼓膜が破れてしまったのかと思うぐらいに、無音が世界を包む。

 そして、真っ白になった景色。

 思い描くのは、かつての理想。

 埃かぶってしまってはいるが、自業自得。それでも鈍く光っているようで、ようやく見つけることができた。思い出すことができた。

 本来の――剥き出しの夢。

 仲間に嗤われて以来、すげ替えてしまった偽物の想いなんかじゃなく。

 見栄や嘘といった、余分な贅肉なんて欠片もついていない。

 そのまんまの、自分だけの気持ち。

 心の奥底に封印していた。

 最早錆び付いてすらいるけれど、それでもかけがえのない昔からの夢を、同志に向かって――よかった、本当に――と呟き、


「俺様と同じ夢を持つ奴に出会えて」


 ウーゼニアは瞳孔を開ききる。

 そんな純粋さを持つウーゼニアを視て、ドトリナスは思う。

 こいつには自分と同じような苦痛や後悔を、これ以上味わって欲しくない。こんなところで終わらせてはいけない。

 ドトリナス自身の理想は叶えそうない。

 だからせめて、こいつの理想だけは守ってやりたいって思う。

「さっさと行け。今なら包囲網を掻い潜って逃げきれる。あっちの指揮系統がバラバラな内にここから脱出しなきゃ、もう二度とラクサマラから出られない。だから、どこへだろうと速く行っちまえ」

 喋っている内にもあちらの猛攻は収まらない。

 ウーゼニアは受けていばかりでは殺られると判断したのか、《ポイニクス》の真下に蔦の絡まった大木を生やす。死角からの攻撃だったが、

「《ポイニクス》! 下です!」

 どこからかコレクベルトの声が飛来してくる。

 凄まじい業火によって、大木は一瞬にして空気中の灰と同化する。

 どう考えても、《アルラウネ》と《ポイニクス》とでは相性が悪すぎる。ウーゼニアは戦うことに対する逡巡が加速したかのように、瞳を揺らす。

 それでいい。

 ラクサマラの尻拭いはラクサマラの人間がしなくてはいけない。こんなことのために、ウーゼニアが命を消耗していいわけがない。

「そうだな……ここから北東に進むといい。そっちが帝都の方角だ。そこで、『K.O.F.T』が開催される。今度は、行くべき場所を間違えるなよ」

「ドトリナス……お前……」

 ウーゼニアは掠れた声で呟く。

 これからどんな覚悟で挑むのかを、声色と眼差しで感じ取ったらしい。

「気持ち悪いから、速く行けって言ってんだろ。俺様はこんなやり方でしかお前を巻き込んだ償いができないんだからな」

 ウーゼニアは、これ以上首を突っ込まなくていい。

 寧ろ、ここまでやってくれて、感謝している。

 ドトリナスの枷を外してくれた。ずっとモヤモヤとしていたものが、ストン、と腑に落ちた気がする。ようやく曇天が晴れて、ちゃんとした道を歩めるような気分になれた。

「助けてくれて、ありがとな。嬉しかったぜ」

「くそっ……!」

 自分自身の無力さに悪態をつきながら、ウーゼニアは背を向ける。

 逃げ出した人間は倒しやすいと判断したのか。追い討ちをかけてきた真空波に対して、ドトリナスは素早く爆弾を投擲して相殺する。

 ただの一撃とは言え、自分の攻撃が思い通りにいかなかっせいか。怒髪天を衝いた《ポイニクス》は、ジロリと標的をこんなところに居残っている愚か者に変える。

「それでいい。お前の相手は、この俺様だ」

 逃げ切ったことを視認すると、ドトリナスは《ポイニクス》と対峙する。

「爆弾は手元ない。はっ……血迷ったかな、俺様は……」

 ウーゼニアを逃がすために、全ての爆弾は使用してしまった。

 持ちうる武器は――一つもない。

 《サラマンダー》に生成させてはいるが、《ポイニクス》の攻撃をそれまで避けきることができるか否かは、ドトリナスの体一つに懸かっている。生き残るための能力だけなら、他の誰にも負けない自信がある。

 そう自信を持てるだけのことを、ドトリナスはやってきた。

 みっともなく足掻いてやる。

 例え相対している《精霊獣》が、一匹だけでラクサマラをすぐさま滅ぼすだけの力を持っていることを知っていても。

 強大な力を振るわれ、トラウマが今でも脳裏に過ぎって、足の震えが止まらなかったとしても。

 今だけは、恐怖に打ち勝つことができる。

 何故なら。

 ウーゼニアが無事にこのラクサマラを脱出する時間稼ぎぐらい、命懸けでやってみせる覚悟があるのだから。

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