第17話 正義執行の共犯者は立ち竦む
灰色の廃墟の中。
蔓の縄で縛っているドトリナスが、僅かに身じろぎしたのを感じ取った。
視線をドトリナスに固定していると観念したのか、気絶する振りを止めてスッと双眸を見開く。いつから意識を取り戻したかは分からないが、余計な情報を与えるようなヘマはしていないはずだ。
ドトリナスはすぐさま周囲に目線を配りながら、この場所を特定しようとしている。その動きを誤魔化すためか、目覚めが悪そうに口を開く。
「……で、ここはどこだあ? コレクベルトの奴の、ご立派なお屋敷ではなさそうだけどなあ」
「廃墟だよ。たくさんあるんだな、このフロンティアには。……まあ、そうしたのはあんた達テロリストなんだろうけどな」
皮肉混じりに答えるが、ドトリナスは歯牙にもかけない。
お望み通りこの場所の情報を与えてやったが、ドトリナスがどれだけ足掻こうが意味はない。
廃墟の屋上から、目立つように狼煙を上げている。
ここにコレクベルト達が駆けつけてくれるのは時間の問題だ。今のウーゼニアにできることといえば、時間稼ぎぐらいのもの。
だが、ドトリナスと対決した建物と、目と鼻の先にあるので、すぐに見つかるだろう。あそこでは大爆発が起きたから騒ぎになっていて、ウーゼニアが抜け出す頃には人だかりができる一歩手前だった。
ドトリナスを捕縛したまでは良かったものの、男一人の体を持ち運びするのは骨が折れた。通信機器といった類のものを持ち合わせていないせいで、コレクベルトと連絡が取れない。
正直、こんなに早く捕まえることなんて予想していなかった。
コレクベルトみたいな領主が捕まえることができなくて、ウーゼニアみたいな素人が動いて、どうにかなるなんて思っていなかったが、どうやら今回は運が良かったらしい。コレクベルトの部下達と違って、ウーゼニアは面が割れていないお陰だったこともあるだろう。
ドトリナスを捕まえた後、ぜいぜいと息を切らしながらコレクベルト邸まで運ぼうとしたのだが無理だった。せめて《ガルグイユ》みたいな何かを乗せて運べる《精霊獣》を、ウーゼニアが持っていれば話は別だった。
だから、こうして勝手に廃墟にお邪魔している。
だが、ここまで運ぶのにも苦労した。その中で一番苦労したのが、ドトリナスの根城らしかったあの建物から脱出することだった。
あまりにも仕掛けられている爆弾が多すぎて、普通の通路を通り抜けることできなかった。
時限式だけならまだしも、対人地雷などもあるせいで心臓が凍りつくような経験をした。一体どれだけ用心深いだこいつと、愚痴を零した。それからやむなく、ロープ形状の蔦で、屋上からゆっくりと降りたのだったが……。
「なあ、さっさと逃がしてくれないか。命の恩人だがなんだか知らないが、コレクベルトはお前のその親切心を利用しているだけだと思うぜぇ。全部仕組まれたんじゃないのか?」
「さあな。だとしても、あんたは犯罪者で、あっちはラクサマラの領主だ。どっちの味方につけば得かなんて、すぐ分かるだろ」
「そりゃあ、そうだなあ。好き好んで、テロリストの味方につくような馬鹿いるわけねぇな。一本取られたぜ」
ククク、と小馬鹿にしたような笑いを零す。
「まあ、そうやってコレクベルトに従っていればいいんじゃないのか? そうすりゃあ、何が正しくて、悪いか自分で考えずに済む。その方が楽だもんなあ」
挑発することによって、こちらが迂闊な発言をこぼすことを目論んでいるのやも知れない。
激情するウーゼニアから漏れた情報を取り入れて、なんとかこの苦境を脱しようとしているのだろう。
諦めの悪さだけは大したものだ。
「……そうだよなあ。そうやって黙って従っていれば、『灰かぶり』はこんなことにならなかったんだろうなあ」
疲弊しきったような声色でそう独りごちると、逃げるのを諦めたようにゴロンと転がる。
随分と余裕のあるような感じがして、多少なりともイラッときた。
刺のある声で、こちらの大義名分を述べる。
「どうでもいいけど。俺の財布返してもらえないか? 俺だってあんたに財布を盗まれてさえいなければ、こんな危ないフロンティア、さっさと海中電車にでも乗ってどこかに行ってやるよ」
「財布……?」
「惚けるなよ。駅ですれ違った時にスったんだろ」
ドトリナスは心当たりのなさそうな顔をする。
やがて眼球を上向きに動かし、過去の罪が何なのかを自覚したように、ああ、と声を漏らす。
「あれか。あんまり金入ってなかったなあ」
「……いいからさっさと返せ」
「財布の中にあった金全部使っちまったんだよなあ。明日食う飯にすら困ってたもんで、ついな」
テロリストというよりは、プライドのないただのコソ泥のようだ。
盗られたものが返ってこないことは幾分かは覚悟していたが、全財産が数日の上で盗人に使われたとなるとあまり嬉しくはない。
戦う前はあんなに怖かったドトリナスだが、自由を奪って戦闘できない状態にしてしまえば、どうっていうことはない。暴言を吐くしかできない相手に、すっかりリラックスしてしまう。
「お前、見ない顔みたいだから余所者なんだろ? 平和ボケした雰囲気から察するに、このフロンティアの人間とは思えないもんなあ。お前みたいに旅行気分でここにきたやつには分からないかも知れないけどなあ、やるかやられるかの二択しかないんだよ、このラクサマラは」
「――――ッ」
座っていた状態から、ウーゼニアは激怒しながら立ち上がる。
「旅行気分なんかじゃないっ! 俺はっ――『K.O.F.T』に出場するために自分の故郷を出たんだ!」
「――『K.O.F.T』?」
訝しげな声色で聞き返すが、もう一度言ってやる義理はない。
言ってしまってから後悔した。
どうせキルキスのように全否定される。
なんでそんな馬鹿なことを言えるのか。そんなことを口走れるほど、ウーゼニアは努力しているのかとか、どれだけ自分が無謀なことに挑戦しようか分かっているかとか。
ど素人であるウーゼニアが絶対に反論できないように、追い詰めてくるに決まっている。
それか、コレクベルトのように受け流すに決まっている。
ああ、そうなんですね。それって凄いですね。私なんかじゃ、そんな大層な台詞吐くことできませんよ。みたいにやんわりと、嘲笑してくるに違いない。
もしくはもっと、今のウーゼニアじゃ思いつかない貶め方をされるのだろう。
だけど、悪いのはドトリナスじゃない。
そんなくだらないことを思いついてしまった、ウーゼニアが悪いのだ。
何が、『K.O.F.T』だ。
そんなもの出場したって、何になるっていうんだ。ただただ適当に、その場の思いつきでキルキスに言って、ゼルミナと喧嘩して、そのまま家出をしてしまって、引っ込みがつかなくなっただけだ。
目的が欲しかった。
家に帰りたくないから。
逃げ出してしまいたかったから、こじつけでもいいから目的が欲しかっただけ。だから、目的なんてどんなことだってよかったに違いない。
ちっぽけなことだったんだ。
だから、笑われることを恐れてはいけない。
例え笑われたとしても、そんなのどうってこととない。こっちだって不細工に笑い返してやればいい。
そうだよって。
それが俺の目標なんです、ほんと馬鹿ですよねーって渇いた笑いを返すだけで、みんな満足する。こっちを見下して悦に入って、その場にいる誰もが笑顔になる。それはそれは素晴らしいことなんだ。
だから、バカ正直に目的を話す必要なんてなかったんだ。
こんなんじゃまるで、違う答えが返ってくるのを期待しているかのようだ。
決めた。
これからは絶対に他言無用だ。
『K.O.F.T』なんて単語一つも出さないようにしよう。
そうだ。
故郷を出た理由は何か別のものを考えるようにしよう。
一蹴されないような、誰もが納得するような無難な嘘を考えておこう。そうした方が、何かと楽だ。そうすれば一々怒りで赤面しそうになることもなくなる。
どうせ、馬鹿な夢なんだ。
……こんなの、いったい誰が認めてくれるって言うんだ。
「そりゃあ……凄ぇなあ」
外していた視線を、ドトリナスに戻す。
その声音に憐憫や嘲笑は孕んでいなかったからだ。演技だとしても、そんなことする必要もない。それに先程からあけっぴろげに本音を漏らしているドトリナスの性格上、ここで嘘をつくなんて考えにくい。
本心からだとしたら――何故?
ウーゼニアはテロリストと関わったことがないから、どういう腹積もりなのかが想像だにできない……まあ、そんな人種と接した経験のあるやつの方が希少な気がするが。
「……馬鹿に……しないのか?」
「他人の夢を笑えるのは――空っぽの人間だけだからなあ」
胸が詰まる。
素っ気ない言い方で、さらりと当然のように言っただけ。それなのに、自分が否定し続けたことを肯定されたような気がした。
蔑視の視線に耐え切れなくなって、傷つく前に自分から有り得ないってたかをくくっていた。
途方もないことを考える自分は、なんて愚かなんだろうって。
そうやって諦めた振りをするのが一番安心した。
だが、そうすることによって、気持ちはいつしか薄れていた。
自己嫌悪することに慣れきってしまったせいで、掲げた目標がどこかぼんやりとしていた。
自分のやりたいことをいつか見つけて、誰かに否定されてもやり続ける。
どんなことがあっても絶対に妥協しないって、家を出た時に決意したはずだったのに。
「まっ、コレクベルトの言いようにされている、今のお前は笑えるけどな」
この憎まれ口も、どこか真面目に言ってしまったドトリナスの誤魔化ししか思えなかった。
「……そんな態勢で強がられても、おかしいだけだってぇーの」
冗談めかして、ウーゼニアはドトリナスに優しく言葉を重ねる。
そして二人して少しだけ笑い合う。
相手がフロンティアを揺るがすテロリストとは思えない気の置き様だ。
ドトリナスはキッと表情を改めると、
「……コレクベルトは、ラクサマラの独裁者だ。あいつが領民から無理に金を巻き上げているせいで、領民達の暮らしは貧窮し始めたんだ。あいつがラクサマラに来る前では、ここまで寂れていた街じゃなかったんだけどなあ」
今までだったらドトリナスの言葉に耳を貸さなかっただろうが、今では少しぐらい聞いてやらないこともない。
そのぐらい、ドトリナスの印象はガラリと変わった。
「でも、コレクベルト……さんはお前たちテロリストのせいで、こうなったって言ってたぞ」
「なんで俺達『灰かぶり』が中々捕まらなかったと思う? 俺達の決起に対しての賛同者が……領民の中にも少なからず協力者がいたからだ」
「……そんなわけ……」
ない――とは断言できない。
理屈は通っている。
人の口を完全無欠に閉ざすことなど、いくらお金を積んでも不可能に近い。犯罪者を吊るし上げるという、人として当然の正義感を満たせるのなら尚更だ。
それでも一般人から密告者が出てこないのは、それだけ義賊として支持されているからではないのか。
全ての言動を鵜呑みにすることはできないが、理屈の穴を今のところ見つけられない。信憑性は多少なりともあるかもしれない。
「しかも巻き上げた金で、コレクベルトが何を買っているかといえば、無駄としか思えない嗜好品だ。コレクベルトに雇われたお前も見たんじゃないのか?」
脳裏に浮かんだのは、アンティークの数々。
どれだけコレクターにとって価値があろうが、知識のない人間にはガラクタの山にしか目に映らないだろう。
おかしいとは思っていた。
あれだけ街の人達が貧窮しているのに、どうして領主であるコレクベルトだけが裕福な暮らしができているのか。
それは、領民たちから、無理にお金を吸い上げているからではないか。
そんな疑念がずっとチラついていた。
だが、だからといって。
もしも、ドトリナスの言うとおりだったとしても、だから何なんだっていう話になる。
領主がどれだけ理不尽であろうとも、領民はそれに従わなければならない。フロンティアとは、そういうものだ。
独裁者を排斥するために必要なのは、革命しかない。
だが、革命がそう簡単に成功するのならば、『灰かぶり』が壊滅状態になることもなかっただろう。
『灰かぶり』はテロリストといっても、元はただの領民だったはず。ラクサマラのために戦うといっても、そこまで戦闘能力はないはずだ。
それに比べてコレクベルト陣営はどうだ。
屈強そうな私兵を、少なくとも50人以上は揃えている。それに、グラスの《精霊獣》である《ガルグイユ》の強さは尋常ない。それは手合わせをしたウーゼニアが一番分かっている。しかも、まだ手を抜いているようにも思えた。
戦力差がありすぎるのは、明白だ。
それにもしもコレクベルトが悪者で、ドトリナスが善人だというのなら、直視しなければならない事実がある。
それは、ウーゼニアが、ラクサマラの敵そのものに手を貸したということだ。
知らなかったじゃ済まされない。
ラクサマラの唯一の希望であったはずのドトリナスを、ウーゼニアが捕縛してしまった。
しかもドトリナスは、ウーゼニアが大勢のゴロツキに囲まれていた時に救ってくれた。ウーゼニアがコレクベルトの言いなりであると分かっていながら、結果的に捕まることになっても、それでも目の前の弱い人間を見捨てなかった。
ウーゼニアが襲われているのを見て見ぬ振りをすれば、未だに捕縛されないで済んだはずだったのだ。
「別のフロンティアから来たお前にはどうでもいいことかも知れねぇけどなあ……俺様は、このラクサマラを救いたいんだ。ずっとここに住み続けてきた俺達自身の手で、コレクベルトが来る前の……元あった本当のラクサマラをこの手で取り戻す。例え、世間から犯罪者扱いされてもなあ」
頭がこんがらがってきた。
やはり、ドトリナスが正しいのか。
そして。
このまま完全には納得しないまま、ドトリナスをコレクベルトへ引き渡すことになっていいのか。
せめてもっと、時間が欲しい。沢山の人間から情報を集めてから、答えをだしたい。客観的意見が欲しい。このままでは、本質を見逃してしまう。
テロリストであるということは、それだけで悪だ。だけど、目の前の人間を見て、ドトリナスが完全なる悪人だとはどうしても思えない。だから、もっと慎重に考えを捻り出すべ――
「――ですが、それはあなた達の一方的な考えでしかありません」
闇の底から、凍えるような声が反響する。
考えに没頭するあまり、忍び寄ってくる人間たちを察知できなかった。
ウーゼニアが葛藤していた間に、いつの間にやら大勢の人間が階段を使って廃墟に乗り込んできた。
「お手柄です、ウーゼニアさん。あなたにはそれ相応の報酬を支払うことを確約しましょう」
ドトリナスの責めるような視線が、グサリと突き刺さる。
報酬目当てでドトリナスを追い込んだのは事実だ。何も言い返すことができなくて、気まずげに顔をそむけることしかできない。
「そうですね。それからあなたが望むのならば、こんな治安の悪いラクサマラからすぐに出発できるように手配しましょう。その方があなたのためになるでしょうから」
まるで、役目は済んだから、さっさと邪魔者はラクサマラからお引き取り願いたいとでも言いたげな口ぶり。それを隠すこともしないのは、もう全てが終わってしまったことの証。
もう、この廃墟は完全に包囲されているだろう。
この狭い空間に入りきれないだけの武装した私兵達が、建物の外でひしめき合っているに違いない。それだけの人数が邸宅にいるのを、ウーゼニアは知ってしまっている。
だからこその、絶望感。
これでは、どんな手も打つことができない。
「……コレクベルト、お前……」
「怖い怖い。これだから下賎な連中は……」
コレクベルトは肩を竦ませながら嘲弄する。
ふん縛られているドトリナスに抵抗出来るわけがない。
コレクベルトは口を動かすことしかできない負け犬をあざ笑うかのような、愉悦に満ちた表情をしている。
「どれだけあなたがくだらない大義名分を掲げたところで、テロリストはテロリスト。犯罪者は必ず裁かればならない。それが社会のルール。……そんなのどんな世間知らずだって知っていることです。そうでしょう? あなたのお仲間も……ね」
文字通り見下した目線のままコレクベルトは、縛られているドトリナスに脅しをかける。
この場で下手に抵抗でもすれば、すぐさまドトリナスの仲間である者たちの身の安全は保証しないと言っているようなもの。
どこにいるのかも分からない人間を、今ここでドトリナスが救うのは不可能だ。もしも枷が外れたとして、その瞬間、仲間たちの命が散ってしまう。そうするように仕向けているはずだ。
悪魔のように狡猾なコレクベルトが、そこまで計算していないわけがない。
仲間――『灰かぶり』のメンバーの生殺与奪の権利を握っているのは、間違いなくコレクベルトなのだ。
「ナスカ達に何をした?」
「今は、何も」
奥歯に物が挟まったような言い方のコレクベルト。
回りくどく、ドトリナスのことを脅している。
ドトリナスは舌打ちすると、
「……おとなしく捕まればいいんだろ」
「それでいいんですよ。もうつまらない追いかけっこなどはしたくありませんからね」
怒ったように無言のままでいるドトリナスを、コレクベルトの部下の人間が無理やり立たせる。
観念したような顔をしたドトリナスは、潔い態度のまま部下に連れて行かれる。同志を人質に取られてしまえば、ああして観念するしかない。
「ちょっ……」
慌てて、呼び止めようとウーゼニアは身を乗り出す。
だが、ドトリナスがそれを目で制す。
「…………」
何もするな、と瞳で言っているようだ。
ウーゼニアの実力を侮っているから、ここで暴れるなと、そう言っているのだろうか。出会ったばかりの人間のことを信頼しろなんて無理な話だ。だが、そんなんじゃなく、ただドトリナスは気遣うように眉を顰めていた。
それは、『灰かぶり』のメンバーのことだけではない。
その眼差しは真っ直ぐにウーゼニアへと突き刺さる。
なんていうことだ。
ドトリナスは、今ここにいるウーゼニアの身の安全を慮っている。もしもここで少しでもウーゼニアが手出ししてしまえば、その瞬間、正当防衛の口実ができたとばかりにウーゼニア共々、ドトリナスをこの場で粛清するだろう。
それが分かっているからこそ、ウーゼニアを巻き込まないようにとドトリナスはおとなしく捕まったのだ。
普通、そこまで考えられるだろうか。
自らの命運が消えかかっているその時に、数分前まで赤の他人だった人間の命のことなど考慮できるはずがない。少なくとも、ウーゼニアには無理だ。エゴな考えで、とにかくこの場は暴れてしまうだろう。
そんな自己中心的なウーゼニアは――ホッとしていた。
陽炎のようにドトリナスの背中が霞み消えていったにも関わらず、それと同時に安堵の溜息をついてしまっていた。
何故ならこれで、ウーゼニアが助かるからだ。
もう手遅れだと、もう助けられないと分かってしまった。だからこれは仕方ないことだ。もう少し、『灰かぶり』の諸事情を知るのが、ほんのもう少し早ければ、もっと手を打てたはずなんだ。
そういう風に言い訳できるのは、ドトリナスがこの場にいないからだった。いたら、そんな無様な言葉、たとえ頭の中でさえ募らせることができなかっただろう。
卑怯にも、ウーゼニアは自分の存命が確定したことを。無駄な反逆をしなくて済んだのを、心の底で歓喜してしまった。
なんて……醜いんだろう。
手を伸ばしきったまま、石化したように硬直する。そうしているのは、少しでもウーゼニアが助けようとしたと自認するためなんじゃないだろうか。ちょっとは努力しましたよって、自らを慰めるための、そんな最後まで最低な自己愛が為せることだった。
「ご苦労様でした、ウーゼニアさん。予想以上の活躍です。あなたのおかげで、こんなにも早く凶悪犯を捕まえることができましたよ。お手柄です」
コレクベルトはくるりと踵を返す。
「あっ、あのっ」
軍隊のような一糸乱れぬ動きを見せる集団を、コレクベルトは完全に統率していた。それだけ他人を支配するだけの強大な力を持っている。
そんな根底から全く違う相手を、無力なウーゼニアは呼び止めてしまった。そんなことしても、一銭の価値もないというのに。
「……何か?」
振り向きざまの双眸には、気圧されるだけの眼光は灯っていない。
むしろ、意図的に抑えていようだ。
表面上からは読み取れない感情が渦巻いているようで、その瞳の奥底には濃密な年月によって形成された色が写っていた。
それが殺気をギンギンに漲らせているよりも、より強く深いプレッシャーを生み出している。ここで口答えしてしまっても、自分が不利になるだけ。ドトリナスの厚意を泡にしてしまうこと。
だが、出した言葉を引っ込むことなどできない。
「あいつは……ドトリナスどうなるんですか?」
「部外者のあなたにお答えすることはできません。……と、いいたいところですが、それでは納得しないでしょうね」
コレクベルトは、残虐な笑みを浮かべる。
「明日の朝にでも領民の前で首をはねます」
頭の中を空白が埋め尽くす。
停止していた呼吸を吐くと、
「……見せしめ……ですか」
「上品に……教訓と言っていただきたいですね。秩序を保つためには、力を見せつけなければならない。誰もが反逆する気を失くすような、圧倒的な力を。正しいことを通すためには、平和を築くためには、それ相応の礎が必要なのですよ。覚悟や犠牲なき平和なんて、この世にはありません」
「それは――」
間違っている。
そうやって感情的に反論しようとしたが、グラスに割り込まれる。
「これ以上は、ご遠慮願います」
物理的に押しのけることはできる。
だが、それからどうする。武装している人間を一瞬でなぎ倒すことなど、ウーゼニアにはできない。仮に《アルラウネ》に頼ろうとも集団で一斉に攻撃を仕掛けられれば、ひとたまりもない。それに、《ガルグイユ》の《使役者》であるグラスすらここにはいる。
多勢に無勢。
どうすることもできない。
まるで、不可視の境界線が張られているかのように動けない。
ウーゼニアは完全に部外者なのだ。
たまたま海中電車がこのラクサマラに到着したから、降りたに過ぎない。コレクベルトに振り回されて、ドトリナスと戦わされた。そんなめまぐるしく変容する現状についていくこともできていない。
できたとしても、その資格があるのだろうか。
ラクサマラの良くわからない事情につっこんで、また失敗したらどうなるんだろうか。今度こそ取り返しがつかないことになる。
もう、家出だとか、そんな範疇を超えてしまっている。
物見遊山でこれ以上足を突っ込むのなら、本気で命を賭けなければ、これから先一歩も前に進むことなどできない。
「それでは、先に私は帰ります。こんな埃っぽいところにこれ以上いたら、気分を害しそうなのでね。ウーゼニアさん、ご協力感謝します」
共犯者の笑みを浮かべると、そのままコレクベルト達はこの場から撤退した。
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