第14話 悪の王と邂逅を果たす

 燦々と光る太陽が眩しい。

 体中から意欲というものを根こそぎ奪う太陽が憎い。できれば蹴り上げたいぐらいだが、遥か上空にいる奴には届くことはない。

 できることといったら、愚痴をこぼすことぐらい。

「あちー、だりぃー」

 領主たるコレクベルトの依頼を受諾して一週間以上経った。

 昨日の朝方からほとんど休みなく捜索しているのにも関わらず、目星しい人間の影も形も捕捉できていない。

 聞き込みしようにも、ほとんどの人間が真昼間だというのに外出していないからそれもできない。このまま同じ道をぐるぐる回っているだけでは埓があかないと結論づけたウーゼニアは、街の中央から少し外れた路地へと踏み込んだ。

 直射日光を避けるために、ヒンヤリとした暗がりに引き寄せられたといっても過言ではないのだったが……。

「大丈夫かな、ここ」

 ぼろ布に身を包んでいる男や、だらりと口を半開きにした浮浪者が達目に入った。その中にはまだあどけない表情をした子どももいて、思わず眼を逸らしてしまった。

 見るに耐えないとはこういうことを言うのだろう。

 リュウキュリィアでも裏路地というものが薄暗い印象を受けたが、それとは比にならないほどヤバイ空気を醸し出していた。

 だが、こういう場所にこそ盗賊団の頭領は身を潜めていそうな気がした。

 路地は空気が腐ったように澱んでいて、アスファルトはじめついている。

 途中、足元を這いずる黒い昆虫や鼠に飛び跳ねたり、幾何学模様の巣を張っている蜘蛛と格闘しながらも、くすんでしまった瞳をしている人間達に、『灰かぶり』の頭領の話を聞き回った。

 すると、およそ百人に届きそうな人数でようやく、有力な情報が手に入った。

 この先の入り組んだ道をまっすぐ歩いていくと、今や潰れてしまった酒場の裏に到達する。そこから左の道を真っ直ぐ行ったその奥の袋小路に、その人相とピタリと一致する男を見た――と。

 まずは、人を見つけるだけでも一苦労だったから、こんなにも早く有力な情報をゲットできたのは僥倖だ。数十日は風呂に入ってないであろう男に、ウーゼニアは渋面をつくって金を渡す。

 金というのは、グラスから頂戴した捜索資金の一部だ。こんなことをしていいのかと疑念に思いつつも、そうした方がすぐに口を割るとグラスに言い含められていたので、その通りにした。

 それから体臭のキツイ男の言われたとおりの道順を遵守すると、若干開けた場所に出る。


 ――だが、四方を壁に囲まれた、薄暗い密閉空間にいたのは、柄の悪そうな複数人の男達だった。


 身の危険を感じて身じろぐと、ザッと背後に土を蹴る音がする。

 怖々と振り向くと、あっという間に強面の男達に囲まれていた。そいつらの中で一番隆起する筋肉を持っている男が、敵意を剥き出しにしながら集団から一歩抜け出す。

「お前か。俺のことを嗅ぎ回っている領主の犬ってやつは」

 リーダー格らしき男には、頬から顎にかけてとぐろを巻いた蒼い龍の刺青が刻まれている。

 流木のように太い腕をしている刺青の男が、プレッシャーをかけてくる。ウーゼニアと対峙すると、まるで大人と子どもの如き体格差がある。

 相当強そうだが、ウーゼニアが目撃したのとは似ても似つかない容姿。

 というか、あれだけ目立つところに刺青があれば、必ず記憶に残るはず。

 こいつは別人だ。

「悪いがあんたは俺の探し人じゃないみたいだ。悪いけど、見逃してくれないかな?」

「そんな嘘が通じるとでも思ってんのか? いい度胸してるじゃねぇか、『蒼龍』と呼ばれるこの俺に喧嘩を売るなんて」

(誰だよ、『蒼龍』って)

 相手の鼻の頭が、ウーゼニア額にくっつきそうなぐらい近づく。

 人差し指をグリグリと胸の辺りに突きつけられる。そのまま指の力だけで、身体が突き放される。跳ね除ける間もなく、このままでは文字通り捻り潰されそうだ。

 体格と筋肉に差がありすぎる。

 頭の回転は悪そうだが、荒くれ共を束ねるリーダーらしく、素手での喧嘩はかなり強そうだ。

 ウーゼニアは、ポケットにそっと手を突っ込む。どうやらこの場にいる野郎の中で、荒事に発展させたくないのは自分だけのようだ。

 ただの殴り合いならば、確実こちらが負けるだろうが、こっちには《精霊獣》がいる。

 《アルラウネ》を使役して不意をつけば、集団に風穴を開けられる。

 この人数相手だろうが、こちらが《精霊獣》を使えば、簡単にねじ伏せることはできる。こんなゴロツキ、敵対するだけ時間の無駄だ。

 ここで気分爽快倒したとしても、そのお仲間が報復をしに、雲霞の如く押し寄せてくるだろう。逃げる算段を脳裏で計算していると――


 ガッ! ゴッ! ドカッ! と、拳打の鈍い音が路上に響く。


 唖然とした男達を殴り倒しているのは、見覚えのあるフードを被っている男だった。

 確か、駅で見た。

 そう、こいつは――『灰かぶり』の頭領だ。

 どちらかというと、ゴロツキ側の味方であるはずのそいつは、ジロリと敵意を剥き出しにして『蒼龍』達を睨めつける。

 それに怒ったのは、仲間をいきなり倒されたゴロツキ達だ。

 全員が一斉に、たった独り相手に殴りかかってくる。

 このままでは一瞬にして袋叩きにされてしまう。

 そう思っていたのだが、ウーゼニアの杞憂に過ぎなかった。

 突如現れた闖入者は、怒号を撒き散らす男たちを腕っ節だけでなぎ倒していく。

 肉弾戦は全くの門外漢であるが、それでもいきなり乱入してきた男が圧倒的な強さを持っていることだけは分かる。あっという間に集団をなぎ倒し、あとはリーダー格の人間しか残っていない。

 『蒼龍』は泡を食って立ち向かう。

「おいおいおおおいいい。何してくれてんだっ! 一瞬で――くたばれっ!」

 反撃にでた刺青の男の拳を、乱入者はスウェーで華麗に避ける。フードに拳が掠れて捲れると、男の容姿が顕になる。

 髪は横で借り上げていて、全体的に短め。

 まるで砂漠のようにかさついた褐色の肌。

 瞳は、闇の湖のように深い色をしていて吸い込まれそうだ。

 そのすぐ真上には、切り傷のような傷跡が彫ってあった。

 芝生のように生えている鬚は、ガリガリな顎のラインを綺麗になぞる。あまりにも細っそりとした顎と、肌色のせいで不健康そうに見える。

 ウーゼニアよりも恐らくは五つ以上の年齢で、纏っているオーラみたいなものが今まで出会ってきた誰よりもピリピリと発せられている。

 キルキスとはまた異質の威圧感。

 『K.O.F.T』は、あくまで競技的な要素を持つから、キルキスはクリーンな戦いを繰り返してきた。熟練された技を持っているから、まさに達人といってもいいほどの実力者。

 だが、眼前にいる男は――違う。 

 華奢な腕を鞭のように振るうと、『蒼龍』に目潰しを喰らわす。

 ぐあっ、と『蒼龍』は声を上げると一瞬仰け反って、反射的に下を視る。思わず、待ってと言わんばかりに両手を突き出すが、それで攻撃を止める人間はいないだろう。

 目潰しが有効打にならないことは、きっと攻撃している頭領も百も承知。どうやら、渾身の一撃を与えるためのただの前準備らしかった。

 相手の屈伸した膝に足を乗せて、『蒼龍』に向かって飛び上がる。頭領が狙っていた真の攻撃は、目を抑えて蹲ろうとした男の顔面に膝を打つことだった。

 タフそうに見えた『蒼龍』とやらは、仰向けに倒れた。

 熟達とした滑らかな攻防をそのまま続け、最終的にそこに立っていたのはその男とウーゼニアだけとなった。

 改めて思い出す。

 相手はあくまでテロリスト。

 体制側に反旗を翻す本物の犯罪者。

 たった独りで、未だにフロンティアの人間全員を敵に回して、それでも生き残っている強者。

 これが――ドトリナスという男なのだ。

 そんなとんでもない人間を相手に、一般人代表であるウーゼニアがどこまで対抗できるというのだろうか。見つけることに成功したのは喜ばしいことだが、ここはまず退いて、増援を引き連れて頭領を叩くというのが定石。

 無理に特攻して、命の危険を省みるほどの借りをコレクベルトに作った覚えなどない。

 挑発的な瞳をしている頭領が、ゆらりとつま先を向けてくる。

「こっちの界隈じゃ、お前の話で持ちきりだ。どこぞの命知らずが『灰かぶり』の頭領を探し回っているってなあ」

 髭顎を少しばかり触ると、

「……最も、あんな雑魚に脅されてビビってたお前は、あまり強くはなさそうだな」

 ククッ、と挑発的な笑いを洩らす。

 煽り耐性のないウーゼニアは、口をへの字に歪ませながら、

「そうか、あんたが盗賊団の残党ってわけだ。俺はウーゼニアっていうんだ。あんたを捕縛してくれるように頼まれたんだよ」

「残党っていうのは、少しばかり語弊があるなあ。俺様は『灰かぶり』の頭領ドトリナス。つまり、俺様が捕まるヘマさえ起こさなければ、『灰かぶり』は何度でも蘇るってことだ」

「あんた……こんなことやっていいと思ってるのか? あんたのせいなんだろ? このフロンティアがこんなにも困窮しているのは」

 ラクサマラは確実に滅びの道へと突き進んでいる。

 それもこれも、『灰かぶり』がテロリスト活動をしているからだ。武力を持って領民達に危険を及ぼしている。

 そのせいで心をすり減らしてしまった領民達の中には『蒼龍』のように、ゴロツキと化して略奪の限りを尽くす。

 そしてそのせいで、さらに領民達の生活は苦しくなってしまう負の連鎖だ。

 誰かがその鎖を断ち切らなければならない。

「ああ……そうだな。全部俺様のせいだ」

 何かを堪えるように下唇を噛んで、項垂れるように俯く。

 消え入りそうな声は湿っぽくて、何かを後悔しているように響く。

 ドトリナスの人間性が垣間見えた気がして動揺してしまった。もしかして、話し合いでなんとかなるのではないかと、ありもしない妄想に取り憑かれた瞬間――


「で、それが……なんだ?」


 再び投射された双眸の底の色は見えない。

 ドトリナスはラクサマラが後退していくのを感じ取り、その元凶が自分であるということを自認している。だがそれでも、瞳に揺らぎは生じていない。確固たる意思を持って、破壊の限りを尽くしている。

 自分のテロ行為の必要性を盲信している。

 狂っている。

 いつも自己否定し続けるウーゼニアにはまるで理解できない心境。海中電車で行き来できる、リュウキュリィアから近いフロンティア。

 ラクサマラの領民であるドトリナス。

 いくら街を壊している犯罪者であろうとも、話の通じる相手だと思っていた。だが、だめだ。あまりにもウーゼニアと違いすぎる。同じ人間だとは思えないぐらい、価値観にズレがある。

 考えが甘かった。

 周りで苦しでいる領民がいても、だから一体何だ、とそういう風に切って捨てることができる。ドトリナスは共感性など全く持ち合わせていない、利己的な思考の持ち主であるが故に、躊躇なく敵に向かって攻撃を加えることができるだろう。

 逃げなくてはいけない。

 こんな奴、相手にできると思っては、命がいくつあっても足りない。

 まずは、会話でドトリナスの気を逸らすか。

「あんた……なんでこんなことしてるんだよ。何をやりたいのか知らないけど……苦しんでいる領民達があんたには見えないのか!」

 いつ殺されてもおかしくない恐怖を塗りぶすために、大声で叫ぶ。

 こうすれば、誰かが駆けつけてくれるかも知れない。

 今のラクサマラの領民達の気概のなさでは望み薄だろうが、やらないよりかはよっぽどいい。

「この廃れたラクサマラを、より良いフロンティアにしたいだけだ。そのためならどんな汚いことだってやってみせる覚悟がある。……『灰かぶり』を結成したその時からな」

 こちらの言葉に全く動じていない。

 それどころか、より強い意思をドトリナスの全身から感じられる。

 眼前のテロリストが、人の皮をかぶったもっと別の何かに思えた。

「お前。どこか別のフロンティアから来た余所者なんだろ? お前こそ、なんであんなクズなコレクベルトに従っているんだ」

「一応、命の恩人なんでね。あの人に助けてもらわなきゃ、今頃行き倒れていた。その恩返しってわけだ」

「なるほどな。だったらあんたは俺様に恨みがないってことになるなあ。見逃してくれないか」

「そういうわけにもいかないだろ」

 そう言いつつも、ウーゼニアはジリジリと足の指を後方に動かしながら距離をとる。逃げようとする挙動に気づかれては、逃げきれる可能性が狭まる。なるべくウーゼニアに戦意があると勘違いさせ、不意をついて遁走するしか――

 ジャリッと砂が動く音がする。

 地に臥していた奴らがううう、と呻きながら身じろぎをしだした。時間の経過と、それからウーゼニアが迂闊にも大声を出したせいで意識が覚醒しかけているようだ。

「ちっ」

 ドトリナスは舌打ちすると、踵を返す。

「――え? なんで?」

 いくら徒手空拳でしか戦えないゴロツキだろうと、この人数を相手にまた乱戦するのは骨が折れる。ましてや、ドトリナスにとって実力が未知数であるウーゼニアと対戦するとなると――とドトリナスは考えたのか、脱兎のように駆け出す。

 妙な自信を持って喋っていたが故の、ドトリナスの間違った行動に呆気に取られる。

 ウーゼニアは一瞬思考に空白が空いたが、

「待て!」

 大声を出すと、遠ざかっていく影を必死で追いかけた。

 逃げ出したということは、それだけ余裕がないということだ。

 コレクベルトから聴いて、ドトリナスが《精霊獣》の《使役者》であることは分かっている。だが、ゴロツキ相手の時も、ウーゼニアと対面した時も、一度も《精霊獣》を使用する素振りを見せなかった。

 これはチャンスかもしれない。

 何らかの理由があって、ドトリナスは精霊獣を使えない状況にあるとしか思えない。

 だとしとら、勝てないにしても、ウーゼニアだって戦えるはず。

 せめてどこか袋小路に追い詰めて、それからグラスか誰かに報告しないと、元の木阿弥になってしまう。

 だから、絶対に追いついてみせる――。

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