フロンティアの王

第13話 道に迷いし者と運命を共にする

　ドドド、と大浴場に温水が流れる音がする。

　垂れ流されているお湯は、湯槽から普通に溢れているのだが、なんとも贅沢な無駄使いだ。

　視界を遮る湯気のせいで大浴場の全景を視認することはできないが、コレクベルトの豪邸ということで、かなり広いのはもはやお決まりといった感じだ。

　大浴場を貸し切って極楽を満喫しているのは、ウーゼニアただ一人。

　浴槽の中でめいいっぱい足を広げて、くはっーと小さな幸せを感じているウーゼニアは領民の天敵。甘い汁のおこぼれを預かっているような罪悪感があるが、気がついていない振りをして水遊びに興じる。

　グラスとの戦闘後。

　汗をかいたシャツを着ているのが気持ち悪くなり、湯浴みができる場所がないかとグラスに相談すると、即刻この大浴場を推薦してくれた。

　ただの親切心で浴場を貸出してくれたのではなく、家から飛び出してから一度も風呂に入っていなかったせいで汗臭かったからだろう。ご丁寧に鼻を抓みながら、ウーゼニアをここまで案内をしてくれた。

「はあ……気持ちよかった」

　ギュッと絞ったタオルを腰に巻きつけて、脱衣所に出る。

　籠の中に、新しい着替えが入っていた。ウーゼニアのすっかり汚くなってしまっていた一張羅は洗濯するらしく、そこにあったのは、グラスが用意したのものだ。

　いくらなんんでもただで借りてしまうのは悪いとは思いつつ、断りきれずに、ありがたく受け取った服を鏡の前で着込む。

　首元の鎖骨が見える、涼しげなシャツ。

　その上から羽織る薄い素材の外套。

　膝下までの短めのズボンを留めるだけの、少し洒落たベルト。

（……けっこういい感じじゃね？）

　ラクサマラのうだるような暑さでも、快適に生活できそうだ。

　久々に清潔な服に着替えたおかげで、気持ちがビシッと引き締まる。汗でベトベトだった手や、灰まみれだった頭ともおさばらすることができた。

　何やら地味に活力が湧いてきて、将来の大雑把な展望について考えるだけの心の余裕がでてくる。

　これからどうするか。

　グラスに色々と苦言を呈され、本来ならば心の休息をとりたいところ。

　だが、なるべく早くこのラクサマラを出た方がいい気がしてきた。このままコレクベルトの好意に甘えていること自体が、危険。ここまで至れり尽くせりだと、何かとんでもない見返りを要求されそうで怖い。

「――と、」

　浴場から完全に出て、外の長い廊下に出ると、そこにいたのはグラス。

　ずっと、この辺一帯を清掃していたのだろう。

　取り付けられている窓を、布巾で拭いている。

　そして、その横には、掃除道具一式を入れておけるような、大きな台車があった。コレクベルトの身の回りの世話だけでなく、屋敷内のことも管理しているは大変だな、と関心はしたが、気になったのは服装だ。

　――エプロン姿だった。

　汚れが服に付着しないよう、配慮したエプロンなのだろうけれど、男がそういうのを積極的に着るのは、ちょっと……見たことがない。

　家政婦か何かかと勘違いしそうな服装で、ちょっとそっち系の趣味があのではないかと勘ぐってしまうぐらいに似合っていた。

　あれだけの戦闘スキルを持っていながらのギャップ効果で、こちらとしてはどんな反応をとっていのかわからない。

　ギャグだとしても、グラスが自発的に笑いをとろうとするタイプではなさそうだ。むしろそんなことをする人間を蔑視するような、お堅い人物の印象が強い。

　どうか全てはウーゼニアの勘違いであってほしいと願いながら、恐る恐る不審者に声をかける。

「ど、どうしたんだ？　こんなところで」

　頭、どこかにぶつけたのか？　とか聴きたかったが、強靭な精神力でなんとか口には出さなかった。

「あなたを待っていたに決まっているでしょう。そんなことも分からないのですか？」

　分かるわけないだろ。　

　寧ろ、エプロン姿で立っている人間が、ウーゼニアの風呂上りを、掃除しながらずっと待っていたなんて誰が推察できるんだ。

「あなたがこれから滞在する部屋に案内するように、コレクベルト様から言いつかっています。黙って私についてきてください」

　グラスは壊れたはずの眼鏡をかけていた。

　予備の眼鏡の用意があったのか。

　掛けていなかった時よりか雰囲気が鋭くなって取っ付き難くなりはしたが、眼鏡を掛けている方がしっくりくる気がする。

　競歩ぎみにせかせかと前方を歩いているグラスは見た目とは裏腹に、ピリピリとしているのは、恐らく別の指令を言いつかっているからじゃないだろうか。

　例えば――ウーゼニアが血迷って逃亡しないための監視役とか。

　疑ってかかっているのが、ウーゼニアだけではなく、あっち側だとしたらグラスを案内役にするのも頷ける。

　他のコレクベルトとの配下の人間は一様に同じ服装。だが、グラスは自由に自分の趣味である服を着込んでいる。自由度があるというだけで、屋敷内においてのグラスの地位の高さが推し量れる。

　コレクベルトと大広間で会食した時。

　あの密室の中にいた配下は、グラスただ一人。どれだけその実力を買われ、信頼されているかは明白だ。

　そのグラスがコレクベルトの傍を離れ、ウーゼニアと行動を共にしていることに作為を感じないわけがない。

　警戒を怠るわけにはいかない。

　グラス追いつくのに歩きでは足りなく、ウーゼニアは小走りになる。こちらが思考するのを少しでも遮断して、ついて行くことに熱中させようという魂胆だろうか。それにしても、何か不安があるかのような足の速さだ。

　あまりにもこの屋敷は広い。

　このままじゃ、どこがどこだか分からなくなりそうだ。

　ウーゼニアは視野に映るものをなんとか記憶しようとする。

　なにか目印でもつけて欲しい。ウーゼニアのように初訪問の人間では迷ってしまいそうなちょっとした豪邸だ。

　しかも、グラスは、敢えてウーゼニアに道を覚えさせないようにしているのか、くねくね何度も同じような廊下を歩いている。そこまで露骨にやらなくともいいのに。

「……なあ」

「なんですか？」

　不機嫌を垂れ流した声色のまま、立ち止まることなく首だけを動かす。歩速が緩くなったと思ったら、すぐに一瞥してまた歩幅が広くなる。

　また歩くスピードが遅くなってくれるのを期待して、どうでもいいことを話してみる。

「広いよな、この屋敷。どこに何があるか分からないぐらいで――」

「この屋敷を勝手に歩き回るのは止めてください。特に、地下への階段や、階段横の通路は絶対に通らないでくださいね。あまり勝手なことをされると、不本意ながらあなたになにかしたらの処置をしないといけませんので」

「あ、ああ……」

　何やら怒られているようだし、談笑するような気もなさそうなので、大人しくついていく。

　どこかよそよそしい。

　何かに気づかれると厄介だと思って、避けているようにも思える。

　一体何だ。

　数度に渡って見覚えのある角を曲がると、グラスがようやく一つの部屋の前に立ち止まる。見たことのある場所に、思わず首を傾げる。

「こちらです」

「あれ？　もしかしてここって……さっき通った部屋じゃ――」

「な、何か御用があれば、承りますので、その際は呼んでください」

　どもりながら、ズレた眼鏡をかけ直す。

　もしかしてこの人、しっかりしているように見えて方向音痴なのか。そのまま立ち去っていきそうな彼を、ウーゼニアは慌てて呼び止める。

「あっ、早速だけど、出口を案内してもらっていいか？　一回あんたと戦った時に外出たけど、わかりづらくてさ。どうせだったら今日中にでもその盗賊の頭領とやらをとっ捕まえたいんだけど」

　思わず、くだけた口調になってしまったが、あちらは気にしていないようだ。かしこまった言い方は苦手なので助かる。

「いい心がけですが、ちゃんと昼前には帰ってくださいね。料理は私が作るんですから」

　少し前まで取り乱していたとは思えないほど、いっそ清々しいまでに澄ました顔をしているが、どうも格好がつかない。

　というか、お前はどこのお母さんだ、とツッコミを入れたい台詞のせいでもある。

　ウーゼニアは無意識的にえらく訝しげな顔をしていたようで、グラスは不機嫌気味にフンと鼻を鳴らすとすぐさま踵を返す。そのままカッコつけるのかと思いきや、何やら初来訪したウーゼニアよりもキョドっている。

　えっーと、と聴いているこっちの方の不安を煽るような言葉を漏らしながら、隣接する部屋の一つのドアを開ける。

　あっ、ここか、と小さく独りごちると、ウーゼニアの視線に気づき、ゴホンとわざとらしく咳を入れる。

「ここは、コレクベルト様のコレクションが飾られている部屋です。この部屋以外も不用意に入室しないようにお願いしますが、ここは特に危険な箇所の一つですので気をつけてください」

　見渡す暇を与えず、グラスは即座にドアノブに手をかける。

　閉じられようとしたドアの隙間から見えたのは、雑多な物の数々と、それから異形の生物たちだった。

　歴史的価値があるものなのか、ショーウインドウの中に飾られているものもあって高価そうだった。生物も、未だかつて見たことがない珍獣ばかりで、鉄の檻の中で厳重に飼われていた。

　そういったものに疎いウーゼニアにとっては、ガラクタやただの不気味な生き物にしか見えなかったが、やはりマニアの中ではかなり高値で取引されるものなのだろう。

　生き物といえば、《ガルグイユ》は誰のものだろうか。

　譲り受けたものだとコレクベルトは言っていたが、それを操っていたのはグラスだった。

「そういえば、《ガルグイユ》を捕まえたのはグラスなのか？」

「……ええ、まあ」

　言葉を濁すと、それから、えーと、確かコレクション部屋があるのがここだから、あそこの通路の突き当りを左に、とかなんとかグラスが独りごちる。

　なんだかはぐらかされた気がする。

　コレクション部屋の扉を開けたのは、どうやら危険な部屋の案内をしたかったのではなく、出入り口までの道のりを確認したかったためらしい。同じ形の扉がズラリと並んでいるため、部屋の中で現在地を覚えているらしかった。

「コレクベルト様は物珍しいものを収集するだけで満足してしまう方なので、世話をするのは決まって部下である自分ですね」

「ああいうのって育てるの、大変じゃないのか？」

「別に。コレクベルト様の趣味が収集癖なら、自分の趣味は育成ですので、苦ではありません」

　育成が趣味か。

　ペットの類は自宅で禁止されていたので分からないが、好きな人はそういうの好きなんだろうな。

「成長過程の珍獣を見かけると、ついつい手を施してしまうんですよ。見ているだけだと、あまりにももどかしいので」

「へー、そうなんだ」

　自分から聞いておいてなんだが、あまり興味が出てこなかった。本来だったら、《ガルグイユ》以外の生物はどんな餌を食べているのかとか、どんな場所に棲息していたのかとか、そんなことを質問するべきなのだろうけど、生返事しかできなそうなので、それ以上の質問は控えた。

「ここが出入り口です」

　グラスは扉を開けたまま、ウーゼニアにさっさと外に出るよう催促するような視線を寄越した。ここから先はついこないらしいようだが、いいのだろうか。

「暑っ……」

　外の光を浴びると、せっかく引いていた汗がまた噴き出した。グラスは、このうだるような暑さを忌避したいがために、職務を全うする気がないんじゃないだろうな。

　やっぱり、昼飯食べてから、『灰かぶり』の頭領を捜索しようかと、ウーゼニアは早くも逡巡した。