第12話 進化する力と固まる決意

 コレクベルト邸を出てすぐの野外。

 草木の生えている庭園。

 手入れが行き届いているように見えるのだが、降灰のせいで台無しだ。巨木だけではなく、チェスの駒のような置物や、噴水まで灰がかぶっている。

 街中とは違って、草木があるだけ殺風景を回避しているが、それでも真っ白一色。

 だがそこには異色な生物もいた。

 さっきウーゼニアが踏まれた、憎き巨亀だ。

 首元には鎖に繋がれてはいない。いきなり暴れだしてしまわないかおっかなびっくりとしているが、どうやらその危険性はないようだ。おとなしく、『伏せ』のような状態でご主人様の指示を待っている。

 こんな色のない景観なので、休んでいる状態でもその巨体は目立つ。そんな巨亀の横に、グラスが移動する。

「最大限加減はします。自らの足で故郷に帰れるぐらいまでは。……そうですね。あなたがまともな戦いを見せたら、そちらの勝ちということにしてあげてもいいですよ」

 かなりの上から目線の発言に、ウーゼニアの顔が凶悪じみたものになる。

「アッハハハ、そんな気遣い無用ですよ。こっちは本気であんたをボッコボッコにしてやる予定なので」

 コレクベルトは、大事な仕事があるとかで席を外している。

 一応。一騎打ちという態で対峙はしているが、周囲からの敵意に似たプレッシャーを感じる。

 無骨な鎧を着こんでいる、コレクベルトの私兵と思われる人間たちが、視界の端に見える。

 いざとなれば、グラスの助太刀するつもりだろうか。

 それとも、ただのギャラリーに過ぎないのだろうか。

 私兵たちは、ただ黙したまま遠巻きに対峙している二人を眺めている。

 囁き声等の無駄話もせず、ただ黙してこちらを監視しているように思える。ただならぬ空気を一人一人が醸し出していて、冷やかし目的の野次馬というわけではないらしい。かなり訓練されているのか、さきほどから微動だにしない。一切のズレなく横一列に並んでいる。あまりにも不気味な集団だ。

「……あーそっか、そっか。それとも、この俺に負けた時に、本気じゃありませんでしたって、言い訳でもするつもりなんですねー。あー、それなら気持ち分かりますよー。そうやって逃げ道を作っておいた方が言い訳しやすいですもんねー」

 ピクッ、とグラスの眉が僅かに動く。

「見え透いた子どもの挑発ですね。そんなものに乗るとでも?」

「そうやって馬鹿にしておけばしとくほど、餓鬼に負けた時に恥ずかしい思いをするのはあんた――」


「制圧せよ――《ガルグイユ》」


 視界を覆いつくすような、巨大な水の球。

 地面を平行に、滑るようにしてウーゼニアに肉薄する。瞬きをする余裕もなく、足の腱がミチッと嫌な音がしながら、無理な動きで横に跳ぶ。

「いいいッ!」

 ――ぁぶねっ! と、中途半端な前転みたいな動きで避け切り、安堵の声を呟こうとするが、それは巨大な破壊音によって遮られる。

 ドゴォオオオン!! という火山が噴火したかのような爆発音に、えっ、と唇を引き攣らせながら振り返る。

 豪邸を囲っていた壁が、ごっそりと破砕されていた。

 ただの一撃でこの威力。

 もしも生身で受けていたら、痛いどころの話ではなかったはずだ。

 それを放ったのは、あの老熟としていた巨亀だった。あれって、ただの亀にしてはサイズがでかいとは思っていたが、《精霊獣》だったのか。

 それならば、納得。

 なのだが――

「あっぶねぇだろうがっ!! いきなり不意打ちするとか、表情の変化が乏しいけど、実は結構頭にキテるだろ!? あんた?」

「は? なんのことですか? 戦場において、不意打ちなど日常茶飯事ということを、あなたに教えるためですよ」

 眼鏡をクイッと上げて、グラスは表情を隠す。

「……そうとうな頑固ものだな。無愛想なところといい、どっかの誰かさんみたいだ」

 とんでもない事に巻き込まれているような気がする。

 ただの喧嘩程度になるかと思いきや、もはや紛争みたいになってないか。

 壊れた壁を見た領民の悲鳴が聞こえる。

 私兵達はまあこのぐらい当然だろと自然体に構えているのかと思ったが、取り乱して大騒ぎしている。どうやらあっち側からしてもイレギュラーな事態だったらしい。

 監視だとか、いざとなった時にウーゼニアを袋叩きするために私兵達が集まっていたのだと思っていたが、もしかしたらグラスが無茶しないように見張っていただけなのか。

「うおっ!」

 そう考えてい内にも、《ガルグイユ》は休みなく水球を放ってくる。

 そのせいで、どんどん庭園が荒れ果てていくんだが、これって大丈夫なのだろうか。紙一重で避けながら、冷や汗が全身から滝のように流れる。

「あまり手間をかけさせないでください。あなたが避ければ避けるほど、修理費は領民の血税から巻き上げることになるんですけど」

「なにさらっと、職権乱用するようなこと言ってるの!?」

 およそ人間らしい言葉を平然と吐く、グラス。

 水の球による破壊は断続的に続き、壁に穴が開いていく。このままでは外にいる人間も巻き添えを喰らってしまう。

 だが今のウーゼニアは避けているのが精いっぱい。これで足場が不安定になれば、いつかは必ず捕まってしまう。

 守りに徹していっては勝てない。

 反撃しなければ――。


「――絶叫しろっっ! 《アルラウネ》!」


 襲い掛かってくる水の球に対して、地面から驚異的なスピードで樹を生やす。元々庭園に生えていた草木のお蔭もある。

 だが、キルキスとの戦闘において、《精霊獣》の力が強まった気がする。

 確かにあの戦いでは敗北したが、戦闘経験をしたことによって、以前の倍以上の速さで《アルラウネ》による木の壁が構築される。

 水球の激突にも、間に合う。

 だが――

「……がっ!」

 数本の巨木を、水の珠をバラバラに破壊する。

 想像以上の威力だ。

 一本だけでは及ばないからと、無数の木を並べ、蔓による補強もしていたのだが、《ガルグイユ》の攻撃の前では数秒も持たなかった。

 破壊力を殺し切れなかった水の球によって、ウーゼニアは吹き飛ばされる。自ら後ろに跳ぶことによって威力を気休め程度に弱めることには成功したが――痛い。

 当たってしまった腕を、もう片方の手で押さえながら悶絶する。

 一瞬、ガードした腕の骨が折れたかと思った。

 正面から受けるのは、自殺行為だ。

「その程度の壁、《ガルグイユ》の『水爆球』の前では紙屑に等しいですよ」

「か、亀のくせに……なんて威力だ」

「亀? 違いますよ、《ガルグイユ》をよくご覧になってください」

 グラスに居丈高にいわれる。

 《ガルグイユ》の大きく開けた口からは、歯並びのいい牙が見える。しかも草食動物特有の平らな歯ではない。肉食動物が保有するであろうギザギザの、獲物の肉を引きちぎるための立派な歯だ。

 亀があんな歯をしているだろうか。

 しかも、首の近くには立派なエラがついていて、水辺に生息している《精霊獣》であることが想像に難くない。

 もしかして。

 甲羅が邪魔で分からなかったが、背負っているものを取り外してみれば、誰もが知っている伝説上の生物に似ている。いや、似ているどころか、そのものだ。


「まさか――竜?」


「いいえ、正確には……水竜です」

 竜といえば、数多く存在する《精霊獣》の中でも、その戦闘能力は最上級に位置すると言われている。

 だが、まさか竜をこんなところでお目にかかれるとは思わなかった。

 決して人里には現れず、人間が生存するには困難な場所ばかりに生息している。そんな危険地帯に立ち入って、さらには竜の《使役者》となる人間など限られてくる。

 となれば、必然的にグラスは相当な強さを誇ることになる。本人が竜を捕獲したのかは別にして、その《使役者》となるだけでも凄い。

 恐らくは、キルキスよりも数段上の実力者と考えてもいい。

「本来、ラクサマラのように火山があるフロンティアには絶対に生息していない水竜。本領を発揮できるフロンティアではありませんが、あなたのような弱い人間にはハンディの意味があまりないようですね」

「誰が……弱いって!?」

 ボッ、と空気を割くような音を響かせながら、一直線に巨木を突っ込ませるが、頑丈な甲羅によって弾かれた。

 原型を留めず、木は粉砕される。

 あの甲羅はかなりの強度を誇るようだ。

 鈍重なあの巨体ならば、俊敏な動きをとることができない。だが、その弱点をあまり余ってあるメリットは、表面積のあるあの頑強な甲羅だ。ああやって身を固めていれば、ほとんど動かずとも致命打を受けることはない。

 狙うとしたら、甲羅ではない生身の、皮膚の部分だ。

「あなたのことですよ、ウーゼニアさん」

 《ガルグイユ》は、四肢と頭を縮めると、すっぽりと甲羅の中に収まる。なっ、と弱点がいきなりなくなって驚いていると、《ガルグイユ》はそのままウーゼニアに向かって高速縦回転する。

 甲羅の穴から圧縮した水の刃物を放射しながら、襲い掛かってくる。手裏剣のような攻撃は避けたウーゼニアの後ろの壁に激突する。破壊された無数のコンクリート片が、後ろから雨のように飛来してくる。

 小さな欠片を全段躱すことなどできるわけがない。

 切り傷からは、血が流れる。

 ウーゼニアの動きを見て取るや、攻撃スタイルを変えてきた。機動力を削ぐために小さなダメージを蓄積させ、動きが止まったところで嬲り殺しにするつもりか。

「『環境を変えれば、今まで見えなかったものが見えてくるかも』……なんて、抽象的で漠然とした目的のために、ラクサマラに観光旅行に来たつもりなら、さっさと逃げ帰った方が身の為です」

「観光旅行なんて……そんなつもりなんてない! 俺は! ……本気で!」

「本気の方が、よっぽどたちが悪いですよ」

 貧血で倒れそうになる。

 ウーゼニアは膝を地面につく。

 さっきまで飢え死にしそうだったのだ。飯を腹いっぱいに食ったからと言って、すぐさま健康になれるわけがない。むしろ、いきなりガッツき過ぎた後で身体を無理に動かしているため、気分が悪い。

「あなたの話を領主様の隣で聞かせてもらっていましたが、計画性が一つもない。言葉は曖昧で、夢物語を語っている。そんなあなたは、世間を知らない子どもに過ぎない。取り返しがつかなくなる前に、家に帰ったらどうですか?」

 何が言いたいんだ、こいつ。

 ただ自分のやりたいことをやる。

 それだけのことなのに、どうしてここまで初対面に人間に揶揄されなきゃいけないんだ。

「世間を知らなきゃ、夢を語っちゃいけないって理由にはならないだろッ!?」

「そうですね。せめてあなたが弱くなければ、そうだったのかもしれません」

 決壊したダムから溢れるような水を、《ガルグイユ》は一気に吐き出す。

 『水爆球』とやらよりも高圧縮されていない分、威力はないが、小細工がない分、速度が段違いだ。役立たずの樹の壁を備える前に、ウーゼニアは吹き飛ばされる。

「がっ……くそっ……」

 ウーゼニアは破壊された瓦礫に手をかけながら、なんとか立ち上がる。避けることを――戦うことを諦めてしまったら、その瞬間負け犬決定だ。


「生きるのに必要なこと。それは――強さです」


 何もできない。

 《アルラウネ》で攻撃してもあのスピードで動かれては当たらない。そして仮に当たったとしても、傷一つつけられない。

 逆にあちらの攻撃を防ぐ手立ては何一つない。

 怒涛の攻撃を避けるので精一杯で、ウーゼニアが深手を負ってしまえばそれもできなくなる。

「弱い人間が――夢や願望を語っていいはずがありません」

 自分のしたいことを言った瞬間――空気がさっと変わる。

 そんな経験は何度もした。

 今日初めて会った領主コレクベルトや、その部下であるグラスだったら、それは分かる。だが、キルキスやゼルミナですら否定されてしまった。身内の人間に言えば言うほど、誰もが不愉快な気持ちになってしまった。

 だとしたら、自分の想いを口にすることはいけないことなのではないのか。

 もしもウーゼニアが、自分の気持ちをキルキスやゼルミナに零さず、今までどおりの生き方ができれていれば、こうして戦うこともしなくて良かったはずだ。

 キルキスが激怒しなくてもよかったはずで。

 ゼルミナの涙を見ずに済んだはずだった。

 迂闊にも口を滑らしたせいで、ウーゼニアだけでなくその周りの人間が不幸になってしまった。

 それは、紛れもなく事実だ。

「ほんとは、気がついているんでしょう? 何をやっても、周りの人間より自分が劣っているって現実を」

 キルキスの《精霊獣》はリュウキュリィアで最も強く、ウーゼニアを圧勝した。

 そしてヤミヨイとの戦いも、あの時キルキスが横入りしてくれなければ、確実にウーゼニアは負けていた。あそこでキルキスが止めてくれたから、あの程度の騒動で済んでいたのだ。

 2人といると、自分の才能のなさが浮き彫りになって嫌だった。

 《精霊獣》を操ろうとしても、全然うまくいかなかった。2人に勝てたことなどなかった。

 だから勉強に逃げ込んだけれど、そこでも自分より頭のいい奴はいっぱいいた。上には上がいて、他人と競争することが怖くなった。だって、必ずウーゼニアは負けるのだから。

 だからこそ、『狩猟会』は居心地が良かった。

 何故なら、比べる相手がいないから。ウーゼニア一人だけの狭い世界で、温々と生きることができた。

 ゼルミナ等の愚痴を零しても、嫌な顔一つせずに受け止めてくれるガザリア山の植物や生物たちが好きだった。そうやって批難されることのないところで、独り言のように陰口を叩くしかできなかった。

 だって、弱いから。

 ――何もかもが。

 ……そういえば、そんなことを最近、誰かに言われたような。

「なにもできないんだったら、もうなにもしなくていいじゃないですか。よく頑張りました。ここまで家出できて。親に反抗できてカッコイイですね」

 台本の台詞を読むように棒読みなのは、心の底から馬鹿にしているからだろうな。

「いいや。俺は……まだ何もしていない。できていない。だからこそ――」

 何かをなし遂げたいんだ。

「そうですね。何もしていないから、何でもできると思い込む。それが子どもの思考パターンです」

 そうだ。

 何もしていないから、その困難さを知ることなどできていない。リュウキュリィアという牢獄から外に出ていなかったウーゼニアは、早くも餓死するところだった。

 一歩踏み出して、これだ。

 これからさらなる災難が待っていないとは限らない。

「壁にぶつかって。傷ついて。それを繰り返して、人は妥協を覚える。傷つかないで済む方法を見つける」

 ここでリュウキュリィアに逃げ帰ったらどうなるだろうか。

 あきれ果てたゼルミナと、滅茶苦茶怒るだろうキルキス。そして優しく迎えてくれるであろうシキ。

 ほとんどの人間は最初は酷くウーゼニアのことを責め立てるだろう。だが最終的にほとぼりが冷めた事rには、ああ良かった。これで元通りって、ウーゼニアは苦笑いすることになるだろう。

 特にゼルミナは、やっぱり私の言ったとおり。これこそが正しいこと。もう辛い想いをしなくていいから、私の言葉だけに耳を傾けなさい、と言われるだろう。

 だが、今までのような反発を、ウーゼニアはきっとしない。できない。

 だって折れてしまったから。

 自分の意思を曲げてしまった後に、矜持など欠片も残っているはずがない。ゼルミナの傀儡となり果て、そして虚無の人生を全うすることになるだろう。

「職業柄、色んな人間を見てきた私だからこそ断言できます。あなたがここにいても、何もできない。傷つくだけです。だからあなたにはこれ以上頑張らないで欲しいんです」

 またもや、《ガルグイユ》は『水爆球』を放ってくる。

 そう何度もこられたら、流石にウーゼニアだって、馬鹿正直に受けることなどしない。それに、攻撃のタイミングも把握できた。

 先ほど破られたのと同様の木の障壁を作る。

 ただし今度はウーゼニアの目の前ではなく、もっと前方。

 木の壁はただの防護壁としてではなく、相手側を油断させるための、こちらの次の手を隠すためのブラインドの役割を果たす。

 ウーゼニアは、助走をつける。

 勢いをつけながら走って跳躍し、木の上に着地する。そのまま時間を置かずに壁を二段跳躍するためのジャンプ台として利用した。

 『水爆球』によって、すぐさま壁は破壊されるが、目標は防御力の高い《ガルグイユ》ではなく、さきほどから身動きしないで余裕をこいているグラスだ。

 《ガルグイユ》に攻撃する手立てがないのだったら、その《使役者》たるグラスを打ち倒してしまえばいいだけ。なんとも狡賢い手段だが、今のウーゼニアにはこれしか勝つ方法はない。

「やってみなくちゃなあ、どんなことだって分からないだろ!! だから俺は――」

「分かりますよ。この戦いの結果同様に」

 生意気な顔をする奴に向かって、拳を繰り出し――


「いいんですか、不用意に空中を飛んで?」


 下を見ると、大きな影が猛スピードで迫ってくるのを視認する。

 なんだ、と思い弾かれるように横へ首を捻ると、《ガルグイユ》の巨大な尾が肉薄していた。

「がぁっ!!」

 空中にいるせいで、まともに攻撃を喰らってしまった。撃ち落とされたウーゼニアは、体力の限界を感じて唾を吐く。あと一撃でも正面から喰らってしまったら、もう動くこともできないぐらいの激痛を全身から感じる。

 そうか。

 地上にいる間は、もともと生えている草木の力も借りてすぐさま樹木を精製できる。だが、空中となると、それだけタイムラグが発生する。それを一見しただけで、グラスは見ぬき、隙を狙って攻撃を仕掛けてきたのか。

 今まで、ウーゼニアが意識していなかったことを、気が付いていなかったことを看破して見せたグラスは口先だけじゃない。本物の実力者だ。

「惜しかったですね。あなたが身体を鍛えていれば、一回ぐらいは思いっきり殴れたかも知れないというのに……」

 ウーゼニアが立て直す余裕を待つわけもなく、『水爆球』が連射される。

 衝突する瞬刻。

 なんとか、ウーゼニアは壁をいくつも創造して、なんとか衝撃に耐える。だが、それも時間の問題。全ての壁が破壊される。

「《精霊獣》の《使役者》同士の戦いにおいて重要視されるのは、《精霊獣》の強さの優劣だけではありません。使い手そのものの強さも問題となってきます。……もっとも、肉体に全く頼らず《精霊獣》の火力だけで戦うタイプの人間もいますが……。それにしてもあなたの《アルラウネ》は弱すぎる。それでいて、あなた自身も弱い。それでは、街のチンピラ程度を倒せるだけの力しかありません」

「だったら、これでどうだ!」

 《アルラウネ》によって作られたジャンプ台を使って、また空中を駆けようとしたのだが――あちらの攻撃が速い。『水爆球』によって壁は破砕され、まともなタイミングでジャンプすることができなかった。

 グラスは、失望の瞳を向ける。

「失敗した時と同じ手が通じるわけないでしょう」

 空中に放り投げられたような態勢。

 さっきは、両足を揃えてジャンプできるようなタイミングではなかった。それでも、瞬時にこれではやられると予見したウーゼニアは、今度は《アルラウネ》を地上に置いてきた。

 それによって、先ほど《アルラウネ》をポケットに入れていた時とは違って、草木を生やすスピードが格段に向上する。

 次の一手を出すための時間のロスが少なくなったということは、こちらが攻撃を当てる可能性が格段に跳ね上がったということだ。

 遊びなしの、激流の川のような水を《ガルグイユ》は放出する。だが、激突する前に、幾重にも絡んだ蔦が地上から、ウーゼニアの跳躍をサポートする。

 それによって、ウーゼニアは加速する。

 独りきりで跳んでいた時よりも遥かに。

 迫りくる尾よりも、もっと速く――


「自身の機動力のなさを、《精霊獣》で補って――!」


 あくまで冷静だったグラスが初めて小さく驚嘆の声を上げる。それとは対照的にウーゼニアは気合いの叫び声を上げる。

「ぅおっらああああああああああああああああああああ!」

 上から打ち下ろすような拳で、グラスの頬をぶん殴る。凄まじい勢いで地面にたたきつけられたグラスは、バウンドするように転がる。

「ゴチャゴチャ理屈こねて、余裕こいてんじゃねぇ! 一発入れてやったぜ!」

 フレームが歪んでしまった眼鏡を、グラスは上にずらす。

 粉々になってしまったレンズ。

 掛けたままでは戦いに支障がでると感じたのか、眼鏡を放り投げる。

 裸眼になったグラスは、澄んだ瞳をしていて思っていたよりも顔立ちが良かった。眼鏡と言動のせいで意地の悪さが滲みでていたが、今は何を考えいるのか分からない無機質さがある。それが逆に怖い。

 ただの拳の一撃では、ダメージを受けたとは思えない。ここからが本当の戦いになるだろう。

「俺が世間知らず? だったらこれから知っていけばいい! 俺が弱い? だったらこれから強くなればいい! コレクベルトさんが俺を利用しているのなら、この俺が利用すればいい! もっと俺が成長するためになあ!」

 自分に能力がないことぐらい分かっている。

 だが、たったそれだけのことで諦めていたら、何もできない。やる前から心が折れていたら、できることだってできなくなる。

 挑戦しないってことを、嫌というほど味わってきた。

 それが正しいことだって教えられてきた。何もせずに、誰かの命令を聴いているだけで生きていけばいい。そうすれば失敗しても自分のせいじゃないから、と言い聞かせることができるから、と。

 だけど、それはきっと間違いだった。

「自分の性分をぐにゃぐにゃ曲げられたら、そりゃあ楽だろうな! 俺だって、みんなみたいに器用に生きられたらって思うよ! 周りに合わせてれば、波風立たない。取りあえずは、平穏な日常を送れることができるって、そんなことぐらい餓鬼の俺だってわかるんだ!」

「…………」

 気圧されたように、グラスは黙認している。

 勢いのまま、自分でも何を言っているのか分からないままウーゼニアは口角泡を飛ばす。

「でも……それで、満足できない自分がいるんだ。どれだけ目を背けようとしたって、都合のいい言葉で自分に嘘をつけない。俺は、『変わりたい』って! そんな青くさいセリフを吐きたいって思う自分がいるんだ!」

 大声で叫び過ぎて、喉が痛い。

 はあはあ、と気息を整える。眼前の分からず屋。頭でっかちの大人ぶっている奴にもっと言ってやりたいことがあるが、とりあえず休憩だ。

「…………恥ずかしくないんですか? そんなことを大声で言って?」

「全然!」

 胸を張りながら、全力で答える。

 勢いだけの、その場しのぎな言葉。そうでありなががらも、絶対の自信を持ってウーゼニアは言えることができた気がする。

「そうですか。……大言壮語は、結果を得てからにしてください」

 チラリ、と眼球を横に向けると、《ガルグイユ》は、いつの間にか噴水の水を飲みほしていた。

 ウーゼニアが話に集中している間に、着実に次の一手を決めるべく、グラスが指示をしていたらしい。

「《ガルグイユ》!!」

 地響きを伴う足踏みをすると、特大の水球を撃ち出してくる。まるで大砲のような勢いだ。避ける動作もできない。どれだけ壁を重ね掛けしても、防ぎようがない。

「俺はー―」

 ギリッ、と奥歯を噛みしめる。

 条件反射的に前に両手を突き出す。まるでそうした方がいいと肉体が瞬発的に判断したかのようだった。


「俺は絶対に、変わるんだああああ――――!!」


 ウーゼニアの絶叫に呼応するかのように、《アルラウネ》は爆発的に樹を増殖させる。一つの樹ではなく、瞬間的に複数の樹が重なるようにその身を引き寄せあうと、一気に膨張する。

 そして、『水爆球』と樹木が激突する。

 あまりの激突に、音が消滅した。

 凄まじい衝撃波によって地面を転がったウーゼニアがかろうじて目撃したのは、ポンプのように『水爆球』を樹木の根が吸収したところだ。樹木の吸収する許容範囲量を超越して、樹木は爆発した。

 樹の破片が飛び散ると共に、空に打ちあがった水が雨のように落ちてくる。一瞬とはいえ、ちょっとした土砂降りだ。小さくて綺麗な虹ができる。

「『水爆球』を吸収した……? こんな力を隠し持って……」

 驚いているグラスを尻目に、ウーゼニアは呑気に声を上げる。

「あっ――ぶなかった。なんかよく分からないけど助かった……!」

「まさか、無意識のうちに……あれを? 勝とうとする意志の力で……《精霊獣》の潜在的な力を引き出した? ……なるほど。これは育てがいのありそうなサンプルですね」

 ずぶ濡れになって、水も滴るいい男になったグラスは、ふー、と諦めたようにため息をつくと、

「いいでしょう、あなたの勝ちでいいです」

「………………へっ?」

 その言葉に、ウーゼニアはすぐさま返せなかった。

 何故なら、キルキスに大敗を喫して自信喪失していて、自分が勝つなんて思いもしなかったからだ。

 あちらが提示した戦いの勝利条件の詳細はぶっちゃけ覚えてはいなかったが、戦った本人から告げられると、ジワジワと勝利の余韻というものを感じる。

 勝った。

 そうか、勝ったのか。

 もしかしたら、いや、もしかしてもそうだ。《精霊獣》を使った戦いで勝利を収めたのは、これが生まれて初めてだ。戦いの最中何度も負けを覚悟したからこそ、死ぬほど嬉しい。

「はあ? 誰がどう考えても、俺の勝ちだろ。手加減するとか言っておきながら、最後らへん結構本気だったしな」

 やべー、やっぱり俺強いじゃんとか、調子こいたことを独りごちていると、

「……やっぱり、ちゃんとした決着をつけましょうか」

 今度こそ本気でキレたように、グラスは眉間にしわを寄せた。

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