第11話 玉座に君臨する者と持たざる者は相対する
案内されたのは、だだっ広い大広間。
そこは、首を固定したままでは、視野に収まりきらないほどの広大さを誇っていた。
長方形のドでかいテーブルに乗せられているのは、待望の飯の数々。
目にしたことのないような豪華絢爛な食事に、行き倒れていたウーゼニアがゆったりと舌鼓を打つわけがない。
このフロンティアの伝統料理なのか、今まで味わったことのない感触の揚げ物を頬張る。コリコリとしているが、それでいて噛むとジュワと口内に染み渡る。
そうして食感を楽しみながらも、息つく暇もなく、透明感のあるスープをゴクゴクとスプーンも使わず直に飲む。噛み砕いて小さくなった固形物も、スープといっしょに流し込む下品さを発揮しながら、空腹を満たしていく。
「……はあ……」
ウーゼニアは手に持っていた食べ残しのない綺麗な皿を置くと、幸福感に満ちた溜息をつく。ついでにゲップも出してしまうが、グラスに注がれていた水を飲んで誤魔化してみる。
見るからに高そうな金色の装飾をしている椅子にもたれ掛かると、案内された食事場所にようやく落ち着いた様子で目を行き渡らせることができる。
大広間にはウーゼニアの他に、領主とその護衛である部下が傍に立っているだけで、まだまだ隙間が沢山ある。
ちなみに、この領主は先程ウーゼニアを踏みつけた巨亀の飼い主だ。
まさか、このフロンティアに一番偉い人とこうして向かい合って話す機会が来るとは予想だにしなかった。
細い糸のような瞳をしていて、終始にこやかに話している。
長身痩躯。
領主ということで机に向かっていることが多いせいか、筋肉はついていないようだったが、無駄なぜい肉もついていない。
(それにしても……広いな)
この部屋の広さだけで、領主がこのフロンティアでそれなりの権力を持っていることが容易に想像できる。だがこれはまだ、領主の屋敷の一室に過ぎない。他にも部屋が並んでいるこの屋敷に連れてこられた時は驚いたものだ。
キルキスの家の半分ほどの大きさを誇る家なんてそうそうあるものじゃない。
ラクサマラを自治しているというこの領主は、ウーゼニアが飯をがっつく様子を視認すると、柔和な表情をする。
「食事は満足いただけたようですね。先程はとんだ無礼をしてしまい、本当に申し訳ございませんでした」
「いいえっ、とんでもない! 野垂れ死にしそうになったのを助けてくれただけでも、感謝しないといけないですっ!」
亀の足の下敷きになったのだから、皮肉の一つでも零そうとした。
だが、無機質な瞳をしている配下の人がじっとこちらの動向を観察していて、言うタイミングを逸してしまった。そのせいで慣れないおべっかを言う羽目になった。
背筋の辺りがむず痒い。
どうもさっきから無用に肩がこるのは、厳かな部屋に充満する雰囲気のせいと、それから領主と配下の人の探るような目つきに晒されているからだとしか思えない。落ち着きを払えず、そわそわする。
「……それより、領主……様?」
「コレクベルトでよろしいですよ。本名はコレクベルト・ルゥサ・リーレイチですが、それだと覚えづらいでしょう。……勿論、様付けもなさらなくて結構です。堅苦しいのはどうも性に合わないようでして……おっと、これはオフレコでお願いします。立場上、威厳を保たなければならないもので」
わざとらしく後付けされた言葉に、ウーゼニアはぎこちなく苦笑する。
滑らかに喋っているコレクベルトの目が、笑っていなかったからだ。それに気がついたせいで、一連の動作が妙に嘘くさく見えてしまった。
「それじゃあ、コレクベルト……さんで」
容姿からして一回りは年齢が上そうなコレクベルトを、気さくに呼び捨てはしにくい。
こちらの気持ちを汲んでくれたようで、それでよろしいですよ、とにこやかに話の続きを受け流してくる。
なんというか大人だ。
ゼルミナよりもよっぽど落ち着きがあって、物腰が柔らかだ。
若くして領主という地位に腰を落ち着けているだけあって、計算されたような立ち振る舞い。だが、だからこそ安直に信服を置いてはいけないような気がした。少しでも気を許してしまったら、一気に取り込まれそうだ。
「コレクベルトさん。それで……さっき、おっしゃっていた『頼み』というのは?」
タダより怖いものはない。
いくらこちらが事故の被害者とはいえ、無償で豪勢な料理を振舞うのにも必ず何らかの理由があるはずだ。
――申し訳ありませんが、折りいってあなたに依頼したいことがあるのです。
ウーゼニアが一心不乱に食事している時に、ポロっと零していた言葉だ。実は言うとそれがずっと気に掛かっていた。
ラクサマラに来るまでの経緯とウーゼニアの諸事情について、ある程度コレクベルトに打ち明けた。ウーゼニアのことを知りたいというので、素直にペラペラと喋ってしまった。
その時に頼みごととやらの詳細聞いてもよかったのだが、空腹で死にそうだったので聞き流してしまったのだった。
「そうですね。ウーゼニアさんも一段落されたようなのでお聞かせしましょう。……ですが、本題に入る前にぜひお聴きしたいことが一つだけあります」
「……どうぞ」
怖々としながら、話の続きを促す。
コレクベルトは、それでは、と短い前置きをして、
「あなたはどうしてこのラクサマラへ足を踏み入れたのですか?」
ん? と思わずウーゼニアは眉を顰める。
もっと鋭く突っ込まれてしまうのかと身構えていたのだが、見事に肩透かしを喰らう。
「見たところウーゼニアさんはお若い。そんな方が仕事関係以外でフロンティアを出外するのは非常に稀なケースなので、気になったいたんですよ。しかも、お財布を落とされたあなたに、私が『お家まで送りましょうか』と提案いたしました際に、大変怪訝な顔をなさったので、並々ならぬ事情があると思いましてね。そこが妙に気になってしまったのです」
手振りを交えながらコレクベルトは問いかける。
こちらの情報を引き出したいのは火を見るより明らかだったが、よそ者を警戒するのは領主として当然。
ここで絶対の権利を持つコレクベルトに真意を隠して、後後バレたりしたら、こちらの不利益になりかねない。
どんな反応が返ってくるか甚だ不安だが、言うべきことを言うしかない。
「『K.O.F.T』に出場するためです」
よほど意外だったのだろう。
静寂がその場を支配する。
大の大人を黙らせてしまうほどの威力に、一抹の恥ずかしさを覚える。やはり、自分のやろうとしていることは、そんなにも無謀なことなのだろうか。
「――なるほど、得心致しました。かの有名なあの大会に参加するとあれば、それなりの覚悟があるでしょう」
テーブルの上に出していた手を組み直すと、ようやくそれだけ言う。
だが、傷ついたような表情のまま押し黙っているウーゼニアを観て、慌てたように言葉を付け足す。
「ああ。すいません。あなたのことを特別馬鹿にしたというわけではありません。私は変わったものが好きでしてね。逆にあなたのように普通の人間がやらないことに挑戦しようとする人には、少なからず好意を抱きますよ。あなたを踏んだ変わり種の《精霊獣》も知り合いから譲り受けたものなんですよ。中々に可愛いものでしょ?」
《精霊獣》と同等の扱いをされても困る。せめて比べる相手は人間にしてもらいたいものだ。
……ん? 《精霊獣》? っていうことは、コレクベルトもウーゼニアと同様に《精霊獣》の《使役者》だということなのだろうか。
「さて、ここからが本題なのですが――。長々と回り道して申し訳ございません。ただ、あなたの素性や性格を知っておかないと、頼めないことだったのです」
コレクベルトは忙しなく指を動かしながら、言い出そうかどうか迷っている。
さっきから気になっていたが、この人はずっと手を動かしている気がする。
逆に傍についているお付の人は、ほとんど微動だにしないが、ずっとこちらに視線をやっていた。
「……実はですね、ここ最近この街では俗人によるテロが多発しているんですよ。それで必要以上に、見かけない顔には警戒してしまうというわけなんです」
「テロ……ですか」
活気のなかった街並みを思い返す。
あれは降灰のせいではなく、テロの恐怖が人の心に根付いていたからだったからか。
「ええ。五人ほどでしか構成されていない『灰かぶり』という少人数の賊集団でしたから、すぐにメンバーの四人までは捕らえることに成功しました。ですが、あと最後の一人である頭領がどうしても捕まえられないんですよ。今は猫の手も借りたい状況でして、お恥ずかしながら、これには我々も頭を悩ませているところなんです……。……それで、どうでしょうか? 私がウーゼニアさんに頼みたいのは、他ならぬその犯罪者をあなたの手で捕まえて欲しいんです」
「そんなこと……俺には……」
犯罪者相手に立ち回れるとは思えない。
いくらこの逃避行が危険と隣り合わせだといっても、自ら火中に飛び込むような真似はなるべく回避したほうがいい。しかも、相手が犯罪者とならば、遊びや冗談で済まされるわけがない。丁重に断るべきに決まっている。
「『できない』……ですか? ですが、この話はあなたにとっても損はないはずですけどね。このままあなたが一文無しで生活していくことは、理論上不可能。ですが、その賊の頭領には多額の賞金を、他ならぬこの私が賭けています。いかがでしょうか? 今のところあなたには、これ以外に自活するのに有効な手段がないと思いますが……」
「そんなの……財布をスったやつを捕まえて、お金を取り返せれば……」
「それは難しいと思いますよ」
ウーゼニアの回答を予想していたかのように、間髪いれずにコレクベルトは言葉を重ねる。こちらの反論を瞬時に遮断させるように、話の切り口には一切の無駄がない。
「恥ずかしながら、ただでさえこのラクサマラには犯罪が多発していて、私は日々頭を悩ませているんですから。そんな中で、財布泥棒のような小悪党を探し当てるのは難しいと思いますよ。なにかその人間の特徴でも覚えていない限り、特定することは不可能かも知れません」
「特徴……ですか。確か、肌が褐色で……額には爪で引っかかれたみたいな傷が――」
なっ! と付き人が驚いた表情をして、身を乗り出してくる。ずっと気配を殺すようにして立っているだけだったのに。
何かおかしなことを口走ってしまったのだろうか。
すると、コレクベルトは説明を挟む。
「驚きました。その盗人は、もしかしたら先程話していた賊の頭領かもしれません。ちょうど特徴が合致します」
「えっ? そうなんですか?」
なんて嫌な偶然だ。
「彼はあなたと同じく《精霊獣》を使役する人間の一人です。強敵かと思いますが、『K.O.F.T』のウォーミングアップにもなるかと思いますよ? ですが、まあ……私も強制は致しませんよ。八方塞がりのこの状況をどう打開なさるかは、あなたの自由意思です」
淡々とした口調で言ってくるあたりが、切羽詰っていなく、現実的な提案のような気がした。
人の上に立つだけあって、説得力のある理論を瞬時に、しかも次々と打ち出してくるのは、流石フロンティアの頂点に立つ人間だ。
手のひらで踊らされているような気分だが、コレクベルトの『頼み事』というよりは『命令』を聞き入れる以外の選択肢はない。
ラクサマラの面倒事に巻き込まれてしまった感は否めない。
だが、餓死してしまえば全て終わる。
自分のお金を取り戻すためにも、ここは領主という強力な協力を得られるうちに財布泥棒を捕らえるのが賢明だ。
だが、どれだけ理にかなっていても、罠であるには間違いない。そんな予感がする。普段獲物を仕留めるためのトラップを仕掛ける側であるウーゼニアだからこその思考なのだが、考えすぎだろうか。
悪寒がするのは、お願いというよりは、強制的に選択肢を狭まれている感覚があるからに違いない。それでも罠へと飛び込まなければならないのならば、それなりの準備が必要だ。
このまま二つ返事で了承するよりか、まずは迷っている素振りを見せて、優位に事を進めた方がいい。
まずは、なるべくその『灰かぶり』とやらの頭領の情報を集める。
そして、こちらが承諾する条件を提示する。
この2点は絶対に必要不可欠なことだ。
まず、敵の情報を仕入れなければ、戦いのプランが立てられない。
ヤミヨイやキルキスと戦えたのも、ひとえに前情報があったからこそ。もしも事前に戦闘スタイルを知らなかったら、さらに散々な戦いの結果だったに違いない。
そしてそれ以上に大切なのは、条件の提示。
亀に踏まれた事故を、ウーゼニアに言いふらされるのはコレクベルトの領主としての信用を地に落とすことになりうるはず。
それを脅しの武器にして、助力を乞う。
一歩間違えれば、逆鱗に触れてしまう行為。だが、それだけメリットがある。賊の討伐の支援をどれだけ受けられるかは、これからのウーゼニアの言葉次第というわけだ。
つまりは、どこぞの田舎フロンティアから出てきたばかりの一介の少年が、フロンティアの頂点に君臨する男と、交渉という名の机上の戦いが始まるわけだ。
まずは、あくまで慎重に話を進めながら、見下されないようある程度強気な発言を心がけなければならない。
「残念ですけど、俺は――」
「コレクベルト様。横から失礼します。こんな得体のしれない人間にやらせても、何の収穫も得られないと進言します」
と、コレクベルトの後ろに控えていた部下の人が、反駁する。
神経質そうな顔で、メガネを掛けている。
糊の効いたシャツを着込んでいて、見ていてこっちが暑苦しいのだが、当の本人は涼しい顔をしている。いや、涼しいというよりは冷血。まるで体温を感じさせない無機質な表情をしている。
男であるというのに、腰元にまで伸びる長髪は珍しい。ただでさえラクサマラは火山灰が降っているから手入れも大変なはず。それでも髪を伸ばせるということは、清潔な水をいつも浴びれるということだ。
ラクサマラの困窮している状態を見ていると、そんな余裕なんてなさそうだが、やはり領主の側近ともなると、それなりの待遇があるのだろう。
コレクベルトの提案を呑むことはできないと言おうとはしていたが、先回りされるとカチンとくる。
なにより、『何の収穫も得られない』と断定されたのが腹ただしい。今先ほど邂逅したばかりの人間に言われるようなことじゃない。まるでウーゼニアが役立ずと言われているみたいだ。敵愾心がメラメラと燃える。
さっきまで考えていたことなど、完全にどこかに吹き飛んで、矛盾めいた言葉が自分の口からついてでる。
「そんなことはないですよ。こんな俺でも、か・な・ら・ず・や、コレクベルトさんのお役にたってみせます」
「立てるとは思えませんけどね。無計画に自分の故郷を出て、しかも『K.O.F.T』へ参加するっていう時点で。……しかもリュウキュリィアから帝都へ向かうのなら、まるで方向が違いますけど」
「……えっ、そうなんですか?」
度し難いバカを見るような視線を寄越すと、かぶりを振る。
「そんなことも知らない無知な人間が、『灰かぶり』の頭領に挑んでも、無駄に命を散らすだけです。さっさと、故郷に逃げ帰った方がいいのではないですか?」
「……帰りません、絶対に! 俺はあんなところに……」
拳を机の下で握って、過去のトラウマに苦しむように俯く。
「だったら、試してみればいいでしょう?」
面白いことを見つけた子どものような声で、コレクベルトは横槍を入れられる。
「ウーゼニアさんの力が、ここにいるグラスに通用するか、否か」
コレクベルトは今思いついたまま話したように、
「……なるほど面白いかも知れないです。ちょうど、ここにいるグラスも《精霊獣》の《使役者》です。彼にウーゼニアさんの《精霊獣》が通用すれば、『灰かぶり』の頭領捕縛協力を要請するというのはどうでしょう? それでグラスも納得しますね」
「しかしそれは……」
「いいです。やらせてください!」
グラスの当惑の声を遮断するように、ウーゼニアは大声で考えなしに叫ぶ。
見下されたまま尻尾を巻いて戦いから逃げるなんて、性に合わない。グラスがどれほどの力量があろうがなかろうが、勝って見せればいいだけの話だ。
何か大事なことを忘れている気がするが、とにかく今のウーゼニアは目の前のグラスをブチのめしてスッキリしたかっただけだった。
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