第10話 世間知らずは新天地に降り立つ

 海中電車に揺られること、数時間。

 ようやくどこかのフロンティアに停車したようだ。どの駅へ発車する電車なのかを確かめることなく、今すぐ発車する電車を選んだせいで、ここがどこなのかすら判別できない。

 まだまだ睡眠不足だったが、ウーゼニアは駅のホームへと足を踏み出す。

 初めての外界だが、どこか閑散としている。

 投げやりな声で駅員が、駅の発車合図を号令する。

 それ以外の人間は、酒瓶を持ったまま泥酔している酔っ払いや、ベンチの上に鎮座しながら遠吠えをする犬ぐらいしかいない。

 まともな人間は見当たらなかった。

 明朝であるから、このひとけのなさも頷けるのだが、それでもどこか腑に落ちない。

 ウーゼニアには、ちょっとした理想みたいなものがあった。

 お祭り騒ぎのような、全身の細胞が爆発するかの如き興奮があることを勝手に夢見ていた。

 例えば、足を踏み入れた瞬間に、ウーゼニアのことをフロンティアの人間総出で歓迎するような、いわゆるパレード的な何かがあるのでは? ……と勝手に思い違いをしていた。

 だが、現実はこんなものだ。

 なんの感慨もないまま、憧れであった他のフロンティアに来てしまった。

 むしろ感じたのは、居心地の悪さと、異常な気温。

 とにかく、暑い。

 一日は始まったばかりだというのに、リュウキュリィアに比べると蒸し暑く感じる。

 粘つくような汗が全身から吹き出し、服と肌がくっついてしまって心底気持ちが悪い。どこか水を浴びれる宿でもあればいいのだが、ここにはそういった施設があるのか不安になる。

 生憎と、他の服の持ち合わせはない。

 それどころか最低限の手荷物すらない。

 どうすればいいのか分からず、オロオロと助けを求めるように周りを見渡すが、まともな返答を返してくれそうな人間は視界に映らない。

 せめて、このフロンティアがどんな場所なのかを知ることができれば、対処のしようもあるのだが――。

「……そうだ。確かポケットの中に……」

 はっ、と手がかりになるものを持っているのを思い出す。

 ポケットの中に仕舞っていた乗車チケットだ。

「『ラクサマラ』……聴いたことないな」

 リュウキュリィアから到達できるフロンティアは無数にあり、外の世界に出ることに関しては諦観していたので、無知なのは自明の理。

 こんなところで頭を抱えていても埒外極まりなので、きょろきょろと好奇の目を光らせながら、駅のホームから外に出る。

 田舎から出てきました、とラクサマラの地元の人間に宣伝するような歩き方なのだが、不安なのでしかたない。

「おっ……と、すいません」

 狭い出入り口のため、ホームに入ってくる人間と身体が軽く衝突してしまう。

 薄汚れている帽子を深めに被っていて、人相は目視できないが、声色で同年代か、もしくはそれ以上の男であることが分かる。

 外套は袖口は肩口あたりで切れている。

 下の穿き物はしっかりと靴のところまで届いているが、どこか薄い素材。

 そんな男の服装を見ると、やはりここにいる人間は薄着が多いのだろうか。

「こちらこそ、すいません」

 ウーゼニアは軽く会釈するように謝罪すると、二人して鏡合わせのように半身になりながら道を譲り合う。ちらりとどんな顔なのか不意に気になり、上目遣いに一瞥すると、そいつは日焼けしまくっているのか、びっくりすぐらい真っ黒な肌をしている男だった。

 逆三角形に尖りきっている顎。

 額には刀傷のような傷の跡。

 いや、刀というよりは、森の奥で熊の爪に引っ掻かれたように、三本の傷跡が斜めに彫刻されていた。

 ジロジロと無遠慮な視線に気づかれないように、すぐに顔を正面に向きなおすが、すれ違う際に、硝煙のような残り香がしたのが気になった。

 拳銃を保持していもいい、フロンティアなのだろうか。

 もしかしたらキルキスの言う通り、他のフロンティアは治安が悪いのかもしれない。

 ホームシックというわけではないが、郷愁にも似た感情が胸に突然湧く。

 一瞬、キルキスのことを思い浮かべたからだ。

 きっと怒っているだろう。

 あれだけリュウキュリィアから出ることに反対していたのだから。

「うわっ、熱っ!」

 駅のホームから数歩出ると、思考が遮断される。

 じわじわと足元から湧いてくる熱が、足元から靴を通じて素足にまで伝わってくる。

 だがそんな驚きもすぐに掻き消え、突如訪れた眼球の痒さに睫毛を瞬かせる。

「なん……だっ!? ……これっ?」

 口の中には異物感。

 ウーゼニアの口内で、ジャリッと何か砂のようなものを噛んだような感覚がする。

 ペッと唾混じりにその砂のようなものを吐き出すが、空中に舞っているもののせいで、ゴホゴホと咳き込む。不用意に口を開いたせいで、異物がまた入ってきてしまった。

 苦しそうに唇に手を当てて、目を見開く。微量な砂みたいなものが宙を待っている。

「これは――」

 数瞬目に映った光景を瞳孔を開いて視認する。

 視界に写る全てものが、白。

 建物も地面も、全てが真っ白にコーティングされていた。

(……雪――?)

 そんな考えが脳裏を過るが、それならば舌の根の水分を蒸散させるようなこの暑さが説明つかない。

 砂みたいなものは、ウーゼニアの頭の上にも降りかかってきている。洗髪するみたいに指先で擦りあげると、毛髪の間隙に思いのほか入り込んでいる。髪先を滑らせるようにしてその白いものを掴み取ると、ようやくその正体が明らかになった。

 ――灰だ。

 真っ白な灰は濃霧のようにどこまでも広がっていて、恐らくラクサマラ全土を覆っているのだろう。建物は霞がかっていて、近くのものしか知覚できないぐらいまで、灰で全てが埋め尽くされていた。


 ドゴオオンン!!


 刹那、遥か遠方から地響きを伴う音がここまで届く。

 パラパラと衝撃で肩から灰が落ちる。

 何事かと目をやると、遠近法でもなお巨大だと知覚できる火山。

 それが活発化していて、天地をひっくり返したような衝撃を起こしているかのようだ。たかだか火山が噴火しているだけのようだったが、まるで絶え間なく地震が起きているかのようだ。

 知識としては頭に入っていたのだが、まず火山があることに驚きを隠せない。しかも、活火山なんて相当珍しいものじゃないのだろうか。

 これじゃあ、公害そのものだ。

 油断していると、睫毛の防壁をすり抜けて瞳に灰が侵入してこようとするので、ただ目を開けているだけで痛い。

 熱死しないために、袖口をまくる。

 火山が噴火しているのなら、この異常な暑さも得心がいく。

 それにしても、まさかこの降灰と蒸し暑さのせいで街の人の数が少ないのではないかと思えるぐらい、駅の外にも人通りがほとんどなかった。

 戸口を閉じきった住宅群を見やる。

 駅のホームとなれば、どのフロンティアであろうと最も人通りが多いはず。観光客を呼び寄せるため、飯屋の一つや二つないとおかしいのだが、この閑散とした様子だと飯屋はおろか、人間と合うことさえ珍しいようだ。

 腹ごしらえが困難であることを悟ると、腹の底で唐突に虫が虚しく鳴く。

 思い返してみれば、昨日の朝から何も口にしていない。

 ここにはなくとも、どこかに飲食店があることに一縷の希望を抱きながら、ポケットの中を弄る。いくらこの辺一帯にそれらしい店がないといっても、食材を売っている店ぐらいはあるだろう。

 朝方に開店している店はあまり期待はできないが、なんでもいいから食べ物を口に通さないと死にそうだ。

 だが、お目当てである財布が指に引っかからない。

「……あれ? 確かここに仕舞っておいたはず……」

 サァッと顔から一気に血の気が引いていきながらも、何度も財布の居所を調べるがどこにも見つからない。

 軽くジャンプしてみるが、小銭の音すらしない。

「……まさか、落とした……?」

 嘘か冗談の類だと思いたいが、あの財布の中には全財産が入っていた。

 リュウキュリィアから飛び出して、ものの数時間でいきなり一文無しになるとか自殺行為に等しい。何度もポケットの中をまさぐってみるが、やはり財布は影も形もない。

 素寒貧のままではリュウキュリィアに逃げ帰ることはおろか、このまま野垂れ死にすることもありえる。

 前途多難どころか、最初から絶体絶命だ。

 不鮮明な記憶を辿りながら、元来た道を引き返す。

 地を這うようにして財布を探すが、どこにも見当たらない。やる気のなさそうな駅長に一応訊いてみたが、それらしい落し物は届けられていないと、欠伸混じりに告げられた。

 再びホームを出たところで、立ち往生する。

 金でも降ってこないかと天空を見上げるが、降ってくるのは眼球を刺激する火山灰。

 ぐっと、呻きながら、蒼白な顔で俯く。

 眼に入った灰のせいで、自然と透明の膜が眼球に張る。

「どうして……こんな……」

 絶望感に満ちた顔をしながら、ウーゼニアは膝を地面につける。

 灰が混じった土煙が立つが、そんなもの気に留めることなく、ただ無様に道の真ん中に倒れ附す。

 全てを投げ出したように、ゴロン。

 ジリジリとフライパンのように地面との接地面である身体が熱せられ、空腹のあまり腹に激痛が走るがどうにもならない。

「腹減った……」

 後悔が首をもたげ、全ての思考を放棄しようとしたその時、何かが近づいてくる音がした。

 鈍重そうな音で、一つ一つの足音が、まるで地震のように地面が戦慄く。およそ、人の歩く音ではない。ちょっとした恐怖を感じるぐらいの大きさの音だ。

 だが、動くのも億劫で、そのまま地面に接吻しているかのような姿勢でいた。どうにでもなれとさえ投げやりに思っていた。

 その音はどんどん近づいてきて。

 ウーゼニアは――踏まれた。

「うげっ!!」

 内臓器官が口から捻り出てきそうなほどに、背中に体重をかけられたウーゼニアは奇っ怪な声を出して地面を転がる。

 げふっ、げふっ、と咳き込み頭上を見上げると、ウーゼニアを踏んだ張本人が四本足で立っていた。そいつは、人ではなかった。

 老獪そうに見える巨亀。

 丸太のような首元には、首輪じみたものが取り付けられている。首元の首輪を引っ掛けている縄は、牛車のような乗り物に繋がれている。

 四つの木製の歯車を一匹で運べるほどのパワフルさと、それを支える土台となる巨躯。

 シワだらけの四本足の上には、年季の入った甲羅。ひび割れているような亀裂が入っている甲羅はあまりにもでかく、ウーゼニアの身体の数倍の大きさの胴体を丸々覆っている。

 だが、亀でありながら、何故か首元にはヒレがついている。

 ウーゼニアが知っている亀の数百倍の大きさを誇るそれは、グイッと乗り手の人間に首輪に繋がれた綱を引かれると、唸りを上げる。

「申し訳ございません。まさかこんなところに人がいるとは思わなかったので」

 巨亀に乗っている人間とは思えない、至極真っ当なセリフを吐いた男の容貌は、逆光のせいで見えづらい。

 四つん這いになりながら、吐きそうな顔をして眺める。

 それでも視認できなくて、顔をぐぐぐ、と無理やり引き上げる。

 だが、光に目が慣れそうになる前に、疲労感と空腹感が一挙に押し寄せたウーゼニアの意識は――暗転した。

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