第9話 啖呵を切って親子の縁も切る

 大空はどっぷりと闇に浸かる。

 キルキスとの対戦が終わってから、きっと数時間は経っている。尋常でないほど消沈してしまったウーゼニアは、今までずっとガザリア山にいた。

 夜道を歩いていると明かりのついた家から、大げさなぐらい大きな笑い声が弾ける。家族の団欒というやつを感じたことがないウーゼニアは、羨ましいという感情すら湧いてこず、圧倒的な虚しさが身体を蝕んだ。

 涙さえ出そうになったが、なんとか堪えた。

 誰も見ていないとはいえ、あまりにもカッコ悪い。

 重い足を引きずりながら、どうにかこうにか我が家にたどり着いた。

 だが扉の前で立ち止まる。

 ガチャガチャと、皿洗いをしているのか、掃除をしているのか、当たり前のことだが人の気配がする。

 誰にだって独りになりたい時はある。

 今日は、ゼルミナの話し相手になってやれるほど、大人にはなりきれない。放置して欲しいというこちらの気持ちを、ウーゼニアの態度で悟れるだけの気配りをゼルミナができるのならば、ただ自分の家に帰るということにここまで苦悩することはないだろう。

 今日だけは帰りたくない。

 だが、帰らなければ、ゼルミナは周囲を巻き込んで大騒ぎするだろう。

 リュウキュリィアというフロンティアは、あまりにも狭すぎる。

 誰もが壁に耳を押し当てていて、田舎特有の関心の強さを持つ人民の口を塞ぐことなどできない。

 だから、目立ったことができない。

 とにかく、足並みを揃えて、均一化しなければならない。

 見た目や、性格や、職業や、その他もろもろ全て。

 個性を無くして、協調性をとる。

 それが、リュウキュリィアに寄生する風土だ。

 シキのように変わり者でありたいと思っているウーゼニアにとっては、こんな最低なフロンティアであるリュウキュリィアが、生まれ故郷だというのがそもそもの不運の始まり。

「……ただいま」

 家の前にずっとつっ立ったていたら、それこそ衆目の格好の餌食。

 嫌々ながら重い口をこじ開けると、家に入る。

 そこにいたのは、変わり映えのしない、今最も会いたくない奴だった。

「おかえりぃ! 遅かったわねぇ……ってどうしたのその格好?」

「これは、その、色々あって……」

 キルキスと揉み合った際に、服は泥だらけになっていた。それだけでなく、戦った際に木に引っ掛けてしまったのか、肘やふくらはぎ辺りに、ポッカリと穴が開いてしまっていた。

「……まさか、また『狩猟会』に行ってたんじゃないわよね。あんな野蛮なこと、本来ならウーゼニアちゃんがやるようなものじゃないのよ。いい加減地に足付いた生き方をしなさい」

 不平満ちた言葉が喉元にまでせり上がってくる。

 グッ、と呑み込むと、拳を圧殺するように握る。勢いに任せて憤りそうになったが、不意に胸の中を清涼な風が吹く。


 ――他人を思いやることができるあなただったら、その尊い気持ちもきっと伝わるわよ。


 シキの想いが詰まった言葉が胸を締め付ける。

 目眩を起こしたかのように、ウーゼニアは視線を急激に落とす。

 一端、ゼルミナを視界外して冷静さを取り戻そうとする。

 ウーゼニアがちゃんと母親と話し合ってくれることを信頼してくれたシキのためにも、ここはなんとか忍耐したい。

 こちらの意見なんて貸す耳がなくても、いつか届くその時まで言い続けるしかない。ウーゼニアが諦めずに歩み寄ればいいだけだ。

「……やってないよ」

「そうなのぉ、良かったわあ。あなたにはまともな人生を送って欲しいから」

 まともって、なんだ。

 こちらが反論できないことを知っていながら、毒舌を重ねる喋り方を続けるのが……まともだというのか。

 だったら、ウーゼニアはまともな生き方なんて一生できなてくていい。

「『狩猟会』なんて行ったって、あなたの将来にはなんの意味もないのよ。だから、あんな人と会うのもやめなさい」

「……あんな人って、シキ師範のこと?」

 掠れきった声に、ゼルミナは気がつく様子もない。

 何を言っているのか、わからなかった。

 どんな時だって、ウーゼニアの心の動きを察知してくれて、いつだって報酬を省みることなく苦心してきたのは一体誰だったのか。

 少なくとも、ゼルミナなどでは決してない。

 自分なんかよりも、大切なものがある。

 それがきっと、自分本位の塊ではあるゼルミナには分からないのだろう。

 どれだけ傷ついてもいいと思っていた。

 母親の便利な揶揄のはけ口になっても、それから……言いなりに従う傀儡になってもいいと思っていた。

 だがそれは、あくまで己という範囲に限ったことだ。

「そうよ。あなたに『狩猟会』なんて、くだらないことを薦めたあの女の人のことよ。まったく、ああいう無責任な人っているのよねー。物腰が柔らかいからあなたのことを任せたけど、やっぱり他人はだめよ。騙されたわ! 家族だからこそ、子どものことを一番に考えられるのに」

 家族だから、想いは繋がっている。

 他人だから、心を通わすことができない。

 それは一体誰が決めた理屈なのだろうか。

 だが、これだけは言いたい。家族ってやつは、上下関係じゃなく、対等な関係じゃないのか。

 剥き出しの意見がひとつも言えない関係に、絆なんて芽生えるはずもない。そんなことだから、ゼルミナを信頼できないのだ。

 全てが、間違っていたんだ。

 ゼルミナだけのせいじゃない。

 何も言わなかったウーゼニアのせいでもある。

 まずは、どんな人間なのかを知って欲しい。

「……母さん、母さんにとってまともな人生って何?」

「そんなの、公共市民支援機関に行って、真面目に生きることに決まってるじゃない。あなたには輝かしい未来が待っているんだから。この前の試験の成績だって悪くないんだから、そんな当たり前のこと言わせないでくれる?」

「どうして、そんなにはっきり言えるの? 少しは間違ってるとか思わないの?」

「どうしたの? ウーゼニアちゃん。間違ってるわけないじゃない。何が正しいか正しくないかなんて、大人になれば分別できるの。ウーゼニアちゃんはまだまだ子どもだから、私の言っている意味が理解できないかもしれないけど、大人になったら分かるわ。いずれ、きっと私に感謝するはずよ」

「つまり、今の俺の意思はどうでもいいってことか……」

「何を、言ってるの?」

 訝しげな顔をするゼルミナ。

 ここまで言っておいて、なんの察しもできていないらしい。

 不穏な波動を出すゼルミナにこれ以上踏み込んではいけない。だけど、地雷原を歩くことでしか思いを伝えられない。

「自分の理想を俺に押し付けてるだけだろ、あんたは。自分ができなかったことを子どもにやらせてるだけだ。勝手に期待して、勝手に失望して……。それでどれだけ俺が傷ついたか……」

「お、親に向かって、あんたってなによ!!」

 ゼルミナは、ウーゼニアの反抗が予想外だったのか、大いに鼻白む。

「母さんって、図星をつかれると、すぐに話を逸らすって知ってた?」

 ウーゼニアの言葉に、ショックを受けたように顔をこばらせる。よろよろとしながら、机に後ろ手をつく。

「……ひどい。私はこんな酷い子に育てた覚えはないのに」

 瞳に涙を溜めながら、同情を誘うような湿った声を出す。いつだってこのしおらしい態度に騙されたきた振りをしてきた。

 だけど、もう本気で無理だ。

 ゼルミナは一切ウーゼニアのことなんて勘定に入れていない。今までも、そしてこれからもゼルミナの心は自己愛に満ち満ちているだけだ。

「じゃあ、あんたは今まで一度たりとも俺に酷いことをしてこなかったのか? 俺の意見を、今までまともに聞いたことがあるのか? ずっとあんたの命令通りに生きてきたせいで、自分のやりたいことが分からなくなってしまった気持ちが、あんたなんかに想像できていたのか?」

 言葉すらでないゼルミナに対し、心の底から見下すような双眸をして、


「俺はここを出て行くよ。これ以上、自分に失望したくないから」


 声が震える。

 感情が波立たないように抑圧してきたせいか、間欠泉のように熱い憤りが噴き出す。頭が茹で上がりそうだ。

 頭の尖端から脊髄まで痺れているかのように感覚がない。

「待ちなさい。そんなの許しません!」

 悲哀に満ちた悲鳴がゼルミナの口から迸る。

 脳内に反響して、一瞬足を静止させるが、止まった身体を突き動かすのは、今までのゼルミナの所業。

「出て行くのに、あんたの許しなんて必要ない。俺は……自分の力で自分のやりたいことを……欲しいものを見つけるよ」

 ガダンッ!! と扉が破損しそうな勢いで飛び出すと、背後から静止の叫びを上げるゼルミナを完璧に無視した。

 虚無の闇の中を疾駆する。

 胸には強烈な後悔が燻るが、帰る場所などもうない。進むべき指針なんてないが、ただ漠然と前へと脚を投げ出すように踏み出す。

 どうするのが正解だったのか。

 自分では、分からない。

 だけどあのままあそこにいたら、本当に自分が壊れそうだった。誰かに依存して、自分の意思を喪失しても尚生き続けられる人間はこの世にたくさんいる。ただ、それが適用されない人間だっているのだ。

 自分の足で歩きたい。

 ただ、そう思っただけなのに。

 それなのに、どうしてこんなにも胸が苦しいのか。

 どこでもいいから、もうこんな胸糞悪いフロンティアから抜け出したかった。そして二度とこの地を踏みしめたくない。

 冷風に身を切るような想いをしながら、淡い月の光に照らされているのは、海中電車の駅だった。リュウキュリィアから、フロンティアの外へと飛び出せる唯一の方法に、ゆく宛がないウーゼニアは飛びついた。

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