第8話 剣撃は火花を散らして迫り来る

「いつでもいいよ、ウーゼニア」

 キルキスの澄んだ声が、余計に空恐ろしい。

 戦いを申し出たウーゼニアは、キルキスから断られることも念頭に置いていた。手合わせするにしても後日、日を改めてお互い準備が整ったら、なんて軽い気持ちでいたのだが、キルキスは意外にあっさりと了承した。

 それでウーゼニアが身の程を知ることができれば、とキルキスは冷え切った瞳で答えた。

 それから二人で淡々と戦いのルールについて話し合った。

 勝負は一本勝負。

 どちらかが降参するか、戦闘不能状態になるまで戦う。

 キルキスは過酷な練習をした直後なので、せめてもう少し休憩時間を挟むことを提案したのだが首を横に振った。

 圧倒的強さを誇るキルキスのことだから、ハンディのつもりなのだろうか。その余裕と慢心こそが最大の弱点だということを今からその身体に叩き込んでやる。

「……分かった」

 針葉樹は等間隔に屹立している。

 その傍の清流がサラサラとゆっくりと流れている河原。大小様々な砂利を踏むながら、互いに牽制し合っている。

 これから命の取り合いでもやるような、張り詰めた空気。

 感情の見えない顔をしているキルキスと、視線を激突させながら相対する。これまた枷の一つなのか、キルキスは二本ある剣の内、一本しか外気に触れさせていない。

 正中線に剣を添えているオーソドックスな構え。

 半身にしているから、機敏な動きは縦に限られる。だったら簡単な話。単純にキルキスの横へ回り込もうとするも、やはり正面に向かい合うような足運びをされる。

 一定の距離を置きつつ、こちらの動作に合わせて小刻みに動くので迂闊には攻勢には出れない。

 身体能力、間合いの取り方。

 実践で磨いてきた能力において対抗できる術はないようだ。単純な動きとっても淀みがない。

 ただの白兵戦ならばこちらに分はない。

 だが、《精霊獣》を使役すれば、ウーゼニアを舐めきっている今のキルキスと理論上では渡り合えるはずだ。

 全力全開で戦えばこちらが圧倒的に不利。だからこそ、調子が出る前の先制攻撃で一気に片を付ける。

「そうやって余裕かましてられるのも、今のうちだぜ」

 ウーゼニアは、自らの《精霊獣》の真名を彷徨する。


「――絶叫しろっっっ!! 《アルラウネ》!!」


 地中から突如として生えた大木の集合体が、蔦を絡ませながらキルキスに襲いかかる。

 目視できない死角からの攻撃。

 不意打ちで、しかも初手。

 常人なら、まず反応すらできない。

 だが――キルキスは真下から突き上げられた木を、長剣でなんなく縦に真っ二つにする。

「なっ……」

 裂かれて地面に倒れた巨木を足蹴にしながら、跳躍するようにして一気に距離を詰めてくる。

 慄いたウーゼニアは、意図せず砂利を踏みつけて後ろにこけてしまう。

 それが功を奏して、キルキスの閃光のような横一線の斬撃は、数本の髪の毛を散らすだけに留まる。

「あ――ぶねっ!」

 もしも偶発的に砂利に足を掬われていなかったら、今の一撃で終わっていた。

 煌く長剣の剣筋を見れなくなるから、背を向けるのも恐ろしい。

 だが、とんでもないプレッシャーを受けて、本能的にくるりと踵を返して砂利を蹴る。

 ヒヤリと心臓を掴み取るような、迫り来る威圧感に顔を歪める。

 振り返るのも怖い。

 背中一面にびっしりと玉のような汗を掻きながら、数本の巨木を地中から飛び出させて休みなく攻撃する。目標対象物なんて目視することもできず、ただ無作為に攻撃する。ランダムに攻撃しているせいで、キルキスには次の攻撃なんて想定できないはずだ。

 落ち着きを僅かに取り戻して、様子を見るために後ろを振り返ってみると、そこにはゾッとするような光景が広がっていた。

 ウーゼニアが発生させていた樹木の全てが、キルキスの知覚できないほどの速度の斬撃によって、全てが斬り捨てられていた。

「おいおいおい。嘘だろっ!」

 最初の一撃で決めるはずだったが、一瞬も怯むことなく、猛然と突進してくるキルキスに防戦一方を強いられていた。

 強いことは重々承知していた。だが、釣瓶打ちのような蔓と巨木の連撃の猛攻に対して、かすり傷一つ浴びせられないとは想定していなかった。

 無理して避けるのではなく、自分を傷つけようとする木だけを斬り伏せている無駄のない動き。絶え間無い反復練習による賜物だろうが、あまりにも正確な剣のふり舌を巻く。

「強すぎだろ! ちょっとは手加減しろよなっ……」

 背中を見せながら、一瞬の足止めとなっている《アルラウネ》の攻撃を繰り返す。

 追いつかれるのも時間の問題と思わせ、自分が有利になれる森林の中へ転がり込む。こちらに手がないと思わせるために、情けない声を上げたのも演技だ。

 森林が密集しているここならば、周囲の風景に混ざってこちらの攻撃のカモフラージュができる。逆にあちらは満足に剣を振り回すこともできない。

 それに――

「あっ!」 

 キルキスは、驚愕の声を上げる。

 追走してくるキルキスの足元に、縄のような蔓を目立たないように引いていた。

 必要以上に大木を出現させたのは攻撃のためだけじゃない。

 この仕掛けを隠蔽するためでもあった。

 完全に転ばせることはできないが、態勢を一瞬崩すことはできた。その刹那の空白さえあれば、今度こそこちらの攻撃を直撃させることができる。

 正攻法じゃ歯が立たないことは、十二分に分かった。

 だが、負けるかどうかは別問題。

 卑怯で結構。

 正々堂々の手段で勝ちを拾えないのなら、真っ直ぐな攻撃に価値はない。圧倒的強者であるキルキスには、小細工など縁のない言葉だろう。

 だが、力を持たざる者には、それに即した戦い方がある。

 ただ、勝利のアプローチが違うだけだ。

 ヤミヨイとの戦闘時とは比べられないほどに、頭が冴えている。今こそ全盛期。かつてないほどに、先読みができている。

 しかもキルキスは鍛錬で疲弊していて本調子とは程遠い体力。それからこの森林の中という、ウーゼニアには至れり尽せりの好条件。

 今キルキスに勝てなければ、きっと一生勝てない。

 必ず勝ってみせる。

「…………っ」

 苦し紛れだろうか、キルキスが剣を投擲してくる。

 だが、まるで見当はずれのところに突き刺さる。

 当然だ。

 その最後の攻撃手段にでることも計算の内。

 こんなこともあろうと、森の木を楯にできるようなポジショニングについていた。キルキスの身体の全てを視界に収めることができないが、ここまでくれば半身さえ知覚できさえすれば止めの一撃を放てる。

 剣は、ウーゼニアのすぐ隣の木に刺さっただけに留まった。

 あちらが反撃の態勢を整える前に、渾身の力を振り絞って巨木を地面と平行に伸ばす。

 遠慮や手加減は無用。

 ここまで徹底しなければ、キルキスを倒すことはできない。

 想像を絶する轟音とともに、キルキスがいた付近にあった林と《アルラウネ》が作り出した木が激突する。タコ足のような蔓が纏わりつくようにして、複数の木に絡みつく。やがて、メキメキッと太い幹が悲鳴を上げると、木々がなぎ倒される。

「勝った!! これで――」

 創造しかけていた笑みを崩す。

 視界を覆う土煙を引き裂くように、ドンッと誰かが踏むこんできた。

 キルキスだ。

 想像の死角に割り込んできたキルキスの横合いからの一閃は、咄嗟に防ぎきれるものではない。

 頭の中で敗北の警鐘が鳴っていた。次の一手を打つべきだということを理解できていても、体がついていかず、チェックメイトは覆せない。それでも自分を叱咤して、なんの策略なしに木を生やすが、一瞬にして粉々にされる。

「……なんっ――で?」

 無意識に疑問の声を上げる。

 ウーゼニアの放った渾身の一撃はタイミング的に、ただの反射神経で避け切れるものではなかった。

 一瞬とはいえ宙に浮いた状態で、高速移動なんてできるわけがない。ウーゼニアが可視化できない場所に木があって、後ろ足で蹴ったと仮定したとしても、あれだけの距離をただの脚力で即座に潰せるとは思えない。

 明らかに物理法則を無視した何かを、キルキスはやってのけた。

 柔らかい落ち葉に尻餅をつくと、キルキスが逆手で持っている剣の刀身が喉元にまで迫ってくる。

 ウーゼニアは顔面を引き攣らせたまま、動くことができない。

 タラリと、喉から血が流れて剣尖へと流れる。

 心の底で敗北を認めるだけの時間が経過すると、キルキスはギラついた剣を慣れた動作で鞘に収める。

 はぁっ、とウーゼニアは堪えきれない安堵の溜息をつく。腰砕けになってしまい、立つことすらできない。初めて人間相手に《精霊獣》を使役した決闘をしてみたが、これほどまでに緊張し、疲労するなんて思わなかった。

 頭は混乱渦巻く中、分かってしまったことが一つだけ。

 手加減された。

 もしもあの説明不可な力を最初から使っていれば、攻防は長く続かなかった。有利に運んだと思い込んでいて、勝利すら確信した一瞬もあった。

 だが、それら全ては道化が踊っていただけのこと。

 キルキスがのっけから本領を発揮していたのなら、一瞬の内に戦いは終わり、小競り合いすら起こらなかった。

「これで分かったでしょ。あなたには戦いのスキルがまるでない。外界へ出たところで、どうすることもできない」

「ち、違う……。今のは油断しただけで……。次は勝ってみせるっ!」

 頭を振りながら、ウーゼニアは立ち上がる。

 頭日が昇った状態で、売り言葉に買い言葉状態。冷静さなんてとうにない。ただ、このままでは引き下がれないというくだらないプライドが、そう言わせていた。

「――次?」

 キルキスは冷徹な双眸を向ける。

「もしも戦っていた相手が私じゃなかったら、さっきウーゼニアの首を飛ばせた。胴体と離れ離れになった時も、次があるからって言えるの?」

「……そ、それは」

「実戦において頑張れるのは『今』しかないの。そして、ウーゼニアは結果を残せなかった。だからもう、あなたに『次』なんてこない。諦めて。あなたには、戦いの才能なんてまるでないんだから」

 言い返そうとした。

 だが、冷徹な瞳で見下ろしてくるキルキスに、思わず視線を逸らす。

 負けたウーゼニアには、咄嗟に言い返す言葉は思いつかなかった。どんなことを言っても、全ては負け犬の遠吠えに過ぎない。

 それに……キルキスの言っていることの全てが図星だった。

 これが試合じゃなく実戦だったら、ウーゼニアは絶命していた。

 それもこれもキルキスが手心を加えてくれたおかげで、ウーゼニアはこうやってまだ息を切らすことができている。

 今思えば、キルキスがこけた時、どこかわざとらしい声を上げていた。あれはもしかしたら隙を見せるための嘘だったのか。

 それすらも戦闘中には気づくことができなかった。ただ目の前にぶら下がっている餌に食いついた馬鹿だった。

 過程をみれば、惜しかったとさえ思える。

 だが、結果を見れば一目瞭然だ。土だらけで無様に倒れているウーゼニアと違って、傷どころか汚れ一つついていないキルキス。

 本気でやったんだ。

 言い訳一つできないほどに。挑発されたから、最初から全力全開で対戦した。しかも、相手はキルキスだったこともあり慢心はなしで、頭も冴えていた。

 それなのに、完全に実力で負けた。

 ……負けたんだ。

 悔し涙で瞳にフィルターがかかりそうになる。

 颯爽となんの憂いもなさそうに去っていくキルキスの背中を観ていることしか、今のウーゼニアにはできなかった。

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