第7話 昨日の友は今日の強敵

「はい、タオル」

 大小様々な石が敷き詰められている川辺の、その中でも目立つ大きさの岩に置いてあったタオルを、ほいっとウーゼニアは軽く投げるようにして手渡す。

 さっきの、卓越とした剣さばきは流石といったところか。

 燦々と燃え盛る太陽の真下。

 黙々と研鑽を積んでいたキルキスは、すっかりと汗だくになっていた。キルキスが持参してきたタオルを勝手に手渡しただけだったのだが、キルキスは予想以上に喜んだようで、はにかむように、

「ありがとね」

「どういたしまして。このぐらいだったらいくらでも」 

 褒められるのが慣れていないウーゼニアは、茶化すように返す。

 下着が今にも透けてしまいそうな真っ白な服をキルキスが着ていてるせいで、目のやり場に困る。汗ばんでいるせいで、服が肌に吸いつきそうだ。

 ウーゼニアの視線には無頓着といった様子で、タオルで顎の輪郭をなぞるような水滴を下から拭うようにしている。

 キルキスは鍛錬も一段落が済んだようなので、小休止を取りたいらしい。剣は鞘に収めて、キョロキョロと何かを探すようにして見渡す。

「ちょっと木陰に入らない? 流石にここに座るのは……」

「ああ。……だな」

 熱を発している川原の石は、そのまま焼肉ができそうなぐらいだ。長時間座り続ければ、きっとこんがりと尻から香ばしい匂いが漂うことになるだろう。

 暑さでくらりと昏倒しそうになる。

 やはりキルキスの言うとおり木陰で休んだ方がいいようだ。蜃気楼のように歪む大気から逃れるようにして、ウーゼニア達は梢の下に潜り込む。

 木の葉の絨毯に尻餅をつくと、地面がひんやりとしていて気持ちがいい。

 ここまで歩いてきて、それからちょっと日当たりに当たっただけだというのにかなりの体力を消耗した。

 それなのに、キルキスは長時間に渡って猛練習をしていた。おびただしく流れていた発汗量が、その努力の程を物語っていた。

 キルキスがこれほどまで鍛錬に励んでいるなど、ウーゼニアは全く知らなかった。キルキスからそんなこと一言も聞いていなくて、楽をしているものだとばかり思い込んでいた。

 キルキスはいつもクールになんでもこなす印象が強かった。

 だが、日々精進するために、この熱地獄の中永遠と素ぶりを続ける。

 そんなこと、ウーゼニアにできるだろうか。

 こうしてキルキスと比較してみると、自分はただ遊んでいただけな気がする。

 本気で努力をしている人間を垣間見てしまうと、こんなにも落ち込んでしまうものだったのか。ぐらりと身体が傾きそうになる。

「えっ……と……」

 キルキスは生地の薄そうなハンカチを取り出すと、上品に地面に置くと、その上に座り込む。持ってきたのはタオルだけじゃなかったようだ。準備がいい。

 そのくせ、鞘が地面を抉っているのはどうでもいいらしい。動くたびにガガガと音が鳴ってうるさいことこの上ない。

「シキ……さんは、帰ったの?」

「ああ。なんか用事があるって」

 キルキスを見やると、それじゃあ私の目的は果たしたから、と訳の分からないことを言って、シキはすぐさまどこかに行った。置いてけぼりを喰らったウーゼニアは、追いかけるタイミングを脱してしまった。

 そのまま独りでどこかに行くのもキルキスに悪い気がした。というか、なんと言ってこの場を去ればいいのかよく分からなかった。

 だから、こうして隣に座り込んでいる。

 だが、シキのやりたかったことは、なんだろうか。

 相変わらず真意が読めない。

 身体を動かさせ、ウーゼニアのストレス解消させるためかと思っていたが、キルキスがここにいるとなると話が違ってくる。あの迷いなき歩み方は、確実にこの地点に到達するためとしか思えないからだ。

 単純にキルキスに会いに来たのかとも思ったが、ろくに会話もせずに消えていったから違うだろう。だけどあの様子からキルキスがここにいると知ってここまで誘導したのは間違いない。どの道を通って散歩するのかは、シキが指定していたのは確かだ。

 だとしたら、今の状況から考察できることは、キルキスとウーゼニアを引き合わせること。

 このこと自体が目的だったとしか思えない。

 だとしたら、何故?

 頻繁に会っているキルキスと今更雑談をしたところで、何の意味もないと思うのだが。

「ふーん。そーなの」

 キルキスが訊いたというのに、意外にも素っ気ない返し。空間に空白が生まれるのを嫌っただけかもしれない。

「シキ師範って、確かキルキスの剣技指導もしてるんだよな」

「……まーね」

「やっぱり厳しいのか?」

「ふつーよ」

 脇を流れていく川の水に視線を投げっぱなしになっているキルキスに、シキに関する会話の継続を拒絶するオーラがでている気がする。

 何だかいつも以上にトゲトゲしていて話しづらい。

 シキから、よっぽど厳しい訓練を受けていたのかも知れない。

 ああ見えて、指導熱心なシキに、ウーゼニアも辟易したことは一度や二度ではない。

 スパルタ訓練を思い出したくないのだろう。

 何か他に話題はないものか……。

 取りあえず、無難にさっきの剣術を見た時に、胸中で浮かんだ感想を言っておこう。

「キルキスって凄いよな」

「……いきなり、どうしたの?」

「『K.O.F.T』に出場するなんてさ。まあ、絶対にお前ほど凄いやつなら出るとは思ってたけど、昨日までお前の口からそういうの聞いたことがなかったから……」

「言葉にしたら叶わなくなるような気がして、言わなかっただけだよ」

 褒められて、悪い気はしないようだった。

 シキの話をしていた時よりかは、目に見えて機嫌が良くなった。

「ずっと……考えてはいたわよ。リュウキュリィアから出て、帝都に行きたい。行って、自分の可能性がどんなものなのかを、この身で確かめてみたいって。だけど――」

 チラリとウーゼニアのことを一瞥して黙りこくる。

 何か言いたいことでもあるようだったが、

「そっか……」

 なんだか、にわかに心が浮ついてくる。

 キルキスが自分と同じようなことを考えてくれたことで、テンションが上がる。

 言葉に出さなくとも、まるで自分の考えが認められたような、そんな自分勝手な解釈。

 やっぱり、間違っていなかった。

 ウーゼニアの志は強固なものになっていく。

「俺も、こんな辺境の田舎からすぐにオサラバしたい……。こんなところに一生い続けても、なにもできない。なにか自分のやりたいことを見つけられるとも思わない。どこかこことは別のフロンティアに行きたい」

 キルキスとシキは、リュウキュリィアから出たことがある。ヤミヨイはどうなのかは知らない。会話もしたくないから。だが、あの実力なら別のフロンティアに行っていてもおかしくない。

 母親はそんなこと一言も口にしたことがないので、きっと皆無なのだろう。

 だから、外の世界の話を聞いているだけで、想像してしまう。

 他のフロンティアはどんなところなのか、と。

 とにかく、この牢獄のようなリュウキュリィアから、逃げ出したかった。

 もしかしたら、リュウキュリィアから出れば、今のこの鬱屈とした生活が激変するかもしれない。

「……なにかあったの?」

 キルキスが心配したように声をかけてきた。

 ウーゼニア表情を引き締めると、

「なんにもないよ。むしろ、なんにもないから嫌なんだ。ずっと空虚な生き方をして、他人に流されてるだけ……。それは楽……だけど、これでいいのかもしれないけど、何かが違う気がするんだよな。今のままじゃ、何かが……」

「でも、ウーゼニアのお母さんが許してくれないでしょ?」

「それでも――」

 どれだけ言葉を積み重ねたところで、融通の利かないゼルミナが聞く耳を持つとは思えない。

 別のフロンティアに行って、何かアテがあるというわけでもない。

 目標とか夢とかそういうものが少しは見えてきたが、それはまだ抽象的で、具体的なビジョンすら定まっていない。

 キルキスのように強い《精霊獣》を持っているわけじゃない。

 あまりにも、ウーゼニアは弱い。

 肉体的なことや《精霊獣》だけじゃなくて、心が。

 ずっと、指示通りに生きてきたウーゼニアが――箱入りお坊っちゃま――が庇護下から抜け出せば、待っているのは悲惨な結末が待っているだけなのかもしれない。

 それでも――


「――それでも俺は、自分で自分を誇れるような自分になりたいんだよ」


 自分のことを嫌悪し続けている今のままじゃ、きっといつか、自分以外の他人全てを嫌悪するようになると思うから。

 だから、認めなくちゃいけない。

 今のウーゼニアは、ゼルミナにそっくりだ。

 自分が無能なのを他人や環境のせいにして、努力していないことを棚上げしている。変われるために、できることだってたくさんある。

 チャンスはいくらでもあったはずなのに、何もしていない。

 ただ無造作にストレスを誰かにぶつけているだけ。

 そんなんじゃ、何も掴むことなんてできない。

 だから、勇気ある一歩を踏み出したい。

 扉が目の前にあるのに、ノックするだけじゃつまらない。鍵がかかっているのなら、ぶち壊したい。

 今はそんな心境だ。

 無謀は承知の上で、自身の存在価値を認められるだけの人間になりたい。

 たったそれだけのことで――


「ウーゼニアには無理よ」


 ――思わぬ相手から、冷や水をかけられる。

 さっきまで、ウーゼニアのことを味方だと思っていたたキルキスは、どこまでも冷静に現実を突きつける。

「あなたが思っているほど、他のフロンティアは安全じゃない。私は、父親に連れて行ってもらって知ったの。他のフロンティアに比べて、リュウキュリィアの治安がどれだけいいか……」

「キルキスだって、また他のフロンティアに……帝都に行くんだろ? 昨日だって、リュウキュリィアから出ることを賛成してくれるようなこと言ってくれたじゃん。だったら俺だって……」

「私とウーゼニアは違う。あなたは弱すぎる。――何もかも」

 突き放してくる言葉に、ウーゼニアは拳を握る。

 ギリッと奥歯が欠けそうになるぐらいに噛み締めながら、リュウキュリィア最強の《精霊獣》を使役するといわれている相手を睨めつける。

 キルキスだって外のフロンティアに行けた。

 だったら、キルキス以下の実力じゃないと証明できれば。キルキスよりもウーゼニアの方が強いと誇示すれば、このリュウキュリィアから出ることも認めざるを得ないはずだ。

 勝てる見込みはゼロに等しい。

 だが、キルキスとウーゼニアは戦闘経験がない。

 それどころか、キルキスには、ウーゼニアがどういう戦いをするのかも、ほとんど知らないはずだ。

 互いに戦ったことがないのだから、どういう戦術で向かってくるかキルキスは予測できない。だが、見学というかたちで、ウーゼニアはキルキスの戦闘する場面を幾度となくこの眼に灼きつけてきた。

 その両者の僅かな差にこそ、勝機がある。

 あくまで、勝つことを視野に入れながら、必死で頭の中で策を巡らし、リュウキュリィア最強の相手に宣戦布告する。

「……だったら、試してみるか? 俺が別のフロンティアに行けない実力なのかどうか。お前と俺が対決して」

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