第6話 母性ある旋律者と共に模索する

「……それで、キルキスさんとはそれからどうなったの?」

 背の高い森林が聳える中。

 ウーゼニアは、シキの質問に応える。

「どうしたもこうしたも、家まで送っただけですよ。その後気まずくなって、会話も全然弾みませんでしたけどね」

 澄んだ空気に、澱んだため息を混ぜ合わせながら、ウーゼニアはシキと隣り合わせになりながら歩幅を合わせる。

 キルキスとのその後の雰囲気が気まずくなってしまったのは、ウーゼニアの迂闊な言葉の数々だったのだが、シキはそのことについては言及してこない。

 言葉をただそのまま受け取って、円弧を描く丘陵を歩いていた。

 ここは居住区から、昨日狩りをしていた山頂へ道とはまた別方向の山の中だった。あっちとは違って平行な道は少なく山道が険しいため、頻繁に足を踏み入れることはない。

 軽い足取りで土を踏みしめる。道幅の狭い道は獣道として一応機能はしているが、足を滑らしてしまえば、怪我をしそうな山道を突き進んでいく。

 ハラハラしながらも、どこかワクワクするような道のり。シキの朗らかな表情から察するに、ウーゼニアと同じ心境のようだ。

 今朝。約束通り、余った猪肉を講堂にいるシキにお裾分けしに行った。するとシキは、森の中をプチ探検したいから一緒に来て欲しいと誘ってきたのだった。

「ウーゼニアくんは、条件反射的に思ったとおりの言葉がでちゃうものね。キルキスさんも、唐突に言われて戸惑ったんじゃないかしら」

「……すいません。育ちが悪いんで、口も悪いんですよ」

 育ちが悪いと言ったのはもちろん皮肉だ。

 拗ねたようなウーゼニアの言い方に、シキは困惑したように微苦笑する。

「そうは言ってないわよ。……ただね。やっぱりお母様の気持ちも汲まなきゃだめよ」

「母親が俺のために、色々言ってくれてるってことですか?」

 それはキルキスにも昨夜言われたことだから、聞き飽きたとばかりに返答するが、シキはうんうん、と首を振ると、

「そうね、それもあるけど。お母様が、ウーゼニアくんに負けたくないって気持ちのこと……かな」

「……負けたくない……ですか?」

 言い間違えたのではないのかと訝しがる。

「そう。きっとウーゼニアくんが思っている以上に、実は大人って子どもなのよ」

 ウーゼニアの足が一瞬止まる。

 敢えて自分のことを卑下する大人なんて、周りにはいないからだ。大人というやつは、子どもに弱みを晒してはいけない。

 舐められるから。

 それはゼルミナとて例外ではない。

 だが、シキはウーゼニアが単純に大人を見下さない人間だと信頼して、こう言ってくれているようだった。

「特に母親だったら、親としての威厳を保つために途中から意見を曲げたりできないの。もしも意見を変えっちゃったら、大人は子どもに負けたって思っちゃうものなのよ。つまり、ウーゼニアくんの意見を聞き入れられないのは、大人が子どもの延長線上でしかないってだけのこと」

 パキ、と落ちていた枝を踏んだ渇いた音がする。

 ウーゼニアは黙々と進んでいくと、水流の幅が段々と広くなっていく。

「お母様がいつまでも大人になれないのだったら、あなたが折れて大人になればいいじゃない。そうすれば、きっとお母様だってあなたのこと……認めてくれるわよ」

「……そうだといいんですけどね……」

 そう言うのが、ウーゼニアにとっては精一杯だった。

 あまりにも含蓄のある言葉のせいで、思考が追いついてなかった。それぐらい、シキの言葉が心に重く響いて、軽く聞き流すことができなかった。

 母親という存在は、ウーゼニアにとって遥か上の存在で、絶対者。

 逆らってはいけないものだという認識しかなかった。だがシキの言うことを鵜呑みにするならば、ウーゼニアとゼルミナにそこまで差異がない。むしろ、自分自身の方が上に立って宥めすかさなければならない。そんな風に解釈できる。

 シキはやっぱり変わり者だ。

 十把一絡げにできる大人たちとは違う、独特の思考の持ち主で頼りになる。

「大丈夫よ。ウーゼニアくんは、自分のためだけに怒ったわけじゃないんでしょ? 他人を思いやることができるあなただったら、その尊い気持ちもきっと伝わるわよ」

 昨夜の猪鍋の時、シキは『狩猟会』がくだらないものだと一蹴した。

 あの時は今まで『狩猟会』の活動をしてきたウーゼニア本人だけでなく、シキと一緒に積み重ねてきた日々まで揶揄されたような気分になった。

 積み上げてきた過去の一切が消失するような、落下感。ガラガラと足元から崩れていって絶望の闇の中に沈みそうだった。

 だが、さっきのシキの言葉によって、パキパキッと音を立てて、ガラスが割るみたいにウーゼニアの深い悲しみの世界は一瞬にして瓦解した。

 降り注いだ光の束からなんの気なしに、さし伸ばされたシキの掌には優しさという温かみが感じられた。ゼルミナのように冷たく命令するだけで、傍に近寄ろうともしないやり方ではなく、今も隣にいてくれるシキ。そんなシキがまるで――

「まるで――」

「ん? どうしたの?」

「い、いいえ。なんでもありません」

 まるで、本当の母親みたいだ、と口を滑らすところだった。

 包容力があって、こちらの話を対等な立場で聴いてくれて、それからて答えを諭すみたいに導いてくれる。自らを誇るでもなく至ってスムーズに、心に染み渡らせるように言ってくれる。

(シキ師範が、俺の母親だったら……そうしたら俺も……)

 意味のない仮定を頭の中で想像する。

 もしかしたら、シキがウーゼニアにとっての理想の母親像なのかもしれない。

「…………」

 夢中になって山道を突き進んでいくシキの背中を、ウーゼニアは黙って見つめる。視線に気づかれないよう、敢えて歩幅を小さくしてシキの後ろについてみる。

 ……そういえば、どうしてシキはこうしてウーゼニアを森の散策に誘ったのだろうか。どんどん登っていくシキは、無作為に移動しているとは思えない。まるで明確な目的があるようだ。

 もしや、鬱屈としていたウーゼニアを見かねて、心身ともにリフレッシュさせるために、一緒に登山することを申し出たのか。

「あっ! ウーゼニアくん、もう少しよ!」

 何かを見つけたのか、シキが浮き足立つ。

 ザクザクと邪魔な草木を掻き分けて前方へ進んでいくと、ようやく密集した森林地帯から開けた場所にでる。

 湧水が太くなってできている壮大な河川が、どこまでも伸びきっている。敷き詰められた砂利は、水を吸っているせいか柔らかい。

 すると――。

 ヒュン、ヒュンと虚空を斬るような音がする。

 明らかに、自然物が発する音ではない。

 それに、動物の鳴き声でもなさそうだ。

 視線をスライドさせると、そこには二本の長剣を素振りしている人影があった。

 幾度も振り下ろしているというのに、定まった位置でぴたりと停止させている。傍から見れば簡単そうに見えても、高速で、しかも二刀同時となると、かなりの技術を必要とする。腹筋や足の指先の相当な力を込めながらの素振りは、実戦の剣技においても非常に役立つことをシキに教わったことがある。

 そんなことを容易にできる人間も限られる。

 ウーゼニアはどうしてこんなところに知り合いがいるのか当惑しながら、瞳に映った女性の名を上げた。

「――キルキス?」

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