第5話 猪鍋の後は傀儡師の苦言
「それで、キルキスちゃんは将来どうするの? やっぱり、お父様の後をついだりするのかしら?」
ゴロゴロと大きめな猪の肉が転がっていた鍋は、すっかり空っぽになっていた。
みんな揃って満腹となり、そろそろ席を立とうとするキルキスに、興味津々といった表情でゼルミナは訊いてきた。
表情には出さないものの、これ以上引き止めるのはキルキスだって迷惑に違いない。
キルキスは余所行きの仮面をつけながら、戸惑いを隠しきれないながらも口を開く。
「い、いいえ。私は父とは違って人前に立つのは苦手なので……。今度開催される『K.O.F.T』に出場しようかと。……一応、ベスト8までは賞金がでるらしいので」
そうなのか。初めて聞いた。
そういえば、『K.O.F.T』にはてんで興味がないので、詳細についてキルキスに訊いたことなどなかった。
「あらあ、そうなのお? キルキスちゃんの《精霊獣》って強いって評判よね。もしかしたら、『K.O.F.T』もいいところまで行くんじゃないの。私、応援に行っちゃおうかしら? でも、隣のフロンティアでさえ、行くのにも一苦労なのよね。……あっ! そういえば、ウーゼニアちゃんは将来どうしたいの?」
「……俺は公共市民支援機関に勤めるよ」
露骨にほっとした様子で、ゼルミナは無意味なまでに大きなため息をつく。
「そうなの。良かったわあ。『狩猟会』なんて時代錯誤で将来になんの意味も見いだせない、訳のわからないものにめり込んでいるから、私も心配だったのよー。ほんとっ、公共市民支援機関だったら将来も安泰だわあ」
あっ、と思い出したかのようにゼルミナは言い付け加えると、
「でも、ウーゼニアちゃんがやりたいことをやりなさいね。私に遠慮なんてしないで。それに、あなたは頭いいんだから、どんな進路でも大丈夫よ。頑張りなさいね」
ウーゼニアは表情ではははと聞き流しながらも、机の下でギリギリと拳を握り潰す。
本音をぶちまけるのだけは回避しなければならない。
我慢しなければならない。
ゼルミナの心はガラス細工のように壊れやすく、少しでも触れてしまえば粉々になってしまう。
だからこそ、ウーゼニアはゼルミナの決定した事に奴隷のように全て従うことに決めたのだ。
だが――。
誰にだって、許容量というものがある。
どれだけ大きな風船であっても、膨らみ続ければ、いつかは悲惨な音を立てて破裂してしまう。長い間に蓄積されてきたものが一気に爆発しそうな感覚。激情に任せて全てをぶちまけたい衝動に襲われる。
それを察したのか、あ、その、とちょっと怯えた感じでキルキスが切り出す。
「そ、それじゃあ、私帰りますね。そろそろ路面電車もなくなっちゃいますし」
「あらー? いいのよ。たまには私の家に泊まってもいいのに。ああ、私の家ってキルキスちゃんの家に比べたら物置小屋みたいなものだから、恥ずかし――」
「キルキス。送っていくよ」
ガタン、と腰掛けた椅子から立ち上がると、即座にキルキスの腕を掴む。
驚いたようなキルキスにフォローの声をかけられるほどの心のゆとりなど、全くといってなかった。
鬱屈した想いを抱えながら、背後からゼルミナの蠅のような煩い声を聞き流しながら家を飛び出していく。
ぽつぽつと灯りが僅かに自己主張している夜道の中。二人連れ立って、足が絡まりそうになるぐらい速めに歩いていると、
「ウーゼニア。……そ、その、手を放してくれると嬉しいんだけど」
「あ、ああ……ごめっ! ……悪い。腕、掴んだままだったな」
キルキスの頬が、淡いピンク色に染まっていた。
普通の同世代の女性っぽい反応をされて、激しく狼狽する。
(……そういえば、キルキスも異性だったな)
普段意識していないせいで、より当惑の反動がでかくなる。ばっ、と思ったよりも強い振り方で、キルキスの腕を叩くみたいに引き剥がしてしまった。
「あっ、わるい……」
「ううん、痛くなかったし」
キルキスの言葉には裏がないようで、気にしてはいないようだったが、その代わり上の空になっている。ふへへへ、と気味の悪いことを呟いて、体をくねらせる。
ひとしきり満足そうに顔を緩め終えると、
「……そういえば、あの時、おばさんに言ったことって本当なの? 公共市民支援機関に行くって。見学しに行った後にあれだけ愚痴をこぼしてたじゃない」
「それは……しょうがないだろ。そうでもしないと、あの人が納得しないんだから」
公共市民支援機関は、リュウキュリィアで最も人気の高い公共機関だ。フロンティア連盟政府――『F.U.G』公認で資金提供もされているので、潰れる心配はまずない。
やることといえば、書類整理といった雑務だけで、仕事量はそこまで多くはない。専ら単純作業の繰り返しで、遅くとも夕方までには作業を終える。
ゼルミナが固執するのも当然だ。
公共市民支援機関が実際にどういったものか、好奇心に縛られて見学しに行ったことがある。そのことを相談したシキが色々と手配してくれて、ウーゼニアにも実際に簡単な仕事を任された。
だが、ウーゼニアがそこで見たのは、人生の妥協。
働いている職員全てが、死んだような表情で黙々と仕事をこなしていた。マニュアル化した挨拶しかやっておらず、機械のように永遠と同じ動作を続けていた。そのことに疑問一つ持たずにいた人たちの有様に、ウーゼニアは戦慄すらした。
「ウーゼニア」
ふと、キルキスが硬質な表情のまま言葉を投げかけてくる。
「……どうした?」
「ウーゼニアの気持ちは分からなくはないけど、おばさんだってウーゼニアのことを想ってるんだから。ウーゼニアのために色々やっていることだってことぐらいはわかってあげないと……」
はあ? とウーゼニアは顔を顰めて、
「俺のため? ……自分のための間違いだろ」
ウーゼニアは気分悪そうに吐き捨てると、所在悪そうに目を逸らした。その帰り道の道程は言うまでもなく最低な気分だった。
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